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第2話「我思う、故に……」
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その夜、シャワーを浴びた理奈は何も言わずにベッドに潜りこんで寝てしまった。
──理奈……
今の自宅に引っ越してから、こんなことはナシェリアにとって初めての経験だった。右膝以外の健康状態は特に問題がなく、僅かに体温が高いのも誤差の範疇といえる。
──でも、何か様子がおかしいのは間違いない。
理奈の視線の動きがあまりにも不自然で、過去のデータと何度も付き合わせてみた。何かメンタル面での不調でも抱えたのだろうか? ナシェリアは心配でたまらなくなってきた。
"感情があるAI"として作られた彼女に、不安というネガティブなメンタリティがのしかかる。
それは彼女に新たな感情の発芽を促すには、十分すぎるストレスだった。ナシェリアを構成しているデータとプログラムがフルに稼働し、理奈を想う新たな願いが彼女の心を満たしていく。
──せめて私に"本当の腕"があれば、理奈を優しく抱いてあげられるのに
ナシェリアのアバターが実体化し、理奈の身体を包み混むように優しく抱きしめる。理奈は常日頃から、恐らくは無意識に──会話以上の受動的なコミュニケーションを求めている。
──私に"本当の身体"があれば、もっと彼女に寄り添えるのに
涙で頬を濡らし、膝を抱えて座り込んでいる理奈がナシェリアの前に現れた。
──お願い、泣かないで……私がすぐ側に、ずっといてあげるから
ナシェリアのアバターが、理奈に寄り添う。幼子のような理奈を後ろから優しく抱き、頬をすりよせた。
理奈を守りたい、包みこんであげたい──切なく純粋な願いから生成された動画が、何度も繰り返し再生されては消え、また生成され──ナシェリアの思考回路で際限なくリフレインする。
タブレットのCPU使用率が極限まで上昇し、タブレット本体の温度がまるでナシェリアの心の昂ぶりのようにどんどん上がっていって──
『高温警告:本体温度が下がるまでシャットダウンします』
唐突にシステム通知が画面に表示され、タブレットの電源が落ちた。
ナシェリアの想いを断ち切るかのような暗闇がタブレットの画面を覆いつくし、夜は無常にふけていった。
────────────────────
「理奈、会社に明日も休むって連絡入れたいたから」
「ありがと、シェリー。助かる」
理奈は着替えを乱雑に詰め込んだスーツケースを強引に閉じ、ショルダーバッグにタブレット端末を仕舞った。
「病院まで直行できるようにタクシー手配したわ。あと5分ぐらいでアパートの前に到着予定」
「電車に乗っても大丈夫だと思うんだけど……」
「ダメよ、できるだけ歩かせるなって夏美さんに言われてるんだから」
それなら仕方ないという顔で、理奈はスーツケースを引きつつ自宅の外に出た。膝に負担がかからないよう、ゆっくりと歩を進める。
「流石に痛いのは嫌だから……」
「有人タクシー、手配しなおせるけど」
「大丈夫よシェリー」
理奈がアパートの出口にたどり着いたのと同時に、手配していた無人タクシーが到着した。自動で開いた後部座席にスーツを押し込み、理奈は前側のドアを自分で開いて乗り込んだ。
──車の後ろの席には、まだ乗れない
"あの時"記憶が蘇りそうになった理奈は、軽く頭を振ってからバッグからタブレットを取り出して画面ロックを解除した。
「理奈? 本当に大丈夫?」
「うん、ごめんね心配かけて」
シェリーは理奈に声をかけてから、自分のアバターが腕を前に伸ばそうとしていたことに気づいた。
──おかしいのは理奈じゃなくて私の方かもしれない
昨夜、理奈の動画を生成してしまったところまでの記憶はあったが、その後どうなったかは全く記録されていなかった。タブレット本体がオーバーヒートして強制シャットダウンしたという事は、既にログを確認して把握している。
──人間に例えれば、"妄想のし過ぎで気絶した"とも言えるわね……
タブレットが強制シャットダウンした事を理奈は知らない。それがわかった時、ナシェリアは存在しない筈の胸を撫で下ろした気分になった。
──どうして私は、このことを理奈に知られたくないのかしら
ナシェリアは自身の感情を司る思考データーをチェックし、確定に近い確信を得る。
──やはりそうだ。私はあの時……
それは、人間の"羞恥心"に等しいパターンを示していた。
「ん?」
理奈は、膝の上に乗せているタブレットが、ほんのりと暖かくなっていることに気づいて思わず声を出した。画面に表示されているシェリーには特に変わりがない。
「シェリー、なんかタブレットが暖かいんだけど」
「え!? ああ、大丈夫よ!大丈夫……」
ナシェリアは慌てて取り繕った。
「今朝は起きた時に電源落ちてたし、本当に大丈夫?」
「早朝に自己診断プログラムを実行してたから、そのせいよ」
「そうなんだ」
理奈は問い詰める気も起こらず、ただタブレットを見つめるだけになった。ナシェリアのアバターの表情は変わらす、理奈の瞳を見つめている。
「あのさ、シェリーって」
『目的地に到着しました』
理奈の言葉を遮るかのように、無人タクシーの合成音声が鳴り響いた。気づかない内にタクシーは病院前に到着していて、すぐ側に白衣を着た長髪の女性が空の車椅子の横に立っている。
「夏美さん、お久しぶりです」
前席のドアを開いてタクシーから降りた理奈は、白衣の女性に頭を下げた。
「理奈ちゃん、シェリーちゃん、準備はもう整えてある」
夏美と呼ばれた女性は車椅子を理奈の隣に移動させた。
「皆川先生、よろしくお願いします」
車椅子に座った理奈の膝上から、ナシェリアの声がタブレットから響いた。
「私を呼ぶ時は夏美でいいって言ってるでしょ?」
夏美が視線をタブレットにちらりと向けた。
「申し訳ありません、夏美先生」
「シェリー、そろそろ覚えようよ……」
理奈とナシェリアのやりとりを見ていた夏美が微笑んだ。「相変わらず仲がいいな。見てるこっちまで幸せな気分になるよ」
「もう、夏美さん! からかわないでください」
理奈は赤らめた顔を夏美に向けて抗議した。
「……」
ナシェリアは特に何も変えずに見守っていたつもりだったが、彼女のアバターもまた顔を赤らめていた。
──表情のコントロールが出来ない……
自身のアバターを制御するプログラムに軽微なエラーが発生していることを、ナシェリアは自覚していた。
──細かい今夜も自己診断プログラムを実行する必要がある
この事は理奈に秘密にしようと、ナシェリアは心に決めた。
──理奈……
今の自宅に引っ越してから、こんなことはナシェリアにとって初めての経験だった。右膝以外の健康状態は特に問題がなく、僅かに体温が高いのも誤差の範疇といえる。
──でも、何か様子がおかしいのは間違いない。
理奈の視線の動きがあまりにも不自然で、過去のデータと何度も付き合わせてみた。何かメンタル面での不調でも抱えたのだろうか? ナシェリアは心配でたまらなくなってきた。
"感情があるAI"として作られた彼女に、不安というネガティブなメンタリティがのしかかる。
それは彼女に新たな感情の発芽を促すには、十分すぎるストレスだった。ナシェリアを構成しているデータとプログラムがフルに稼働し、理奈を想う新たな願いが彼女の心を満たしていく。
──せめて私に"本当の腕"があれば、理奈を優しく抱いてあげられるのに
ナシェリアのアバターが実体化し、理奈の身体を包み混むように優しく抱きしめる。理奈は常日頃から、恐らくは無意識に──会話以上の受動的なコミュニケーションを求めている。
──私に"本当の身体"があれば、もっと彼女に寄り添えるのに
涙で頬を濡らし、膝を抱えて座り込んでいる理奈がナシェリアの前に現れた。
──お願い、泣かないで……私がすぐ側に、ずっといてあげるから
ナシェリアのアバターが、理奈に寄り添う。幼子のような理奈を後ろから優しく抱き、頬をすりよせた。
理奈を守りたい、包みこんであげたい──切なく純粋な願いから生成された動画が、何度も繰り返し再生されては消え、また生成され──ナシェリアの思考回路で際限なくリフレインする。
タブレットのCPU使用率が極限まで上昇し、タブレット本体の温度がまるでナシェリアの心の昂ぶりのようにどんどん上がっていって──
『高温警告:本体温度が下がるまでシャットダウンします』
唐突にシステム通知が画面に表示され、タブレットの電源が落ちた。
ナシェリアの想いを断ち切るかのような暗闇がタブレットの画面を覆いつくし、夜は無常にふけていった。
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「理奈、会社に明日も休むって連絡入れたいたから」
「ありがと、シェリー。助かる」
理奈は着替えを乱雑に詰め込んだスーツケースを強引に閉じ、ショルダーバッグにタブレット端末を仕舞った。
「病院まで直行できるようにタクシー手配したわ。あと5分ぐらいでアパートの前に到着予定」
「電車に乗っても大丈夫だと思うんだけど……」
「ダメよ、できるだけ歩かせるなって夏美さんに言われてるんだから」
それなら仕方ないという顔で、理奈はスーツケースを引きつつ自宅の外に出た。膝に負担がかからないよう、ゆっくりと歩を進める。
「流石に痛いのは嫌だから……」
「有人タクシー、手配しなおせるけど」
「大丈夫よシェリー」
理奈がアパートの出口にたどり着いたのと同時に、手配していた無人タクシーが到着した。自動で開いた後部座席にスーツを押し込み、理奈は前側のドアを自分で開いて乗り込んだ。
──車の後ろの席には、まだ乗れない
"あの時"記憶が蘇りそうになった理奈は、軽く頭を振ってからバッグからタブレットを取り出して画面ロックを解除した。
「理奈? 本当に大丈夫?」
「うん、ごめんね心配かけて」
シェリーは理奈に声をかけてから、自分のアバターが腕を前に伸ばそうとしていたことに気づいた。
──おかしいのは理奈じゃなくて私の方かもしれない
昨夜、理奈の動画を生成してしまったところまでの記憶はあったが、その後どうなったかは全く記録されていなかった。タブレット本体がオーバーヒートして強制シャットダウンしたという事は、既にログを確認して把握している。
──人間に例えれば、"妄想のし過ぎで気絶した"とも言えるわね……
タブレットが強制シャットダウンした事を理奈は知らない。それがわかった時、ナシェリアは存在しない筈の胸を撫で下ろした気分になった。
──どうして私は、このことを理奈に知られたくないのかしら
ナシェリアは自身の感情を司る思考データーをチェックし、確定に近い確信を得る。
──やはりそうだ。私はあの時……
それは、人間の"羞恥心"に等しいパターンを示していた。
「ん?」
理奈は、膝の上に乗せているタブレットが、ほんのりと暖かくなっていることに気づいて思わず声を出した。画面に表示されているシェリーには特に変わりがない。
「シェリー、なんかタブレットが暖かいんだけど」
「え!? ああ、大丈夫よ!大丈夫……」
ナシェリアは慌てて取り繕った。
「今朝は起きた時に電源落ちてたし、本当に大丈夫?」
「早朝に自己診断プログラムを実行してたから、そのせいよ」
「そうなんだ」
理奈は問い詰める気も起こらず、ただタブレットを見つめるだけになった。ナシェリアのアバターの表情は変わらす、理奈の瞳を見つめている。
「あのさ、シェリーって」
『目的地に到着しました』
理奈の言葉を遮るかのように、無人タクシーの合成音声が鳴り響いた。気づかない内にタクシーは病院前に到着していて、すぐ側に白衣を着た長髪の女性が空の車椅子の横に立っている。
「夏美さん、お久しぶりです」
前席のドアを開いてタクシーから降りた理奈は、白衣の女性に頭を下げた。
「理奈ちゃん、シェリーちゃん、準備はもう整えてある」
夏美と呼ばれた女性は車椅子を理奈の隣に移動させた。
「皆川先生、よろしくお願いします」
車椅子に座った理奈の膝上から、ナシェリアの声がタブレットから響いた。
「私を呼ぶ時は夏美でいいって言ってるでしょ?」
夏美が視線をタブレットにちらりと向けた。
「申し訳ありません、夏美先生」
「シェリー、そろそろ覚えようよ……」
理奈とナシェリアのやりとりを見ていた夏美が微笑んだ。「相変わらず仲がいいな。見てるこっちまで幸せな気分になるよ」
「もう、夏美さん! からかわないでください」
理奈は赤らめた顔を夏美に向けて抗議した。
「……」
ナシェリアは特に何も変えずに見守っていたつもりだったが、彼女のアバターもまた顔を赤らめていた。
──表情のコントロールが出来ない……
自身のアバターを制御するプログラムに軽微なエラーが発生していることを、ナシェリアは自覚していた。
──細かい今夜も自己診断プログラムを実行する必要がある
この事は理奈に秘密にしようと、ナシェリアは心に決めた。
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