従属と名を捨てて

ちゃむこ

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冷たい風が吹いていた。
夜半の帝都はしんと静まり、宮廷の塔すら月明かりに沈んでいる。

その静寂を裂いたのは、金属の跳ねる音だった。

「っ、来たか──!」
屋敷内に響く異音に、エリオは即座に短剣を抜いた。
気配が異常だ。訓練された兵のものではない、獣のような殺気。
明らかに命を狙いに来ている。

「ユン!」
名を呼ぶ前に、その姿はもう傍にあった。
彼はいつもそうだった。命じる前に、すでに動いている。

「裏手、五名。全員、闇組織《炭紋》の印あり。
殺しの許可を」

「出す。好きにしろ」

その一言が下りると同時に、ユンの体はまるで人間とは思えない速さで宙を裂く。
音もなく接近し、ひとり、またひとりと喉元を切り裂いていく。

しかし──それは“罠”だった。

最も危険な敵は、ユンの背後にいた。

「主っ……!!」
乾いた声が、叫びとなって空気を裂いた。
鋼が風を切る音。
その瞬間、ユンの身体が、主の前に飛び込む。

「ユ──」
言葉が終わる前に、肉を裂く生々しい音が響いた。

ユンの身体に、深く鋭い刃が突き刺さっていた。
腹の中央、致命的な角度と深さ。
それでも彼は眉ひとつ動かさず、刺客の腕をそのまま折り伏せ、捻じ切るように地に沈める。

──そして、崩れ落ちた。

「……っ、ユン!!」
地面に膝をつき、血に濡れるユンの身体を抱き上げる。
いつものように軽いはずの体が、信じられないほど重く感じた。

「意識を保て。命令だ。……いいか、俺が許すまで死ぬな。分かったな」

けれど、ユンは首を振るでも、うなずくでもなかった。
ただ、唇だけがかすかに動いた。

「……主を、お守り……できて、よかった……です……」

その声には、恐れも痛みもなかった。
むしろ、どこか、安堵の色すらあった。

──満たされていた。
主に身を捧げられたこと。それだけで。

「……やめろ」
エリオの声は震えていた。
自身でも気づかぬうちに、頬を濡らす雫が、ユンの頬へと落ちた。

「死ぬな。命令じゃない。……頼むから……」

それは、命令ではなかった。
今まで一度も出したことのない、哀願の言葉だった。

ユンの瞳が、かすかに揺れる。
言葉にできない想いが、そこに宿っていた。
けれどその目が閉じられたとき、何も告げることはできなかった。

そして、意識を失ったユンを抱きしめながら、エリオは初めて知る。

自分が、どれほどこの男に心を預けていたのかを。
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