片思いの相手に偽装彼女を頼まれまして

八千古嶋コノチカ

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片思いの相手に偽装彼女を頼まれまして 2

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「いやぁ、社内恋愛は作業効率を下げると疑わなかったが、そうでもないみたいだねぇー。僕も考えを改めるか」

 とある日、部長が感慨深げに呟く。
 あれから私と誠は正式に交際をスタートし、喧嘩をすることもあるが信頼関係は築けている。

「何ですか? 急に。はい、チェックお願いします」

 この書類を提出すれば本日の業務は終了。
 時計を見れば定時前、待ち合わせまで余裕がありそう。化粧を直して朝食の準備を済ませておこうか、などと計画を立てる。

「ほぅ、顔がニヤけてるね。これからデートかな?」

 モニターから視線を外し、部長は書類を受け取る。

「はい、いったん部屋に戻って朝食の支度しようと」

「言うねー。ノロケもいいが資料に不備があれば直させるからな。笠原と一緒に残業コースだ、覚悟しろ!」

 部長のチェックが厳しいのは相変わらず。しかし、私もきちんと仕上げた自信があるので怯まない。

 私の残業時間は以前より減っているが、誠の方はそうもいかなくてーー営業部長への昇進が決まったから。
 今日は昇進祝いを兼ねたデート故、残業して遅刻ができない。

「ちっ、ミスが無いな。帰っていいぞ、彼氏によろしく」

 悔しそうで何処か嬉しそうに、手をひらひら振られる。

「お先に失礼します」

 一礼し、会議室を後にした。

「茜!」

 エレベーターを待つ最中、背後より声が掛かる。

「あら朝霧部長、お疲れ様です」

 振り返らずとも誰かは承知しており、挨拶した。

「気が早い。それに君にそう呼ばれたくない。もう上がれるのか?」

「うん。一回マンションに帰ってレストランへ向かうね。あ、朝食も買っておこうかなって。ジャム切らしてたよね?」

「あぁ、良く気が利く奥さんだ。ありがとう」

「それこそ気が早いわよ。両家の顔合わせはまだだし、部長と笠原さん以外は私達の関係を知らないんだから」

 チン、到着の合図と共に2人で乗り込む。

「俺は茜との関係をいつ公表してもいい、周りの男達に牽制出来る。殊に最近の茜は綺麗で人の目を引くから心配だ」

「そちらこそ、昇進の話が出てますます女子社員に騒がれてるみたいだけど?」

 どちらかともなく手を繋ぐ。薬指の指輪同士がカチッと鳴り、顔を見合わす。ちなみに私は左、誠は右に身に付けている。

「ねぇねぇ、覚えてる? ここで壁ドンしたのを」

 ふといつかの思い出が過り、尋ねた。

「忘れるはずないだろ。なんなら今からやってもいいが、壁ドンで終わらせる理性が無い。あの頃の俺は紳士だったな? 密室に茜と2人きりで手を出さなかったんだ」

 割と本気のトーンで語られ、若干引いてしまう。

「エ、エレベーター内でのセクハラ発言はやめて下さい。そういうのは家でーー」

「茜相手に禁欲なんて無理。今、凄くキスしたい」

 訴え虚しく、誠が壁ドンをしてきた。

 誠の隣に立つべく努力を重ね、それなりに自信が身に付いてきたとはいえ、やはり誠本人から攻められると弱い。ドキドキして抗えなくなる。

「茜」

 首筋に触れるか触れないかの距離に顔を寄せ、囁く。

「俺を助けて欲しいんだ」

「ーー助ける?」

 この会話の運びは記憶しており、真意を探るため誠を見詰めた。表情を察するに彼も承知してやっているのだろう。

「今更、1日限りの彼女になってとか言う気?」

 流石に芝居でも誠の偽装彼女になるのは嫌だと主張。膨れてそっぽを向く。

「違う、1日であるはずない、一生。それから彼女でもなく妻だ。茜、生涯ずっと側にいてくれ」

 頬を撫で、瞳を覗いてくる。

「い、一体何回プロポーズするのよ!」

 カッと身体が熱くなって、耳まで赤くなる様子が彼の瞳の中で実況された。

「何回したっていいだろ? する度に茜が好きだと実感できて、茜も俺を好きでいてくれるのが確かめられる」

 ははっと笑い、キスを仕掛けてくることは無い。最初からそのつもりなのだろう。
 目的階に着こうとすると誠はしっかり社会人の顔へ戻り、私から離れた。

「……」

 何だか悔しい。未だに誠に好きだと伝えられると照れて、あんな反応をしてしまう。誠も慣れない姿を楽しむ節がある。

「誠」

「え?」

 扉が開く直前、私は彼のネクタイを引っ張った。彼は予期せぬ行動に姿勢を崩し、耳元が近くなる。

「私も愛している。今夜ベッドで沢山伝えてあげるね」

 この形の良い耳へ目一杯甘く囁いてからエレベーターを降りることにした。

「わっ! 朝霧さん、どうしたんですか? 大丈夫ですか?」

「え、エロい……」

「はぁ? 誰か、手を貸してくれ! 朝霧さんが鼻血を出しそうな顔してる!」

 入れ違いで乗り込む社員が座り込む彼に驚く。
 私は心の中で赤い舌をチロリと出し、その場を後にした。

 さて、あんな風に煽ってしまった手前、今夜は長いだろう。ひょっとして夜が明けないかもしない。

「よし、栄養ドリンクも買っておくか」

 ーー呟きは喧騒に溶けていく。

「朝霧さん、朝霧さん! 大丈夫ですか?」

「……大丈夫じゃない」

「誰か! 誰か! 朝霧さんがエレベーターの中で動けなくなってる!」


おわり
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