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第11話 Pure innocence
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その日【Ung-rose】に届く手紙の内容を、ミシェルは既に知っていた。否、その情景を目の前で見ていた。
どうしようもなく残酷で、無慈悲で、救いようのない現象。
しばらく遠ざかっていたから意識から外れていた、その現象。
――死。
それについて考えを整理するのに、ミシェルはしばらくの時間を要した。
日曜日のいつもの習慣で、ミシェルは教会と、孤児院に訪れる。そこでは子供たちがミシェルの持ってくる菓子や花飾りを待ちわびており、今日も盛大な歓迎を受けたところだ。
「いつもありがとう、ミシェルさん」
「ありがとー!」
「はは、こちらこそ、いつも喜んでくれてありがとう。お前さんたちの笑顔が、俺の生きる糧になってるよ」
「いきるかて? ってなーに?」
「そうだなぁ、エネルギー、力になってるってことかな。栄養ってことだよ」
「へんなのー」
「ごはんじゃないのにー」
「人間は飯だけで生きてるんじゃないんだよ、ミリー、サリー。いつか、わかるときが来る」
そう言って、ミシェルは二人の頭を撫でた。
「それって未来ってこと?」
孤児院の奥の方から、大人しそうな、そして少し大人びた声をした少女が顔をだした。
「オネット」
オネット、と呼ばれた少女は、不自由な左足を引きずりながら、それでも器用にひょこひょこと歩き、ミシェルの傍の椅子に座った。
「私にも、未来ってあるのかな」
「もちろんだ。今を生きていれば、かならず未来は来る」
「うーん、想像できないな」
「そうかもしれないな。ま、目の前を大事にするのも大事だぜ。食べな、オネット」
ミシェルは持ってきた菓子が広がっているテーブルを示す。ミリーとサリーや、他の子どもたちはそれらを自由に手に取って、遊びながら食べている。
「うん、ありがとうミシェルさん」
オネットは遠慮がちに菓子に手を伸ばす。やや迷って、ストロベリー味のロリポップを手に取った。
「私ね、悩みがあるんだ」
「悩み?」
「うん。……私のこの足で、職人学校に行けるのかなぁって」
アルティザンで特定の仕事をするには、多くの場合、首都にある職人学校に通うことになる。全寮制のそこで数年、修行をして過ごし、希望する職に就くために尽力するのだ。
「いつか歌姫になりたいって夢はあるけど、私のこの足じゃそんな夢、叶いっこないんじゃないかって、そう思うの」
うつむいて、まるで自分に言い聞かせるようにオネットは言う。その言葉の連なりは、まるで歌っているようだ。
ミシェルは静かに、その声に耳を傾ける。
「私はこんな足だからおとうさんとおかあさんに捨てられちゃった。おとうさんは配管工だしおかあさんは家政婦さんだから、資格を持ってないから、お金も無かった。働けない私に未来なんて無かった。最初はそう思ってた」
静かに、オネットの言葉は続く。
「でもここに来て変わった。ここではみんな優しいし、私に色んな感情を思い出させてくれた。やりたいことをやりたいだけ、やらせてくれた。それで私は、讃美歌を謳うのが好きになった」
「歌が、好きになったのか」
「うん。だから、いつか歌姫になりたい。どうか叶えてくれますように、っていつも神様にお願いしているけど、本当になれるかどうかはわからない。誰も知らない」
「そうか……」
ミシェルは天上を仰ぐ。天使や神々、それに故人たちの共存する絵を描いたヴォールトが視界に広がる。
「俺もな、昔は自分に未来なんてものがあると思わなかった」
「そうなの?」
「そうだ。むしろ、野垂れ死んでしまうと思ったことが何回もあった。俺の育ての父に拾われるまでは、そんな日々の連続だった」
「それなのに、ミシェルさんはどうして花屋さんになれたの」
「そりゃあ、努力したからさ。『努力せずして故人たちのようになれず』だよ」
「未来がわからないのに」
「未来がわからないからこそだ。何が起こるかわからないから、今できるすべてのことをする。それは、いつか自分の役に立つ日が来る」
「そっか……」
ミシェルの言葉をかみ砕くように、オネットは何度も頷く。小さな頭が何度も縦に揺れ、少しずつ真意を飲み下していく様子が見て取れた。
「うん、うん、そうだよね。私、歌が好きなままでいいんだよね」
「もちろん。夢を持つのは大事なことだよ。それを大切にして、日々を過ごすといい」
「わかった!」
顔をぱっと明るくし、オネットはミシェルの紅の瞳を見る。
「私、頑張るよ。せっかく教会のひとたちが職人学校に行かせてくれるんだもん。絶対、歌姫になって帰ってくる。いつか、ミセス・ファンヌみたいに舞台に立つんだ!」
「よし、いいことだ。応援してるぜ」
「うん!」
にっこりと笑ったオネットの顔は、まだ幼さが残っている。職人学校に通う期間は長い。しばらくのあいだこの笑顔が見られなくなると思うと、少し寂しいとミシェルは思った。
「さて、そろそろ俺も帰ろうかな。帰りに買い物をして帰らないと」
「そっか、じゃあみんなを呼んでくるね。ちゃんとお見送りするんだから、それまで待っててよね」
「あはは、わかったよ」
椅子からオネットが立ち上がる。オネットの手にはしっかりとストロベリー味のロリポップが握られていた。
「もうかえっちゃうのー」
「はやーい」
「また来てくださいね、ミシェルさん」
「絶対、絶対よ」
子供たちは口々にミシェルの再来を願う。そんな子供たちひとりひとりの右手に、ミシェルは自身の右手を重ねて挨拶をした。
そこで、ひとつ違和感に気づく。
「あれ、アンジーとオネットはどうした?」
「さっき、ケガしてたねこちゃんおいかけてったよー」
そしてミリーは向こうの方を指さした。
「そうか。じゃあ、そっちにも挨拶してから行くよ。じゃあな、みんな」
「ばいばーい」
「またね、ミシェルさん」
ミシェルは踵を返すと、ミリーの指さした道路の向こうへと足を向けた。
交差点の方を見ると、ケガをした猫をアンジーとオネットがケガをした猫を撫でているのが目に入った。
「アンジー、オネット。危ないぞ。こっちに来な」
アンジーははぁい、と返事をして猫を抱き上げてミシェルのほうへ歩き始めた。不器用ながらも、アンジーのあとをオネットが追う。
そのときだった。
馬車の軋む音――そして、馬が怯える鳴き声、車が横倒しになる音。
色々な音と、埃が舞った。
「おい、おい! 二人とも大丈夫か!?」
嫌な予感がしてミシェルは焦る。
ややあって、胴体にケガをした猫が飛び出すようにして逃げ出してきた。続いて、埃の煙の中からアンジーの姿が見える。
アンジーのもとにミシェルが駆け寄る。
「大丈夫か?」
「うん、だい、じょうぶ……オネットは?」
「オネットは、オネット、オネット! どこにいる?」
辺りを見回しても、オネットの姿が見えない。
「アンジー、お前は先に孤児院に行ってシスターを呼んできてくれ」
戸惑いながらアンジーは頷く。駆け足で孤児院に向かった。
ミシェルのその言葉は、アンジーにこの光景を見せたくないがための言葉だった。
馬車の下から、じわりと血液が漏れ出ている。
騎手と乗っていた人間は、放り出されて無事だった。互いに顔を見合わせて、無事を確認して、いる。騎手のほうは、興奮した馬を抑えることに専念していた。
「オネット、オネット!」
ミシェルの言葉にオネットの声は返ってこない。
やがて完全に煙が晴れると――馬車の下敷きになっている子供の姿が目に入り――その左足が、特徴的に曲がったオネットのものであると、ありありとわかった。
「あ……あ……」
死の香り。
ミシェルは久しぶりにそれを思い出し、戦慄する。
『人は、いつか死ぬんだよ』
頭のどこかで、育ての父、ヴァレリアンの言葉が思い返された。
その日、教会から届いた【Ung-rose】への手紙の内容は、間違いようのないものだった。
黒い封筒の中身は、教会に付随する孤児院である故に、大々的な葬儀はできない。質素で良い、オネットに似合う花を棺桶に入れて、埋葬してあげてほしい、という内容だ。
ミシェルは、地下の薄暗い案地質の作業台に乗せられたオネットの身体を、肢体を、死体を見ていた。
そこには骨が砕け、内臓がはみ出て、皮膚が破け、ぐずぐずになってしまっているオネットの姿があった。
「人は、いつか死ぬ」
ミシェルは、ヴァレリアンから教わった言葉を復唱する。
それを、しっかりと理解していたつもりだった。
「これも、運命なんだよな、ヴァレリアン」
ミシェルは作業台に涙を落とす。
オネットの死が、質量を持って鉛のようにミシェルの心を圧し潰そうとしていた。
運命。
そんな陳腐な言葉で片付けられてしまうのが、あまりにも辛すぎて、ミシェルの人生を軋ませていた。
「どうして。どうして、こんな」
崩れ落ちそうになる膝を奮い立たせ、ミシェルは崩れたオネットの手を取る。
「ごめん。守ってやれなくて、本当にごめん」
ミシェルの黒い手袋に、オネットの冷たい体液が滴る。
覚悟を決めて、ミシェルはオネットの身体を直す作業を始める。
ヴァレリアンから継いだ道具箱を開き、オネットの身体に、皮膚に、針を入れた。
からぁん――……
時刻を告げる鐘よりも、少しだけ低い鐘の音。
教会で葬儀が行われるときに鳴らされる鐘の音だ。
喪主をシスター・エレーヌが務め、孤児院の子供たちが参列する。
悲しみに包まれた教会に、子供たちの寂しそうな讃美歌が響く。涙の混じる声に伴奏を合わせるのは、ミシェルの弾くパイプオルガンだ。
ミシェルは、いつも葬儀に参列するときの恰好――黒い燕尾服に、闇夜に溶けていきそうな漆黒のマント。頭に乗っているのは黒い、使い古された正装帽――を、していた。
讃美歌が静かに終わると、エレーヌが口をひらく。
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。悲しいことに、神のもとへ一人、愛する人が逝きました。名は、オネット。オネット・ロリエ。彼女に、どうぞ花を手向けてくださいませ」
子供たちが手にしているのは、ミシェルが事前に配っていたシルクジャスミンの花だ。そして、教会に従事しているシスターや神父たちも同じく、シルクジャスミンの花を持っている。
「協力していただいたミスター・ミシェルから、お花についてお話を伺おうと思います」
ミシェルはエレーヌに促され、壇上へと立つ。
「シスター・エレーヌよりご挨拶がありました通り、孤児院で暮らしていたオネット・ロリエが神のもとへと旅立ちました。本日、彼女の棺に入れさせていただいた花の花言葉は――『無垢』です」
言いながら、ミシェルは自身が整えたオネットが眠る棺を一瞥した。
オネットの眠る棺には、純白の花が一面に敷き詰められていた。ところどころに見える緑が花の白さを引き立て、眠るオネットの白い肌に輝きをもたらしている。
「俺は、生前の彼女のことを知っていました。彼女は、かつて歌姫を夢見て、職人学校へ行くことを夢見ていました」
ミシェルは、オネットが笑顔を絶やさずに生き、毎日、歌っていた讃美歌のことを思い出す。
「彼女の思う未来はとても純粋で、彼女の考える未来はとても『無垢』なものでした。なので、今日はこの花を……シルクジャスミンの花を、用意させていただきました。ささやかですが、彼女への手向けとなりますよう、俺からも祈ります」
そしてミシェルは、少しの間、黙祷を捧げてから壇上から降りた。
「では、皆様。オネット・ロリエへの献花を」
エレーヌの言葉に、上級神父のひとりが立ち上がった。傍らには、孤児院の子供が寄り添っている。彼らはふたりでシルクジャスミンの花を手向けると、静謐に黙祷を捧げる。
それが、何度か続いた。
棺が閉じられ、墓場へと運び出される。
捨てられたとは言え、オネットの家族であるロリエ家の墓に、彼女は入れられることになっていた。
オネットの両親の姿は見えない。オネットを孤児院に入れた手前、姿を見せることができなかったのだろう。
あらかじめ大きく口を空けていた穴に、オネットの眠る棺が納められる。
土をかける音と、参列者のすすり泣く声が辺りに流れている。
「ヴァレリアン、これが、カミサマの選んだことなのか」
ミシェルの小さなつぶやきは、土をかける音に紛れて誰にも聞こえない。
一筋、ミシェルのほほに涙が流れる。
墓石に供えられたシルクジャスミンの花びらが揺れる。
それはまるで、ヴァレリアンがミシェルの疑問に応えたようだったが――内容は、わからなかった。
【無垢――fin.】
どうしようもなく残酷で、無慈悲で、救いようのない現象。
しばらく遠ざかっていたから意識から外れていた、その現象。
――死。
それについて考えを整理するのに、ミシェルはしばらくの時間を要した。
日曜日のいつもの習慣で、ミシェルは教会と、孤児院に訪れる。そこでは子供たちがミシェルの持ってくる菓子や花飾りを待ちわびており、今日も盛大な歓迎を受けたところだ。
「いつもありがとう、ミシェルさん」
「ありがとー!」
「はは、こちらこそ、いつも喜んでくれてありがとう。お前さんたちの笑顔が、俺の生きる糧になってるよ」
「いきるかて? ってなーに?」
「そうだなぁ、エネルギー、力になってるってことかな。栄養ってことだよ」
「へんなのー」
「ごはんじゃないのにー」
「人間は飯だけで生きてるんじゃないんだよ、ミリー、サリー。いつか、わかるときが来る」
そう言って、ミシェルは二人の頭を撫でた。
「それって未来ってこと?」
孤児院の奥の方から、大人しそうな、そして少し大人びた声をした少女が顔をだした。
「オネット」
オネット、と呼ばれた少女は、不自由な左足を引きずりながら、それでも器用にひょこひょこと歩き、ミシェルの傍の椅子に座った。
「私にも、未来ってあるのかな」
「もちろんだ。今を生きていれば、かならず未来は来る」
「うーん、想像できないな」
「そうかもしれないな。ま、目の前を大事にするのも大事だぜ。食べな、オネット」
ミシェルは持ってきた菓子が広がっているテーブルを示す。ミリーとサリーや、他の子どもたちはそれらを自由に手に取って、遊びながら食べている。
「うん、ありがとうミシェルさん」
オネットは遠慮がちに菓子に手を伸ばす。やや迷って、ストロベリー味のロリポップを手に取った。
「私ね、悩みがあるんだ」
「悩み?」
「うん。……私のこの足で、職人学校に行けるのかなぁって」
アルティザンで特定の仕事をするには、多くの場合、首都にある職人学校に通うことになる。全寮制のそこで数年、修行をして過ごし、希望する職に就くために尽力するのだ。
「いつか歌姫になりたいって夢はあるけど、私のこの足じゃそんな夢、叶いっこないんじゃないかって、そう思うの」
うつむいて、まるで自分に言い聞かせるようにオネットは言う。その言葉の連なりは、まるで歌っているようだ。
ミシェルは静かに、その声に耳を傾ける。
「私はこんな足だからおとうさんとおかあさんに捨てられちゃった。おとうさんは配管工だしおかあさんは家政婦さんだから、資格を持ってないから、お金も無かった。働けない私に未来なんて無かった。最初はそう思ってた」
静かに、オネットの言葉は続く。
「でもここに来て変わった。ここではみんな優しいし、私に色んな感情を思い出させてくれた。やりたいことをやりたいだけ、やらせてくれた。それで私は、讃美歌を謳うのが好きになった」
「歌が、好きになったのか」
「うん。だから、いつか歌姫になりたい。どうか叶えてくれますように、っていつも神様にお願いしているけど、本当になれるかどうかはわからない。誰も知らない」
「そうか……」
ミシェルは天上を仰ぐ。天使や神々、それに故人たちの共存する絵を描いたヴォールトが視界に広がる。
「俺もな、昔は自分に未来なんてものがあると思わなかった」
「そうなの?」
「そうだ。むしろ、野垂れ死んでしまうと思ったことが何回もあった。俺の育ての父に拾われるまでは、そんな日々の連続だった」
「それなのに、ミシェルさんはどうして花屋さんになれたの」
「そりゃあ、努力したからさ。『努力せずして故人たちのようになれず』だよ」
「未来がわからないのに」
「未来がわからないからこそだ。何が起こるかわからないから、今できるすべてのことをする。それは、いつか自分の役に立つ日が来る」
「そっか……」
ミシェルの言葉をかみ砕くように、オネットは何度も頷く。小さな頭が何度も縦に揺れ、少しずつ真意を飲み下していく様子が見て取れた。
「うん、うん、そうだよね。私、歌が好きなままでいいんだよね」
「もちろん。夢を持つのは大事なことだよ。それを大切にして、日々を過ごすといい」
「わかった!」
顔をぱっと明るくし、オネットはミシェルの紅の瞳を見る。
「私、頑張るよ。せっかく教会のひとたちが職人学校に行かせてくれるんだもん。絶対、歌姫になって帰ってくる。いつか、ミセス・ファンヌみたいに舞台に立つんだ!」
「よし、いいことだ。応援してるぜ」
「うん!」
にっこりと笑ったオネットの顔は、まだ幼さが残っている。職人学校に通う期間は長い。しばらくのあいだこの笑顔が見られなくなると思うと、少し寂しいとミシェルは思った。
「さて、そろそろ俺も帰ろうかな。帰りに買い物をして帰らないと」
「そっか、じゃあみんなを呼んでくるね。ちゃんとお見送りするんだから、それまで待っててよね」
「あはは、わかったよ」
椅子からオネットが立ち上がる。オネットの手にはしっかりとストロベリー味のロリポップが握られていた。
「もうかえっちゃうのー」
「はやーい」
「また来てくださいね、ミシェルさん」
「絶対、絶対よ」
子供たちは口々にミシェルの再来を願う。そんな子供たちひとりひとりの右手に、ミシェルは自身の右手を重ねて挨拶をした。
そこで、ひとつ違和感に気づく。
「あれ、アンジーとオネットはどうした?」
「さっき、ケガしてたねこちゃんおいかけてったよー」
そしてミリーは向こうの方を指さした。
「そうか。じゃあ、そっちにも挨拶してから行くよ。じゃあな、みんな」
「ばいばーい」
「またね、ミシェルさん」
ミシェルは踵を返すと、ミリーの指さした道路の向こうへと足を向けた。
交差点の方を見ると、ケガをした猫をアンジーとオネットがケガをした猫を撫でているのが目に入った。
「アンジー、オネット。危ないぞ。こっちに来な」
アンジーははぁい、と返事をして猫を抱き上げてミシェルのほうへ歩き始めた。不器用ながらも、アンジーのあとをオネットが追う。
そのときだった。
馬車の軋む音――そして、馬が怯える鳴き声、車が横倒しになる音。
色々な音と、埃が舞った。
「おい、おい! 二人とも大丈夫か!?」
嫌な予感がしてミシェルは焦る。
ややあって、胴体にケガをした猫が飛び出すようにして逃げ出してきた。続いて、埃の煙の中からアンジーの姿が見える。
アンジーのもとにミシェルが駆け寄る。
「大丈夫か?」
「うん、だい、じょうぶ……オネットは?」
「オネットは、オネット、オネット! どこにいる?」
辺りを見回しても、オネットの姿が見えない。
「アンジー、お前は先に孤児院に行ってシスターを呼んできてくれ」
戸惑いながらアンジーは頷く。駆け足で孤児院に向かった。
ミシェルのその言葉は、アンジーにこの光景を見せたくないがための言葉だった。
馬車の下から、じわりと血液が漏れ出ている。
騎手と乗っていた人間は、放り出されて無事だった。互いに顔を見合わせて、無事を確認して、いる。騎手のほうは、興奮した馬を抑えることに専念していた。
「オネット、オネット!」
ミシェルの言葉にオネットの声は返ってこない。
やがて完全に煙が晴れると――馬車の下敷きになっている子供の姿が目に入り――その左足が、特徴的に曲がったオネットのものであると、ありありとわかった。
「あ……あ……」
死の香り。
ミシェルは久しぶりにそれを思い出し、戦慄する。
『人は、いつか死ぬんだよ』
頭のどこかで、育ての父、ヴァレリアンの言葉が思い返された。
その日、教会から届いた【Ung-rose】への手紙の内容は、間違いようのないものだった。
黒い封筒の中身は、教会に付随する孤児院である故に、大々的な葬儀はできない。質素で良い、オネットに似合う花を棺桶に入れて、埋葬してあげてほしい、という内容だ。
ミシェルは、地下の薄暗い案地質の作業台に乗せられたオネットの身体を、肢体を、死体を見ていた。
そこには骨が砕け、内臓がはみ出て、皮膚が破け、ぐずぐずになってしまっているオネットの姿があった。
「人は、いつか死ぬ」
ミシェルは、ヴァレリアンから教わった言葉を復唱する。
それを、しっかりと理解していたつもりだった。
「これも、運命なんだよな、ヴァレリアン」
ミシェルは作業台に涙を落とす。
オネットの死が、質量を持って鉛のようにミシェルの心を圧し潰そうとしていた。
運命。
そんな陳腐な言葉で片付けられてしまうのが、あまりにも辛すぎて、ミシェルの人生を軋ませていた。
「どうして。どうして、こんな」
崩れ落ちそうになる膝を奮い立たせ、ミシェルは崩れたオネットの手を取る。
「ごめん。守ってやれなくて、本当にごめん」
ミシェルの黒い手袋に、オネットの冷たい体液が滴る。
覚悟を決めて、ミシェルはオネットの身体を直す作業を始める。
ヴァレリアンから継いだ道具箱を開き、オネットの身体に、皮膚に、針を入れた。
からぁん――……
時刻を告げる鐘よりも、少しだけ低い鐘の音。
教会で葬儀が行われるときに鳴らされる鐘の音だ。
喪主をシスター・エレーヌが務め、孤児院の子供たちが参列する。
悲しみに包まれた教会に、子供たちの寂しそうな讃美歌が響く。涙の混じる声に伴奏を合わせるのは、ミシェルの弾くパイプオルガンだ。
ミシェルは、いつも葬儀に参列するときの恰好――黒い燕尾服に、闇夜に溶けていきそうな漆黒のマント。頭に乗っているのは黒い、使い古された正装帽――を、していた。
讃美歌が静かに終わると、エレーヌが口をひらく。
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。悲しいことに、神のもとへ一人、愛する人が逝きました。名は、オネット。オネット・ロリエ。彼女に、どうぞ花を手向けてくださいませ」
子供たちが手にしているのは、ミシェルが事前に配っていたシルクジャスミンの花だ。そして、教会に従事しているシスターや神父たちも同じく、シルクジャスミンの花を持っている。
「協力していただいたミスター・ミシェルから、お花についてお話を伺おうと思います」
ミシェルはエレーヌに促され、壇上へと立つ。
「シスター・エレーヌよりご挨拶がありました通り、孤児院で暮らしていたオネット・ロリエが神のもとへと旅立ちました。本日、彼女の棺に入れさせていただいた花の花言葉は――『無垢』です」
言いながら、ミシェルは自身が整えたオネットが眠る棺を一瞥した。
オネットの眠る棺には、純白の花が一面に敷き詰められていた。ところどころに見える緑が花の白さを引き立て、眠るオネットの白い肌に輝きをもたらしている。
「俺は、生前の彼女のことを知っていました。彼女は、かつて歌姫を夢見て、職人学校へ行くことを夢見ていました」
ミシェルは、オネットが笑顔を絶やさずに生き、毎日、歌っていた讃美歌のことを思い出す。
「彼女の思う未来はとても純粋で、彼女の考える未来はとても『無垢』なものでした。なので、今日はこの花を……シルクジャスミンの花を、用意させていただきました。ささやかですが、彼女への手向けとなりますよう、俺からも祈ります」
そしてミシェルは、少しの間、黙祷を捧げてから壇上から降りた。
「では、皆様。オネット・ロリエへの献花を」
エレーヌの言葉に、上級神父のひとりが立ち上がった。傍らには、孤児院の子供が寄り添っている。彼らはふたりでシルクジャスミンの花を手向けると、静謐に黙祷を捧げる。
それが、何度か続いた。
棺が閉じられ、墓場へと運び出される。
捨てられたとは言え、オネットの家族であるロリエ家の墓に、彼女は入れられることになっていた。
オネットの両親の姿は見えない。オネットを孤児院に入れた手前、姿を見せることができなかったのだろう。
あらかじめ大きく口を空けていた穴に、オネットの眠る棺が納められる。
土をかける音と、参列者のすすり泣く声が辺りに流れている。
「ヴァレリアン、これが、カミサマの選んだことなのか」
ミシェルの小さなつぶやきは、土をかける音に紛れて誰にも聞こえない。
一筋、ミシェルのほほに涙が流れる。
墓石に供えられたシルクジャスミンの花びらが揺れる。
それはまるで、ヴァレリアンがミシェルの疑問に応えたようだったが――内容は、わからなかった。
【無垢――fin.】
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