Michele=Undergroundの惨憺たる日々

金森璋

文字の大きさ
19 / 47

第19話 In the Night -inn-

しおりを挟む
 ヴァレリアンはその日、病床に臥せっていた。
 長引く高熱。顔が赤く火照り、毎時のように変えるタオルはいつもぬるくなってしまっている。
 世話をしているミシェルは不安そうに、ヴァレリアンの顔を覗き込む。
「ヴァレリアン。大丈夫なんだよね、元気になってくれるんだよね」
 そうミシェルが訊くと、決まってこう応えるのだ。

 大丈夫、すぐに良くなるよ。早く、店を開けよう。

 その度にミシェルはヴァレリアンの無事と回復を祈り、ヴァレリアンのあたたかな手を握る。ヴァレリアンは、ミシェルのまだ幼い手を握り返す。力は弱いものの、そこには確かな絆があった。

 ミシェル、あのね。

 ヴァレリアンは唐突に、ミシェルの方をはっきりと見て語りだす。それまで、熱に浮かされて朧気だった表情が、急に穏やかな泉のように微笑みを湛えた。

 ぼくはね。きみに会えてとても幸せだ。

「……? どうしたの、ヴァレリアン」

 伝えておかなくちゃ、ならないと思ってね。

「伝えるって、何を」

 ぼくが、君のことをどう思っているのかを。
 ぼくはね、ミシェル。ぼくは、君と出会ったことは運命だと思っている。これ以上ない、幸福に満ちた運命だと思っている。
 ミシェルと出会って、たくさん笑って、色んな経験をして――ぼく自身も、成長できたと思う。

「どうしたのさ、急に。そんなの、いつも思っていることじゃないか」

 言葉にするっていうことが、大事なんだよ。
 そうじゃないと、誰も覚えていてくれないから。記憶の中に消えていってしまうから。

「っ、故人《ひとびと》の、遺言《ことば》……」

 あはは、そう捉えられても仕方ないね。でも、そんなことにするつもりはないから安心して、ミシェル。
 いいかい。ぼくは君に出会えて幸せだ。とっても、とっても幸せだった。きっとこれからも変わらず、〈向こう〉で幸せを噛み締めながら過ごすんだと思う。

 そこまで言ったところで、ヴァレリアンは喉をひきつらせ、咳をした。痰の絡んだ、湿った咳だ。そんな咳が、もう一月以上も続いていた。
 ミシェルは心配のあまり、ヴァレリアンの手を包んでいた手に力を込める。
 切なさに似た焦燥感が、ミシェルの胸を焼いた。ヴァレリアンがいなくなってしまうかもしれない。その考えに至るのはもう数度目だ。
 ヴァレリアンは、ミシェルの不安を払拭するように手に力を入れて、言葉の続きを語る。

 ミシェル。どうか君も、幸せでいてほしい。どうか、どうかぼくのことを忘れて、愛する人を作って、ひとつの家庭を築いて……そんな風に、幸せな暮らしをしてほしい。
 ぼくが残せるものは、決して多くはないけれど、それでも役に立ててくれ。

「い、嫌だなぁ。ヴァレリアン。そんなの、本当に遺言みたいじゃないか。どうしてそんなことを言うんだよ」

 いつか、花は枯れるものだ。撒いた種は芽を出して蕾をつけ、花開いてやがて枯れる。
 その瞬間が来るまで、最後まで、愛でる。それがひとつの幸せだと、昔に教えたよね、ミシェル。

「うん。ヴァレリアンの、教えの一つだ」

 枯れた花さえも美しく飾り、一つの〈作品〉にしてくれる人が、いる。
 ぼくに何かがあったら、その人を頼りにして。
 ミシェル――愛する、ミシェル。愛おしいミシェル。どうか、どうか幸せで。

 言って、ヴァレリアンは幾度か咳をすると、再びぼんやりとした表情に戻った。黄金の瞳がやや濁ってしまったかのような、白い肌が蝋のように透けてしまうような、そんな儚げな姿。
「ヴァレリアン……」
 力の抜けた手。ぜえぜえと苦しそうな呼吸の音。
 もう、助からないのかもしれない。覚悟を決めようと、何度もしたけれど、どうしても揺らいでしまう。
 自分はどうなってもいい。ヴァレリアンが助かればいい。
 ああ、だがそんなことを考えてはヴァレリアンが悲しんでしまう。
 ジレンマの中にいるミシェルのもとに、ジークフリートは訪れる。
 それは――ヴァレリアンが――


******


 悪夢に、ミシェルは起こされる。ほのかに火照った身体が、貸寝間着をぐっしょりと濡らしていた。
「はぁ……やっぱり、あの人は苦手だ」
 となりのベッドを伺うと、ニコラが呑気に、そして高らかにいびきをかいている。
 ミシェルは身なりを整え、少し散歩をすることにした。
 部屋にこもっていると、どうしても考え事をしてしまうからだ。
 ミシェルはシャツとチノパンに着替え、サマージャケットに袖を通す。ニコラに散歩へ行くことをしたためたメモをテーブルに置いて、ドアを開けた。
 これから、人通りが多くなるのだろう。自分も、雑踏のひとつになるのだろう。
 今は、それでいい。
「愛する人は――いなくたって、いい」
 それもまた、人生なのだから。


【宿屋にて――fin.】

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

N -Revolution

フロイライン
ライト文芸
プロレスラーを目指す桐生珀は、何度も入門試験をクリアできず、ひょんな事からニューハーフプロレスの団体への参加を持ちかけられるが…

処理中です...