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第29話 Dreaming in a coffin
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「ありがとうございました」
「またね、ミシェルさん。次も良い花をお願いするよ」
「はい、マダム」
ミシェルは得意の客の一人を見送り、再び花の整理に向き合う。
今日は飛ぶように向日葵が売れていた。
それも、そうだ。何故なら――――今日は、ミス・エトワール=ヴェニュスの死を悼む日なのだから。
朝から何度も客が訪れ、口々に向日葵を求める。その度にエトワールの名と彼女の女優業の優秀さ、そして葬儀のことが話題に出された。
「ミシェルさんの葬儀は良かった。あんな風に送り出されたら、エトワールも嬉しいだろう」
「いえ、俺の精一杯ですよ。あのときは、ミス・エトワールに喜んでもらうならああいう葬儀がよいと、思っただけです」
「だからこそ、だよ。エトワールの最後を、虹色に染めようなんて……中々、思いつくことじゃない。誇るべきだよ」
「ありがとうございます。はい、こちらご用命の花束です。銅貨三枚です」
「はい、こちらこそね。それじゃあ、ミシェルさんに良い日を」
また一人、客が去っていき、次の客がミシェルを呼ぶ。そうして、やっと時間がとれたのは午後のことだ。今日は水曜日、【Michele-rose】が午後休になる。
ミシェルは、早仕舞いしてしまうと向日葵を求めに来た人が困ると考え、小さな向日葵の一輪包みをいくつか用意して、店先のバケツに刺しテイクフリーとしておくことにした。
それから、ミシェルは向日葵といくらかの花を束にして、山吹色の紙で包み、手荷物にして店を出た。
向かうは、エトワールの眠る墓だ。
墓についてみると、エトワールの墓標の周りには大輪の花が咲いた黄金の向日葵がたくさん供えてあった。
花束の中、一人、紅い衣装に身を包んだ女性がいる。ミシェルは女性を見つけると、名前を呼んだ。
「ミセス・ファンヌ」
「あら」
「お久しぶりです、ミセス」
「こんにちは、ミシェル。ちょっと久しぶりになったかしら? 最近、旅行に行ったみたいね」
「少しばかり遠くへ。キャリエールまで行ってきました」
「そうなのね、良い旅になったの?」
「そのように。出る前は不安だったんですが」
「うふふ。楽しかったならよかったじゃない」
「そうですね。ニコラにも世話になりました」
「彼も元気かしら?」
「もちろん。今日も元気に墓荒らしをしてるようです」
「まあ、辛辣ね」
言って、ファンヌはうふふ、と無邪気な笑顔を浮かべた。
ミシェルは手に持っていた花束をエトワールの墓に供えると、少しの間、黙祷を捧げた。
エトワールのことを思い出す。若いときから頭角を現していた女優だった。煌びやかな肉体と美しい表情で、誰をも魅了する。
「良い子だったわ、エトワールは」
「そうですね。美しくて、素晴らしい方でした」
「それだけじゃあないのよ、あの子はね、とっても素直で良い子だったの。可愛らしくて、いたずらっ子で、くるくると表情を変えるのにいつも笑っていて……」
言葉の中、ファンヌの声にいくらばかりか涙が混じる。瞳が潤んでいて、エトワールの死に悲しみを隠せていない。隠すつもりもないだろう。
「あの子ね……本当に、人に恨まれるような子じゃあなかったの。それなのに、ジョリはエトワールをいつの間にか憎んでいたのね」
「ジョリが、どうしてエトワールを殺そうとしたのかご存じなんですか」
「いいえ。でもね、ジョリに何があったのかくらいはわかるわ。ジョリも、エトワールが受けたオーディションに参加していたの。ジョリもエトワールに負けない演技で――いいえ、ジョリらしい、役を自分のものにした素晴らしい演技を見せたわ。けれど、会議はエトワールを通した」
「ジョリが言っていた通り、若く美しいから?」
「そう噂する人もいるわ。あたしは……違うかな、って思っている。だって、それだけじゃああまりにもジョリの感情に沿わないわ。あたしは、あの子が役作りをしすぎたせいかと、考えている。少し役を喰いすぎた節があるのね」
「成程、だから」
「ええ、役を尊重するエトワールと、役を組み敷くジョリ。どちらを取るのかは、散々、議論がなされたわ」
「けれど、ジョリは選ばれなかった」
「そうなるわ。そして、ジョリはその理由を知らされることはなかった。だから、あんな勘違いをしてしまったんだと思う」
「悲しい、思い違いですね」
「そうね。ジョリも、エトワールも、あまりに報われないわ」
そこで、二人の言葉は途切れた。
ざぁ――――……
遠くから、夏風が吹く。エトワールが亡くなったのも、こんな夏の一幕だった。
ミシェルは、帽子を押さえ瞳を伏せる。
ファンヌもまた、瞳を伏して時間を過ごした。
「さあ、あたしはいかなくっちゃ」
「養成所でしたか、ミセス」
「そうよ。エトワールやジョリのような悲しいことを起こさないための、あたしが主宰の俳優養成所。いつか、銀幕でも劇場でも素敵な俳優を出すのが夢なの!」
「それは素晴らしい。そういえば、タミアさんも?」
「彼女もいるわよ。何故かしら、この間からとっても意欲的なの」
その一言を聞いて、ミシェルは少し笑顔になった。
「どうしてでしょうね。タミアさんにも、良いことがあったのかもしれません」
「そうだといいわね。じゃあ、またね、ミシェル」
「ええ、それでは」
そうして、ミシェルは墓標の前に一人になった。
少しの間、ミシェルは考え事をする。エトワールがもしも、生きていたなら。そのときは、ジョリのことを許すのだろうか。恐らく、エトワールのことだ、許してしまうだろう。
「ミス・エトワール。あなたは、本当に」
言って、口を噤む。ミシェルは今更、故人のことを煩く口に出しても仕方がないと考えたからだ。
帽子を深く押さえ、ミシェルは涙を堪える。痛みに似た悔しさが、じぐりと胸を刺した。
ふと、ミシェルの耳に石畳を踏む音が聞こえた。ああ、誰か来たのだろう。そう思い、ミシェルは顔を上げる。
そこには、ジョリ=メテリオットの姿が、あった。
ジョリだけではない。憲兵の姿もあった。憲兵はジョリがどこかへ行かないよう、ジョリの右手に手錠をかけていた。
空いた左手に、ジョリは向日葵の花を持っている。ミシェルが、自由に持ち出せるようにしておいた向日葵のうちの一本だ。
「あら、あんた。あそこの花屋よね」
ジョリは、ミシェルににっこりと笑いかけた。
「ええ、ジョリさん」
「名前、憶えててくれたんだ。ちょっと嬉しい」
「あなたのことは、忘れようともできませんよ」
「……そうだね。あんなこと、したもんね」
ジョリは、目を伏せてエトワールの眠る場所に向日葵を供える。他の花束に比べればそれはささやかなものだったが、溶け込んでみればジョリの供える分としては十分に思えた。
黙祷を捧げるジョリは、普通の人間に見えた。少なくとも、あのような凶行に走るような、恨みや妬みを抱えた人間には見えない。
「ミシェルさん、だったよね」
「俺の名前のこと、ご存じで?」
「ええ。ファンヌさんから聞いてる」
「成程、そうでしたか」
「エトワールのこと、好きだった?」
ジョリは、潤んだ瞳でミシェルのことを見る。この涙が、本物なのかどうか、ミシェルには判断がつかない。けれど、涙を疑うことはしたくなかった。だから、本物なのだと信じて、ミシェルは言葉を口にする。
「ええ。俺だけじゃなく、人々みんなから愛されるような素敵な女優だったな、と」
「ふん。そうなんだ」
ジョリは、ミシェルから目線を外し、エトワールの墓標を見る。
「嫌いだった。好きじゃなかった。どうしても、好きになれなかった。何でかって? 何度やっても、エトワールに勝てないからだよ。だって、そうじゃない? 負け続けた人間が、勝ち続けた人間をどうして心から好きになれるっての?」
ミシェルは、黙ってジョリの言葉を聞くことにした。ジョリの、恨み言は続く。
「もしも殺せなくても、どうにかして女優業から引きずり落してやろうと思ってた。だって、そうしたら独りで闘わなくてもよくなる。これ以上、惨めな思いをしなくて済むようになるって、思ってたの。結局こうやって、殺して、捕まっちゃったけど……ね」
「あなたは、エトワールのことをまだ許せないんですか」
言葉に、怒気がこもる。ミシェルはそれを自覚していたが、抑えようとも思っていなかった。
「もちろんじゃない! 許せると思っているの?」
ジョリは、怒りと悲しみに顔を歪めながら、ミシェルに言う。
「エトワールのことなんか、大っ嫌い。殺してやりたいくらい、殺してしまうくらい嫌い。女優の道を阻むエトワールなんて、嫌いになるしかないじゃない。こいつのせいで、二度と女優もできなくなった。刑期が明けたら養成所に入れてくださいって、ミセス・ファンヌに言っても取り合ってももらえない。あーあ、こんなことなら」
殺さなきゃよかった――
きっと、最後はそう続けたかったのだろう。だが、ジョリの言葉はそこで途切れた。ミシェルが、ジョリの左手を強く掴んだからだ。
「ちょっと、何よ」
「ジョリさん。あんた、どうしてエトワールのことをそんな風に言えるんだ。もう、この世にいない故人なのに」
「煩いね、どうしてですって? そんなの決まってる、人生を狂わされたからだよ!」
「エトワールだって、あんたのせいで死んだんだぞ」
「はッ、そんなの関係ない。もう死んだんでしょ? それなのに、こっちはまだ人生を狂わされ続けてる。それなのに何で、許せるなんて言えるのよ」
もう、限界だった。
ミシェルは、ジョリの腕を一度放し、ジョリが供えた向日葵を――恐らく、あのバケツの中で一番小さく貧相だった花を――掴んで、ジョリに突き返した。
「帰れ。あんたにエトワールの死を悼む権利はない。いいや、そもそもそんな気もないだろう。それなら、ここに二度と来るんじゃない」
「な、ちょっと」
「あんたには人を好きになる心も嫌う気持ちも、憎む思いさえ持つ資格はない。刑期が明けようが、人前に立つ人物じゃない。ミセス・ファンヌは庇ったが、俺は、あんたを許せない」
「――――っ」
ジョリは、ミシェルの言葉に顔を真っ赤にして怒る。それ以上に、辱めを受けたという感情の方が強かった。けれど、口に出したら負けだ、と、矜持だけでジョリは自分なりの行動に出た。
「ふん! もう知らないわ、あんたたちに解るわけないでしょ、こんな女優の成れの果てみたいな女のことなんか、ね。いいわよ、もうここには来ない。来てやるもんですか!」
ジョリはミシェルの持っていた花を、地面に叩きつける。ジョリの伸びた爪が、ミシェルの左手を軽く引っ掻いた。痕が残り、じんと染みる。
踵を返して、ジョリはこの場を去っていった。憲兵だけが、ミシェルにひとつ会釈をした。
ため息をついて、ミシェルはそっと、叩き落とされた花を手に取る。花びらが落ちて、ぼろぼろだ。
ざぁ――――……
風が、その花びらを浚う。
「エトワール、あなたは」
まるで、いたずら好きのエトワールが、人々のことが大好きなエトワールが、ミシェルの怒りを鎮めるために吹かせたような、爽やかな風。
その風がやけに、爪痕と心に染みて。
ミシェルの両目から、滴が落ちた。
【棺の中で夢をみる――Fin.】
「またね、ミシェルさん。次も良い花をお願いするよ」
「はい、マダム」
ミシェルは得意の客の一人を見送り、再び花の整理に向き合う。
今日は飛ぶように向日葵が売れていた。
それも、そうだ。何故なら――――今日は、ミス・エトワール=ヴェニュスの死を悼む日なのだから。
朝から何度も客が訪れ、口々に向日葵を求める。その度にエトワールの名と彼女の女優業の優秀さ、そして葬儀のことが話題に出された。
「ミシェルさんの葬儀は良かった。あんな風に送り出されたら、エトワールも嬉しいだろう」
「いえ、俺の精一杯ですよ。あのときは、ミス・エトワールに喜んでもらうならああいう葬儀がよいと、思っただけです」
「だからこそ、だよ。エトワールの最後を、虹色に染めようなんて……中々、思いつくことじゃない。誇るべきだよ」
「ありがとうございます。はい、こちらご用命の花束です。銅貨三枚です」
「はい、こちらこそね。それじゃあ、ミシェルさんに良い日を」
また一人、客が去っていき、次の客がミシェルを呼ぶ。そうして、やっと時間がとれたのは午後のことだ。今日は水曜日、【Michele-rose】が午後休になる。
ミシェルは、早仕舞いしてしまうと向日葵を求めに来た人が困ると考え、小さな向日葵の一輪包みをいくつか用意して、店先のバケツに刺しテイクフリーとしておくことにした。
それから、ミシェルは向日葵といくらかの花を束にして、山吹色の紙で包み、手荷物にして店を出た。
向かうは、エトワールの眠る墓だ。
墓についてみると、エトワールの墓標の周りには大輪の花が咲いた黄金の向日葵がたくさん供えてあった。
花束の中、一人、紅い衣装に身を包んだ女性がいる。ミシェルは女性を見つけると、名前を呼んだ。
「ミセス・ファンヌ」
「あら」
「お久しぶりです、ミセス」
「こんにちは、ミシェル。ちょっと久しぶりになったかしら? 最近、旅行に行ったみたいね」
「少しばかり遠くへ。キャリエールまで行ってきました」
「そうなのね、良い旅になったの?」
「そのように。出る前は不安だったんですが」
「うふふ。楽しかったならよかったじゃない」
「そうですね。ニコラにも世話になりました」
「彼も元気かしら?」
「もちろん。今日も元気に墓荒らしをしてるようです」
「まあ、辛辣ね」
言って、ファンヌはうふふ、と無邪気な笑顔を浮かべた。
ミシェルは手に持っていた花束をエトワールの墓に供えると、少しの間、黙祷を捧げた。
エトワールのことを思い出す。若いときから頭角を現していた女優だった。煌びやかな肉体と美しい表情で、誰をも魅了する。
「良い子だったわ、エトワールは」
「そうですね。美しくて、素晴らしい方でした」
「それだけじゃあないのよ、あの子はね、とっても素直で良い子だったの。可愛らしくて、いたずらっ子で、くるくると表情を変えるのにいつも笑っていて……」
言葉の中、ファンヌの声にいくらばかりか涙が混じる。瞳が潤んでいて、エトワールの死に悲しみを隠せていない。隠すつもりもないだろう。
「あの子ね……本当に、人に恨まれるような子じゃあなかったの。それなのに、ジョリはエトワールをいつの間にか憎んでいたのね」
「ジョリが、どうしてエトワールを殺そうとしたのかご存じなんですか」
「いいえ。でもね、ジョリに何があったのかくらいはわかるわ。ジョリも、エトワールが受けたオーディションに参加していたの。ジョリもエトワールに負けない演技で――いいえ、ジョリらしい、役を自分のものにした素晴らしい演技を見せたわ。けれど、会議はエトワールを通した」
「ジョリが言っていた通り、若く美しいから?」
「そう噂する人もいるわ。あたしは……違うかな、って思っている。だって、それだけじゃああまりにもジョリの感情に沿わないわ。あたしは、あの子が役作りをしすぎたせいかと、考えている。少し役を喰いすぎた節があるのね」
「成程、だから」
「ええ、役を尊重するエトワールと、役を組み敷くジョリ。どちらを取るのかは、散々、議論がなされたわ」
「けれど、ジョリは選ばれなかった」
「そうなるわ。そして、ジョリはその理由を知らされることはなかった。だから、あんな勘違いをしてしまったんだと思う」
「悲しい、思い違いですね」
「そうね。ジョリも、エトワールも、あまりに報われないわ」
そこで、二人の言葉は途切れた。
ざぁ――――……
遠くから、夏風が吹く。エトワールが亡くなったのも、こんな夏の一幕だった。
ミシェルは、帽子を押さえ瞳を伏せる。
ファンヌもまた、瞳を伏して時間を過ごした。
「さあ、あたしはいかなくっちゃ」
「養成所でしたか、ミセス」
「そうよ。エトワールやジョリのような悲しいことを起こさないための、あたしが主宰の俳優養成所。いつか、銀幕でも劇場でも素敵な俳優を出すのが夢なの!」
「それは素晴らしい。そういえば、タミアさんも?」
「彼女もいるわよ。何故かしら、この間からとっても意欲的なの」
その一言を聞いて、ミシェルは少し笑顔になった。
「どうしてでしょうね。タミアさんにも、良いことがあったのかもしれません」
「そうだといいわね。じゃあ、またね、ミシェル」
「ええ、それでは」
そうして、ミシェルは墓標の前に一人になった。
少しの間、ミシェルは考え事をする。エトワールがもしも、生きていたなら。そのときは、ジョリのことを許すのだろうか。恐らく、エトワールのことだ、許してしまうだろう。
「ミス・エトワール。あなたは、本当に」
言って、口を噤む。ミシェルは今更、故人のことを煩く口に出しても仕方がないと考えたからだ。
帽子を深く押さえ、ミシェルは涙を堪える。痛みに似た悔しさが、じぐりと胸を刺した。
ふと、ミシェルの耳に石畳を踏む音が聞こえた。ああ、誰か来たのだろう。そう思い、ミシェルは顔を上げる。
そこには、ジョリ=メテリオットの姿が、あった。
ジョリだけではない。憲兵の姿もあった。憲兵はジョリがどこかへ行かないよう、ジョリの右手に手錠をかけていた。
空いた左手に、ジョリは向日葵の花を持っている。ミシェルが、自由に持ち出せるようにしておいた向日葵のうちの一本だ。
「あら、あんた。あそこの花屋よね」
ジョリは、ミシェルににっこりと笑いかけた。
「ええ、ジョリさん」
「名前、憶えててくれたんだ。ちょっと嬉しい」
「あなたのことは、忘れようともできませんよ」
「……そうだね。あんなこと、したもんね」
ジョリは、目を伏せてエトワールの眠る場所に向日葵を供える。他の花束に比べればそれはささやかなものだったが、溶け込んでみればジョリの供える分としては十分に思えた。
黙祷を捧げるジョリは、普通の人間に見えた。少なくとも、あのような凶行に走るような、恨みや妬みを抱えた人間には見えない。
「ミシェルさん、だったよね」
「俺の名前のこと、ご存じで?」
「ええ。ファンヌさんから聞いてる」
「成程、そうでしたか」
「エトワールのこと、好きだった?」
ジョリは、潤んだ瞳でミシェルのことを見る。この涙が、本物なのかどうか、ミシェルには判断がつかない。けれど、涙を疑うことはしたくなかった。だから、本物なのだと信じて、ミシェルは言葉を口にする。
「ええ。俺だけじゃなく、人々みんなから愛されるような素敵な女優だったな、と」
「ふん。そうなんだ」
ジョリは、ミシェルから目線を外し、エトワールの墓標を見る。
「嫌いだった。好きじゃなかった。どうしても、好きになれなかった。何でかって? 何度やっても、エトワールに勝てないからだよ。だって、そうじゃない? 負け続けた人間が、勝ち続けた人間をどうして心から好きになれるっての?」
ミシェルは、黙ってジョリの言葉を聞くことにした。ジョリの、恨み言は続く。
「もしも殺せなくても、どうにかして女優業から引きずり落してやろうと思ってた。だって、そうしたら独りで闘わなくてもよくなる。これ以上、惨めな思いをしなくて済むようになるって、思ってたの。結局こうやって、殺して、捕まっちゃったけど……ね」
「あなたは、エトワールのことをまだ許せないんですか」
言葉に、怒気がこもる。ミシェルはそれを自覚していたが、抑えようとも思っていなかった。
「もちろんじゃない! 許せると思っているの?」
ジョリは、怒りと悲しみに顔を歪めながら、ミシェルに言う。
「エトワールのことなんか、大っ嫌い。殺してやりたいくらい、殺してしまうくらい嫌い。女優の道を阻むエトワールなんて、嫌いになるしかないじゃない。こいつのせいで、二度と女優もできなくなった。刑期が明けたら養成所に入れてくださいって、ミセス・ファンヌに言っても取り合ってももらえない。あーあ、こんなことなら」
殺さなきゃよかった――
きっと、最後はそう続けたかったのだろう。だが、ジョリの言葉はそこで途切れた。ミシェルが、ジョリの左手を強く掴んだからだ。
「ちょっと、何よ」
「ジョリさん。あんた、どうしてエトワールのことをそんな風に言えるんだ。もう、この世にいない故人なのに」
「煩いね、どうしてですって? そんなの決まってる、人生を狂わされたからだよ!」
「エトワールだって、あんたのせいで死んだんだぞ」
「はッ、そんなの関係ない。もう死んだんでしょ? それなのに、こっちはまだ人生を狂わされ続けてる。それなのに何で、許せるなんて言えるのよ」
もう、限界だった。
ミシェルは、ジョリの腕を一度放し、ジョリが供えた向日葵を――恐らく、あのバケツの中で一番小さく貧相だった花を――掴んで、ジョリに突き返した。
「帰れ。あんたにエトワールの死を悼む権利はない。いいや、そもそもそんな気もないだろう。それなら、ここに二度と来るんじゃない」
「な、ちょっと」
「あんたには人を好きになる心も嫌う気持ちも、憎む思いさえ持つ資格はない。刑期が明けようが、人前に立つ人物じゃない。ミセス・ファンヌは庇ったが、俺は、あんたを許せない」
「――――っ」
ジョリは、ミシェルの言葉に顔を真っ赤にして怒る。それ以上に、辱めを受けたという感情の方が強かった。けれど、口に出したら負けだ、と、矜持だけでジョリは自分なりの行動に出た。
「ふん! もう知らないわ、あんたたちに解るわけないでしょ、こんな女優の成れの果てみたいな女のことなんか、ね。いいわよ、もうここには来ない。来てやるもんですか!」
ジョリはミシェルの持っていた花を、地面に叩きつける。ジョリの伸びた爪が、ミシェルの左手を軽く引っ掻いた。痕が残り、じんと染みる。
踵を返して、ジョリはこの場を去っていった。憲兵だけが、ミシェルにひとつ会釈をした。
ため息をついて、ミシェルはそっと、叩き落とされた花を手に取る。花びらが落ちて、ぼろぼろだ。
ざぁ――――……
風が、その花びらを浚う。
「エトワール、あなたは」
まるで、いたずら好きのエトワールが、人々のことが大好きなエトワールが、ミシェルの怒りを鎮めるために吹かせたような、爽やかな風。
その風がやけに、爪痕と心に染みて。
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