Michele=Undergroundの惨憺たる日々

金森璋

文字の大きさ
32 / 47

第32話 Numerous blessings

しおりを挟む
 その日、ニコラウスはトラットリア【グラティチュード】に足を運んでいた。
 席について、食前酒に小さなグラスでキールを提供されてから少しの間、何を注文したものかと悩んでいた。
「うーん……美味しいものばっかりあるんだよなあ。ユリナさんの料理はどれも絶品だもんね。ああ、まずは腸詰め肉にしようか、それともステーキにしようか、ハンバーグもいいな。豪勢にローストビーフなんかも……うーん……」
「何、ひとりごと言ってるんだ、ニコラ」
「ミシェル!」
 独りメニューに悩み、ぶつくさと感情を洩らしていたニコラの後ろに幼馴染のミシェルが立っていた。
 ミシェルがこの店に来ることは珍しくない。むしろ、ニコラが店にいることの方が珍しいのだ。思わぬ再会に、ニコラは破顔して、にこにことミシェルがカウンター席の隣に座ることを歓迎する。
「ミシェル、会えて嬉しいよ。元気だったかい? 僕はね、この間からずっと遺跡にこもっていてさ。すごく暑いときもあればひんやりしているときもあって、気温差で風邪をひくかと思ったよ! ああ、ミシェルと会えて嬉しいなあ。今、何を食べようか悩んでいたところだったんだよ。ミシェルは何が食べたい? 僕はね……」
「待て、待て。俺は今来たばかりなんだぞ。とりあえず、食前に何かもらおう。ユリナさん、白と、ナッツがいいかな」
 ニコラの勢いに耐えきれず、ミシェルは慌てて注文を済ませる。その間も、ニコラは何かを言いたそうに、笑顔を崩さないままそわそわとしていた。
 ミシェルとニコラが会う機会は少ない。お互いの仕事の具合や、日々のことを加味すると、【グラティチュード】に来るタイミングがずれるということも大いにある。だからこそ、ニコラはミシェルと邂逅できたことを大変、喜んでいるのだ。
「ほら、お前も今来たところなんだろう、ニコラ。それならひとつ乾杯でもしよう」
「そうだね。ああ、ミシェル、ナッツだけじゃあなくてサラミなんかも食べなさいっていつも言っているでしょ。人間はタンパク質でできているんだから」
「わかったわかった。ほら」
 乾杯、と、ミシェルは出されたグラスをすぐさま手に取ってニコラの前に掲げる。「おっと、ごめんごめん」といいながら、ニコラもすぐにグラスを掲げた。
 ミシェルはユリナが選んだ銘柄のワインを、テイスティングもせずに傾けた。しかし、流石ユリナというところか、ミシェルの好みにぴたりとあったワインを出してきた。ミシェルは頷きながらユリナの方を見る。するとユリナは、ぱちりとふくよかな目蓋を片方つむり、ウィンクをしてみせた。もう一度、ミシェルは頷いて礼とした。
「ねえねえミシェル。今日は何を食べにきたんだい。僕はね、何か美味しいお肉を食べようと思ってきたんだ。だけど、やっぱりユリナさんのお店ってだけあってどれも美味しそうでさ。いつものように腸詰め肉でもいいし、ステーキやハンバーグもいいよね。もっと何か豪勢に食べてもいいもんねえ。あれ、これさっきも考えてたな……まあいいや。ね、ミシェルはどうするの」
「お前のその早口はいつものことだな。そんなに口が軽々と動くの、羨ましいよ」
「ええ、そんなこと言わないでよ。僕はね、ミシェル。僕はいつも遺跡の中で一人か、せいぜい二人くらいで無口に仕事をしてるんだよ? それだから、口が寂しくってさあ。あ、ありがとうユリナさん。ぼくのチーズと、ミシェルのナッツ、と。わあ、ミシェルの皿にサラミも盛り付けてくれたんだ。これでミシェルもタンパク質をとれるね。ほら」
 言いながら、ニコラはミシェルとの間にチーズの乗った皿を置いた。ミシェルも、ナッツが入った小皿を二人の間に置く。
「ニコラ、お前は本当によく喋るな……感心するよ。さて、俺の話でも少し聞くか?」
「うん、もちろん!」
 元気よく頷いたニコラは、にこにことしたままミシェルの話を聞く姿勢に入る。
 ニコラは、喋ることも大好きなのだが、聞き上手でもある。相づちのタイミングやリアクションが実に上手で、ミシェルもつい話しすぎてしまうところがある。
「そうだな。じゃあまずはタミアさんのことでも」
 ミシェルは、ついこの間にあったタミアとの一幕のことを話した。
 タミア自身、自己肯定感が酷く低かったこと。それをミシェルは悲しく思ったため、どうにかして打開できないか花束に託そうと思ったこと。それから、彼女に似合った花束、リシアンサスをメインにして渡したということ。それをタミアはとても気に入り、自分はやはり女優になりたいのだという夢をもう一度、抱いてくれたということ。
「そして、今タミアさんはミセス・ファンヌの立ち上げた俳優養成所で、頑張っているそうだ」
「いいねえ! そんな風に夢を追いかけるひと、僕は好きだな。なんだかキャリエールで学校に通っていたときの僕たちみたいじゃないか」
「ああ、だな。あのときは本当に楽しかった。見るもの全てが、不思議に見えて、楽しく思えて、美しく感じて――お前のおかげだよ、ニコラ」
「えー、そんなことないよ。ミシェルが自分で頑張ったんじゃないか」
「はは、そうだったかな。けれど、ニコラに救われたってことは本当のことだ。もっと誇っていいんだぞ」
「へへへ。それなら自慢しようかなあ。ミシェルがそう言ってくれるんだもん。思い出は美しいものだよね……あっ、ミシェル! またサラミ食べてないよ。ナッツばっかり減ってるじゃない」
「おっと、ばれちまったか」
「こら!」
 仲良く、二人は酒の席を楽しむ。しばらくの間、他愛ない話を続けた。
 ニコラが遺跡でひとり、遺体を見つけたこと。その遺体のおかげで文化がひとつわかったこと。
 遺体があるならば、少ししたらミシェルの花を求め、バズが店に来るだろう、ということ。
 花の文化について、ニコラも興味があるということ。
 いつか、その国で育まれている文化に二人で触れてみたい、ということ……。
 何気ない会話が鎖になって、つまみと酒を進めながら二人の仲を深めていく。これ以上ないほど深いかと、いつも考えるのだが、ミシェルもニコラも、互いの新しい価値観などを逐一、見つけては、感心と納得を繰り返して、次の話題に移る。
 そうして、二時間ほどが経っただろうか。結局、簡単な料理で二人は酒を進めてきた。そろそろ本格的に注文をしようか、と考えたときだった。
「あーら。ニコラじゃない!」
 ニコラの背後から、威勢のいい元気な声がかかった。
 そこにいたのは、可愛らしい、どこか幼さを感じる顔を素朴なそばかすで飾り、淡い檸檬色のワンピースをざっくりと着こなした女性だった。エプロンのポケットにメモ帳をぎっしりと詰めていて、ポケットの回りにだけ少しばかり、インクの汚れがついていた。
「おっと。ダンテじゃないか。嬉しい、君とも会えるなんて」
「あたしだって嬉しいわよ、ニコラ」
 ニコラは、酒でうっすらと赤くした頬をゆるめ、女性、ダンテの方を向いた。二人とも、楽しそうに笑って再会を喜んでいる。
 店に来たばかりのダンテだが、腹が減っているようで、ユリナに腸詰め肉とポテトのプレート、それに麦酒の注文を通す。「あいよ」とユリナが返事をしたのを見送って、ニコラの顔を見た。
「ニコラったら全然、連絡も何も寄越さないんだもの。どうなの、遺跡の発掘や解析なんかは」
「楽しいよ! ダンテが思っているよりもずっと楽しいかもしれない。僕、この間、また新しい発見をしたんだよ。ほら、今、ミシェルにそういうことを話していたところなんだ」
「あらあら。そうだったんだ。ミシェル、どう? 元気にしてる?」
 楽しそうに、ダンテはミシェルの顔を覗き込む。そばかすが素朴に飾る顔に、ニコラにそっくりな笑顔を浮かべて、ダンテはミシェルの言葉を待った。
「結構にやってるよ」
 ミシェルは、その笑顔に答えるように笑って言う。
 この店に来ると、こうしてよく知り合いと顔を合わせる。そのときはこうして会話に花を咲かせ、相手のことや自分のことを思いやるのが楽しみのひとつなのだ。
「ダンテの方こそ、最近見なかったぞ」
「あたしもね。医者やってると残念なことに、中々、時間がとれないもんなのよ。この間、やっとキャリエールから帰ってきた新米をがっつり指導してやったとこ」
「おーこわ。ダンテに指導されたんじゃ、思いっきり怒鳴られまくったな」
「なんてこと言うのよ、ミシェル。あたしはね、ちゃーんとあの子たちのことを思ってしっかり指導していてね、体温の測り方から外科手術の方法まで、色々いっぱい教えてあげることばっかりだったんだから」
「いつも通りに、ニコラに似てよく喋るな……ダンテ、ニコラ、お前たちは静かにするってことを知らないのか?」
「「いいじゃない、それくらい」」
 ニコラとダンテの声が、ぴたり、と揃った。
 二人の声に、ミシェルは苦笑いを浮かべながら感心する。これだから、ニコラとダンテは巧くやれるのだろうなあ、と。
「でも残念ねえ。今度、ニコラと指輪を見に行こうって言ってた日なんだけど、急に手術の予定が入っちゃったのよ。なんとか他の日にできないかって調整はしてみたの。でも、できなくて。ああもう、悲しいったらないわ!」
「そんなに怒らないで、ダンテ。僕はいつでも大丈夫だよ。君と一緒になれるのなら、指輪なんかどうでもいいんだ。僕は、この街のみんなに夫婦になったんだよって認めてもらえるなら、それで十分なんだから」
「まったくニコラったら嬉しいこと言ってくれるじゃない。ああ、あなたの恋人でよかったわ。だって、こうやって穴蔵から出てきて優しい言葉をかけてくれるんだもの」
「ダンテ! ああ、嬉しい、ダンテ!」
「ニコラ!」
 ミシェルが見ている目の前で、ニコラとダンテは夫婦劇を繰り広げる。まだ教会で式を挙げていないものの、シカトリスに住む面々にはもう二人の関係はわかっている。だから、店にいる客の多くは二人が抱き合っている方を向いて、楽しそうに囃し立てているのだった。
「おい、ニコラ、やっぱりおまえとダンテは良い仲だなあ。感動しちまったよ。ユリナ、こいつらに何か酒を出してやってくれ!」
「おっと、フレッドばかりずるいぞ、こっちからも!」
「なんだと、じゃあこっちもだ!」
 やいやい、と店は盛り上がる。今更ながら、ニコラとダンテは少しばかり照れていた。
 フレッドが「真ん中に来いよ、ニコラ」と声をかけた。ニコラとダンテはミシェルがいる手前、どうしようかと顔を見合わせる。
「いって来いよ、ニコラ」
「ありがとう……ありがとう、ミシェル」
 フレッドに連れられて店の真ん中に出ると、もう照れ隠しはせずに麦酒の入った木製のジョッキを掲げ、乾杯をしたのだった。
 それからもう、店は大騒ぎだった。
 レコードからは陽気な音楽が流れ、客たちは躍り、笑い、楽しんだ。
 夜が更けていく。楽しい、楽しい夜が更けていく。
 ミシェルはそんな店の片隅で、ゆっくりとワイングラスを傾ける。ニコラが寄せたサラミをつまんだりしながら。
「俺にも、あんな人ができて、祝われて、礼を言う日がくるのかな」
 ぽつり、と言葉が洩れる。悲しいような、寂しいような響きだ。
「ミシェル。あんたにもね、いつかできるんじゃない」
「ユリナさん」
「そんときは、この店で大いに騒いでちょうだいよ。歓迎だから」
 その言葉を受けても、ミシェルはどこか寂しそうな顔をしていて。
 こくり、と頷いて、店の真ん中へ顔を向けた。
 店の中は、まだ楽しいどんちゃん騒ぎが続いていた。
 夜が、ゆっくり、ゆっくり、更けていく――――


【数多の祝福――Fin.】

 
 

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

N -Revolution

フロイライン
ライト文芸
プロレスラーを目指す桐生珀は、何度も入門試験をクリアできず、ひょんな事からニューハーフプロレスの団体への参加を持ちかけられるが…

処理中です...