甘味食して、甘淫に沈む

23

　内風呂というのは初めてのことだった。春信の家ですら、浴室は存在しない。基本的に、湯屋に通っていた。
　着物を脱ぎ、浴室に足を踏み入れる。湿った簀すのの子の上で、まず湯船に触れてみる。丁度良い湯加減に安堵する。手桶でお湯を掬い体にかけ、それから備え付けられていた石鹸で体や頭を清める。
　それからようやく、湯船に浸かるために足を入れる。火傷の恐れがあると聞いていたこともあり、慎重に身体を沈めていく。たった一人での入浴は経験がなく、春信の心臓は高鳴っていた。
　外からは虫の声が聞こえるだけで、物音一つしない。春信は長いこと張り詰めていた息を吐き出す。
　身体の強ばりが少しだけ弛緩し、湯の中に溶け出していくようだった。
　長く浸かっていたかったが、倉田や清次に申し訳なく早々に湯船から出る。
　紺色の絣模様の浴衣を着て、本館に戻ると洗い物をしていた倉田に声をかけて春信は清次に声を掛ける為に二階に上がる。
　そこで丁度、部屋から出てくる清次に出くわす。やや疲労を滲ませていたが、春信の顔を見るなり笑みを作る。
「ボクも行ってくるよ。寝室で待ってて」
　清次が囁くように告げると、階段を降りていく。
　春信はしばらくそこに立ち尽くす。これから行われるであろう事を前に、春信は苦悩していた。清次が何処まで春信に求めているのか分からないが、躊躇っている時間はなさそうだった。
　春信は寝室に足を踏み入れる。中は薄暗く、寝台の横にある卓上灯がぼんやりと朱色の光が灯っているだけだった。
　その下には、さっきまで置かれていなかった水差しと茶碗が二つ。それから小瓶が置かれている。深くは考えないようにしつつ、窓辺へと近づく。
　どうやら縁に続く扉があるようだった。開けて見ると、夜気が一気に身体を包み込む。
　春信は用意されていた下駄を履いて縁に立つ。空を見上げると、半月と無数の星が瞬いていた。
　いつもであれば、美しさに雑念が払われるのだが、今日はそうもいかないようだった。
　しばらくぼんやりと空を眺め、部屋に戻ると寝台に腰掛ける。水差しから茶碗に水を注ぎ、乾いた唇を湿らせた。
　これからの人生がどうなるのか。行く末の見えない不安が霧の様に胸に立ちこめる。いくら隣の部屋に読み切れないほどの本があろうとも、現実に立ち返れば、それすらも一時の気休めにしかならないだろう。
　春信が考えあぐねているうちに、寝室の扉が開かれる。緊張した面持ちで春信はそちらに視線を向ける。濃い灰色の浴衣に身を包んだ清次の姿に、心臓が跳ね上がった。