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恋する惑星

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私たちはこの世界について、全体の数パーセントしか理解できていない。

特に宇宙については、未だ解明されていない謎ばかりだ。
銀河系には最大で100億個の地球型惑星が存在すると言われているが、
私たちが地球以外の惑星について知っていることは、数パーセントにも満たない。

植物のみが生存している惑星、昆虫が支配する惑星、タコのような形をした宇宙人が生息している惑星。
様々な惑星が存在する中で、地球と非常によく似た惑星が一つだけ存在する。

その惑星には地球と同じように人間や植物、昆虫といった数多くの生命が共存しており、
文明の進歩の度合いも地球とほぼ同じと言っていいだろう。

唯一異なる点があるとすれば、それは人間の平均寿命だ。
その惑星の平均寿命は男性が59歳に対し、女性は23歳と非常に若かった。

しかし、その惑星の女性は自分たちの平均寿命が短いことを恨むことなく、
むしろその短い一生をいかに精一杯生きるかを常に考えていた。

そして彼女たちは、その短い一生の中で精一杯に“恋”をする。
だが、その一生は恋をするにはあまりにも短過ぎたかもしれない。

その惑星は“恋する惑星”と、そう呼ばれた。






「すいません、相談したいことがあって来たのですが・・・」

「どうぞおかけください。私、橋野上弁護士事務所の橋野上ワタルと申します」

そう言って、ワタルは自分の名刺を依頼主の男性に渡した。

「それで、今回はどういったご依頼でしょうか?」

「実は、結婚について相談したいことがありまして」

「という事は、恋愛についてのご相談という事でしょうか?」

「はい、そうなります」

「でしたら、適任の者がいますよ」

ワタルは事務所の奥にあるデスクに座っている女性の方を向きながら、「おい!ハルコ!」と彼女を呼んだ。

「彼女は私の助手であり、娘のハルコと言います。
こう見えて、私よりも優秀な弁護士で、特に恋愛関係の依頼に関しては彼女の右に出るものはいませんよ」

ワタルはなぜだか、まるで自分の事のように嬉しそうに言った。

「それじゃ、あとは頼んだぞハルコ」

そう言うと、ワタルは自分のデスクへと戻っていった。



「初めまして、橋野上弁護士事務所の橋野上ハルコと申します」

ハルコは父が営む弁護士事務所で、父の助手として働いていた。
助手といっても、彼女の腕は父親以上だった。
昔から頭が良く要領も良かった彼女は、16歳の時には弁護士バッジを取得していた。
その後4年もの間、彼女は父親の事務所で数々の依頼を解決してきた。

「・・・よろしくお願いします」

「それでは、早速ですがご依頼内容をお聞かせいただけますか?」

「はい、実は結婚したい女性がいるのですが・・・」

「そういう事でしたら、私にお任せください。どんな依頼でも解決致しますよ。
それで、その女性というのは、どういった方なんですか?」

すると依頼主は突然口を閉じ、黙ったまま下を向いてしまった。

「安心してください、必ず最後まであなたの力になりますから。
だから、ゆっくりでいいので彼女の事を、あなたと彼女の関係を教えていただけますか?」

ハルコにそう言われた依頼主は彼女を目をじっと見つめると、意を決したように口を開いて言った。

「実は彼女・・・、もう亡くなっているんです。僕、彼女と結婚できますかね?」

流石のハルコも呆気に取られてしまった。






彼の名前は床尾ソウジ、歳は38歳、広告代理店で営業をしている。
そんな彼は、半年前に最愛の人を亡くしていた。

二人が出会ったのはソウジが35歳、彼女が22歳の時だ。

一目惚れだった。

この惑星では30歳を超えても彼女すらいない男性は、
よほどのことが無い限りは独身のまま一生を終えると言われていた。

まぁ、それもこの惑星の女性の平均寿命を考えれば当然の事だろう。

この惑星の平均結婚年齢は夫が18歳、妻が17歳だ。

だから、ソウジくらいの歳になっても彼女すらいない男性は、
いかに残りの人生を一人で楽しめるかを考えるものが大概だった。

そんなソウジと彼女の出会いは、つまらないほど在り来りなものだった。

行きつけの居酒屋でいつも通り一人で呑んでいると、彼女が一人で入ってきた。

こんな可愛い子が妻だったらなと一人妄想を膨らましていたソウジだったが、
次第に自分はこのまま独りぼっちで歳を取り、独りぼっちで死んでいくのかと考え出してしまった。

すると急に胸が苦しくなり、気付いたときには涙をボロボロとこぼしていた。



「あの、大丈夫ですか?」

そう声を掛かけられ顔を上げると、彼女がハンカチを差し出しながら心配そうに彼を見ていた。

「よければ、これ使ってください」

ハンカチを受け取った彼は涙を拭くと、彼女にお礼を言わなければと思った。

「僕と、お付き合いしてください」

誰よりも驚いたのは彼自身だった。

“ありがとうございます”と言おうとしたのに、どうしてそうなるんだ。
どんな頭をしてたら、“ありがとうございます”が“結婚してください”に変換されるんだ。

彼は慌てて、
「いえ・・・違うんです。・・・本当にすいません、気にしないでください。本当に本当にすいませんでした」
と、ただただ平謝りをするしかなかった。

すると彼女は、
「そんなに何度も謝らないでください。別に気にしてないですし、
それに男性にそう言ってもらえるのは嬉しいことですから」
と笑顔でそう言った。

彼女のその優しさが、ソウジにとっては余計に辛かった。

「本当に、本当にすいませんでした。あの、本当に気にしないでください。すいません、本当にすいません」

「だから、そんなに謝らないでください。でも、申し訳ないですがお付き合いの件はお断りさせてください」

「そりゃそうですよね。あなたくらいお綺麗な方が一人なわけがない。
こんなおじさんに突然付き合ってくださいなんて言われて、気持ち悪かったですよね」

彼は精一杯の作り笑をしながら言った。

「いえ、違うんです。夫も、ましてや付きあっている男性すらいないんです。でも、できないんです」

彼女は寂しそうな顔をしながら言った。

「できないって、それはどういう意味ですか?」と彼は聞こうとしたが、彼が口を開く前に彼女が言った。

「この前の誕生日に、自分に誓ったんです。これからは一人で生きていこうって」






彼女の年齢は22歳。

35歳のソウジからしたら若すぎる年齢だったが、彼女からすれば平均寿命まで残り2年。

異性と付き合うにはあまりにも歳を取り過ぎていた。

「だから、22歳になった日に誓ったんです。
結婚はおろか、異性と付き合いたいなんて考えるのはもう辞めよう。
もし仮に今から結婚できたとしても、夫と一緒にいれる時間は2年ほどしかない。
そんな短い時間しか一緒にいれない私のために、
相手の人生を一生無駄にさせるようなことはしたくないんです」

この惑星には、とあるルールがあった。

結婚した男女が別れること、つまり離婚をすることは可能だ。
しかし、一度離婚した男女は、二度と他の異性と結婚することは許されない。
つまり、この惑星では再婚をすることが出来ないのだ。

「たった2年しか一緒にいれない女のせいで、その人はもう結婚することが出来なくなるんですよ。
そんなの、私には耐えられなくて。だから、ごめんなさい」

彼女はそう言って頭を下げた。

「・・・そういう事ですか。わかりました、やはり先程の言葉は撤回させてください」

そう言うと、彼も彼女に向かって頭を下げた。

「どうか頭を上げてください。でも、嬉しかったです。
人生で初めて告白されたんで。
まさかこの歳になって、男性から付き合ってくださいなんて言われると思ってなかったから。
こんな私に、告白していただいてありがとうございました」

彼女はそう言うと、自分の席に戻ろうとした。

「あの!」

自分の席に戻ろうとする彼女に向かって、彼は言った。

「先程のことは、どうか忘れてください。だから・・・、僕と結婚してください」

彼女の話を聞いて、ソウジは彼女のことが余計に好きになっていた。
こんな素敵な女性が、まだこの惑星にいたのかと。

最初は一目惚れだったけど、今は彼女のすべてが好きだ。

僕は、彼女と一緒にいたい。

「あの・・・、私の話、聞いてました?」

「もちろん、ちゃんと聞いてました。あなたの気持ちを聞いたうえで、僕はあなたと一緒にいたい。
だから、もしこんなおじさんでもよければ、僕と結婚してください」

彼があまりにも真剣な顔で言うものだから、彼女は思わず声を出して笑ってしまった。

「・・・やっぱり、ダメですよね。すいません・・・」

残念そうな顔でそういう彼に、「だから、謝らないでくださいって」と彼女は笑いながら言った。

「本当に、私なんかでいいんですか?」

そう尋ねられたソウジは、頭が取れるかと思うくらい何度も首を縦に振った。

「私も・・・、私も、あなたと一緒にいたいです」

ソウジは自分の耳を疑った。

聞き間違いか?

きっと聞き間違いだろう。

彼は自分にそう言い聞かせながら、それでも無意識のうちに、「え?」と口にしていた。

「だから、私もあなたと一緒にいたいって、そう思ってます。」

それを聞いて、彼はまたしても目から大粒の涙をこぼした。

「ほらほら、もう泣かないで。他のお客さんが見てますよ」

彼女は彼の手からハンカチを取ると、笑顔でそう言いながら彼の目元をハンカチで拭いた。

「・・・ただし、一つだけ“条件”があります」






そして彼らは、二人で一緒に“初めての恋”を始めた。

二人で一緒の場所に行った。
二人で一緒の映画を観た。
二人で一緒の物を食べた。
二人で一緒のベッドで寝た。
二人で一緒の家に住んだ。

それから彼女が亡くなるまでの一年と少しの間、二人はいろんな初めてを一緒にした。

彼女は亡くなる直前、
「もっと、あなたと一緒にいたかったな。
もっと一緒にいろんなところに行きたかったし、いろんなことをしたかったな。
あなたと・・・、あなたと結婚したかったな」
そう彼に言った。

二人はずっと一緒にいたけれど、結婚することはなかった。
最後まで籍を入れることはしなかったのだ。

それが、あの日彼女が彼に提示した“条件”だったからだ。

もし彼が彼女と結婚したら、彼女が亡くなったあと、彼は本当に独りぼっちになってしまう。
それだけは絶対にしたくないと、彼女は言った。

「結婚しようがしまいが、僕なんかと付き合ってくれる人なんて、君以外にもう現れることはないと思うよ」

彼はいつも笑いながらそう言ったけれど、

「歳なんて関係ない。あなたは、あなたが思っている何億倍も素敵な男性だから。
きっとあなたのことを好きになる女性は、この惑星にごまんといるはずよ」

彼女はそう言って、籍を入れることだけは頑なに拒み続けた。

その度に彼は少しだけ寂しい気持ちになっていたけれど、それは彼女も同じことだった。

僕が何度も、「結婚しよう」と言うたびに、僕は彼女のことを傷つけていたのだ。

だから、どうかせめて彼女の最後の願いを叶えたい。

それが、僕ら二人がずっと一緒に願っていた事だと知ることができたから。






「事情は分かりました」

「やっぱり、亡くなった人と結婚するなんて無理な相談ですよね・・・」

たしかにこの惑星では、いや、この惑星に限った話ではないかもしれないが、
生者と死者が結婚することは認められていない。

「・・・とても強引な方法ですが、ソウジさんと彼女さんが結婚できる方法が一つだけあります」

「本当ですか!?」

「はい。ですが、その方法で彼女さんと結婚できたとしても、
ソウジさんはこれから先普通の生活はできなくなります。それでも、彼女さんと結婚しますか?」

ハルコが思いついた方法は、彼女が忠告した通り今後の彼の人生を確実に壊してしまうことになるだろう。

けれど、ソウジの決意は固かった。

「もし仮に僕がその方法を選んだことで路頭に迷おうが死ぬことになろうが、
彼女と結婚できるなら悔いはありません」

彼のその言葉を聞いて、ハルコも覚悟を決めた。

「それではソウジさん・・・、あなたには死んでもらうことになります」






ソウジが橋野上弁護士事務所に来てから三ヶ月が経った。

「大変お待たせしました。どうぞ、ご確認ください」

ハルコはソウジに一枚の紙を手渡した。

「本当に・・・、本当に僕は彼女と結婚できたんですね」

その紙にはソウジと彼女の名前、そして“婚姻届受理証明書”と記載されていた。

「本当に、本当にありがとうございます」

「いえいえ、仕事ですから。それより、これから先どうするんですか?
ソウジさんは事実上では死亡したことになってますから」

ハルコが思いついた唯一の方法、それは“死後婚”だった。

生者と死者が結婚する“冥婚”と呼ばれる風習は、この惑星では遥か昔に撤廃されていた。
しかし、この惑星のとある村では未だに死者同士の結婚、つまり〝死後婚”の風習が残っていた。

ハルコは彼女の知り合いであり、裏社会で売買を行っている人物から死体を買い取り、
それをソウジの死体として処理した。

ソウジは事実上、死亡したことになった。

もちろんソウジは事前に住所を死後婚が許されているその村に移しており、
彼の死亡届が受理された後に、ハルコはその村でソウジと彼女の婚姻届を提出した。

「まだきちんとは決めていないですが、どこか遠い場所でひっそりと暮らしていこうと思います。
なんせ僕は死んでますから。
もし僕の事を知っている人に出くわしてしまったら、大変なことになっちゃいますからね」

彼は笑顔で言ったけれど、現実はそんなに甘いものではない。
それはハルコも、そして彼自身も十分にわかっていた。

でも、ここから先はソウジ一人の問題であり、
ソウジが一人で解決していかなければいけない問題であった。

「それでは、僕は失礼します。この度は、本当にありがとうございました」

「どうか、くれぐれもお気をつけて」

彼は婚姻届をグッと握りしめながら、橋野上弁護士事務所のドアを開けた。






「また随分と思い切ったことしたな」

そう言いながら、ワタルはコーヒーの入ったマグカップを彼女に手渡した。

「本当に、これでよかったのかな・・・」

「よかったに決まってんだろ。依頼人のあの笑顔、お前も見ただろ?」

果たしてこれが彼にとって最善の策なのか、ハルコはずっと迷っていた。

「そういえば、彼の代りの死体を用意したのって・・・、ハルトだよな?」

ワタルにそう尋ねられたハルコは、黙ったまま頷いた。

「そっか。・・・あいつ、元気だったか?」

「うん。相変わらずだったよ」

「そうか、それならよかった。アイツにはハルコしかいないからな。
アイツのこと、これからも頼んだぞ」

ワタルはハルコの肩をポンと叩き、「お疲れ」と言うと自分のデスクへと戻った。



この惑星の女たちは、その短い一生のなかで精一杯の恋をした。
そして男たちもまた、大切な人のために全力で恋をしたのだ。

人々はその星を、“恋する惑星”とそう呼んだ。

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