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EP1共同生活の始まり②

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「はぁ…人間は色んなものを開発してるんだな…」
「そっちの世界はどうなんだよ、どんな感じなんだ?」

カラン、とグラスの氷が涼し気な音を立てた。中身は帰りに買ってきていた缶チューハイだ。

テーブルを挟んだ向かいに、彼女が座って同じようにグラスを傾けている。そのグラスの温度が心地良いらしく、注いだときからずっと手を放さない。

「どうもこうも…こっちとは違うな」

初めて会話をしてから二時間ほどが経過している。当初の高圧的な口調は少し薄れて、お互いに相手をあまり疑っていないのか腹の探り合いのような会話ではなく世間話のようなものが始まっていた。

彼女の話す雪女の世界の話は、やっぱりこちらの世界とは様子が違うようだ。

それはとても新鮮で、恭平は思わず聞き入ってしまった。そう、仕事帰りに買ったチューハイ一本では済まない程度には面白かったのだ。

「ちょっとコンビニ出てくるわ、酒買ってくる」
「コンビニ?」
「そう、いろんな物が売ってんだよ、ユキコもまだ飲むか?」

顎でユキコが持つグラスを指すと、いいのか?と少しばかり紅潮した顔で聞き返した。その反応を見るに、こちらのアルコールは気に入ったようだ。

そんな反応を見せる相手に、自分一人分のものを買ってくるほど、薄情なヤツになったつもりはない。

「好きな味がわかれば、それにするんだけどな…とりあえず何種類か買ってくる。好みがあれば今度からそれにすればいい」
「…人間は、そんなふうにもてなしてくれるのか?」
「さぁ?人間って括りじゃ知らんが、俺はそうするな。何より、人と飲む酒はうまいだろ?」

玄関に向かい、ジャラと鍵をポケットに突っ込んだ。それとスマホを確認して、恭平はむわりと熱気の残る屋外へ足を踏み出した。

「温度差やべぇな…」

背後からはひやりとした空気が追いかけて来るが、玄関のドアが閉まった途端に湿度が身体にまとわりついてきた。

引っ掛けたサンダルの安っぽい音を響かせながら、恭平はコンビニへと向かう。

普段ならコンビニの店内も随分と冷えているなと感じるのだが、先程まであれだけ冷えた部屋に居たので、随分と適温に感じる。

さて、とカゴを持ち一直線にアルコールゾーンへ向かった。普段ならビール、レモンサワー辺りを好んで飲むが、甘めのチューハイにハイボール辺りまで買ってみようかと好みの分からない同居人のために手当たりしだいにそれらをカゴに突っ込んだ。

ついでに、と一人分のつまみしかなかったので買い足す。塩辛いものから、甘いチョコレートまで、こちらも普段から買わないものもカゴに突っ込んでいく。

次第に重くなるカゴに、思わず総額を考えたが一旦忘れることにした。それからユキコが好むであろうアイスも幾つかカゴに追加した。

あまり多く買ってしまうと、居住スペースがないとキレるだろうな。

そこまで考えて、ふっと笑いが漏れた。

いつまで居るのか分からない雪女のために何をしているんだろうかと。それでもその重くなったカゴを疎ましく思うことはなかった。

レジで総額を見たときに激しく現実を突きつけられたのは、云うまでもない。


アイスが溶けないようにと家路を急ぐ。アパートが見えた辺りで鍵を出して、その流れで鍵を解錠した。

ただいま、と口に出しかけて、あれ?と違和感を覚える。なんだ、これ。まるで同棲のようではないか…と思い至ったのが悪かった。

ふと頭の片隅に浮かんだ存在に、意識を引っ張られる。

『ねぇ、一緒に住んだら休みが合わなくても良いと思わない?』

2つ年上の彼女が、合わせてくれた休みの日に部屋でくつろぎながら云ったのだ。しっかりと施された化粧、甘めの服装によく似合うピアス。

どれをとっても自分には不釣り合いのような気がしたのは、Tシャツにハーフパンツという部屋着のせいではないと思う。

大手商社に務める彼女は、いつも隙のない格好をしていた。よく見たのはぴしりと糊の効いたシャツのスーツ姿。少し濃いめの化粧も、その服装にはとても似合っていて初対面では内心後ずさったのをよく覚えている。

それを後日談として伝えると、そんなことないのにとケラケラっと笑い飛ばした。そんなギャップのある彼女をとても大切だと思っていた。

でも『同棲』という現実の前に恭平は『考えておくよ』と逃げ出した。

一緒に住んだら練習の時間を取られるし、なにより”自分より順風満帆”に仕事で活躍している彼女を見るのが辛かったのだ。そして、自分が哀れに思えてきそうで怖かった。

だから、その日から少し関係が軋んでいるのを感じながらも見ないふりをしていた。

「無事に戻ってきたか!」

部屋からわずかに扉を開いてユキコが顔をのぞかせた。ハッと意識を戻して、無事にって大げさだなと笑った。

「外の暑さは耐えられん」

流れ込んできた熱気に顔をしかめて、ゆっくりとドアを閉めていく。その分かりやすい様子に、ふっと笑いが漏れた。


「誰よ、その女」


不意に掛けられた背後からの声に、心臓が大きく脈打った。声を聞いただけで分かる。今しがた考えていた存在なので、なおさら答えにたどり着くのは早かった。


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