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EP2男の仕事②
しおりを挟む「今日は無理でも、練習付き合うからね」
「え?」
「また来月にはスタイリスト試験するじゃん、店長が。練習ならいくらでも付き合うよ、きょんちゃんシャンプーは上手だし!」
「シャンプー限定…」
遥がニコリと笑って、こちらも見事に地雷を踏み抜いてくれた。鬼のような特訓…いえ、善意の練習のおかげでシャンプーはお客様からも好評ではある。
その時も随分と苦戦したし、未だに緊張もする。あのシャワーヘッドの扱いが難しくて、何度顔面にお湯がかかったことか。そして、先輩たちの背中に何度浸水させたことか…。
ようやく合格点をもらったときの嬉しさは、言い表せないものだった。
頑張って努力した結果が報われる。その瞬間がこんなにも達成感を得るものだとは、想像もしていなかった。
美容師としてはスタート地点にも立てて居ないのかも知れない。それでも、一つステップアップしたのが素直に嬉しかった。
「また付き合ってくださいね」
「うん、もち!」
「私も付き合うからね!」
それぞれがカバンを持ちながら、バックヤードから裏口へと向かう。店内の施錠を確認していた大和がそこに合流して、全員で店を後にする。
快適な店内との差に、思わず顔をしかめた。20時半を回っても日中の暑さが残っているようで不快指数は高めだ。歩くだけで、じわりと汗が滲んでくる。
「あ、俺は休みの日でも出張先生してやるな!」
「大和は先生出来るほど……ぷぷっ…」
「遥さん!ひどっ!五年に一度の逸材だって云ったじゃないですかー!」
「云ってない。ってか、五年…謙虚か!」
コントのようなやりとりをしながら大和と遥は駅の方向へ足を進める。鈴奈はバスなので、すぐそこの最寄りのバス停で別れる。
「おつかれ」
そのタイミングでクロスバイクの慎也が颯爽と去っていく。いつもの光景である。
「おつかれさまでした」と徒歩の恭平もみんなと別れて歩きだした。振り返ると大和と遥がまだ言い合いをしながら帰っているところが見えた。
その後ろ姿を見ると、彼女と駅前を並んで歩いていた光景が浮かぶ。
仕事柄、恭平のほうが終業が遅いため彼女がいつも駅前で待っていた。駅前のベンチでスマホを使っている彼女を見つけて「ごめん」って謝って、彼女は仕方ないよって笑う。それから二人並んで軽口を言い合いながら家に何度も帰った。
いつだって待たせていたのは恭平だった。休みを合わせるのも彼女、帰宅時間を合わせるのも彼女。そうやって待たせて待たせて…その結果が……。
「……最低だな、俺は」
夜の街に吐き出した言葉は、誰に拾われるわけでもなく消えていった。
不快な湿度と熱気を残した街を歩く足取りは重い。のろりとした足取りでは、ぼやりと街並みが視界に映り込む。それらは一瞬で彼女と歩いた記憶を呼び起こしていく。
よく立ち寄った惣菜屋、居酒屋、休日に訪れることが多かったスーパー。帰りに買い食いした肉屋のコロッケ。
想像したよりもずっとずっと多く、彼女の気配が残っている。
どの瞬間を切り取っても、彼女はよく笑っていた。笑顔の似合う女性だったのにな…最後に見たあの必死に作った笑顔が瞼の裏に張り付いて離れない。
「……それでも迎えに行こうって決められないんだよな…」
残念な男だと自嘲する。
どう考えても彼女は素晴らしい女性だ。自分の安月給を馬鹿にすることなく、夢があるって良いことだよって応援してくれていたというのに。
勝手に抱いた劣等感が、いつの間にか体中を蝕んでいて動けなくなっている。
せめて、スタイリストだったならば。なにか変えることが出来たのだろうか。少しは自信を持った自分で向き合えただろうか。
それともいっそ違う仕事に就いてしまえば、こんな劣等感を抱かなくなるのだろうか…。
『道に迷ったっていいじゃない?歩けばどこかにたどり着くものよ?』
こんな時でも、一歩踏み出す勇気をくれるのは彼女の言葉だというのにーーーーー。
「……練習してれば、なにかにたどり着けんのかな…」
誰に云うわけでもなく漏れた言葉は、雑踏にかき消された。
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