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36.5 人生の選択
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雑多な色々が混じった閉鎖された独特なその場所。
紙の匂い、土の匂い、埃の匂い、薬品の匂い、そして何より、古い古い木材の匂い。
久しぶりの予備学院…。ああ、たった一年前だというのにすでに懐かしい…私の好きなヒンヤリとした空気。
ようやくここへ戻って来れた。アッシュ君には感謝をしないと。
父はあれ以来、人が変わったように仕事をしている。貴族が仕事をするなんてと後ろ指を指す者も当然いる。しかし生活の糧は勝手に湧いては来ない。言いたいものには言わせておけばいい。一度は地に落ちた信用。再度一つずつ積み重ねていくしかないのだ。
父は本来真面目な人だ。とても人好きのする…。古美術に目が無いとはいえ、あの時は常軌を逸していた。何が父の理性を失わせたのか…。
父の持つ鑑定のスキル。それ故に歯止めがきかなくなったのだろう。おそらく鑑定は真作と出たのだ。だからこそどうにかして手に入れようと…、いや、もういいか。今さらな話だ。
今は大公の関わる商会で輸入品の鑑定をしている。そうして得た報酬で、小さな茶器やささやかな首飾りなど、売ってしまった母の大切なものの代わりに、少しずつ揃え直しては母へ捧げているのだ、愛の言葉を傍らに添えて。
その誠意が伝わればこそ、今回限りと母は父の過ちを許し、王都の屋敷へと戻って来られた。
その事に私がどれほど胸を撫でおろしたかは言うまでもない。
弟はなんとか無事、貴族学院に入学出来た。これも大公の尽力あってのことだ。学費は私が出している。ユーリウス様はそれだけの報酬を約束してくださったのだ、衣食住はかからないというのに。それがどれだけ恵まれた事なのか、世間を知らぬ私にもそれくらいは容易に分かる。
そんな私の気持ちを汲んで、弟はとても真摯に学業へ取り組んでいる。
学院では嫌なことを言うものも居るかもしれない…。父に迷惑をかけられた者は少なくないのだ。だけど弟にはそれらを跳ね除け頑張ってもらいたいのだ。あの子はとても優秀なのだから。
父に似てどこかのんびりした私と違い、母に似たあの子は実に利発で果敢だ。内包した心意気は嫡男である私以上に後継向きだと言えるだろう。
私は密かに考える。
しっかり者の弟に、爵位を継いでショーグレン子爵家を再興させてもらいたいと。
私には荷の重いことだ。そしておそらくは父にもそれは困難だ。敢然と難局に当たり乗り越えられる性質を持つのは、他でもない弟ロビンなのだと。
嫡男である、それ以外に私が跡を継ぐ理由は無いのだ。それは実に不合理で愚かな先入観だ。
人には向き不向きがある。出来るもの、望む者がすればいい。弟ロビンはそれを望んでいるのだ。言われっぱなしで居るのは性に合わないと、いつか見返して見せると意気込んでいたのは本心だろう。
慣例を遵守する母を納得させるのは容易なことではないかも知れない。だがずるいだろうがユーリウス様、もしくは大公様からお口添えを頂けたら、あるいは…。
そして私は…大きな声では言えないが…、このまま教鞭を生活の糧とし、そして父のように芸術を愛で暮らしていきたい。
ひょんなことから手にした今の暮らし…、まさかこれほど性に合うとは…。
身につけた知識を誰かに伝授するため、自分自身が良く理解し、かみ砕いて要点をまとめ、伝え方を工夫し、成果を確認する。それらの全てがとても楽しい。
そして公爵邸を彩る無造作に置かれた美術品の数々。
それを磨き、配置し、また季節ごとに入れ替える。今まで扱う者が居なかったのか、ユーリウス様は私が芸術に造詣が深いと知るとそれを任せて下さった。願ってもない、なんという豊潤な時間。
嫡男としての期待に応えられないのが心苦しくはあるけれど、本当は母にもどうするのが最善なのか分かっているはず。
ロビンが学生でなくなるまでの残り何年か。いずれ母とはじっくり向き合わねばならない。
母を失望させるのは辛いことだが…これは私の人生なのだから…。
紙の匂い、土の匂い、埃の匂い、薬品の匂い、そして何より、古い古い木材の匂い。
久しぶりの予備学院…。ああ、たった一年前だというのにすでに懐かしい…私の好きなヒンヤリとした空気。
ようやくここへ戻って来れた。アッシュ君には感謝をしないと。
父はあれ以来、人が変わったように仕事をしている。貴族が仕事をするなんてと後ろ指を指す者も当然いる。しかし生活の糧は勝手に湧いては来ない。言いたいものには言わせておけばいい。一度は地に落ちた信用。再度一つずつ積み重ねていくしかないのだ。
父は本来真面目な人だ。とても人好きのする…。古美術に目が無いとはいえ、あの時は常軌を逸していた。何が父の理性を失わせたのか…。
父の持つ鑑定のスキル。それ故に歯止めがきかなくなったのだろう。おそらく鑑定は真作と出たのだ。だからこそどうにかして手に入れようと…、いや、もういいか。今さらな話だ。
今は大公の関わる商会で輸入品の鑑定をしている。そうして得た報酬で、小さな茶器やささやかな首飾りなど、売ってしまった母の大切なものの代わりに、少しずつ揃え直しては母へ捧げているのだ、愛の言葉を傍らに添えて。
その誠意が伝わればこそ、今回限りと母は父の過ちを許し、王都の屋敷へと戻って来られた。
その事に私がどれほど胸を撫でおろしたかは言うまでもない。
弟はなんとか無事、貴族学院に入学出来た。これも大公の尽力あってのことだ。学費は私が出している。ユーリウス様はそれだけの報酬を約束してくださったのだ、衣食住はかからないというのに。それがどれだけ恵まれた事なのか、世間を知らぬ私にもそれくらいは容易に分かる。
そんな私の気持ちを汲んで、弟はとても真摯に学業へ取り組んでいる。
学院では嫌なことを言うものも居るかもしれない…。父に迷惑をかけられた者は少なくないのだ。だけど弟にはそれらを跳ね除け頑張ってもらいたいのだ。あの子はとても優秀なのだから。
父に似てどこかのんびりした私と違い、母に似たあの子は実に利発で果敢だ。内包した心意気は嫡男である私以上に後継向きだと言えるだろう。
私は密かに考える。
しっかり者の弟に、爵位を継いでショーグレン子爵家を再興させてもらいたいと。
私には荷の重いことだ。そしておそらくは父にもそれは困難だ。敢然と難局に当たり乗り越えられる性質を持つのは、他でもない弟ロビンなのだと。
嫡男である、それ以外に私が跡を継ぐ理由は無いのだ。それは実に不合理で愚かな先入観だ。
人には向き不向きがある。出来るもの、望む者がすればいい。弟ロビンはそれを望んでいるのだ。言われっぱなしで居るのは性に合わないと、いつか見返して見せると意気込んでいたのは本心だろう。
慣例を遵守する母を納得させるのは容易なことではないかも知れない。だがずるいだろうがユーリウス様、もしくは大公様からお口添えを頂けたら、あるいは…。
そして私は…大きな声では言えないが…、このまま教鞭を生活の糧とし、そして父のように芸術を愛で暮らしていきたい。
ひょんなことから手にした今の暮らし…、まさかこれほど性に合うとは…。
身につけた知識を誰かに伝授するため、自分自身が良く理解し、かみ砕いて要点をまとめ、伝え方を工夫し、成果を確認する。それらの全てがとても楽しい。
そして公爵邸を彩る無造作に置かれた美術品の数々。
それを磨き、配置し、また季節ごとに入れ替える。今まで扱う者が居なかったのか、ユーリウス様は私が芸術に造詣が深いと知るとそれを任せて下さった。願ってもない、なんという豊潤な時間。
嫡男としての期待に応えられないのが心苦しくはあるけれど、本当は母にもどうするのが最善なのか分かっているはず。
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