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秘めごと
ずっと好きだった
風に揺れる硝子細工が物珍しくて手を伸ばしたのだ。
「セーレ……?」
何年も聞いていなかった声なのに、わかってしまったのは未だ心を占めている証拠だろうか。
たったひとことで、あのころの痛みすべてがよみがえってくるようだった。
賑やかな雰囲気に式典の名残りを感じ、自然と頬が緩んだ。帰国は明日だが、今回も素晴らしい時間を過ごせたことに感謝しなければ。
国土の広くないこの島国の住人たちは比較的穏やかな国民性で、国交樹立についても当初からすんなりと受け入れていたように思う。
島国特有にありがちだという排他的な雰囲気など、外部の勝手な思い込みだということがよく分かる。
それで祭事でもやっているのだろうかと侍女と話しながら、宿屋も近くだと馬車を降りる。
護衛もついているが治安も驚くほど良いため、警戒は怠らないがじつのところ不安はあまりない。
今季節は夏に差しかかるころ。照りつける日差しは強いが不快感はない。
日に焼けてしまうとすぐ赤くなる肌を夫が心配するので長手袋と日傘は欠かせないが、頬に当たる風のさわやかさに心は弾む。
四度目の訪問だが、わたしはすっかりこの国を好きになってしまったのだ。
涼やかな音色に惹かれて、足を止める。
空洞の硝子のなかで重しのような何かが揺れかわいらしい音を奏でていた。
それがいくつも店先を飾っている。
「かわいいわね」
「えぇ、とても。ぶら下がってるのは紙でしょうか?」
「そうね、何のためかしら…あら、魔除けの効果もあるみたい」
「旦那さまへの贈り物になさいますか?魑魅魍魎の王宮でのお勤めをお守りいただくとか…」
「ふふ。ここが異国で良かったわ、スージー」
「はい、口が滑りました。…ふふっ」
悪戯がバレないかのように笑い合い、目を細める。
「……でもほんとうに、素敵だわ」
そう言ってわたしは、手を伸ばしたのだ。
呼ばれた声に、指さきが微かに震えた気がした。
「……キシュート公爵閣下、お久しぶりでございます」
多少のことでは動揺しないようにと淑女教育を受け、貴族として務めてきたつもりでいた。
今はそれが、何より難しく感じる。
持ち上げる裾はずしりと重く、手袋に隠されている手のひらに汗が滲む。
「……八年振り、かな。セーレ、…いや、失礼しました…ルドルファ大公夫人、」
母国でもなく、嫁いだ国でもないこんな遠い異国で会うなんて。
ーーどうか、このまま。
こつり、と。磨き上げられた靴の先が視界に入る。
一度強く瞼を閉じた。願いはいつでもわたしを空しく通り過ぎてゆく。
あのときも、今も。
葵色の瞳。反対の冬空のような銀色の髪。
精悍に、大人びた顔つきは見知らぬひとのよう。
「……きみだと、……すぐ分かった」
わたしは上手く、笑えているだろうか。
ある国の王太子が他国の王女との婚約を解消し、自国の伯爵令嬢と婚姻した。
外交上の政略として、繋がりを両国は求めていた。
大公となる王弟との新たな婚姻の話もあったが、王女はたいそう傷つき日々憔悴してゆく。
話し合いが行われ、国力の差はあっても瑕疵は王太子にあるとして有利な条件を引き出したうえ、外交を担う侯爵家の令嬢と王弟との新たな婚姻が決定した。
幼少から結ばれていた侯爵令嬢と公爵子息の婚約は王命で解消。
そして王女は、その公爵家へと降嫁が決まる。
それらはすべて伏せっていた王女の知らぬ間に進められ、覆すことなど不可能だった。
おなじ苦しみを自らの未熟さで与えてしまうことに、招いてしまった結末に王女は嘆きどうにかできないかと奔走しても、すべては今さらだった。
『逃げよう、セーレ』
『ルイ…』
『こんなこと許されない。何で俺たちが尻拭いをさせられなきゃならない?』
『…』
『…なんできみと、…別れなきゃならないんだ…っ』
足もとが覚束ないような毎日だった。
心はどこか遠くへ逃げてしまい、積み重ねてきたものが消えてゆくのを見続ける。
それらしい言葉を並べても、要は己の娘かわいさを優先した王家と、従うしかない臣下。
国としての利が得られれば、それ以外は瑣末なこと。
軟禁されていた彼が邸を脱け出してやってきたことを、父も母も咎めなかった。
これが最後の逢瀬になるだろう、と。
皮肉にもそれもおなじ娘かわいさの、親の行動なのだろう。
わたしの願いは、ーー。
『わたしあなたに一目惚れしたのよ。あなたの笑顔、あなたが差し出してくれた花を受け取ったとき、子どもながらにときめいてしまった気持ちを今でも覚えてる』
『…そんな話は聞きたくない』
『これからも変わらず、あなたを愛してるわ』
『…っ』
『……誰にも奪わせない……それだけは、っ』
涙が混じり、肩で溶ける。
このまま溶けて、あなたとーー。
個室は断り、テラス席を選ぶ。
喧騒は隠してくれる。ひそやかな企みを。
「ここへは式典で?」
「えぇ、…ご存知の通り夫は外交官ですから、毎年訪れているんです」
「……やっぱり、」
「え…?」
「いや、何でもない。…俺は商談の視察で来たんだ。二度目だが、とても豊かな国だと感心してる」
瞳をやわらげて、通りを歩く人々を見やり彼が笑う。
少しうつむきがちに言う横顔は昔の面影のまま、記憶を手繰り寄せる。
席ひとつだけの隔たり。
そのあいだには見えない枷が幾重にも絡んでほどけることはない。
後にも先にも、近づいたのは一度だけ。
分かってる。
大丈夫よ。
不安そうな侍女に笑いかけた。
企みは秘めて、決して明かさない。
そう決めて、わたしは毎日を生きているのだから。
END.
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