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魔界<魔族街>

キフロ・アジェシス

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 魔城の財政は、安定している。
 宝物庫には大量の秘宝。手元には億単位の金。
 魔王に忠実な、魔界の住人たちは今日も、静かに日々を過ごしている。

「外が、騒がしいな」
「うーん……がやがや、してる?」

 魔城には窓がない。
 中世ヨーロッパに限りなく近いこの世界は、日本の常識から考えるとかなり不便で文明が退化している。
 斎藤正晴の記憶を思い出す前は、この世界の常識が当然だと思っていたからな。
 日本での暮らしを比べて、恋しくなったりはしねぇけど。

 俺たちが日々を過ごす王座と、魔城内へ侵入を防ぐ城門にはかなりの距離がある。
 ここまで外から騒がしい声が聞こえるとなると、相当でかい声で叫んでいるんだろう。

「ハムちゃん、戻ってこないね」
「おう。様子、見に行って見るか?」
「行くー!」

 王座に腰掛けた俺の膝上で、レースを編んだり本を読んだりして暇をつぶしていた皇女様は、面白いことが起こるかもとワクワクを隠しきれていない。

 面白いことは起きるかもしれねぇけど、それと引き換えに命の危機が訪れる危険性があるってことは、常に考慮しといて貰わねぇと……。

「魔王自ら様子を見に行くって、やべぇよな」
「首取られたら、終わりだもんね」
「タダでやられる気はねぇけど……魔力の使い方すら、よくわかんねぇからな……」
「角が生えてからのハレルヤは、すごいよ!たくさん魔法を使っても、ピンピンしてるもん!いいなぁ。私も魔法、使えるようにならないかな?そしたら、ハレルヤを守れるのに……」
「皇女様は、腕の中でじっとしてればいいんだよ」
「ええー?それって、置物に徹してろってこと?モラハラだよ~」

 モラハラって、モラルハラスメントの略、だよな。この世界でその単語を使うようなやつ、いたか?日本特有の言葉だよな?

 皇女様は自分が口を滑らせたことなど気づいていないようで、鼻歌まで歌ってやがる。
 ご機嫌斜めよりはよっぽどいいけど、皇女様の中身って、俺と同じ日本人なのか……?

「ハレルヤ?どうしたの?やっぱり危ないから、様子を見に行くのはやめようと思ってる?」
「あー、いや。様子は見に行く」
「気になることがあるなら、ちゃんと私に伝えてね。隠し事はしちゃ駄目だよ。隠し事したって、私にはわかっちゃうんだから」

 皇女様は、俺が斎藤正晴だってことに気づいてるとか……言わねぇよな……?

 いや、わかんねぇ。皇女様の中身が日本人であるのは確かっぽいけど、その中身が誰なのかをはっきり認識できるまでは、指摘しない方がいいだろう。
 俺たちはまだ12歳。花嫁候補の中から1人を決める日まで、あと6年もある。
 全員と出会えねぇからな。

「他の女に、目移りしたら駄目だからね」
「目移りなんざしねぇから、安心しろ」
「うん!」

 城門前で大暴れしている奴らの中に、魔族の女がいるとも限らねぇ。
 どうせ騒いでんのは男だけだろ。
 俺は楽観的に考えながら、城門の様子を窺った。

「いつまで、魔王様を独占するつもりだ」
「魔王様は魔城の主。魔城でお過ごしになることこそが義務であり、私が独占しているわけではございません」
「お前が魔王様を、魔城に監禁しているんだろう。魔界で暮らす魔族の暮らしを、早く魔王様に見てもらうべきだ」
「魔族の暮らしなど、いつでも見られるでしょう。何故急ぐ必要があるのですか。魔王として覚醒したばかりの主を袋叩きにするつもりならば、私が容赦は致しません」
「魔界を統べる魔王様に、なぜ俺たちが歯向かう」
「純血の魔族ではないことを、あなたが気にされているからです。キフロ・アジェシス」

 ほら、言わんこっちゃない。
 争いの火種が、向こうからやってきたぜ。

 俺は皇女様を抱いたままハムチーズと静かに言い争っている男をみた。軍服のような衣装に身を包み、服の上からわかるほど鍛え抜かれた筋肉質な身体が印象的な男だ。男の尻からは、猫のような細長い尻尾が伸びている。俺はそいつの横顔を見て、さっと顔色を青くした。

『待兼。そいつより、俺の方がずっと、彼氏に相応しいだろ……?』

 斎藤正晴が殺害した二人目に、顔達がよく似ていたのだ。
 この間三人目によく似た顔達のロリコン野郎に出会ったと思ったら、今度はストーカーに似た奴とか。勘弁してくれよ。

「……ハレルヤ……?」

 俺が青白い顔をしたまま黙り込み、全身の力を抜いたからだろう。
 皇女様は不思議そうな顔で、俺の胸元へ縋りついてきた。

「……あー、ごめんな。俺らが姿を見せたら、解決しそうな話、してるか?」
「魔族の村に、ハレルヤを案内したいみたい」
「ハムチーズは、なんで立ち塞がってんだ?」
「ハレルヤが混血だから……?」

 混血を迫害する奴は、人間界でもよく見るよな。
 真面目そうな顔して、ちゃっかりそういうことするやつだから、ハムチーズが城内への侵入を阻止してんのか。

「よし。顔、出してみるか」
「はーい!ハムちゃんがどんな顔するか、楽しみだね!」
「絶対、嫌な顔するだろ」

 なんで顔出しに来たんだよって迷惑そうに顔を顰めるハムチーズの姿が、目に浮かぶようだ。俺はよろよろとおぼつかない足取りで一歩を踏み出した後、皇女様を抱き抱え直して堂々と歩き出した。
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