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2章<人魚とロリコン>

人魚の事情

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「どちらさま、ですか……?」

 一体全体、何がどうなってんだ?

 待兼によく似た顔達の少女が、魔族として暮らしている。コスプレ趣味の人間じゃなければ、彼女の種族は人魚だろう。満月の夜にだけ姿を表す人魚なのか、ここで暮らしている常駐人魚なのかはわんねぇけど。

 皇女様によく似た顔達なら、そりゃ待兼に似てたっておかしくもない。
 俺はそいつが待兼ではないとわかっているのに。
 胸が苦しくて、皇女様へ抱く気持ちが揺らぎそうになる。

 最低で、最悪だ。

 俺は斎藤正晴の記憶を引き継いだが、ハレルヤ・マサトウレとしてキサネ・チカ・マリンズを愛している。
 そっくりさんを目の前にして、心奪われるはずが──ねぇ。
 あってはならねぇのに。心が揺らいでる。

「あなたも……私を、そう呼ぶのですね……」
「あんたは、待兼じゃないのか?」
「わたしは、ララーシャ・ヘス・マチリンズ。人間の皇族……でした……」

 どう見たって、人間じゃないだろ。
 皇女様のそっくりさんなんだから、血縁関係があってもおかしくはねぇ。
 ただ、皇女様は純血の人間だ。
 皇后様も人間なんだから、魔族の娘なんて生まれてくるわけがない。腹違いの姉妹か?

「どうして、過去形なんだ?」
「わたしの身体は……あの恐ろしい男によって、化け物になってしまいました……。たとえ父が人間ではないとしても、わたしは……」
「おい。ちょっと待てよ」

 突っ込みどころが多すぎて、突っ込みが間に合わねぇんだけど。どうなってんだ?
 恐ろしい男によって化け物に作り変えられたって、ストーカー野郎か?
 父が人間じゃないって、皇帝のことだろ?
 あいつが人間じゃないのなら、皇女様だって──純血の人間じゃない。

「あんたの父親は、マチリンズの皇帝だろ?」
「はい。そう、聞いています」
「あんたの母親は?皇后か?」
「……そう、です」
「人間じゃないって……、どういうことだ」
「父は混血と聞きました。魔族の女から生まれた忌み子であることを隠し、彼は頂点に君臨している。わたしは、それを偶然耳にして……魔界に落とされました」

 そっくりさんの話が事実なら、皇帝の子どもたちには全員魔族の血が流れている。
 皇帝が俺と同じ混血なら──皇女達はクォーターってやつだよな?
 4分の1、魔族の血が流れているってことだ。

 ムースは元々、妹の身体に刻み込まれていた刻印を引き継いでいる。
 皇女様にも魔族の血が流れてるなんて話になると、あいつも純血の人間であることだって怪しくなってくるけどな。

 魔王の花嫁として紋章が身体に刻み込まれるのは、魔族の血を引く人間だけなんじゃねぇの……?

 思ってる以上に、周りが魔族の血縁ばっかになっていることに驚きながら、俺は皇女様の様子を窺う。

 皇女様はそっくりさんを睨みつけながら、俺の胸元をぎゅっと握り締めていた。
 そんなに恨みがましく、見つめるようなもんか?
 相手は実の姉だぞ?
 仲良くは……できねぇか。
 皇女様にとって、俺の前に現れる女は、全員が恋のライバルだからな。

「あんたは魔族のクォーター。魔族として覚醒したのは、魔界に落ちてからってことでいいのか?」
「わたしは、覚醒などしていません……。わたしがマチカネサギリと呼ばれる女に似ていたので、あの男がわたしを、人魚に作り替えたのです。人間の足では遠くに逃げてしまうけれど、人魚の尾ひれならば、水の中でしか泳げないから」
「穢らわしい……」

 皇女様の言葉には、恨みの感情が込められている。
 穢らわしいと称した言葉が何を意味するかは、微妙な所だ。
 人魚に生まれ変わったことか、待兼の名前が出てきたことか。
 皇女様は今日始めて、待兼の名前を聞いたはずだ。
 瞳孔かっぴらいて口にするなら、十中八九前者の意味合いだろ。
 俺は皇女様の機嫌を直そうと、毛先を指先で弄ぶ。
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