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生きるは義務 我慢は正義 

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1 会話不能 
 

「あー、会話ができないのね」 
と言って御神が後ろの真守に向けて振り返った。 
「どうしよっか」 御神は、巨大な壁を背に流麗に笑う。
 真守は、「知らねーよ」というツッコミを飲み込んだ。
 この世界で、「会話が成立しない」ということは、「武器がないこと」と同じだ。 
 深層心理を仮想現実にしたこの世界で、世界を変えるには心を解体する必要がある。
 真守は「変わりたくない」と抵抗する攻撃からの盾となり、御神が言葉を武器として心の歪みに挑む。
 唯一無二の剣である「言葉」をより深く、この世界でさえ聞く耳を持たない被験者にどうしろというのか。
「なんとかなるんじゃないすか」
 何を言ってもキレることは分かっているので、適当な言葉を放り投げた。


2 被験者 狩葉沙絵



 狩葉沙絵(かりば さえ)は、ドアを閉めて施錠すると、力が抜けたように自分の部屋の床に寝転がった。  スーツを脱ぐことさえ体が重くてできない。 
 「寝たら負けだ」と口にして自分を奮い立たせようとする。 
 「今日」をこのまま終わらせることが嫌で、スマホを眺めて寝落ちを避ける。 
 動けるぐらいの気力が溜まることを待つ。
 「化粧落とし」と「ご飯」というミッションだけはやらないと寝てはいけない……とぼんやりする頭で考えていた。 

  端から見たら順調に見えるんだろうな、と狩葉沙絵は考える。 
 なんとか新卒で大手に採用してもらって三年目。 
 会社は安定し、仕事仲間とも穏便に過ごす日々。
 残業も少なく、普通のことを普通にこなしているだけの生活。
 それなのに、仕事から帰るとスイッチが切れたように倒れ込んでしまう。
 体を引きずるように動いてコンビニ弁当を口に押し込み、化粧を拭き取って歯磨きをして布団に入ると朝まで起きることができない。 
 休日も起き上がることができずに夕方まで寝ている。 
「仕事が合っていないからこんなに疲れるんだ。
自分に合った仕事に就けば、プライベートの時間を作ることができるぐらいに、元気で満たされた自分になれるはずなんだ」
 そう信じて三年が過ぎた。 
 毎日毎日通勤中に「副業」「転職」を検索しても「やりたいこと」は見つからなかった。
 どんなにがんばっても、普通の仕事で今以上にホワイトで今以上に給料をもらえるところはない。 
 (恵まれているんだから、我慢しなければ。疲れる自分が悪いんだから)
 やめたい自分と、しがみつきたい自分。そんなふたつをぐるぐると回る。
 疲れ切って、毎日毎日ただ生きるだけ、明日のためだけに生きる。
 慣れたら変わると信じて三年経った。
 「石の上にも三年」の言葉は嘘だ。
 慣れるどころか悪化した。
 このまま十年後を想像するとゾッとする。
 自宅と会社の往復だけで終わるのか。
 「明日会社に行くための自分」を維持するためだけの人生でよいのか。
 「何とかしなければ」と常につきまとっている焦りと、常に重い身体にどんどん追い込まれていく。それが沙絵の日常であり全てだった。

 久々に友人の虎詩子(とら うたこ)と会った。 
 沙絵は引きこもり防止として月に一度は必ず誰かと会うことにしており、今月予定が合ったのは大学の同級生だった詩子だった。
 詩子とは三ヶ月から半年に一度遊びに行く仲である。 
 詩子とランチを食べながら近況報告をする。 
 外で人と会っているとスイッチが入っていく自分を感じる。 
 第一段階スイッチONとなって外へ出て、 
 第二段階スイッチONとなって顔が動くようになって、
 第三段階スイッチONと元気のスイッチが入って人と話せるようになる。 
 久々に会った詩子は、以前となんとなく違っていた。 
 以前はどこか暗くておとなしいイメージがあったのに少し吹っ切れた印象がある。 
「なんか変わったね」 
と言うと、詩子がニヤリと笑った。 
 そのいたずらっ子のようなふざけた笑い方は沙絵が見たことのない表情だった。
 五年という長い付き合いで初めて見る表情に沙絵は驚きを通り越して気味が悪いものを感じる。
「何その顔?」
「私、超調子乗ってるでしょ」
「人格変わった?」
 お互いなんとなく時間の都合つきやすくて、会ったら当たり障りのない話をして、つかず離れずで大学から続けてきた関係の中、急に詩子との距離感が分からなくなって戸惑う。
(この子誰?こんなキャラだった?)と困惑する沙絵を無視して、詩子は語りはじめた。「御神さんのとこでね……」 
 話し始めるとこちらを無視して一方的にしゃべって何を言っているのか不明なのは相変わらずで少しほっとする。
 詩子は、話をしたことを覚えていなくて何度も同じ話をするので、聞いてなくてもさえぎってもすぐ忘れるところが沙絵にとって居心地がよかった。
 前も聞いたような詩子の話をBGMに適当に相づちをしながら、ご飯を食べて、店を回って、何にも考えない時間を過ごしてから分かれることがいつもの流れなのだ。
 それなのに、ほっとしたのもつかの間、いつもは気にならない詩子の話下手に絶望する。
 詩子に何が起こったのか、なぜ心境が変化したのかを聞きたいのに、話が全く入ってこない。
 真剣に耳を傾け集中すればするほど何を言っているのかつかめない。
「機械に入るってどういうこと?」やっと少し見えてきた内容をもっと知りたくて質問をすると、話の腰を折られたことが不満なのか詩子の顔がゆがんだ。
 洋服見ながらしゃべってるときに遮っても怒らないくせに、真剣に質問したら不満な顔をすることに沙絵は少し苛ついたがぐっとこらえる。
「頭の中に入るんだよ」
「機械に入るんじゃないの?」
「心を探検してもらうの」
 沙絵は全てを諦めた。
「その、ミカミっていう人って、どうやったらサービス受けられるの?」

 大きな通りを少し入った奥にある大きなマンションの一角。 
 沙絵は、奥まった入り口を見つけることに苦戦しながらデザイナーズマンションに入り、黒い大理石のエントランスを抜けてエレベーターに乗る。 
 エレベーターを出たところに五十センチぐらいの女神の彫刻があった。
 壁に埋め込まれたケースの中で、水瓶を抱えている。 
 マンションの装飾としてあまり見ないモニュメントを見て異世界に放り込まれた気持ちになる。逃げたくなった。 
 あれから、詩子に教えてもらった「御神玲香」のいくつもの動画を見て、インターネット上の資料を何度も読み込んで申し込んだというのに、間違っているような気がしてしまう。 
「私は一体何をしているのだろう」 
 何度も何度も我に返りそうになる自分を見ないようにしながら、最後の関門を前にもう一度スマホを見る。 
 申込みのあとに送られてきた地図の場所はここで間違いない。 
 「レンタルオフィスオアシス」と表札の出たマンションの一室。 
 インターフォンは鳴らないように設定されているらしく、スマホで到着を連絡するとドアが開いた。 
 受付の男性に案内されながら内装を見る。
 住居として作られた部屋をレンタルオフィスとして使っているらしい。
 個別の部屋に鍵と部屋の名前が書かれたプレートが取り付けられている。 
 リビングを抜け、一室に通される。 
 他の部屋も別のカウンセラーが使っているのだろうか、「使用中」という札が下がっていた。 
 通された部屋はとてもシンプルだった。 
 椅子二脚が向かい合うように置かれている。 
 必要なときに使うのか端にテーブルが寄せられていた。 
 小さな棚があって、そこにはピアノの旋律を静かに流すスピーカーと、爽やかな香りを広げるアロマポットが置かれている。 
 レースのカーテンにほどよく日光を遮られた部屋の中、椅子に座ると途端に意識が遠くなって眠気が襲ってきた。 
 沙絵は暗くて静かな場所が苦手だった。 すぐに眠たくなってしまうからだ。 
 ほどなくして御神が入ってきたときも少しぼんやりしていた。 

 初めて生でみる御神玲香(みかみ れいか)は、体の線が出る臙脂色のワンピースを上品に着こなしていた。
 心を許してもらうことを商売としているはずのカウンセラー像はそこにはなかった。
 強気の美人が「女の戦闘服」のような出で立ちで現れたことで、自分が何をしに来たのか一瞬忘れそうになる。
 先ほど受付してくれた男性が、御神のあとから入ってきて、沙絵の後ろに待機したようだった。 

「今日は、何を見て来てくださったんですか?」 
 虎詩子に紹介してもらったこと。 
 動画を見たこと。 
 そんなことを話していると、暗くなることで落ちたスイッチがONになっていく手応えがある。 
「やりたいことを見つけて、そのために生きることができれば、もっとエネルギーが出る生活ができるはずなんです」 
 御神は、にっこりと笑う。 
 カウンセラーに求められるようなやさしい笑顔ではない。狩人の笑顔だ。 
「沙絵さん。今、一日の中で楽しい瞬間ってある?」 
「家に帰って動画見てるとき楽しいです」 
「そう」
 御神は、手元のボードにいくつか走り書きをしたあと、顔を上げた。 
「私のあとに続いて言ってみて。 私、義務感で生きてるんです」 
「私、義務感で生きてるんです」 
「やらないといけないことばっかりで押しつぶされそう」 
「やらないといけないことばっかりで押しつぶされそう」 
「もっとがんばらなきゃ」 
「もっとがんばらなきゃ」 
「もっとできる」 
「もっと…」 
 沙絵は口を噤んだ。 
「もっとできる」とは言いたくなかった。 
 心が、「もうできない」と叫んでいた。 
「言えないでしょ。もう、がんばれないの。沙絵さんの心が悲鳴あげてるの。 
 悲鳴を無視しないであげて。 
 胸に手を当てて、悲鳴を感じてあげて。 無視してごめんねって」 
 沙絵の中で何かが切れた。 
 (この人の前で、ごまかすことは無理だ)
 沙絵の悲鳴を一瞬で見抜いた御神には、どんな虚勢も無駄だと知った。
 どこかで分かっていたのに見たくなかったことがあふれてくる。
 少し人間離れした美人は、沙絵を丸裸にする。 
 沙絵は止まらない涙を拭おうとせず、指を組んだ手を祈るように口元に当てた。 
「私、普通に生きてるだけなのに…」 
 出てくる言葉に体が震える。 
「普通の仕事してて、残業もなくて、恵まれてて」 
 ずっと隠して自覚もできなかった本音が外にこぼれる。 
 出すことに慣れない体は、震え続けて言葉を開放する。 
「恵まれてるのに、毎日毎日息切れして。いっぱいいっぱいで…みんなもっとやってるのに…私だけいっぱいいっぱいで…立ってるだけでせいいっぱいなのに…」 
「そっか」と受け止めてくれる御神を見て安心する。 
「なんで疲れるのか分からなくて、みんなが動けるんだから、私もできるって思えば思うほど身体動かなくて、なさけなくて、自分だけみっともなくて……」
 言葉が続かなくなり、御神の差し出したティッシュで目元を抑えた。
 普通に生活しているだけで疲れてしまっていることを認めたくなかった。
 何かに傷ついているのだと思いたかった。 
 化粧が取れてティッシュが醜く汚れる。 
「化粧を直さないと」と思った瞬間、急激な眠気が襲ってきた。 
「今ね、ものすごく眠いでしょう」 御神の小首を傾げた姿に罪悪感が吹き出る。
 寄り添ってくれている人を目の前に眠いだなんて、なんて失礼なやつなんだろうという情けなさに支配される。 
「すみません。せっかくの時間なのに。がんばって起きてるんですけど」 
「責めているのではないから安心して。静かで暗い場所ですぐに眠くなってしまうのはね、沙絵さんの心が限界を迎えているから。沙絵さん。手っ取り早く劇薬を試してみない?」
 悪魔と契約するときというのはきっとこんな感じに違いない。 
 感情を吐露した頭も身体も心も、現実から切り離されたように熱くて遠い。
 ぼんやりした世界で、美人が悪事をたくらむような顔をして笑っている。
 それを間近で見ながら、「はい」と沙絵は口走っていた。





3 潜入くん
 

 家永真守は、掃除用の厚手のウェットシートを手に装置の前に立つ。
 部屋の中を覆い尽くすように黒い3つのコッペパンのような形の機体が花びらのように広がり、その中心には黒い四角い機体が立っている。
 真守はニヤニヤしながら機体を軽く拭き上げていく。
 真守はこの装置が大好きで、掃除をするだけで顔がにやけてしまうのだ。 
 この装置は、黒いコッペパン型の機体の中に入って横になり、様々なコードを身体につないで使う。
 装置の中で半覚醒状態になることで、クライアントの深層心理をイメージ化し、他人が入りこむことができるという大層な代物だった。 
 本来は、バーチャルの世界を再現できるゲーム機としてテーマパークでアトラクションとして使われており、高額であることと、扱いが難しいために一般の人間が手に入れることはできない。 
 全身をカプセルで覆い、味覚聴覚視覚触覚嗅覚と運動神経まで全身の感覚をバーチャルで再現できるこの装置は、安全面を保障するため専門のアシスタントがサポートにつくことが義務づけられていた。 
 御神はこれをカウンセリングに応用し、研究データとして集めることを業務のひとつとして行っている。
 一応正式名称はあるらしいが、御神は安直に「潜入くん」と呼んでいた。 
 人が入れるカプセルは3つ。 
 クライアントと、二人の人間が入り込めるように作られたこの「潜入くん」は、最近御神のお気に入りだ。 
 今日も使うことになっているため、点検もかねて簡単に掃除をして準備する。 
 点検表を見ながら、異常が出ていないことを確認していると思わず鼻歌が出る。  
「真守!佐保さん来たわよー」 
 真守は、クローゼットの中に自主的に入って扉を閉める。 
 「潜入くん」の専門アシスタント技術者である佐保は、有能な反面「職場の人に見られたくない」という厄介な癖を抱えており、佐保がちゃんと部屋に入るまで別室で待機することを余儀なくされていた。
 ただし、仮想世界の中では、ブリキのロボットの出で立ちで登場して様々なアイテムを付与してる頼れる仲間である。 
「もういいわよー」 
 御神の声でまた「潜入くん」の点検に戻った。 
 この「潜入くん」の中で御神の肉の盾として何度か痛い目にあったとしても、佐保に拒否られていたとしても、「俺は強くなるんだ…」とつぶやきながら今日も真守は生きていた。 

 時間ぴったりに来た狩葉沙絵は、ロングヘアで落ち着いた雰囲気の女性だった。 
 初回のカウンセリングで御神の毒に当てられたようにフラフラとしていたが、その時この「潜入くん」への契約をしたらしい。
 御神は当初こそ長期契約をしている顧客から「潜入くん」の被験者を選んでいたが、徐々に新規に近いお客様から選ぶようになっていた。
 この「潜入くん」は、データを研究資料としてどこまで提出できるかで割引をしているが使うにはそこそこの値段が必要だ。 
 そして、通常のカウンセリングで外すことが難しい思い込みが激しいタイプを選ぶ。
 自分の心が悲鳴を上げていても、身体が壊れても、どうしても思い込みを外すことができない頑固な人は多い。 
 思い込みが激しいタイプは深層心理のイメージも強固なため、「潜入くん」との相性がよいのだ。 
 
 御神が最終説明をする。 
「この装置で起こったことは、沙絵さんは覚えていることができません。 
 それぐらい深いところで治療を行います。 
 データとして扱わせてもらう資料は、沙絵さんに目を通してもらい了承を取ってから使わせていただきますから安心してくださいね」 
 狩葉は、本契約にサインすると、一番左のカプセルに入り、御神が横に付き添って軽い催眠をかけた。 
 カプセルが閉じ、狩葉が半覚醒状態に落ち、イメージが構築されていく。 
 御神と真守もカプセルへ入る。 
 今回はどんな世界が待っているのだろう。

  無意識の世界は異様だ。
 真守は、自分の姿を確認する。
 はじまりはいつも同じ。
 暗闇の中に自分の姿だけが見える状態から意識が調整され、感覚が結びついていく。
 自分の姿だけくっきりと見える状態は何度体験しても楽しい。
 異世界に来た気分を味わえるからだ。
 今日はどのタイミングではじまるのか。
 ゲームは、リアルな世界でやるものではない。
 痛いし、苦しいし、無駄なことに時間がかかるし。
 「潜入くん」の世界は、ホラーともファンタジーとも分からない表題を真っ黒に塗り潰したケースから取り出したゲームのようで好きではない。
 ゲームは、自分で選んだソフトだからこそ楽しいのだ。
 けれど、楽しくもなく、好きでもなく、安全も保証されていないのに、文句しか出ないのに、出発する前ははち切れるほど期待感でわくわくしていることも事実なのだ。
 緊張で息が荒くなる。
 自分の腰ぐらいまでの「何か」が自分を追い抜いていった。 
 賑やかな声が飛び交う。
 声の方向を見る。
 闇が去り、視覚が広がる。 
 とんがり帽子を被った童話に出てきそうな小人達が、巨大な「何か」の周辺で働いている。 
 真守に目もくれずに作業をする小人達は、巨大な「何か」をロープで地面に固定するために動き回り、建築現場のようである。 
 ロープを持って足場のないでこぼこを上がっていく者。
 地面に杭を打ち付け、ロープを固定する者。 
 真守はさっきまでの集中が切れ、ここに来た目的も忘れてしばらく作業を眺めていた。
 
「真守!」 
 真守は、御神の声に姿勢を正して周囲を見渡し姿を確認した。 
 大きな水晶をはめた杖を手に、御神が仁王立ちしている。
「走れ!」 
 真守は、飛び出すように走って御神の元へたどり着く。
「乗って」促す御神の後ろに、車が用意されている。 
 きっと佐保に出してもらったのだろう。 
 道路が存在しないこの世界。 御神が車で真守を拾ってくれれば、別に走る必要がないのに、「理不尽」という言葉を飲み込んだ。 
 車は御神の愛用車であるオープンカーである。
 真守は、普段電車を使うため車に興味を持ったことはなかったが、この車は好きだった。
 現代の計算されたデザインではなく、実用性を考えないかっこよさだけを追求したクラシックな姿が真守の心に刺さるのだ。
 御神は、車を黒い草のようなもので覆われた場所に止めた。
 大きな「何か」の端になるらしい。
 御神は車から降りて、黒い草のようなものを持ち上げる。
「これ、何に見える?」
 真守は、そこでやっと理解した。
 流れるように散らばっているのは草ではない。髪の毛だ。
 よく見れば顔だけで五メートルはある巨大な狩葉が仰向けに寝ている。
 「何か」にしか見えなかった姿が「狩葉さんだ」と結びついた途端、途方もなく遠くにまで広がる全身がそこにあった。
 小人達は、せっせと狩葉を地面に縛り付けていたのだ。
 ガリバーの世界がそこにあった。

 御神は「小人を見張ってて」と言い捨てて、狩葉の巨大な耳元へ歩いていった。
「佐保さん、剣と盾お願いします」
 真守が要請すると、どこからともなくブリキのロボットがやってきて、剣と盾を支給してくれた。
 このブリキのロボットは、この世界における佐保のデジタル分身(アバター)だ。
 佐保は、外部で生体モニターの監視、仮想現実内で要求された道具の支給が主な仕事である。
 無意識が構築するどんなに理不尽な世界に放り込まれようと、御神と真守が共有できるのは、佐保さんのおかげだし、安全に現実世界に戻れるのも佐保さんのおかげだ。
 姿を見たことなくても、声を聞いたことがなくても、とても頼れる人間なのだ。(たぶん)
 真守は、盾をかざして自分と御神を守りつつ、小人達を警戒する。
 小人達の顔は、よく見ると全員が日本人の中年男性の顔をしていた。
 太っていたり、痩せていたり、短気そうだったり、優しそうだったり。
 近所にいそうなおっさん顔の三頭身が短い手足を駆使して作業を行う姿は、コミカルではあるが、ずっと見ていたいものではない。
 ただ、剣と盾を装備すると、ゲーム好きの真守のテンションは上がる。
 女性を守って剣と盾で応戦する自分に少し酔ってしまう自分がいた。
 頭部には小人達はいない。首から下をせっせと幾重にも地面に縛り付けている。
 今は作業に夢中になっている小人達だが、いつ豹変するか分からない。
 御神が投げかける言葉による心の変化で、敵になるか、消滅するか、何か未知の行動をとるかは予想がつかない。
 巨大な髪の毛に足を取られないように慎重に御神の周囲を警戒する。
 御神が耳元にたどり着き、両手で杖を持ち、地面に突き刺す。
 杖はスピーカーだと言っていた。
 より言葉が届くようにしてもらったらしい。
「沙絵さん、聞こえる?私がこれから言う言葉を口にしてみて。そして、自分を感じてみて」
 間が空いた。
 狩葉は、何かをぶつぶつと言って口を閉じた。
 巨大な口のはずなのに、声が小さくて何を言っているか分からない。
 小人も変わらず和気あいあいと作業を続けている。
 御神の言葉は届いていない。
 真守は、狩葉を見上げた。
 ここからは表情が分からない。
 頬が絶壁となり、頂上に位置している目や口まで目線が届かないのだ。
 目が開いているのかさえ分からなかった。
「沙絵さん、言ってみるだけでいいから。」
 また、何かをブツブツと言って口を閉じた。
 頬が揺れ、口が動いたことは分かった。
 注意して見ていたからか今度は言葉を聞き取ることができた。
「私は恵まれているから、ここで幸せにならないといけない。ここ以外に居場所はない。がんばらなきゃ。がんばらなきゃ。がんばらなきゃ」
 真守は、目線を小人に戻した。
 暗い現実を思い出させるつぶやきを聞き続けるより、たとえおっさん顔であろうとファンタジー臭のする小人を警戒していたかった。

「あー、会話ができないのね」 
 数回試したあと、御神が後ろの真守に向けて振り返った。 
「どうしよっか」 御神は、巨大な頬の壁を背に流麗に笑う。
 真守は、「知らねーよ」というツッコミを飲み込んだ。
 なぜ、仮想現実を使うのか。
 それは、根本原因にたどりつきやすくするためだ。
 御神の言葉の威力を増し、深層心理から影響を与えることで、揺り戻しを抑えながら変化を促す。
 深層心理の部分で御神の言葉を受け付けないなら、ここでの武器は何もない。 
 真守は盾となり、御神が言葉を武器として心の歪みに挑む。
 ここで真守が小人を倒そうが狩葉への影響は出ない。
 なぜなら、小人が悩みの原因ではないからだ。
 言葉が唯一無二の剣であるというのに、この世界でさえ聞く耳を持たない被験者にどうしろというのか。
「なんとかなるんじゃないすか」何を言ってもキレることは分かっているので、適当な言葉を放り投げた。
 「これ、ダメだわ。撤収!ちょっと外からイジってからにする」

「やりたくないって、口に出してみて」
 御神の指示に狩葉の顔が歪む。
 御神は移動の都合に合わせて五カ所ぐらいのレンタルオフィスを使い回している。
 今日は、一番かわいいテイストの部屋だ。
 木のテーブルに椅子、薄いピンクの丸いラグが敷かれている。
 テーブルを端にやって荷物を置き、仁王立ちする御神の前で、真守と狩葉は二人は木の椅子に座って向かい合う。
「目の前にいるのは、人畜無害で、ここでしか会わない人間よ。やりたくないって言ってみるだけ。安心して」
「ここで言うんですか」
「そうよ」
 狩葉は、目線をさまよわせてチラチラと真守を見る。
 女兄弟で育ち、女性の命令を察するように訓練されている真守の胃が痛む。
 この目線は、「言わなくていい理由をおまえが用意しろ」という指示だ。
 分からないふりをすればするほど、真守は恐怖で泣きたくなって歯を食いしばった。
「大丈夫。受け止めてくれるから。遊びよ。遊び。言葉を言ってみるだけ」
「具体的にやりたくないことを思い浮かべた方がいいですか?」
「どっちでもいいの。口に出すことが大事なのよ」
「やりたくないっていう言葉を真守の目を見て言ってみる。ただ、それだけでいいの」
 ひとつの言葉を口に出す。それだけ。たったそれだけのことに狩葉は躊躇している。
 人は、ごっこ遊びであろうと、無意識での禁止行動を口にすることはできない。
 ありとあらゆる方法を使い、「言わなくていい状況」を作ろうとする。
 意味がないと論破しようしたり、逆ギレしたり、泣いたりするのだ。
 まさに今の狩葉の姿そのものだった。
「今ね、沙絵さんの心は何もかもを信用していない状態なの。
 やりたくないって一言いうだけで悪いことが起きると思っているの。
 原因なんて何でもいいの。
 原因を探す癖をつけてはダメよ」
 真守は、御神がいつも諭す「原因を探さない」という考え方が好きだった。
 言葉を変え、角度を変え、いろいろな形で表現される度に励まされる。
 かつて原因を追って、「誰のせいで自分はこんな最低な奴になったのか」と考え続けた生産性のない苦い日々。
 その日々を受け入れた今はただただ愛しい。
「自分が禁止していることを見つける力をつけて、その禁止していることに挑戦する癖をつけることが大事なの。
 原因だとかトラウマだとか、考えたら負け。
 原因とかトラウマは、自然に思い浮かぶものであって特定するものではないの。
 原因とか、トラウマとか、自分で考えてしまうと禁止している言動を強める言い訳を作るだけよ。
 沙絵さんは、今、何を禁止しているのかは明白だから、禁止の呪いを解きましょう」
「そうしたら何が待ってるんですか」
「本当の意味の自由よ」
「悩みの向き合い方が分かってはじめて、本当の欲望に出会えるの。
 悩みの対処方法を癖づけない限り、自分に嘘をつき続けるわ。
 そんな状態で、欲望も生きる使命も見えないのよ」
 狩葉は涙を溜めて下を向き、二、三回瞬きすると真守に向き合った。
「やりたくない、はい、言いました。これでいいですか」
 真守は、小学生のような態度に吹き出しそうになったが、必死で顔を作ってさっきとは違う意味で歯を食いしばった。
「真守の顔を見て繰り返して。何も起こらないことを身体に刻みつけて安心が生まれるまで続けるの。
 脳は、現実と嘘の区別がつかないから、こういう単純訓練で心を安心させることが一番いいのよ」
 狩場は「やりたくない」と何度も繰り返した。
 真守は、その言葉を受け止めて小さくうなづく。
「いい調子ね。今、たくさん身体が抵抗していると思うけど、じっくり感じてあげて。
 その抵抗感を感じたくないから、人生から逃げていたの」
 狩葉は、御神の「身体を軽く叩いてあげて」というアドバイスに従って、ぽんぽんと身体を叩いた。
 よっぽど身体がつらいのだろう。息が荒い。
「やりたくない」
 棒読みで小さかった声が少しずつ人間らしくなってくる。
 そこへ御神が畳みかける。
「こんな数回じゃ、すぐには変われないかもしれない。
 しかもこれから数日間、自分を試すようにやりたくないって言わずに黙っていた方がよかったと思えることが次々と起こるわ。
 それでも変わるんだ、やりたくないことをちゃんとやりたくないって言うんだと踏ん張った人だけが次に行けるのよ」
「やりたくない。やりたくない。やりたくない……。
 私にそんなことを言える資格ありますか?
 だって、私社会人で、全然えらくなくて、下っ端で。
 言われたことを全力でやらないといけなくて。
 やりたいことはプライベートでやるべきで、やりたいことが見つかれば、休日が充実して、毎日に力が出て私らしく生きられるハズなんです」
 「やりたいことはね、やりたくないことをやめてはじめて見えてくるの。
 今、何をやりたくて何が嫌なことなのかも見えてないはずよ。
 今の状態で休日を充実させるなんて不可能よ。
 やりたくないことを目の前の真守に受け止めてもらったらほっとするでしょう。
 そのほっとする気持ちをを心でたくさん感じて記憶を刻んで。
 ほっとした気持ちを見ないようにしてしまうから、いつまでも同じところでぐるぐるするのよ」
 狩葉は、言葉を止めた。
 身体を強ばらせ、膝の上の手を握りしめ、うつむく。
 ぱたぱたと涙が落ちた。
 涙を拭わない両手は、泣きたい気持ちを外に出さないように見えるが、逆に涙を絞り出そうと力を入れているようにも見える。
 そこには、近寄りがたいものがあった。
 御神がぽんぽんと背中を叩いた。
「今日は頑張ったわね。つらかったでしょう」
 狩葉は、糸が切れたように泣いた。
 真守は、箱ティッシュを抱えて狩葉に付き添った。
 ティッシュは黒や肌色になり、ついには水分だけになって、山のように重ねされていく。
 御神は背中をずっとぽんぽんと叩きながら、狩葉に見えないようにスマホをいじっている。
 しばらくして落ち着くと、狩葉が御神に笑顔を向けた。
「なんかスッキリしました。明日からがんばれそうです」
「がんばれるわけないでしょ。
 そんなわけないの自分が一番よく分かってるでしょ。嘘つかないの。
 沙絵さんの中はね、今、ゴミだらけなの。
 断れなかった言葉とか飲み込んだ言葉が溜まってるのよ」
 狩葉が今まで見せたことのない子供っぽい不満げな顔をした。
「動けなくてやる気が出ないのはね、そのゴミの重さよ。
 自分じゃない人生を送り続けて、もう限界が来てるのよ。 
 今日やっと捨て方を知ったの。
 自分が人生をかけて溜めてきたゴミの量舐めないで。
 私は次があるからここまでだけど、真守を残していくから少し休んでから帰ってね。
 急激な眠気が出ると思うから少し横になるといいわ」
 御神は颯爽と消えていき、二人は残された。
 真守は、緊張が解けて目の焦点が合わなくなった狩葉を奥のソファに促して横になってもらう。
 狩葉の上着を乗せる。
 腕時計を確認し、スマホで十分のタイマーをかけて事務仕事を片付けることにした。
 レンタルスペースは、クライアントが寝込むことがなくすんなり帰ってくれればそのまま動画撮影に使ったりするためいつも少し長めに押さえている。
 狩葉がゆっくり休んでも延長申請はしなくてよさそうだった。
 御神は、アフターケアを真守に任せて、外で別の仕事を片付けることにしたのだろう。
 真守の仕事は、カウンセリングのサポートだけではない。
 こういったときのつなぎも立派な仕事だった。
 心の思い込みを破壊すると、人は急激な眠気に襲われる。
 あまりにもひどいようならその場で十分ほど眠ってもらうことは、変化を定着させることと安全に帰宅してもらうために必要不可欠だった。

 タイマーを止めて、狩葉を起こす。
「帰ることはできそうですか」
「できます!」
 狩葉は、口を尖らせて不機嫌そうだった。
「御神さん、冷たくないですか?」
 狩葉は、さきほどのカウンセリングで緩んだ後遺症だろうか。少し表情が豊かになっていた。
「カウンセラーなんだから、もっと優しくしてくれてもいいと思いません?
 こっちが一生懸命にあなたのサービスは素敵ですぅ明日からあなたのおかげでがんばれますぅって言ってるのに、がんばれるわけないってひどすぎません?」
「あの人に優しさ求めるのは間違ってますから」
「確かに最初からズバズバ言われましたけど!
 今日みたいな苦しいこと、何度もやらないといけないんですか?」
「潜入くん契約してるから、少ない回数で済みますよ」
 狩葉は、ますます不満げになった。
 期待していた答えではなかったようだ。
 狩葉の不満顔には癖があって、どんどん口が尖り、眉が寄ってひょっとこのような顔になる。
 女兄弟で育った真守にはなんとなく分かる。
 この顔をこのタイミングで出すということは、ぶりっこでやっているわけではなく、素でやっているのだ。
 真守は思わず吹き出していた。
「家永さん、ひどい!」
 真守は久しぶりに名字を呼ばれてドキリとする。
 この人は、アシスタントの名前もしっかり覚える本当に真面目な人なのだ。
 狩葉は、自分が発言した言葉に冷や水をかけられたように、我に返って少し沈黙した。
「ひどいなんて言ったのひさしぶりです。なんか子供に戻ったみたいで恥ずかしいですね」
 狩葉は、少し顔を赤らめて帰っていった。
 真守は、「俺の頭が漫画みたいな恋愛脳なら、今の狩葉さんを見てキュンキュンするはずなのに、何も感じない自分が悲しい。もったいない。なぜ、漫画はこういうシチュエーションにどぎまぎするのだ。世の中の漫画に出てくる女性にもれなく全員にときめくって奇跡じゃないか。俺もそういう世界に生きてみたい。女怖い。けど、リアルな現実では、ああいう顔よりチラリズムとかそういうことの方が万遍なく全員にキュンキュンするではないか」という意味のない問いかけに捕まってしばらくぼんやりしていた。



4 頃合い



 御神は、「頃合いね」と言って笑う。
「もうそろそろ潜入くんを使ってもいけると思うの」
 今日の狩葉のカウンセリングもスムーズに終わった。
 狩葉は順調に心のゴミ捨てを行っていた。
 そもそも、毎回寝込むほどやっていては変な感動癖がついてしまう。
 狩葉は、二回目、三回目と回を重ねるごとにスムーズに言えるようになっていた。
 いつものように時間を長めに取っていたレンタルスペースを有効に使うため、真守は動画の準備をはじめる。
「真守、気づいてる?沙絵さん、最近、あの人は間違ってるのにいいのかってそんなことばかり聞いてくるでしょう」
「そうでしたっけ?」
「もう、ちゃんと聞いてなさいよ。
 心のことは勉強しておいて損なんてないんだから」
 真守は、思いだそうとしたがよく分からない。
 狩葉が怒りっぽくなっていたのは確かだが、その内容までは覚えていない。
「今まで見えていなかった周囲が見えてきたってことなのよ」
 御神はたまに思いついたように、真守相手にクライアントの症状を事細かに説明することがあった。
 最初こそ真守に勉強させようとしているのだ、と思って真剣に聞いていたが、どうやらそうではないことが判明してからは聞き役に徹している。
 御神は、真守にプレゼンすることで考えがまとまるらしい。
「沙絵さんはね、今までみんな自分と同じようなルールで生きていると信じて周囲が見えていなかったの。
 でも、今、生まれてはじめて、心の底からそうでもないってことが見えてきてるの。 
 周囲は自由で、ずるくて、いい加減に生きてることに違和感と嫌悪感が出てきてるのよ。
 すっごい成長よね。
 小さな欲求も出てきてるし、私への信頼も増してるし、いいタイミングだと思わない?」
「いいんじゃないすか」
「マ・モ・ルくん。余裕ねぇ。身体の作り込みはできてる?」
 御神は意地悪な笑みを浮かべている。
 御神は、「潜入くん」の中で、肉の盾になる準備は整っているのか、と真守に問いかけているのだ。
「できてますよ。俺、努力家なんで」
 虚勢を張ったのに、御神は自分の動画の下書きに夢中になっていて聞いていなかった。
 いくら精神だけが入りこんだ世界だとはいえ、けがをしたと感じれば内出血が起きる。
 現実世界で身体を鍛え、鍛えた筋肉のイメージを自分に十分に送り込まないと「潜入くん」で貧弱な自分のままで戦うことになってしまう。
 仮想現実の世界はまだ一般的ではなく、法整備が追いついていないので、労災を申請できない。
 どこから見ても命の保障さえ危ういブラック業務だというのに、真守は内心楽しみでしょうがなかった。
 どんなに恐怖が訪れようと、どんなに身体がよく分からない痣に犯されようと、ゲームのような世界で「女性を守る騎士」として戦うという中二病心をくすぐるシチュエーションを体験させてくれる仕事がほかにはない。
 ただ、楽しみにしていることを御神に隠すことにしていた。
 楽しみにしていることがバレると、今まで以上に無茶なことを言われそうだったからだ。
「次は何が起こるかしらね」
 御神の声に真守はこっそり武者震いをした。



5 ガリバーの世界
 
 
 巨大な指の前後に広がる縛り付けられた狩葉の身体を視認して、無事に降りてこれたことを実感する。
 狩葉は手首だけが縛られていて、指は動かせるようになっていた。
 握りこぶしを作った手は小刻みに動いている。
 拘束するロープを解こうとしているらしい。
 すると、金属音のようなキーキー騒ぐ音が響いて小人達が集まってきた。
 握りこぶしの上に手際よく網を掛け、手を固定していく。
 よく見ると金属音は小人達の声だった。
 以前は、おじさんの声をしていたハズなのに、異様に高い音で会話している。
 高速再生をしているようで不気味だ。
 とんがり帽子でよく見えていなかった小人の顔が真守の目に入って真守は思わず小さな悲鳴を上げた。
 のっぺりとした顔は目も鼻もなく、口だけが穴として開いていた。
 真守は、腰が抜けそうになって膝に力を入れる。
 ホラーやパニック映画を見ているとき、顔が変わることでそんなに驚くことかな、と思っていたが、危険な世界で警戒をしながら予測ができないものに出会うということは、恐怖でしかない。
 この世界には、常識も、保障も、法律もない。
 確実なことが分からない試行錯誤の中、安心安全を維持しようとしているだけだ。
 小人達から以前のようなわきあいあいな感じはなくなり、一気に地獄の下層にいる魔物のような雰囲気になっていた。

「佐保さん、剣と盾を」
 しっかりと自分の意識が根付いて存在できたことが確認できたので装備を要求する。
 まずはこの世界の中で、「自分」をしっかりイメージできないと、装備の支給はされない。
 どこからともなく佐保のアバターであるブリキのロボットがやってきて手渡してくれた。
 剣と盾を装備して、御神と真守の二人は車に乗り込んで、耳元を目指す。
「いい感じよね」
 怯えを隠し、気合いを入れる真守の横で、御神は運転しながら明らかにウキウキしている。
「どこがですか」
「動こうとしてるじゃない。前は、自分を追い込むばっかりで動こうという欲求がなかったわ。これなら、声が届きそうね」
 真守は、自分が対峙すべき小人しか見えていなかったのに対し、クライアントをちゃんと見ている御神の言葉に少し感動してしまった。



「小人達が止めてたのって、行動じゃなく、感情だったのね!」
 ほほほ、と御神が笑った。
「読み違えたってことですよね。俺、死にかけたんですけど」
「だいじょうぶよ!無意識で死んだら、私が引き上げてあげるから」
 真守はゾッとした。
 生きよう。絶対に生きよう。今まで、「死にたい」と思っても「生きたい」と思ったことがなかった真守は、心の底から「生き残りたい」という欲望が生まれた。
 この女に、無意識を蹂躙されるのは嫌だ。 



6 流れたあと



 
「身体はどう?」
 あれから一ヶ月後。
 カウンセリングに現れた狩葉の顔はぼんやりとしている。
「身体は軽くなったんですけど、眠くてしょうがないんです。我慢できなくて帰ったら寝ちゃうんですけど、目覚めはいいんです。損してるって気持ちもないし。なんか不思議な感じです」
「今は身体と心がびっくりして調整しているところだから、様子を見ましょう」
 狩葉に装置に入ってもらった。
 御神が珍しく不安そうな顔をしていたので、前回本当にやりすぎていたのだと真守は実感した。

「何もないわね」
 そこには何もなく、草木も生えないむき出しの地面が広がっていた。
 小人も、黒いナニカも、何もない。
 二人が少し歩くと、真守の腰ほどしかない狩葉が子供の姿でぼんやりと座っていた。
 ちび狩場は、二人の顔を見て、目をぱちくりとさせている。
「こんにちは。何してるの?」
 御神は、しゃがんで問いかける。
 似合わない姿である。
「何していいか分からないの」
 その顔は一見無気力に見えたが、表情の出し方を忘れてしまったようにも見えた。
「このお兄ちゃんねぇ、女の子に逆らえない呪いを受けてるの」
 ちび狩場は、「呪い」と口にして、くすくす笑った。
 その表情はとても子供らしかった。
「ちょ、御神さん」
「ほんとのことじゃない。でね、このお兄ちゃんは、何でも言うこと聞いてくれるから、何かお願いしてみたら?呪いを確かめてみたいでしょう」
「呪い確かめてみたい!やる!」
 ちび狩葉は、顔を真っ赤にしてモジモジしながら御神に耳打ちした。
「肩車して欲しいんだって。はい、しゃがむ」
 頭を押さえて無理矢理座らされた。
「ほんとだ!呪いだね」
 どう見ても暴力のはずだが、ちび狩葉には呪いに見えるらしい。
 ずしりと重い体重がかかってちび狩葉の腕を握って立ち上がる。
「変な風に動かないで。待って!頭をつかまないで!ハゲるから!」
「ハゲ」という言葉にさらに笑い出し、興奮してバタバタとちび狩場が動く。
 御神が正面に回ってちび狩場を押さえた。
「沙絵ちゃん。この楽しさを覚えていてね」
 女神のような顔で言葉を続ける。
「沙絵ちゃんの役に立ちたい人はいっぱいいるの。いっぱいお願いして役に立たせてあげてね」
 ――そんな顔でいいところ全部持っていって、本当にずるいのだ、この人は
 ちび狩場の笑い声はいつまでも続いていた。





7「やりたくない」と叫んだあと
 
 沙絵は、少しずつ職場で「やりたくないこと」を仕分けして、上司に相談してみた。
 震えながらリストを提出する。
「なんでこれ、狩葉さんがやってるの?」
 上司は呆れた顔で言った。
 一瞬、責められたのかと身体を強ばらせたが、上司は、本当に意味が分からず当惑しているのだと説明した。
 狩葉は仕事の取捨選択の基準を根本的に間違えていたらしい。
「持ってる仕事を一緒に整理しましょう」
 上司と共にひとつひとつ整理していくと、「余裕があったらやってもいいけど、基本的にもうやらなくてよいこと」や、「担当が変わっていたのに、なぜか引き継がれてなかったこと」などがわんさかと出てきた。
「こんなに抱えてたのにもっと早く言ってよ」
と言われて「上司として把握しとけよ」という気持ちが湧いたが耐えた。
 最近、何もかも口からすぐに出そうで困る。
 上司のおかげでやることが減り、仕事をゆっくり自分のペースで取り組むことができるようになったので、帰っても疲れなくなった。
 相談するコツもつかんで仕事を抱え込まなくなったので、何もかもスムーズに流れる。
 周囲とやりとりも減らして、一人で昼ご飯を食べる日を作ることができるようになると、周囲のやさしさが素直に受け取れるようになった。
 「転職したい」という気持ちはすっかりなくなり、仕事が楽しくなってきている。
 狩葉は、新卒で就職し、会社の待遇もよく、周囲は順調な人と評価するだろう。
 そして、それは真実なのだ。

 狩葉はセッション中、目の前の御神に宣言する。
「御神さん、私、やりたいことなんてなくて、周囲が優しくしてくれれば与えられた仕事を好きになっちゃう単純なヤツなんです。だから、これから自分の欲求育てていきます」
「そうね。気になったこと、たくさん挑戦してみてね」
 狩葉の本当の人生が始まった瞬間だった。

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