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隣の席でタイムスリップした人にインタビューしてた
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「何かで記録することはダメだよ。
録画も録音もだめだ。恩師の遺言でな、それだけは断る」
ファミレスで食事を取ったあと、外の寒さを考えると出る気が失せてスマホをいじっていた私の耳に、老人の声が届いた。
四十代独身男である私の昔から唯一の趣味は公共の場で聞き耳を立てることだ。
規則でがんじがらめで何が本音か分からない職場、虚構の世界であるはずの映像の世界まで規制された現在、生身の人間の肉声をこっそり聞くと安心する。
編集されていない世界、間違いの存在する世界に触れていると、息を吹き返す自分を感じるのだ。
いつもは居酒屋で狙うのだが、飲む人間が減った昨今、居酒屋でのやりとりさえ形式ばっていることが多い。
その点、ファミレスは打合せや商談に使われることが多く、 人間達のすり合わせという現代の格闘技を見ることができる。
居酒屋でのやり取りとは違い、専門用語が飛び交うこともあり、頭を使うので疲れているとさっぱり入ってこないのだが、土曜日の昼下がり。
頭はばっちりと冴えている。
「個人情報を極力排除し、内容だけを編集して虚構という形で届けます。
私の動画を見ていただいたら分かっていただけるハズです」
「見た見た」
どうやら、若い男性の声はユーチューバーらしい。
すりガラスで見えない真横の席に座っているようだ。
声の小さいユーチューバーが自分の真横になり、向かいに座っているらしい老人の声は大きい。
何も考えずに座った席が当たりだったことに感謝して、スマホをいじっているフリをしながら聞き耳を立てた。
自分ひとりだけが観客となったステージがはじまる。
「こちらの書類に記入をお願いします。
こちらは謝礼です」
「昔は飲み代おごってもらったもんだが、今はこんな味けねぇ形になっちまうのか。
つまんねぇ世の中になったなあ」
「あなたが酒代欲しさに何度も話してくれたから、私がたどり着けたんです」
「俺もなあ、何度も話過ぎて、本当にあったことなのかよく分かんなくなっちまってるけどいいのかい?」
「いいんです。そういった話の方が私のチャンネルにはウケるんです」
男は簡単に書類の説明をし、署名を促し、謝礼を渡したようだった。
「先に言っとくけど、タイムスリッパについては、全く分からん。
何度も何度も言われたが、さっぱり理解できん。
神隠しに合って、神様が運んでくれた以上のことは分からん。
帰る方法がないことだけは理解した。
それだけだ」
「もちろんです。あなたはアインシュタイン以前の人間です。
分からなくて当然です。
時間の概念自体が私たちと違うのですから」
「そこを分かってもらえるなら、ありがたい。
何度も何度も付き合わされて、辟易してたんだ」
――スリッパにツッコめよ。
という私の願いは届かず、話は淡々と進む。
「では、確認しますね。
藤井さんは、江戸時代初期ごろからタイムスリップし、現代にたどり着いた。
警察に保護され、その後歴史学者だった藤井氏と養子縁組して戸籍を取得した」
「だからタイムスリッパはよく分からんのだって」
「失礼しました」
俺は、ユーチューバーであるはずの若い男のインタビュー姿勢が気になった。
インタビューというのは、もっと相手が気持ちよくなるよう、話やすくなるようにお膳立てするものではないだろうか。
無機質なやりとりにヒヤヒヤする。
この男は、駆け出しのユーチューバーなのだろうか。
それとも、これぐらい無機質な方が、人は正直になるというテクニックなのだろうか。
「藤井氏について教えてください」
「あの人は俺の恩師よ。
警察が俺の扱いに困ってもう定年退職してた先生に相談してくれてよ。
そのおかげで今の俺があるのよ。
あと十年早かったら論文にしたのにっていうのが先生の口癖でなあ。
俺の世話焼いてくれてなあ。
今と違って世の中もゆるかったから、今後のためにって死ぬ前に養子にしてくれて」
「藤井先生はあなたに会ってから、書籍を出していますね」
「そうそう、論文にはできそうにないけど、本にはできそうって言ってなあ。
でも全然売れなくて」
「この本ですね」
「よく見つけてきたなあ」
男は本をめくっているようだった。
「こりゃ売れねぇや。まんま論文じゃねーか。先生馬鹿だなあ」
男の声の最後は少し震えているようだった。
「よかったら差し上げます。
元からそのつもりだったので」
「あんがとな、助かる」
「藤井さんこちらの生活に一番困ったことは何ですか?」
「言葉かなあ。今はもうどんな言葉使ってたのか分からなくなっちまったけれど、最初本当に分かんなくてなあ」
「だから、藤井氏に預けられたんですね」
「そうなのよ。当時の警官が近所のえらい人ならなんでも分かるだろと思って、どこの方言か特定して欲しいって依頼したら、古い言葉だったらしくてなあ。
先生が引き取ってくれなかったら何してたかねぇ」
「何歳ごろこちらに来られたんですか?」
「元服直前になあ、十二歳ごろよ」
「え、そんなに早かったんですか。大人になってからこちらに来たと聞いていたのでびっくりしました」
「そうそう、最初二十歳で成人って聞いたときはたまげたもんよ。
そんな年齢になってからどうやって手に仕事をつけるんだろうって」
「二十歳では難しいんですか?」
「俺は五男坊で、兄者が全員元気だったから、将来は何にでもなれるようになっておかないといけないと生きて来たから余計にそう感じたのかもなあ」
「何にでもなれるっていいことではありませんか」
「今だとそうかもしれんが、侍の家だったから。
父様の世代はたくさん人が死んだけど、俺らの世代は本当に死ぬ人が少なくて。
どっかに婿入りして侍のまま生きるのか、もしかすると、職人や商人になる可能性もあった。
どこに行ってもやっていけるよう、覚悟してたなあ」
「栄養状態がよくなり、生活が豊かになって病気しにくくなったんですね」
「その栄養っていう言葉も慣れんなあ」
「なぜですか?」
「命をいただくことを無視している気がする。
家畜を〆たり、魚を釣ったり、野菜を収穫することから離れて、モノを食べている気になっているような気がしてな」
「確かに、命を食べているって聞くと、そんな残酷な表現で食べることを批判しないでくれと思います」
「変だよなあ」
「変ですか」
「変だよ」
スーパーの切り身が魚だと信じられなかった幼少期を思い出す。
確かに現代人は何かを殺した経験がない。
「普通という言葉も変だよなあ」
「変ですか」
「あれはテレビやネットがいかんよ。
昔は家の中というのは見えないものだった。
特に職人になるか商人になるか分からない俺にとっては、隣の家さえ得体の知れないものだった。
それが、共通の常識っていうやつが増えすぎた。
家の中なんて、一歩入ったらそこのしきたりに従うものだ。
武家の敷地内で失礼があったら死んでもおかしくなかった。
分からないぐらいでちょうどいいんだ」
「共通の常識があった方が楽に生きることができるのではないですか?」
「家が守ってきた伝統というのは、その一族が一番楽に生きることができる知恵だよ。同じになることが礼儀と思っている風潮になっていくのを見てきたが、最近は行き過ぎていて怖いね」
「現代と昔と一番違うことはなんですか」
「覚悟を持たなくてよくなったことかな」
「覚悟とは」
「昔は毎日が覚悟と共にあった。
命を頂く覚悟、家を守る覚悟、生きる覚悟。
昔じい様にねだって何度も聞いた話があってな」
「はい」
「武士は名乗りを上げて戦うときは、どちらが死んでも恨みっこなしという宣言なんだよ。
どっちが負けても恨みません。
死をかけて戦いしょうと」
「かっこいいですね」
「そうだろう。だから、心霊番組で取り上げるような悪霊になる武士というのは、逃げるしかなかったときにけがで死んだりしてな、戦い以外で死んだ人間なんだよ」
「なるほど」
「昔はすぐに人が死ぬから家を守るのも大変だった。
誰が家を守るのかということを常に考えて生きていた」
「家を守るという考えはもうほとんど消えているかもしれませんね」
「どんどん人に元気がなくなっていく気がしてな。
おいしいものや便利なものに囲まれてるのに、寂しいもんよな」
「昔の方が人は元気でしたか?」
「こっちに来る前、誰がいつ死ぬか分からないし、不便な分忙しいから、多少のことは笑い飛ばして、助け合って生きていた。
細かいことを気にしている余裕なんてないし、隣の人間なんて違っているのが当たり前だった。
常に覚悟を試されていた。
でも、今は病みやすい世界だなって思う」
「なぜですか」
「生きる目的を自分で見つけないといけないのはしんどいよ」
「それは…」
若い男は言葉が出なくなったようだった。
「昔はなあ、よくも悪くもある程度決まってて、親がやってること継ぐか、継げないならどうやって生きるのか世の中を知ってる親がお膳立てしてくれた。
結婚も流れがあった。
家を守らないといけないからだ。
守る家も土地もない、継ぐべき親の職業もない。
ぬるい子供時代を送って、さあ、大人の世界へ入れ。自分で職業を選べって、末恐ろしい世界だなって思うね。
あんたも苦労してるだろ」
「ぬるい子供時代ですか?」
若い男は少しむっとしたような声を出した。
「昔は歩けるようになれば子供同士で遊んだもんだ。
そこで、ほら、あの英語の…コミュニケーションを学ぶんだよ。
すぐに後輩来るからな八歳にもなれば大先輩だ。
後輩死なせないように遊ばないといけねぇ」
「そんな危ない…」
「ここのつ、とうって今も数えるだろ」
「はい」
「つがつくまでは神様のもんだからな。
それまでは子供同士で遊んで子供の世界を堪能する。
それが取れたら、もう半分大人だよ。
しかも数えでの年齢だから、今よりずっと子供だ。
仕事を仕込んでいかないと使いもんにならねぇ。
娯楽もないから、すぐ子供できるしな。
そうなると子育てがはじまる。
あの頃なら二十歳になるころにはだいたい親になってるな」
「早い…」
「避妊道具があって、娯楽にあふれてる現代で、家を守る必要ないのに、子供作るなんて馬鹿がやることだわな」
「恋愛はしてたんですか?」
「今みたいに人が自由に移動できなかったからなあ。
だいたい年頃になるまでに生き残った人間から、この人かなという流れがあって、それを親がとりもってたよ。
武家以外は子供を村全体で育てるもんだったから、誰の子かって重要じゃないらしくてな。
農村では祭りの夜とか気に入ったらすぐにまぐわえたらしくて、うらやましがってる兄者がいたなあ。
恋愛ドラマをテレビで見たけど、あれは現実なんか?
昔はもっと生々しかった。
恋愛というもんは存在しなくて、欲情しかなかったかもしれん」
「もしかして藤井さんってテレビ好きですか?」
「もう孫までいるからなあ。
孫が見てるのを横で見てたまげてな」
老人は飲み物を飲んだらしい。
少し間が空いた。
「すっかりこっちになじんだと思ってたのに、意外と覚えているもんだなあ。
君は変なことに興味を持つからいろいろ思い出しちゃったよ」
「現代の若者に言いたいことはありますか?」
「たまに別人になれって言いたいかな。
俺は、ずっと別人になる覚悟があった。
変わらないと生きていけないと知っていたから、こっちに来てから新しいことを学ぶことに抵抗がなかった。武士が商人になるのといっしょだと思った。
今の若者は正義がひとつしかない。
そして逃げ場がない。
昔は祭りやしきたりが陰鬱を飛ばしてくれていた。
そうやって逃げ場がなくなるような気分から救ってくれていた」
「昔からの生活は鬱予防だったんですか?」
「陰の気とどう付き合うかという生活の知恵だったんだよ。
農家も多かったしな。
土は陰を吸うからな。
土から離れた人間は意外ともろいんだよ。
そして、テレビやネット、会社で教えられた正解だけを追い求めて周囲と同じになろうとする。これが一番いけない。
趣味でもなんでもいい。
生きる目的を早めに見つけないと人は簡単に折れるよ。
生きる目的がみんなと同化することなんて、寂しすぎる。
与えてくれない時代に生まれたのだから、それに気づいて早く見つけることだ。
それができないなら、たまに別人になったつもりで世界を見て見ろ。
俺はたくさんの人間に不思議な話を提供することで、いろんな正義を教えてもらった。
正義が変わると今までの世界が違って見える。
それだけで、悩みが終わることがある」
「深い…」
「全部先生がそう思える基礎を作ってくれた。
その先生に有名になるとネタでお金が取れなくなるから、不思議話は録音録画はさせるなと言われたんだ。
でも、仕事も定年したし、こっちの世界の方が長いし、いつ死ぬか分からないし。
昔の記憶もおぼろげだしな。
何しろ居酒屋で相手を見つけることが難しくなった。
取材を受けてもいいかと思ったわけだ」
「それは本当にありがとうございます。
本を全部読んだ感想ですが藤井氏はあなたに会えたことを本当に感謝していたようですよ。
あなたの世話をしていると、自分の研究の答え合わせになって毎日が楽しかったようです」
「そっか、先生変態だもんなあ。今なら分かるけど、本当に楽しんでくれてたんだなあ」
そのあともしばらくインタビューは続き、キリがいいところで二人は帰っていった。 立ち上がった老人は、細身でポロシャツにチノパンという出で立ちの元気そうな姿をしていた。
対して、若い男は色白で細身で生気のない顔をしている。
二人をこっそり見送って、俺は唐突に「別人になりたかったのか」と理解した。
こうして聞き耳を立てて、別の世界を生で触れて、そうして正義を増やしてきた。
ぬるい子供時代送って、守るものもなくて、独身で気楽に生きている自分。
会社は完璧によいところではないけれど、定年までは残れそうなぐらいにはがんばれている。
今まで、生きる目的は会社が用意してくれていた。
なんでもいい。
自分のための生きる目的を作るのもいいかもしれない。
生まれ変わった気持ちでファミレスを後にした。
録画も録音もだめだ。恩師の遺言でな、それだけは断る」
ファミレスで食事を取ったあと、外の寒さを考えると出る気が失せてスマホをいじっていた私の耳に、老人の声が届いた。
四十代独身男である私の昔から唯一の趣味は公共の場で聞き耳を立てることだ。
規則でがんじがらめで何が本音か分からない職場、虚構の世界であるはずの映像の世界まで規制された現在、生身の人間の肉声をこっそり聞くと安心する。
編集されていない世界、間違いの存在する世界に触れていると、息を吹き返す自分を感じるのだ。
いつもは居酒屋で狙うのだが、飲む人間が減った昨今、居酒屋でのやりとりさえ形式ばっていることが多い。
その点、ファミレスは打合せや商談に使われることが多く、 人間達のすり合わせという現代の格闘技を見ることができる。
居酒屋でのやり取りとは違い、専門用語が飛び交うこともあり、頭を使うので疲れているとさっぱり入ってこないのだが、土曜日の昼下がり。
頭はばっちりと冴えている。
「個人情報を極力排除し、内容だけを編集して虚構という形で届けます。
私の動画を見ていただいたら分かっていただけるハズです」
「見た見た」
どうやら、若い男性の声はユーチューバーらしい。
すりガラスで見えない真横の席に座っているようだ。
声の小さいユーチューバーが自分の真横になり、向かいに座っているらしい老人の声は大きい。
何も考えずに座った席が当たりだったことに感謝して、スマホをいじっているフリをしながら聞き耳を立てた。
自分ひとりだけが観客となったステージがはじまる。
「こちらの書類に記入をお願いします。
こちらは謝礼です」
「昔は飲み代おごってもらったもんだが、今はこんな味けねぇ形になっちまうのか。
つまんねぇ世の中になったなあ」
「あなたが酒代欲しさに何度も話してくれたから、私がたどり着けたんです」
「俺もなあ、何度も話過ぎて、本当にあったことなのかよく分かんなくなっちまってるけどいいのかい?」
「いいんです。そういった話の方が私のチャンネルにはウケるんです」
男は簡単に書類の説明をし、署名を促し、謝礼を渡したようだった。
「先に言っとくけど、タイムスリッパについては、全く分からん。
何度も何度も言われたが、さっぱり理解できん。
神隠しに合って、神様が運んでくれた以上のことは分からん。
帰る方法がないことだけは理解した。
それだけだ」
「もちろんです。あなたはアインシュタイン以前の人間です。
分からなくて当然です。
時間の概念自体が私たちと違うのですから」
「そこを分かってもらえるなら、ありがたい。
何度も何度も付き合わされて、辟易してたんだ」
――スリッパにツッコめよ。
という私の願いは届かず、話は淡々と進む。
「では、確認しますね。
藤井さんは、江戸時代初期ごろからタイムスリップし、現代にたどり着いた。
警察に保護され、その後歴史学者だった藤井氏と養子縁組して戸籍を取得した」
「だからタイムスリッパはよく分からんのだって」
「失礼しました」
俺は、ユーチューバーであるはずの若い男のインタビュー姿勢が気になった。
インタビューというのは、もっと相手が気持ちよくなるよう、話やすくなるようにお膳立てするものではないだろうか。
無機質なやりとりにヒヤヒヤする。
この男は、駆け出しのユーチューバーなのだろうか。
それとも、これぐらい無機質な方が、人は正直になるというテクニックなのだろうか。
「藤井氏について教えてください」
「あの人は俺の恩師よ。
警察が俺の扱いに困ってもう定年退職してた先生に相談してくれてよ。
そのおかげで今の俺があるのよ。
あと十年早かったら論文にしたのにっていうのが先生の口癖でなあ。
俺の世話焼いてくれてなあ。
今と違って世の中もゆるかったから、今後のためにって死ぬ前に養子にしてくれて」
「藤井先生はあなたに会ってから、書籍を出していますね」
「そうそう、論文にはできそうにないけど、本にはできそうって言ってなあ。
でも全然売れなくて」
「この本ですね」
「よく見つけてきたなあ」
男は本をめくっているようだった。
「こりゃ売れねぇや。まんま論文じゃねーか。先生馬鹿だなあ」
男の声の最後は少し震えているようだった。
「よかったら差し上げます。
元からそのつもりだったので」
「あんがとな、助かる」
「藤井さんこちらの生活に一番困ったことは何ですか?」
「言葉かなあ。今はもうどんな言葉使ってたのか分からなくなっちまったけれど、最初本当に分かんなくてなあ」
「だから、藤井氏に預けられたんですね」
「そうなのよ。当時の警官が近所のえらい人ならなんでも分かるだろと思って、どこの方言か特定して欲しいって依頼したら、古い言葉だったらしくてなあ。
先生が引き取ってくれなかったら何してたかねぇ」
「何歳ごろこちらに来られたんですか?」
「元服直前になあ、十二歳ごろよ」
「え、そんなに早かったんですか。大人になってからこちらに来たと聞いていたのでびっくりしました」
「そうそう、最初二十歳で成人って聞いたときはたまげたもんよ。
そんな年齢になってからどうやって手に仕事をつけるんだろうって」
「二十歳では難しいんですか?」
「俺は五男坊で、兄者が全員元気だったから、将来は何にでもなれるようになっておかないといけないと生きて来たから余計にそう感じたのかもなあ」
「何にでもなれるっていいことではありませんか」
「今だとそうかもしれんが、侍の家だったから。
父様の世代はたくさん人が死んだけど、俺らの世代は本当に死ぬ人が少なくて。
どっかに婿入りして侍のまま生きるのか、もしかすると、職人や商人になる可能性もあった。
どこに行ってもやっていけるよう、覚悟してたなあ」
「栄養状態がよくなり、生活が豊かになって病気しにくくなったんですね」
「その栄養っていう言葉も慣れんなあ」
「なぜですか?」
「命をいただくことを無視している気がする。
家畜を〆たり、魚を釣ったり、野菜を収穫することから離れて、モノを食べている気になっているような気がしてな」
「確かに、命を食べているって聞くと、そんな残酷な表現で食べることを批判しないでくれと思います」
「変だよなあ」
「変ですか」
「変だよ」
スーパーの切り身が魚だと信じられなかった幼少期を思い出す。
確かに現代人は何かを殺した経験がない。
「普通という言葉も変だよなあ」
「変ですか」
「あれはテレビやネットがいかんよ。
昔は家の中というのは見えないものだった。
特に職人になるか商人になるか分からない俺にとっては、隣の家さえ得体の知れないものだった。
それが、共通の常識っていうやつが増えすぎた。
家の中なんて、一歩入ったらそこのしきたりに従うものだ。
武家の敷地内で失礼があったら死んでもおかしくなかった。
分からないぐらいでちょうどいいんだ」
「共通の常識があった方が楽に生きることができるのではないですか?」
「家が守ってきた伝統というのは、その一族が一番楽に生きることができる知恵だよ。同じになることが礼儀と思っている風潮になっていくのを見てきたが、最近は行き過ぎていて怖いね」
「現代と昔と一番違うことはなんですか」
「覚悟を持たなくてよくなったことかな」
「覚悟とは」
「昔は毎日が覚悟と共にあった。
命を頂く覚悟、家を守る覚悟、生きる覚悟。
昔じい様にねだって何度も聞いた話があってな」
「はい」
「武士は名乗りを上げて戦うときは、どちらが死んでも恨みっこなしという宣言なんだよ。
どっちが負けても恨みません。
死をかけて戦いしょうと」
「かっこいいですね」
「そうだろう。だから、心霊番組で取り上げるような悪霊になる武士というのは、逃げるしかなかったときにけがで死んだりしてな、戦い以外で死んだ人間なんだよ」
「なるほど」
「昔はすぐに人が死ぬから家を守るのも大変だった。
誰が家を守るのかということを常に考えて生きていた」
「家を守るという考えはもうほとんど消えているかもしれませんね」
「どんどん人に元気がなくなっていく気がしてな。
おいしいものや便利なものに囲まれてるのに、寂しいもんよな」
「昔の方が人は元気でしたか?」
「こっちに来る前、誰がいつ死ぬか分からないし、不便な分忙しいから、多少のことは笑い飛ばして、助け合って生きていた。
細かいことを気にしている余裕なんてないし、隣の人間なんて違っているのが当たり前だった。
常に覚悟を試されていた。
でも、今は病みやすい世界だなって思う」
「なぜですか」
「生きる目的を自分で見つけないといけないのはしんどいよ」
「それは…」
若い男は言葉が出なくなったようだった。
「昔はなあ、よくも悪くもある程度決まってて、親がやってること継ぐか、継げないならどうやって生きるのか世の中を知ってる親がお膳立てしてくれた。
結婚も流れがあった。
家を守らないといけないからだ。
守る家も土地もない、継ぐべき親の職業もない。
ぬるい子供時代を送って、さあ、大人の世界へ入れ。自分で職業を選べって、末恐ろしい世界だなって思うね。
あんたも苦労してるだろ」
「ぬるい子供時代ですか?」
若い男は少しむっとしたような声を出した。
「昔は歩けるようになれば子供同士で遊んだもんだ。
そこで、ほら、あの英語の…コミュニケーションを学ぶんだよ。
すぐに後輩来るからな八歳にもなれば大先輩だ。
後輩死なせないように遊ばないといけねぇ」
「そんな危ない…」
「ここのつ、とうって今も数えるだろ」
「はい」
「つがつくまでは神様のもんだからな。
それまでは子供同士で遊んで子供の世界を堪能する。
それが取れたら、もう半分大人だよ。
しかも数えでの年齢だから、今よりずっと子供だ。
仕事を仕込んでいかないと使いもんにならねぇ。
娯楽もないから、すぐ子供できるしな。
そうなると子育てがはじまる。
あの頃なら二十歳になるころにはだいたい親になってるな」
「早い…」
「避妊道具があって、娯楽にあふれてる現代で、家を守る必要ないのに、子供作るなんて馬鹿がやることだわな」
「恋愛はしてたんですか?」
「今みたいに人が自由に移動できなかったからなあ。
だいたい年頃になるまでに生き残った人間から、この人かなという流れがあって、それを親がとりもってたよ。
武家以外は子供を村全体で育てるもんだったから、誰の子かって重要じゃないらしくてな。
農村では祭りの夜とか気に入ったらすぐにまぐわえたらしくて、うらやましがってる兄者がいたなあ。
恋愛ドラマをテレビで見たけど、あれは現実なんか?
昔はもっと生々しかった。
恋愛というもんは存在しなくて、欲情しかなかったかもしれん」
「もしかして藤井さんってテレビ好きですか?」
「もう孫までいるからなあ。
孫が見てるのを横で見てたまげてな」
老人は飲み物を飲んだらしい。
少し間が空いた。
「すっかりこっちになじんだと思ってたのに、意外と覚えているもんだなあ。
君は変なことに興味を持つからいろいろ思い出しちゃったよ」
「現代の若者に言いたいことはありますか?」
「たまに別人になれって言いたいかな。
俺は、ずっと別人になる覚悟があった。
変わらないと生きていけないと知っていたから、こっちに来てから新しいことを学ぶことに抵抗がなかった。武士が商人になるのといっしょだと思った。
今の若者は正義がひとつしかない。
そして逃げ場がない。
昔は祭りやしきたりが陰鬱を飛ばしてくれていた。
そうやって逃げ場がなくなるような気分から救ってくれていた」
「昔からの生活は鬱予防だったんですか?」
「陰の気とどう付き合うかという生活の知恵だったんだよ。
農家も多かったしな。
土は陰を吸うからな。
土から離れた人間は意外ともろいんだよ。
そして、テレビやネット、会社で教えられた正解だけを追い求めて周囲と同じになろうとする。これが一番いけない。
趣味でもなんでもいい。
生きる目的を早めに見つけないと人は簡単に折れるよ。
生きる目的がみんなと同化することなんて、寂しすぎる。
与えてくれない時代に生まれたのだから、それに気づいて早く見つけることだ。
それができないなら、たまに別人になったつもりで世界を見て見ろ。
俺はたくさんの人間に不思議な話を提供することで、いろんな正義を教えてもらった。
正義が変わると今までの世界が違って見える。
それだけで、悩みが終わることがある」
「深い…」
「全部先生がそう思える基礎を作ってくれた。
その先生に有名になるとネタでお金が取れなくなるから、不思議話は録音録画はさせるなと言われたんだ。
でも、仕事も定年したし、こっちの世界の方が長いし、いつ死ぬか分からないし。
昔の記憶もおぼろげだしな。
何しろ居酒屋で相手を見つけることが難しくなった。
取材を受けてもいいかと思ったわけだ」
「それは本当にありがとうございます。
本を全部読んだ感想ですが藤井氏はあなたに会えたことを本当に感謝していたようですよ。
あなたの世話をしていると、自分の研究の答え合わせになって毎日が楽しかったようです」
「そっか、先生変態だもんなあ。今なら分かるけど、本当に楽しんでくれてたんだなあ」
そのあともしばらくインタビューは続き、キリがいいところで二人は帰っていった。 立ち上がった老人は、細身でポロシャツにチノパンという出で立ちの元気そうな姿をしていた。
対して、若い男は色白で細身で生気のない顔をしている。
二人をこっそり見送って、俺は唐突に「別人になりたかったのか」と理解した。
こうして聞き耳を立てて、別の世界を生で触れて、そうして正義を増やしてきた。
ぬるい子供時代送って、守るものもなくて、独身で気楽に生きている自分。
会社は完璧によいところではないけれど、定年までは残れそうなぐらいにはがんばれている。
今まで、生きる目的は会社が用意してくれていた。
なんでもいい。
自分のための生きる目的を作るのもいいかもしれない。
生まれ変わった気持ちでファミレスを後にした。
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