上 下
15 / 19

14

しおりを挟む
 翌日、有子とエッちゃんが、ゾフィーに給仕した後で遅めの朝食を食べていると、突如来客があった。エッちゃんが「どなたですか?」と応対しながら扉を開けると、何とそこには、昨夜の舞踏会で見た貴族の子弟の一人が、五人の従者を従え、薄ら笑いを浮かべているではないか。さすがにエッちゃんも固まってしまい、扉を閉めようとすると、従者たちが強引に扉をこじ開け、エッちゃんを強引にさらって行った。ほどなくしてゾフィーが「何事ですか!?」と叫びながら出てくるが、既にエッちゃんはさらわれた後であった。
 行商に出ていた周囲の住民の目撃情報から察するに、誘拐したのはファルコ伯爵の三男のタラキーらしい。早速、レーム子爵がファルコ伯爵邸に抗議しに行くと、タラキーは早朝から軍務で西部国境に出撃しているそうだ。もちろん、西部国境に魔術師が念を送って確認してみたが、タラキーは早朝から真面目に勤務しているそうである。
「いくら貴族で将校に任官していると言っても、陣中に誘拐してきた侍女など連れ込めば、すぐに憲兵に査問されますよ。だいたい、陣中にも魔術師ぐらいはいますから、男装の魔法をかけて兵士に見せかけていても、すぐにバレてしまいます。タラキーに犯行など無理です」
 ファルコ伯爵ははっきり言明した。レーム子爵について行ったゾフィーが聞いても、全く同感である。なら、誰かがタラキーの犯行に見せかけて誘拐したことになる。つまり、誰かがタラキーに罪を着せようとしたのだ。
(いったい誰が……? 思い当たるとしたら、ウダーイでしょうか……)
 だが、ウダーイを追求しようにも、証拠がない。エッちゃんが扉を開けて応対したのは、午前九時頃だ。貴族の屋敷が多く集まる一角なので、早朝に庶民が出歩くことも少なく、そのため行商人や屋台が出ることもあまりないので、目撃者は決して多くない。何よりもウダーイを知る者の目撃情報がないのだ。こうなると、エッちゃんが念を送ってくるのだけが頼りだが、薬で眠らされているのか、魔術師に念を送らせても、全く返事がない。
「とにかく、ウダーイの屋敷に踏み込むしかないですわ。お父様について行き、ウダーイの屋敷を家宅捜索しなければ」
「しかし、ゾフィー……。父もウダーイは大嫌いだが、あやつには皇帝陛下の庇護があることを忘れておらんか? 下手にこちらから手を出せば、我がレーム子爵家もとりつぶされかねないのだぞ。家宅捜索の前に、まずは証拠を掴まねば……」
 筋肉質だが太っている大柄なレーム子爵が、沈痛な表情で言う。
「お父様のおっしゃりたいことは、よくわかります。ですが、エイコは女の子なんですよ。下手したら、貞操の危機です。嫁入り前の侍女に何かあっては、わたくしはどうすれば良いのか……」
 ゾフィーは泣き出した。有子も気が気ではなかったが、今までいくつもの修羅場をくぐってきたので、二人よりもわりと冷静だった。まずは、自分に何ができるのか考える。
(一介の客人であるあたしにできることはないな。とにかく、ウダーイに対抗できる大物を味方につける必要がある。そんな大物といえば……)
 そこで有子はピンとひらめいた。
「クチャーイ殿下に助力をお願いしてみるのは、いかがでしょう? ウダーイとの政争の件もありますし、味方になってくれそうな気がします」
 その一言に、レーム子爵もうなずいた。
「一理あるな。早速、クチャーイ殿下のもとに馬車を飛ばせ!」
 こうして、レーム子爵一家と有子は、雑用係の三人の従者を連れて、クチャーイのもとに行くことになった。クチャーイ邸の門をくぐると、邸内は広い庭園になっていた。色とりどりの花が咲き乱れ、休憩のための小屋まである。有子が見とれている五分あまりのうちに、馬車は玄関に着いた。
「かなり広い屋敷ですね。貴族の屋敷の中でも、広いほうじゃないですか?」
「皇子たちの屋敷は、どれも広いですよ。皇帝陛下は幼少時、先帝の妾の産んだ皇子として、非常に冷遇されておられ、物質的にも恵まれなかったため、自分の子供たちを甘やかしたい放題に甘やかしてこられましたから」
 ゾフィーがため息まじりに答える。
「もっとも、そのために人民の人気はなく、人民は裏では皇帝陛下に対する不満をかかえていますが」
 有子は頭をかかえたくなった。幼少期から成人後まで、ここまで甘やかされて育ったなら、皇子たちがろくな大人にならなかったのもうなずける。
 玄関でレーム子爵が侍女に呼びかけると、侍女がクチャーイに取り次ぎに行った。ほどなくして、一行は金製品だらけの豪奢な応接間に通され、起きたばかりのクチャーイがあくびまじりに応対に出てくる。
「昨夜は舞踏会で深酒をしてしまったもので……。まだ二日酔いなので失礼。それで、レーム子爵、話とは?」
「実は……」
 レーム子爵はエッちゃん誘拐事件のことをかいつまんで話した。
「……なるほど。兄上の犯行ではないかと言いたいわけだな。素行の悪い兄上なら、やりかねないことだ。その点、僕は優しいからな。解決のため、力になるぞ」
 自分のことを優しいなんて言うあたり、有子はクチャーイが偽善者としか思えなかった。
「僕は兄上の女癖の悪さを熟知している。兄上は女とみれば、見境無く強姦しようとするからな。皇族の面汚しだ。レーム子爵もかわいそうにな。今回は僕が直々に調査するから、レーム子爵にも手伝ってもらう。まあ、調査ができるのも、僕の人徳のおかげだぞ」
 クチャーイは、自己満足しか感じさせない下卑た笑みを浮かべる。有子は嫌悪感しか持たなかったが、顔に出さないようにするのが大変だった。
(簡単にかわいそうとか言うやつなんて、全く信用できないけどな。緊急事態だから、こいつに頼る他にないけど)
「それで、兄上の行きそうな所だが、だいたい目星はついている。主にナイトクラブが多いな。兄上は大の酒好き、女好きだからな。あるいは、別荘で女をはべらせて飲んでいることも考えられる。まあ、まずは別荘をあたってみよう。皇族の家紋のついた僕の馬車なら、別荘にいる兄上の私兵も素通りさせてくれるだろうからな」
 こうして、一行は、皇族の家紋である黄金の剣の紋章をあしらったクチャーイの馬車を先頭にして、南部にあるウダーイの別荘へ急いだ。別荘へ行く道は、きちんと整地されており、馬車はあまり揺れることもなく悠々と走っていく。自分の子供に甘い皇帝は、こういうところにも、惜しげもなく金をかけているとみえる。
 そのうち、馬車は人通りの少ない田舎にさしかかり、別荘へ行く皇族や上級貴族相手の露店が見えてくる。露店は二軒あり、飲み物や軽食を売っていた。クチャーイが馬車を止めさせて、馬車から降りてくる。
「ちょうど良い。僕も馬車に乗り疲れたし、小腹もすいたし、何か腹に入れて行こう」
 もっとも、レーム子爵一家や有子としては、一刻も早くエッちゃんを探しに行きたい以上、腹が減ったなんて言っていられない状況だが、ここでクチャーイの機嫌をそこねると元も子もないので、仕方なく馬車を降りて休憩することにする。
 クチャーイは、若い女性が店頭に立っている手近な露店に立ち寄ると、コーヒーとホットサンドを買い、日よけのついたテーブルに座って食べ始めた。仕方ないので、レーム子爵とゾフィーと三人の従者たちもそれにならい、軽食を食べ始める。有子もエッちゃんのことが気が気でないので、食べていても味なんかわからなかった。
 ところが、食べ終えてしばらく休んでいると、とたんに目まいがしてきて、倒れてしまう。周囲を見回すと、ゾフィーもレーム子爵も従者たちも、皆倒れている。唯一無事なのはクチャーイだけで、一人でオロオロしているが、物陰から数人の兵士が出てきてクチャーイを包囲し、どこかへ連行して行くのが見える。そこで有子の意識は途絶えた。
しおりを挟む

処理中です...