21 / 300
第1章 彼女の言葉はわからない
禍事の予兆 1
しおりを挟む「殿下、事前連絡のない訪問は礼儀に反しますよ」
「冗談を言うにしても、もっと気の利いたことを言え」
ベンジャミンの言葉を、ティトーヴァは鼻で笑い飛ばす。
この皇宮内で、彼が事前連絡を必要とするのは皇帝だけだ。
それくらいわかっているはずなので、ベンジャミンらしくもなく、やけに面白くない冗談を言うと思って笑った。
「いや、むしろ、連絡はするな。逃げられたら、お前が追うはめになるからな」
からかいながら、廊下をスタスタと歩く。
自分でも足早になっているのが、わかった。
それほどカサンドラに会いたいのだろうか。
どうにも、そんな気がしてならない。
偏見を取りはらうと、まるで見えかたが違ってくる。
カサンドラは、ティトーヴァに気を遣わなかった。
心の裡を見透かしたうえで、痛いところを突くように「親子関係」を皮肉ってきたのだ。
カサンドラとなら本音で話せる。
その思いが、ティトーヴァを少し浮かれさせていた。
政敵も多い中、本音で話すことなど、ほとんどない。
ベンジャミンとは気楽な会話ができるが、気を遣われているのもわかる。
皇太子との立場上、しかたないと思っていても、互いに気遣いなく本音で語れる相手がほしかった。
ティトーヴァには、口喧嘩すら、してくれる者はいなかったのだ。
無関心に冷たくあしらわれても、かまいはしない。
今までは、こちらが無関心だったのだから、カサンドラに同じ態度を取られてもしかたがないと思っている。
繰り返し会い、話をしているうちに、少しは打ち解けられるだろう。
食い下がり、こちらも本音で語ると決めていた。
そう決めると、今度は驚くほどに聞きたいことが頭に浮かんでくる。
カサンドラについて、なにひとつ知らないので、知りたいことばかりだ。
どういう人物なのかを見極めるには、多くの会話が必要となるだろう。
思うと、なにやら気分がいい。
(皇命もあることだ。現状、彼女が皇太子妃となる可能性は低くない。その上、彼女は聡いからな。きっと別の角度から、俺に意見してくれるだろう。本来、皇太子妃というのは、そうした存在であるべきだ)
ティトーヴァの周りには、意見をする者もいる。
ベンジャミンも、その1人だ。
だとしても、ティトーヴァの意見を尊重しつつ、との態度は崩さない。
カサンドラなら、その垣根も取っ払ってくれそうに思えた。
「殿下、まずは、私が先にご挨拶を……」
「なにを言う。挨拶など不要だ」
カサンドラの部屋の扉は目の前だ。
まるで立ちふさがるように前に出たベンジャミンを押しのける。
なぜかはわからないが、今日のベンジャミンはおかしい、と感じた。
カサンドラに会わせたくないような態度を取っている。
「これ以上の邪魔は許さんぞ」
「……かしこまりました」
ちらっとベンジャミンを目で制してから、扉に手をかけた。
カサンドラは驚くだろうか。
嫌な顔をするかもしれない。
だが、どちらでもいいような気分だ。
ガチャと扉を開け、室内に足を踏み入れる。
が、そこで足が止まった。
室内の時間も止まっているみたいに、誰もが動かない。
「……これは……いったい……」
室内を見回しても、カサンドラの姿はなかった。
逆に、いるはずのない者の姿がある。
ディオンヌだ。
ティトーヴァには、なぜここにディオンヌがいるのか、理由がわからない。
ここはカサンドラに与えた宮であり、カサンドラの部屋だった。
にもかかわらず、カサンドラの姿はなく、代わりにディオンヌがいる。
まるで、この部屋の主であるかのように、優雅にソファに座っていた。
「どういうことだ」
知らず、低い声が出る。
場の空気が凍り付いていた。
ディオンヌは顔を引き攣らせ、周りにいた3人のメイドが、サッとうつむく。
それで、漠然と理解した。
(彼女は……ここで暮らしていない……)
混乱しつつも、結論は出している。
そのティトーヴァの前で、ディオンヌが遅ればせながら正気に戻ったらしい。
パッと立ち上がり、駆け寄ってきた。
「あのお兄様、これには事情があるのです」
「どういう事情だ。彼女は、どこにいる」
「い、今は散歩に出ておられます。私は留守を任されただけで……」
ディオンヌの嘘を、一瞬で見抜く。
言葉の端々まで「嘘」にまみれていたからだ。
ティトーヴァは、常に政敵と駆け引きをしている。
相手の嘘が見抜けないほど愚かではない。
無言で、ディオンヌの横を通り抜けた。
制止も振り切り、奥の部屋に入る。
バッと、クローゼットのドアを開いた。
多くのドレスが掛けられていたが、どれも見たことのあるものだ。
すべてディオンヌが着ていたと記憶している。
そこに、カサンドラのドレスは1着もなかった。
つまり、ここで生活をしているのは、ディオンヌなのだ。
報告書にあった贅沢三昧な数字は、カサンドラが積み上げたものではない。
「彼女は、どこだ」
母の姪との意識から、ディオンヌに甘かったのは自覚している。
なるべく望みは叶えてきたし、たいていは、ほかの者より優先させてきた。
だからといって、こんな「権限」まで与えた覚えはない。
ディオンヌは体をすくめつつも、媚びた笑みを浮かべている。
ティトーヴァは初めて、従姉妹に対し、不快感にゾッとした。
このような女だったか、と自分の目を疑う。
「お兄様、たいしたことではないのよ……あの人……カサンドラ王女が、ここでは居心地が悪いと仰って、私に譲ってくださ……」
「俺に、なんの報告もなくか? ここは、俺の婚約者専用の宮だぞ。譲れるようなものでも、受け取れるようなものでもない」
ディオンヌの視線が、ティトーヴァからベンジャミンに向いた。
救いを求めるような表情に、ハッとなる。
後ろにいたベンジャミンのほうへと振り向いた。
「知っていたのか?」
「知っておりました」
だから、止めようとしたのかと、あのおかしな行動の意味を悟る。
頭に、カッと血がのぼった。
常には理性的であろうとしているが、抑制が効かなかったのだ。
「揃いも揃って、俺を虚仮にしていたのだな」
「そうではありません」
「では、なんだ! 俺を騙し、口裏を合わせていたのだろうが!」
ベンジャミンの冷静な視線にも腹が立つ。
裏切られたとの思いに駆られていた。
「殿下が、お聞きになられなかったからです」
「なんだと?」
「カサンドラ王女が……」
「王女様と呼べ!!」
「カサンドラ王女様のことを、殿下は、1度もお聞きになりませんでした」
ベンジャミンの言うことは正しい。
カサンドラに無関心だったのは否定できなかった。
それでも、周囲の者には「報告の義務」があったはずだ。
「だから、黙っていたというのは言い訳にならない」
「あえて、ご報告するまでもないと判断しておりました」
「なぜだ? ゆくゆくは皇太子妃となる女性についての報告が無用だと?」
「それは、殿下が王女様を良く思っていらっしゃらなかったからにございます」
言われれば、その通りだった。
カサンドラに「無関心」を叩きつけられるまで、ティトーヴァは、自分の行いを振り返ったことがない。
カサンドラへの態度を、正当だと思っていた。
ベンジャミンの言うことは、正しい。
間違っていたのは、自分のほうだ。
裏切られたと感じたが、ベンジャミンは裏切っていない。
ただティトーヴァの心情に寄り添っていただけだった。
確かに、訊いてもいないのにカサンドラの報告をされても、不快になっていたに違いないのだから。
「わかった。報告の件は、もういい。だが、ここで暮らしていいのは彼女だけだ。今後は改めさせる。いいな」
「かしこまりました」
再び、ベンジャミンからディオンヌへと体を向ける。
出て行けと怒鳴りたくなるのを我慢して、口を開いた。
「彼女は、どこにいる」
ベンジャミンはともかく、ディオンヌの言葉は、到底、信じられない。
きっと、カサンドラは、ディオンヌに追い出されたのだ。
14
あなたにおすすめの小説
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。
白い結婚の行方
宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」
そう告げられたのは、まだ十二歳だった。
名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。
愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。
この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。
冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。
誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。
結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。
これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。
偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。
交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。
真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。
──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?
【完結】以上をもちまして、終了とさせていただきます
楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。
伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。
そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。
「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」
神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。
「お話はもうよろしいかしら?」
王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。
※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m
【12月末日公開終了】これは裏切りですか?
たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。
だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。
そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi(がっち)
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
死に戻り王妃はふたりの婚約者に愛される。
豆狸
恋愛
形だけの王妃だった私が死に戻ったのは魔術学院の一学年だったころ。
なんのために戻ったの? あの未来はどうやったら変わっていくの?
どうして王太子殿下の婚約者だった私が、大公殿下の婚約者に変わったの?
なろう様でも公開中です。
・1/21タイトル変更しました。旧『死に戻り王妃とふたりの婚約者』
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる