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第1章 彼女の言葉はわからない
振り返らず振り向かず 4
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皇帝の私室を出て、ティトーヴァは無言で歩き出す。
扉の前に立っていたセウテルは、その場を動かない。
同じように立っていたベンジャミンだけが、ティトーヴァを追って来る。
右斜め後方に控えつつも、声をかけてはこなかった。
ベンジャミンとは長いつきあいだ。
なにか察するところがあったのだろう。
「私室にカサンドラを待たせている。これから戻ると伝えさせろ」
「かしこまりました」
皇宮内には、それぞれの部署間で独自の通信網が敷かれている。
ベンジャミンやセウテルは、いずれの連絡機関にも割り込めるのだ。
皇太子宮にいる近衛騎士を呼べば、すぐにカサンドラに連絡できるだろう。
が、事前に、彼女にも通信機器を持たせておくべきだったと、自分の手抜かりを悔やむ。
「殿下」
「連絡はついたか」
「それが……王女様は、皇太子宮には、おいでにならなかったとのことです」
ぴた。
ティトーヴァの足が止まった。
まだ動揺から抜けきっていないため、一瞬、混乱する。
さっき聞いたばかりの、カサンドラの母の話が頭をよぎった。
誰かに攫われたのではないか。
そんな焦りが、ティトーヴァの身を包む。
カサンドラをパーティに伴ったのは、初めてのことだ。
なのに、バルコニーに1人で置き去りにした。
ディオンヌがしてきたことを考えれば、皇宮が安全だとは言えなくなっている。
(アトゥリノ……ロキティスが来ていたな……まさか……)
ディオンヌの件で、アトゥリノが強硬手段に出たのかもしれない。
皇命のため、直接には手出しできないと考えていたが、確信は持てなかった。
なぜなら、皇帝の命が、あといくばくもないからだ。
その情報が、叔父の耳に入っていないとは言い切れない。
ティトーヴァとカサンドラは、まだ婚約段階。
あくまでも婚姻予定という意味にとられる。
いくらティトーヴァが「決定事項」だと言っても、手続きがなされないうちは、カサンドラは皇太子妃と認められない。
皇帝に万が一のことがあれば、葬儀や即位の慌ただしさの中、邪魔な「婚約者」を消そうとする者がいても、おかしくはないのだ。
その筆頭が、アトゥリノの国王だと、ティトーヴァは考えている。
ティトーヴァの即位が避けられないなら、なんとしてもアトゥリノから皇太子妃を迎えさせようと画策するに違いない。
そのためなら、娘であるディオンヌも、叔父は切り捨てるだろう。
ディオンヌは失敗し、次の機会はないと、叔父もわかっている。
ほかの娘をおくる準備をしながら、カサンドラを消すつもりかもしれない。
「ロキティスは、どこだ」
「まだ祝宴会場におられます」
「奴の連れてきた騎士団員たちの動きを確認させろ……いや、皇宮内にいるすべてのアトゥリノ人が対象だ」
「かしこまりました。直ちに」
帝国建国は、現皇帝が力でもって成した。
そのため、建国直後は、被害にあった国からも、そうでない国からも、帝国への移住者が大勢いたのだ。
帝国の足元にいれば安全だと思われていたのだろう。
直轄国であるアトゥリノも例外ではなく、移住してきた者はいる。
貴族、平民、様々だ。
ティトーヴァと同じ年頃の者は2世代目であり、すっかり帝国に定着している。
しかし、アトゥリノ人であることは否定できない。
ベンジャミンは、監視室から情報を吸い上げ、誰がアトゥリノ人かを特定しているはずだ。
部下に情報共有して、アトゥリノ人らの動向を探らせている。
「アトゥリノが強硬手段に出たと、お考えなのですか?」
「わからん。だが、可能性は排除しておかねば……」
カサンドラの身に危険におよぶ可能性は、ひとつ残らず潰しておきたい。
皇帝の崩御が現実となれば、可能性は可能性でなくなる。
今のうちに、できることはやっておくべきなのだ。
少なくとも、叔父の動きは牽制しておかなければならない。
「ベンジー、カサンドラは見つからんのか?!」
「申し訳ございません。監視室の情報では、皇宮内にいらっしゃるはず……」
「はずでは意味がない! どういうことだ、それは!」
「王女様のおられる場所に部下を向かわせたのですが、そこに王女様のお姿はなく、再度、確認すると別の場所に……」
「移動しているということか?」
ベンジャミンが、即答をせずにいる。
ティトーヴァも、わずかに冷静になった。
監視室の情報は精度が高い。
とはいえ「個」を特定するという意味では、微妙な部分がある。
だからこそ、騎士という「人の目」が必要なのだ。
情報と現実の組み合わせ。
それが帝国式の監視体制の基盤となっている。
情報の管理は機械的に行ったほうが間違いが少ないし、効率もいい。
だが、情報量には限りがあるため、それを人が補うのだ。
「監視室の情報が間違っている」
「しかし、殿下、監視室に人の手を入れることは……」
ティトーヴァも、そう思ってきた。
監視室は機械的に処理をするため、恣意的な動きをしない。
人のように感情や欲によって結果を変えたりはしないのだ。
だから、絶対的に正しいもののように「指標」としてきた。
「いや、監視室の情報に誤りがあるのだ」
パッと、ティトーヴァは体を返す。
ベンジャミンが、すぐに駆け寄ってきた。
「どちらに?」
「カサンドラの家だ」
「まさか……王女様は皇宮内に……」
「その情報が正しいのであれば、なぜ見つからん? 騎士が駆けつける前に、なぜ別の場所に移動している? 彼女が走って逃げているとでも言うのか」
仮に、そうだとしても、大勢の騎士がカサンドラを探している。
その目をかいくぐるなどできるわけがない。
短時間で騎士を振り切れるほどの移動もできるわけがない。
だとすれば、答えはひとつ。
「彼女は、皇宮内にはいない」
理由はわからないが、監視室の情報が間違っている。
それをアテにしていたら、いつまで経ってもカサンドラは見つからない。
(アトゥリノ人は見張らせている。おかしな動きをしている者はいない……)
裏で動いている者がいるかもしれないため、警備を敷地全体で強化させた。
カサンドラを攫うことができたとしても、皇宮の敷地から出られはしない。
あとは、ティトーヴァ自らが、最後の可能性を潰しに行くだけだ。
(俺の言葉に、彼女はうなずいていなかった)
それは覚えている。
ただ「待っていろ」とだけ言い、あの場を去ったのだ。
握っていた手を離して。
(彼女には、俺を待つ理由がない。小屋に戻ったと考えるほうが自然だ)
自分に言い聞かせた。
危険な目に合っていると考えるより、彼女の意思で家に帰ったと考えるほうが、安心できる。
自分の言葉を無視して「待たなかった」ことに、腹立たしさもない。
むしろ、帰っていてほしいと願っている。
「カサンドラ!」
小屋に踏み込んだが、中は暗い。
背筋が冷たくなった。
室内には人気がなく、カサンドラの不在を示している。
膝から崩れそうになるのを堪え、それでも、いくつかの部屋を探し回った。
「入るぞ、カサンドラ!」
そこは、カサンドラの寝室だ。
眠っていてくれればいい、と思った。
けれど、ベッドには誰もいない。
わかっていたけれど、近づいてみる。
ベッドの上に、なにかが置いてあった。
手にした瞬間、膝が崩れる。
今度は、堪えきれなかった。
「殿下!」
物音に気づいたのだろう、ベンジャミンが走り寄ってくる。
が、ティトーヴァは茫然となっていた。
「ベンジー……彼女は……」
「しっかりなさってください、殿下! いったい、どうされたのですか?!」
「……彼女が……去った……自分の意思で……彼女は……」
カサンドラは、ティトーヴァを待ってはいなかった。
アトゥリノに攫われたのでもない。
ただ、去ったのだ。
考えなければならないことがあるはずなのに、なにも考えられない。
手にしたものが床に落ちた。
つう…と、ティトーヴァの瞳から涙がこぼれ落ちる。
すべて自分が招いたこと。
床に落ちているのは、1枚の紙きれだ。
見覚えがあった。
婚約解消届出書。
そこには、カサンドラの署名が入っていた。
扉の前に立っていたセウテルは、その場を動かない。
同じように立っていたベンジャミンだけが、ティトーヴァを追って来る。
右斜め後方に控えつつも、声をかけてはこなかった。
ベンジャミンとは長いつきあいだ。
なにか察するところがあったのだろう。
「私室にカサンドラを待たせている。これから戻ると伝えさせろ」
「かしこまりました」
皇宮内には、それぞれの部署間で独自の通信網が敷かれている。
ベンジャミンやセウテルは、いずれの連絡機関にも割り込めるのだ。
皇太子宮にいる近衛騎士を呼べば、すぐにカサンドラに連絡できるだろう。
が、事前に、彼女にも通信機器を持たせておくべきだったと、自分の手抜かりを悔やむ。
「殿下」
「連絡はついたか」
「それが……王女様は、皇太子宮には、おいでにならなかったとのことです」
ぴた。
ティトーヴァの足が止まった。
まだ動揺から抜けきっていないため、一瞬、混乱する。
さっき聞いたばかりの、カサンドラの母の話が頭をよぎった。
誰かに攫われたのではないか。
そんな焦りが、ティトーヴァの身を包む。
カサンドラをパーティに伴ったのは、初めてのことだ。
なのに、バルコニーに1人で置き去りにした。
ディオンヌがしてきたことを考えれば、皇宮が安全だとは言えなくなっている。
(アトゥリノ……ロキティスが来ていたな……まさか……)
ディオンヌの件で、アトゥリノが強硬手段に出たのかもしれない。
皇命のため、直接には手出しできないと考えていたが、確信は持てなかった。
なぜなら、皇帝の命が、あといくばくもないからだ。
その情報が、叔父の耳に入っていないとは言い切れない。
ティトーヴァとカサンドラは、まだ婚約段階。
あくまでも婚姻予定という意味にとられる。
いくらティトーヴァが「決定事項」だと言っても、手続きがなされないうちは、カサンドラは皇太子妃と認められない。
皇帝に万が一のことがあれば、葬儀や即位の慌ただしさの中、邪魔な「婚約者」を消そうとする者がいても、おかしくはないのだ。
その筆頭が、アトゥリノの国王だと、ティトーヴァは考えている。
ティトーヴァの即位が避けられないなら、なんとしてもアトゥリノから皇太子妃を迎えさせようと画策するに違いない。
そのためなら、娘であるディオンヌも、叔父は切り捨てるだろう。
ディオンヌは失敗し、次の機会はないと、叔父もわかっている。
ほかの娘をおくる準備をしながら、カサンドラを消すつもりかもしれない。
「ロキティスは、どこだ」
「まだ祝宴会場におられます」
「奴の連れてきた騎士団員たちの動きを確認させろ……いや、皇宮内にいるすべてのアトゥリノ人が対象だ」
「かしこまりました。直ちに」
帝国建国は、現皇帝が力でもって成した。
そのため、建国直後は、被害にあった国からも、そうでない国からも、帝国への移住者が大勢いたのだ。
帝国の足元にいれば安全だと思われていたのだろう。
直轄国であるアトゥリノも例外ではなく、移住してきた者はいる。
貴族、平民、様々だ。
ティトーヴァと同じ年頃の者は2世代目であり、すっかり帝国に定着している。
しかし、アトゥリノ人であることは否定できない。
ベンジャミンは、監視室から情報を吸い上げ、誰がアトゥリノ人かを特定しているはずだ。
部下に情報共有して、アトゥリノ人らの動向を探らせている。
「アトゥリノが強硬手段に出たと、お考えなのですか?」
「わからん。だが、可能性は排除しておかねば……」
カサンドラの身に危険におよぶ可能性は、ひとつ残らず潰しておきたい。
皇帝の崩御が現実となれば、可能性は可能性でなくなる。
今のうちに、できることはやっておくべきなのだ。
少なくとも、叔父の動きは牽制しておかなければならない。
「ベンジー、カサンドラは見つからんのか?!」
「申し訳ございません。監視室の情報では、皇宮内にいらっしゃるはず……」
「はずでは意味がない! どういうことだ、それは!」
「王女様のおられる場所に部下を向かわせたのですが、そこに王女様のお姿はなく、再度、確認すると別の場所に……」
「移動しているということか?」
ベンジャミンが、即答をせずにいる。
ティトーヴァも、わずかに冷静になった。
監視室の情報は精度が高い。
とはいえ「個」を特定するという意味では、微妙な部分がある。
だからこそ、騎士という「人の目」が必要なのだ。
情報と現実の組み合わせ。
それが帝国式の監視体制の基盤となっている。
情報の管理は機械的に行ったほうが間違いが少ないし、効率もいい。
だが、情報量には限りがあるため、それを人が補うのだ。
「監視室の情報が間違っている」
「しかし、殿下、監視室に人の手を入れることは……」
ティトーヴァも、そう思ってきた。
監視室は機械的に処理をするため、恣意的な動きをしない。
人のように感情や欲によって結果を変えたりはしないのだ。
だから、絶対的に正しいもののように「指標」としてきた。
「いや、監視室の情報に誤りがあるのだ」
パッと、ティトーヴァは体を返す。
ベンジャミンが、すぐに駆け寄ってきた。
「どちらに?」
「カサンドラの家だ」
「まさか……王女様は皇宮内に……」
「その情報が正しいのであれば、なぜ見つからん? 騎士が駆けつける前に、なぜ別の場所に移動している? 彼女が走って逃げているとでも言うのか」
仮に、そうだとしても、大勢の騎士がカサンドラを探している。
その目をかいくぐるなどできるわけがない。
短時間で騎士を振り切れるほどの移動もできるわけがない。
だとすれば、答えはひとつ。
「彼女は、皇宮内にはいない」
理由はわからないが、監視室の情報が間違っている。
それをアテにしていたら、いつまで経ってもカサンドラは見つからない。
(アトゥリノ人は見張らせている。おかしな動きをしている者はいない……)
裏で動いている者がいるかもしれないため、警備を敷地全体で強化させた。
カサンドラを攫うことができたとしても、皇宮の敷地から出られはしない。
あとは、ティトーヴァ自らが、最後の可能性を潰しに行くだけだ。
(俺の言葉に、彼女はうなずいていなかった)
それは覚えている。
ただ「待っていろ」とだけ言い、あの場を去ったのだ。
握っていた手を離して。
(彼女には、俺を待つ理由がない。小屋に戻ったと考えるほうが自然だ)
自分に言い聞かせた。
危険な目に合っていると考えるより、彼女の意思で家に帰ったと考えるほうが、安心できる。
自分の言葉を無視して「待たなかった」ことに、腹立たしさもない。
むしろ、帰っていてほしいと願っている。
「カサンドラ!」
小屋に踏み込んだが、中は暗い。
背筋が冷たくなった。
室内には人気がなく、カサンドラの不在を示している。
膝から崩れそうになるのを堪え、それでも、いくつかの部屋を探し回った。
「入るぞ、カサンドラ!」
そこは、カサンドラの寝室だ。
眠っていてくれればいい、と思った。
けれど、ベッドには誰もいない。
わかっていたけれど、近づいてみる。
ベッドの上に、なにかが置いてあった。
手にした瞬間、膝が崩れる。
今度は、堪えきれなかった。
「殿下!」
物音に気づいたのだろう、ベンジャミンが走り寄ってくる。
が、ティトーヴァは茫然となっていた。
「ベンジー……彼女は……」
「しっかりなさってください、殿下! いったい、どうされたのですか?!」
「……彼女が……去った……自分の意思で……彼女は……」
カサンドラは、ティトーヴァを待ってはいなかった。
アトゥリノに攫われたのでもない。
ただ、去ったのだ。
考えなければならないことがあるはずなのに、なにも考えられない。
手にしたものが床に落ちた。
つう…と、ティトーヴァの瞳から涙がこぼれ落ちる。
すべて自分が招いたこと。
床に落ちているのは、1枚の紙きれだ。
見覚えがあった。
婚約解消届出書。
そこには、カサンドラの署名が入っていた。
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