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第1章 彼女の言葉はわからない
残像の切端 2
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体が揺さぶられているのを感じる。
が、頭がはっきりしない。
ぼんやりとしている。
なにか考えなければと思うのに、思考が散り散りになってしまうのだ。
皇帝から聞かされた過去。
カサンドラの残した紙きれ。
その2つが、ティトーヴァに大きな打撃を与えている。
いろいろなことが、わからなくなっていた。
これまで挫折を知らずに生きてきたからだ。
父に背を向けられても「皇帝の子」である事実は変わらない。
愛されずとも、認められずとも、帝位の第1継承者で在り続けている。
政敵はいたが、周囲の誰もがティトーヴァを「皇太子殿下」と呼んだ。
だから、父に愛を与えてもらえないことに、ここまでのショックはなかった。
フェリシアの存在が父を冷淡にさせたのだと、カサンドラの母のせいにすることだって、できたからだ。
あの女が父をたぶらかし、母や自分を遠ざけさせただけで、母や自分に非があるわけではない。
そう自分を慰め、納得させられた。
けれど、もう「口実」はない。
誰のせいかと問えば、母と自分という答えが返ってくる。
母が愚かな真似をしなければ、父は違う態度をとっていたかもしれない。
実際、ティトーヴァが7,8歳頃まで父は父だったし、母のことも、ことさらに遠ざけてはいなかったようにも思える。
そして、自分が、もっと早くカサンドラに関心を寄せていれば、彼女との関係も異なっていた。
父のことは確信が持てないが、このことには確信が持てる。
カサンドラに捨てられたのは、自らの行いのせいだ。
カサンドラの期待を寄せてくる瞳が煩わしかった。
だが、彼女には、頼れる者が、ティトーヴァしかいなかったのだ。
ティトーヴァが「救ってくれる」と微かに期待し、信じていたのかもしれない。
たとえ、あれが演技だったとしても、その中に、わずかではあれ「真実」が含まれていた可能性はあった。
そのすべてを自分が裏切り続け、可能性をゼロにしてしまうまでは。
母親を亡くし、食欲をなくしていた彼女を、もっと気遣ってやればよかった。
ディオンヌの言葉だけを信じたりせず、彼女の言葉も聞くべきだった。
それ以前に、カサンドラを偏見で判断すべきではなかった。
ちゃんと、カサンドラ個人と向き合うべきだったのだ。
そういう、ひとつひとつが、彼女を遠ざけてしまった。
可能性をゼロにしたのも、自分自身なのだと強く感じる。
喉になにかを押し込まれたみたいに、息が苦しかった。
「殿下! しっかりなさってください、殿下!」
ベンジャミンの声が、遠くから聞こえてくる。
ぼんやりと、そっちに顔を向けた。
カサンドラは、こんな気持ちだったのだろうか、と思う。
本当のことを誰にも話せず、己の母に助けを求めることもできず。
自分自身でさえ味方ではない世界。
カサンドラは、そういう中に身を置いてきたのだ。
なのに、ティトーヴァのことだけは「信じよう」としていた。
祝宴の時、カサンドラの手を離したことを思い出す。
(あの時……手を離さずにいれば……なにかが変わっていただろうか……)
皇帝への謁見はティトーヴァしか叶わなかったとしても、近くまでカサンドラを連れて行くことはできたはずだ。
残して行くのを躊躇った自分がいたのも、記憶にある。
けれど、結局、自分から手を離した。
カサンドラを置き去りにした。
いつもいつも。
ずっと、そうしてきたように、ティトーヴァは、彼女を「捨て置いた」のだ。
カサンドラが、自分の元を去るとは思っていなかったからだろう。
ティトーヴァには、皇命に逆らうという考えはない。
絶対的なものだとの意識がある。
(しかし……それももう……)
カサンドラの意思で覆されてしまった。
彼女は、皇命などには縛られていなかったのだ。
いとも簡単に振り切り、婚約を解消している。
ティトーヴァが実行しえなかった行動だった。
「殿下……もうよろしいではありませんか」
「よい、とは……?」
「彼女は、自ら去ったのです。殿下が、ご心配なさることはございません。お心を痛めることもないのです」
「俺は……彼女に……捨てられたのだ……」
ベンジャミンの言葉は、心に響いてこない。
後悔と罪悪感が、ティトーヴァを苛んでいる。
過去に戻れるなら、せめて自分のしたことを改めたかった。
「ほんの何ヶ月か前まで、どうとも思っておられなかった相手にございます。目新しさから、いっとき惹かれることはございましょう。ですが、それは一時的なものに過ぎません」
「ベンジー……俺は……」
「いいえ、お聞きください。確かに、彼女は殿下とは違う考えを持っていました。人は自分の持たないものを持つ者に惹かれもします。しかし、そうした関係は長く続きません。結局は、同じ価値観を持つ者が最善となるのです」
ベンジャミンの言うことは正しいのかもしれない。
それでも、日々を心から「楽しい」と感じたのは、カサンドラといた時だけだ。
明日が来るのが待ち遠しくなるくらいに。
「俺が彼女に、ほんの少しでも関心を持っていれば……カサンドラの慎ましい姿も尊大な姿も……いくつもの彼女の姿を知ることができていた……」
「彼女は、2年も殿下を騙していたのですよ!」
「だから、なんだ?」
それは、自分がカサンドラを知る努力を怠ったからだ。
知ろうとしていれば、違った姿も見られたに違いない。
「時に臆病に、時に大胆に……彼女は、いくつもの顔を持っていた。それを、俺が知らずにいただけだ」
「あの日、彼女は陛下と謁見をしましたが、そのことがなければ、婚姻後も殿下を騙し続けていたかもしれないでしょう」
「そうだな……だが……それでもよかったのだ……」
母のしたことを考えれば、カサンドラが本当の自分を隠し、臆病でおどおどした演技をし続けたとしても、しかたがないと思える。
あげく、ティトーヴァがした、あの2年の仕打ち。
カサンドラが再び、ティトーヴァに期待を寄せ、信じられるようになるまでは、演技を続けるのが自らの生きるすべだと考えたとしても、責めることはできない。
だから、それでもよかったのだ。
カサンドラを守り、支えられたのは自分だけだったはずだから。
たとえ彼女が演技を続けていても、その彼女をこそ守らなければならかった。
カサンドラの信頼を得て、本来の彼女に戻れるように寄り添い、幸せにするのが自分の役目だったのだ。
自らの出自に、カサンドラがどれほど苦しんできたかを思えば。
その原因が誰であったかを考えれば。
「彼女は……俺などより、ずっと苦しい道を歩んできた……俺だけがカサンドラを救えたはずだったのだ……」
本来、親のしたことに、子が罪を負わされるのは違うと考えている。
だからこそ、ティトーヴァはカサンドラへの偏見を捨てられた。
だが、皇帝は、カサンドラもティトーヴァも憎んでいる。
謂れのない憎しみだ。
2人は、同じ境遇だった。
分かり合えたことも、分かってやれたことも多かったに違いない。
ほんの少し、自分がカサンドラとの関係を前向きに捉えられてさえいれば。
なにもかもを台無しにした。
取り返しはつかない。
「殿下、それでは、どうなさいますか? ここで膝をついていても、なにも解決はいたしません」
言われても、すべきことが思いつかなかった。
なにもかも手遅れで、カサンドラは去ってしまっている。
婚約も解消されているのだ。
ティトーヴァはカサンドラにとって、何者でもない。
「彼女に悪かったと思うのであれば、せめて謝罪なさってはいかがですか?」
「謝罪……しかし……」
「許されるかどうかは問題ではございません。殿下が詫びたいと思っておられるかどうかにございます」
ベンジャミンの言葉が、ようやくティトーヴァの心にとどいた。
体を揺らめかせながらも立ち上がる。
「俺は、彼女に謝りたい。いや、詫びねばならん」
「であれば、まずは、お会いになる必要がございますね」
「そうだな。会わなければ、詫びることもできんか」
「甚だ不本意だということは申し上げておきますが……」
ベンジャミンが、言葉とは裏腹に微笑んでいた。
自分ですら味方に成り得ないという絶望の中、たった1人の味方を見つける。
「彼女を探し、追いかけましょう。今すぐに」
ベンジャミン・サレスは、この愚か者につきあってくれる、唯一の友だった。
が、頭がはっきりしない。
ぼんやりとしている。
なにか考えなければと思うのに、思考が散り散りになってしまうのだ。
皇帝から聞かされた過去。
カサンドラの残した紙きれ。
その2つが、ティトーヴァに大きな打撃を与えている。
いろいろなことが、わからなくなっていた。
これまで挫折を知らずに生きてきたからだ。
父に背を向けられても「皇帝の子」である事実は変わらない。
愛されずとも、認められずとも、帝位の第1継承者で在り続けている。
政敵はいたが、周囲の誰もがティトーヴァを「皇太子殿下」と呼んだ。
だから、父に愛を与えてもらえないことに、ここまでのショックはなかった。
フェリシアの存在が父を冷淡にさせたのだと、カサンドラの母のせいにすることだって、できたからだ。
あの女が父をたぶらかし、母や自分を遠ざけさせただけで、母や自分に非があるわけではない。
そう自分を慰め、納得させられた。
けれど、もう「口実」はない。
誰のせいかと問えば、母と自分という答えが返ってくる。
母が愚かな真似をしなければ、父は違う態度をとっていたかもしれない。
実際、ティトーヴァが7,8歳頃まで父は父だったし、母のことも、ことさらに遠ざけてはいなかったようにも思える。
そして、自分が、もっと早くカサンドラに関心を寄せていれば、彼女との関係も異なっていた。
父のことは確信が持てないが、このことには確信が持てる。
カサンドラに捨てられたのは、自らの行いのせいだ。
カサンドラの期待を寄せてくる瞳が煩わしかった。
だが、彼女には、頼れる者が、ティトーヴァしかいなかったのだ。
ティトーヴァが「救ってくれる」と微かに期待し、信じていたのかもしれない。
たとえ、あれが演技だったとしても、その中に、わずかではあれ「真実」が含まれていた可能性はあった。
そのすべてを自分が裏切り続け、可能性をゼロにしてしまうまでは。
母親を亡くし、食欲をなくしていた彼女を、もっと気遣ってやればよかった。
ディオンヌの言葉だけを信じたりせず、彼女の言葉も聞くべきだった。
それ以前に、カサンドラを偏見で判断すべきではなかった。
ちゃんと、カサンドラ個人と向き合うべきだったのだ。
そういう、ひとつひとつが、彼女を遠ざけてしまった。
可能性をゼロにしたのも、自分自身なのだと強く感じる。
喉になにかを押し込まれたみたいに、息が苦しかった。
「殿下! しっかりなさってください、殿下!」
ベンジャミンの声が、遠くから聞こえてくる。
ぼんやりと、そっちに顔を向けた。
カサンドラは、こんな気持ちだったのだろうか、と思う。
本当のことを誰にも話せず、己の母に助けを求めることもできず。
自分自身でさえ味方ではない世界。
カサンドラは、そういう中に身を置いてきたのだ。
なのに、ティトーヴァのことだけは「信じよう」としていた。
祝宴の時、カサンドラの手を離したことを思い出す。
(あの時……手を離さずにいれば……なにかが変わっていただろうか……)
皇帝への謁見はティトーヴァしか叶わなかったとしても、近くまでカサンドラを連れて行くことはできたはずだ。
残して行くのを躊躇った自分がいたのも、記憶にある。
けれど、結局、自分から手を離した。
カサンドラを置き去りにした。
いつもいつも。
ずっと、そうしてきたように、ティトーヴァは、彼女を「捨て置いた」のだ。
カサンドラが、自分の元を去るとは思っていなかったからだろう。
ティトーヴァには、皇命に逆らうという考えはない。
絶対的なものだとの意識がある。
(しかし……それももう……)
カサンドラの意思で覆されてしまった。
彼女は、皇命などには縛られていなかったのだ。
いとも簡単に振り切り、婚約を解消している。
ティトーヴァが実行しえなかった行動だった。
「殿下……もうよろしいではありませんか」
「よい、とは……?」
「彼女は、自ら去ったのです。殿下が、ご心配なさることはございません。お心を痛めることもないのです」
「俺は……彼女に……捨てられたのだ……」
ベンジャミンの言葉は、心に響いてこない。
後悔と罪悪感が、ティトーヴァを苛んでいる。
過去に戻れるなら、せめて自分のしたことを改めたかった。
「ほんの何ヶ月か前まで、どうとも思っておられなかった相手にございます。目新しさから、いっとき惹かれることはございましょう。ですが、それは一時的なものに過ぎません」
「ベンジー……俺は……」
「いいえ、お聞きください。確かに、彼女は殿下とは違う考えを持っていました。人は自分の持たないものを持つ者に惹かれもします。しかし、そうした関係は長く続きません。結局は、同じ価値観を持つ者が最善となるのです」
ベンジャミンの言うことは正しいのかもしれない。
それでも、日々を心から「楽しい」と感じたのは、カサンドラといた時だけだ。
明日が来るのが待ち遠しくなるくらいに。
「俺が彼女に、ほんの少しでも関心を持っていれば……カサンドラの慎ましい姿も尊大な姿も……いくつもの彼女の姿を知ることができていた……」
「彼女は、2年も殿下を騙していたのですよ!」
「だから、なんだ?」
それは、自分がカサンドラを知る努力を怠ったからだ。
知ろうとしていれば、違った姿も見られたに違いない。
「時に臆病に、時に大胆に……彼女は、いくつもの顔を持っていた。それを、俺が知らずにいただけだ」
「あの日、彼女は陛下と謁見をしましたが、そのことがなければ、婚姻後も殿下を騙し続けていたかもしれないでしょう」
「そうだな……だが……それでもよかったのだ……」
母のしたことを考えれば、カサンドラが本当の自分を隠し、臆病でおどおどした演技をし続けたとしても、しかたがないと思える。
あげく、ティトーヴァがした、あの2年の仕打ち。
カサンドラが再び、ティトーヴァに期待を寄せ、信じられるようになるまでは、演技を続けるのが自らの生きるすべだと考えたとしても、責めることはできない。
だから、それでもよかったのだ。
カサンドラを守り、支えられたのは自分だけだったはずだから。
たとえ彼女が演技を続けていても、その彼女をこそ守らなければならかった。
カサンドラの信頼を得て、本来の彼女に戻れるように寄り添い、幸せにするのが自分の役目だったのだ。
自らの出自に、カサンドラがどれほど苦しんできたかを思えば。
その原因が誰であったかを考えれば。
「彼女は……俺などより、ずっと苦しい道を歩んできた……俺だけがカサンドラを救えたはずだったのだ……」
本来、親のしたことに、子が罪を負わされるのは違うと考えている。
だからこそ、ティトーヴァはカサンドラへの偏見を捨てられた。
だが、皇帝は、カサンドラもティトーヴァも憎んでいる。
謂れのない憎しみだ。
2人は、同じ境遇だった。
分かり合えたことも、分かってやれたことも多かったに違いない。
ほんの少し、自分がカサンドラとの関係を前向きに捉えられてさえいれば。
なにもかもを台無しにした。
取り返しはつかない。
「殿下、それでは、どうなさいますか? ここで膝をついていても、なにも解決はいたしません」
言われても、すべきことが思いつかなかった。
なにもかも手遅れで、カサンドラは去ってしまっている。
婚約も解消されているのだ。
ティトーヴァはカサンドラにとって、何者でもない。
「彼女に悪かったと思うのであれば、せめて謝罪なさってはいかがですか?」
「謝罪……しかし……」
「許されるかどうかは問題ではございません。殿下が詫びたいと思っておられるかどうかにございます」
ベンジャミンの言葉が、ようやくティトーヴァの心にとどいた。
体を揺らめかせながらも立ち上がる。
「俺は、彼女に謝りたい。いや、詫びねばならん」
「であれば、まずは、お会いになる必要がございますね」
「そうだな。会わなければ、詫びることもできんか」
「甚だ不本意だということは申し上げておきますが……」
ベンジャミンが、言葉とは裏腹に微笑んでいた。
自分ですら味方に成り得ないという絶望の中、たった1人の味方を見つける。
「彼女を探し、追いかけましょう。今すぐに」
ベンジャミン・サレスは、この愚か者につきあってくれる、唯一の友だった。
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