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第1章 彼女の言葉はわからない
肩の荷は増すばかり 3
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ティトーヴァは、隠し通路から森に出たところで、辺りを見回す。
鬱蒼と木々が立ち並び、視界が悪い。
だが、冬場のため、ほとんど葉が落ちているのが幸いだ。
地面が渇いていても湿っていても、足跡が残り易い。
降り積もった落ち葉に、なんらかの痕跡が残っているだろう。
「殿下、2人分の足跡がございます」
ベンジーの呼びかけにより、その方向に向かって歩き出す。
ティトーヴァと一緒にいるのは、ベンジャミンと部下の十人程度。
あとは、森狩りに集中させていた。
ここまでする必要があるかどうかについては、逡巡がなくはない。
それでも、このままカサンドラを行かせたくないのだ。
彼女が自分から逃げているのだと知っていても、追わずにいられなかった。
足跡を辿りながら、様々、考える。
(彼女が嫌だと言うなら、宮に縛ることはない。俺は、まだ皇太子の身……父上が存命中に、カサンドラと一緒に諸国を回ることもできる)
カサンドラを捕まえたら、訊きたいことがあった。
訊かなくても分かる気もするが、彼女の口から聞きたいのだ。
なにが嫌だったのか。
宮での生活か、自分との婚約か。
皇帝に言われた「なにか」なのか。
周囲との関係も良いとは言えなかっただろうし。
カサンドラが「嫌だ」と思うすべてを払拭できれば、お互いの関係を変えられるだろうか。
たちまち婚約者に戻ってくれるとは、ティトーヴァも考えていない。
ただ、今度こそ真摯に向き合うと決めている。
母のおかした罪を詫び、自分のしでかしたことについての贖罪もするのだ。
彼女が帝都にいたくないのなら、近隣諸国を回る旅に出てもいい。
一緒にいることを許してもらえるとは限らないが、ともに日々を過ごしたかった。
仮に、許されなかったとしても、連絡が取れる状態にしてくれるのなら、それでしのげる。
時間がかかるのはしかたがないことなのだ。
それでも、連絡を取り合ってさえいれば、希望が持てる気がしている。
いつかカサンドラが帝都に戻り、自分の隣に立ってくれる日がくると。
(自分を嫌っている女を、追いかけることになるとはな)
半年前までは、考えられなかった。
想像もしていなかった自分を、ティトーヴァは自嘲する。
婚姻自体、ティトーヴァには、政治的なひとつの要素でしかなかったのだ。
とくにカサンドラでなければならない理由もなく。
(皇命以外、彼女を優先する利はなかった。デルーニャの王女と言っても、所詮、あの国は日和見なのだから、縁を強めたところで無意味だ。アトゥリノは叔父上が邪魔……となれば、本来は、帝国本土にある貴族家から妃を迎えるのが順当だった……しかし……)
ティトーヴァは、カサンドラが皇太子妃として隣にいる姿を思い描いてしまった。
自分の傍にいるのが、彼女であることを望んでいる。
たとえ、わずかな「利」さえなくても。
ただ、楽しかったのだ。
生まれて初めて「会話」を楽しいと感じた。
皇太子となってから、気楽に会話をしている時も、いつも頭の隅で「間違ってはならない」との意識は持っている。
危うい板の上で、足を取られないよう、板を踏みぬかないよう注意しているのと似た感覚だ。
そういうものが、カサンドラとの会話にはない。
むしろ「間違えてもいい」と思えた。
カサンドラは、なんの気遣いもなく平気で「間違っている」と指摘するからだ。
平然と「あんたが悪い」などと言う。
きれいに整えられた道を、ティトーヴァは歩んで来た。
でこぼこの道で転ぶことがあるとは知らずにいた。
カサンドラとの会話で、何度も転び、気づいたのだ。
けれど、転んだティトーヴァを、カサンドラは待っていてくれた気もする。
けして手を差し伸べてくれはしなかったし、あらかじめ「穴」があるとも教えてくれなかったけれど。
(俺と話すのが嫌だったのは確かだが、無視されることはなかった。ずっと黙っていれば、会話は成立しなかっただろうに)
おざなりな相槌や、適当な受け答えもあった。
だとしても、無言を貫かれたことはない。
なにかしら「言葉」は返ってきている。
だから、待っていてくれたと感じるのかもしれない。
「ここで、2手に分かれたようです」
ベンジャミンがしゃがみこみ、踏み跡を眺めていた。
ティトーヴァは立ったまま、同じ場所に視線を向ける。
右に向かっている小さい踏み跡は、カサンドラのものだろう。
左は、あの従僕のものだと想定はできた。
「なぜ2手に分かれたのだろうな」
フィッツという従僕は、カサンドラに忠実だ。
見捨てて逃げる選択など、絶対にしない。
仮に、カサンドラに促されたとしても、拒否しただろう。
主の言うなりになるような者ではないと、判断している。
「森狩りへの対処ではないでしょうか」
「俺たちが追っているのは、カサンドラだ。それは、奴もわかっている」
「彼が道を作り、あとから王女様が合流されるのでは?」
それは有り得る、と思った。
カサンドラを守りながらだと、追いつかれるのも時間の問題だ。
ならば、カサンドラを別方向に逃がし、その間に脱出可能な道を作っておく。
合流先を決めておき、カサンドラは迂回しつつ、そこに向かう。
筋は通っているし、あの従僕の考えそうなことでもあった。
森狩りをしている騎士たちの、どこか一角を崩せば道は開かれる。
騎士たちは、2,30人ほどの小隊で動いているが、その程度の人数なら簡単に制圧できるに違いない。
「どちらに向かいますか? この踏み跡からすると、それほど時間は経っていないようです」
カサンドラは女だ。
逃げ足が速くても、たかがしれている。
従僕と合流するため迂回をするとすれば、なおさら追いつき易い。
もとより、ティトーヴァが追っているのはカサンドラなのだ。
「カサンドラの……」
後を追うと言いかけて、言葉を止める。
なにか釈然としない。
理屈というより、直観のようなもので引っかかっていた。
カサンドラを追うことで、彼女が遠ざかっていくような気持ちになるのだ。
「……こちらに進もうかと思う」
「ですが、殿下、そちらは彼の……」
「なにか奇妙に思えてならん。2手に分かれたことも……」
眉をひそめ、ティトーヴァは男の踏み跡を見つめる。
その目が見開かれた。
釈然としなかった理由がわかったのだ。
「やはり、こちらが正解だ、ベンジー」
言って、歩き出す。
ベンジャミンが、すぐに先に立った。
後ろからは騎士たちがついて来る。
「なぜ、こちらだと?」
「踏み跡が、わずかに深い」
つまり、あの従僕は1人ではない、ということ。
誰かを「かかえて」いる。
そのせいで、踏み跡が深くなっているのだ。
「では……第3の人物が……」
「いるのだろう。2人を助けている者がいる」
誰かは知らないが「囮」をしている者がいた。
しかも、女だ。
カサンドラを追っている者は、みんな、「女の跡」を追う。
あえて踏み跡を残して、ティトーヴァや森狩りの騎士たちを、誘導しているのは間違いない。
「森狩りをしている者たちには伝えないほうがよろしいですね?」
「そうだ、ベンジー。そのままにしておけ」
「我々が気づいていると悟らせれば、彼は手を変えてくるでしょう」
「厄介だからな、あの者は」
しばらく追ったところで、ティトーヴァは立ち止った。
後ろにいた騎士たちに合図をして、その場に留まらせる。
ティトーヴァとベンジャミンだけなら気配を消せるからだ。
いくら精鋭でも、十人単位で動けば気取られる恐れがあった。
「……ここで足跡が途切れているな」
「この辺りに潜んでいるのではないでしょうか」
ベンジャミンに、うなずいてみせる。
男の気配は感じない。
だが、人の気配がする。
カサンドラは「気配を殺す」ことができないのだ。
(彼女が怯えるとは思わんが……嫌な顔はされるだろう)
どうやって声をかけようか。
そう思った時だ。
どんっ!!
大きな音が森に響き渡る。
地面にも、わずかだが揺れを感じた。
音のした方角を、反射的に振り返る。
遠くで、白い煙が立ち昇っているのが見えた。
鬱蒼と木々が立ち並び、視界が悪い。
だが、冬場のため、ほとんど葉が落ちているのが幸いだ。
地面が渇いていても湿っていても、足跡が残り易い。
降り積もった落ち葉に、なんらかの痕跡が残っているだろう。
「殿下、2人分の足跡がございます」
ベンジーの呼びかけにより、その方向に向かって歩き出す。
ティトーヴァと一緒にいるのは、ベンジャミンと部下の十人程度。
あとは、森狩りに集中させていた。
ここまでする必要があるかどうかについては、逡巡がなくはない。
それでも、このままカサンドラを行かせたくないのだ。
彼女が自分から逃げているのだと知っていても、追わずにいられなかった。
足跡を辿りながら、様々、考える。
(彼女が嫌だと言うなら、宮に縛ることはない。俺は、まだ皇太子の身……父上が存命中に、カサンドラと一緒に諸国を回ることもできる)
カサンドラを捕まえたら、訊きたいことがあった。
訊かなくても分かる気もするが、彼女の口から聞きたいのだ。
なにが嫌だったのか。
宮での生活か、自分との婚約か。
皇帝に言われた「なにか」なのか。
周囲との関係も良いとは言えなかっただろうし。
カサンドラが「嫌だ」と思うすべてを払拭できれば、お互いの関係を変えられるだろうか。
たちまち婚約者に戻ってくれるとは、ティトーヴァも考えていない。
ただ、今度こそ真摯に向き合うと決めている。
母のおかした罪を詫び、自分のしでかしたことについての贖罪もするのだ。
彼女が帝都にいたくないのなら、近隣諸国を回る旅に出てもいい。
一緒にいることを許してもらえるとは限らないが、ともに日々を過ごしたかった。
仮に、許されなかったとしても、連絡が取れる状態にしてくれるのなら、それでしのげる。
時間がかかるのはしかたがないことなのだ。
それでも、連絡を取り合ってさえいれば、希望が持てる気がしている。
いつかカサンドラが帝都に戻り、自分の隣に立ってくれる日がくると。
(自分を嫌っている女を、追いかけることになるとはな)
半年前までは、考えられなかった。
想像もしていなかった自分を、ティトーヴァは自嘲する。
婚姻自体、ティトーヴァには、政治的なひとつの要素でしかなかったのだ。
とくにカサンドラでなければならない理由もなく。
(皇命以外、彼女を優先する利はなかった。デルーニャの王女と言っても、所詮、あの国は日和見なのだから、縁を強めたところで無意味だ。アトゥリノは叔父上が邪魔……となれば、本来は、帝国本土にある貴族家から妃を迎えるのが順当だった……しかし……)
ティトーヴァは、カサンドラが皇太子妃として隣にいる姿を思い描いてしまった。
自分の傍にいるのが、彼女であることを望んでいる。
たとえ、わずかな「利」さえなくても。
ただ、楽しかったのだ。
生まれて初めて「会話」を楽しいと感じた。
皇太子となってから、気楽に会話をしている時も、いつも頭の隅で「間違ってはならない」との意識は持っている。
危うい板の上で、足を取られないよう、板を踏みぬかないよう注意しているのと似た感覚だ。
そういうものが、カサンドラとの会話にはない。
むしろ「間違えてもいい」と思えた。
カサンドラは、なんの気遣いもなく平気で「間違っている」と指摘するからだ。
平然と「あんたが悪い」などと言う。
きれいに整えられた道を、ティトーヴァは歩んで来た。
でこぼこの道で転ぶことがあるとは知らずにいた。
カサンドラとの会話で、何度も転び、気づいたのだ。
けれど、転んだティトーヴァを、カサンドラは待っていてくれた気もする。
けして手を差し伸べてくれはしなかったし、あらかじめ「穴」があるとも教えてくれなかったけれど。
(俺と話すのが嫌だったのは確かだが、無視されることはなかった。ずっと黙っていれば、会話は成立しなかっただろうに)
おざなりな相槌や、適当な受け答えもあった。
だとしても、無言を貫かれたことはない。
なにかしら「言葉」は返ってきている。
だから、待っていてくれたと感じるのかもしれない。
「ここで、2手に分かれたようです」
ベンジャミンがしゃがみこみ、踏み跡を眺めていた。
ティトーヴァは立ったまま、同じ場所に視線を向ける。
右に向かっている小さい踏み跡は、カサンドラのものだろう。
左は、あの従僕のものだと想定はできた。
「なぜ2手に分かれたのだろうな」
フィッツという従僕は、カサンドラに忠実だ。
見捨てて逃げる選択など、絶対にしない。
仮に、カサンドラに促されたとしても、拒否しただろう。
主の言うなりになるような者ではないと、判断している。
「森狩りへの対処ではないでしょうか」
「俺たちが追っているのは、カサンドラだ。それは、奴もわかっている」
「彼が道を作り、あとから王女様が合流されるのでは?」
それは有り得る、と思った。
カサンドラを守りながらだと、追いつかれるのも時間の問題だ。
ならば、カサンドラを別方向に逃がし、その間に脱出可能な道を作っておく。
合流先を決めておき、カサンドラは迂回しつつ、そこに向かう。
筋は通っているし、あの従僕の考えそうなことでもあった。
森狩りをしている騎士たちの、どこか一角を崩せば道は開かれる。
騎士たちは、2,30人ほどの小隊で動いているが、その程度の人数なら簡単に制圧できるに違いない。
「どちらに向かいますか? この踏み跡からすると、それほど時間は経っていないようです」
カサンドラは女だ。
逃げ足が速くても、たかがしれている。
従僕と合流するため迂回をするとすれば、なおさら追いつき易い。
もとより、ティトーヴァが追っているのはカサンドラなのだ。
「カサンドラの……」
後を追うと言いかけて、言葉を止める。
なにか釈然としない。
理屈というより、直観のようなもので引っかかっていた。
カサンドラを追うことで、彼女が遠ざかっていくような気持ちになるのだ。
「……こちらに進もうかと思う」
「ですが、殿下、そちらは彼の……」
「なにか奇妙に思えてならん。2手に分かれたことも……」
眉をひそめ、ティトーヴァは男の踏み跡を見つめる。
その目が見開かれた。
釈然としなかった理由がわかったのだ。
「やはり、こちらが正解だ、ベンジー」
言って、歩き出す。
ベンジャミンが、すぐに先に立った。
後ろからは騎士たちがついて来る。
「なぜ、こちらだと?」
「踏み跡が、わずかに深い」
つまり、あの従僕は1人ではない、ということ。
誰かを「かかえて」いる。
そのせいで、踏み跡が深くなっているのだ。
「では……第3の人物が……」
「いるのだろう。2人を助けている者がいる」
誰かは知らないが「囮」をしている者がいた。
しかも、女だ。
カサンドラを追っている者は、みんな、「女の跡」を追う。
あえて踏み跡を残して、ティトーヴァや森狩りの騎士たちを、誘導しているのは間違いない。
「森狩りをしている者たちには伝えないほうがよろしいですね?」
「そうだ、ベンジー。そのままにしておけ」
「我々が気づいていると悟らせれば、彼は手を変えてくるでしょう」
「厄介だからな、あの者は」
しばらく追ったところで、ティトーヴァは立ち止った。
後ろにいた騎士たちに合図をして、その場に留まらせる。
ティトーヴァとベンジャミンだけなら気配を消せるからだ。
いくら精鋭でも、十人単位で動けば気取られる恐れがあった。
「……ここで足跡が途切れているな」
「この辺りに潜んでいるのではないでしょうか」
ベンジャミンに、うなずいてみせる。
男の気配は感じない。
だが、人の気配がする。
カサンドラは「気配を殺す」ことができないのだ。
(彼女が怯えるとは思わんが……嫌な顔はされるだろう)
どうやって声をかけようか。
そう思った時だ。
どんっ!!
大きな音が森に響き渡る。
地面にも、わずかだが揺れを感じた。
音のした方角を、反射的に振り返る。
遠くで、白い煙が立ち昇っているのが見えた。
応援ありがとうございます!
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