いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

三角の折目 1

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「まだ、ここは帝国内?」
 
 フィッツは、遠くを見ているカサンドラの視線の先を追った。
 狩猟地の森を抜け、崖を降りたところだ。
 目の前には、拓けた土地が広がっている。
 砂しかないのだから、当然だった。
 
「帝国内ですが、人は住んでいません。この先には、リュドサイオの属国ザフイがあります。検問所をけ、岩場から入れば問題ないでしょう」
「フィッツ」
「はい、姫様」
「このまま進むわけ?」
 
 問いに、首をかしげる。
 このまま進む以外に、なにか別のルートがあるのだろうか。
 リュドサイオに抜けることは事前の打ち合わせ通りだ。
 けれど、カサンドラが別の道を行きたいのなら、予定を変更する必要がある。
 
「あ、いや、違う。リュドサイオに抜けるってのはいいんだよ。ザフイだっけ? その国に入るのも問題ない」
「では、なにが問……アイシャですか? 彼女のことはお気になさらず。あと3分待って合流できなければ放って行くまでですよ」
「え? 3分て……もう少し待ってあげてもいいんじゃない?」
「いえ、予定通りなら3分でも長いくらいです。合流できないということは、それ相応の理由ができたと判断できますので」
 
 捕らえられたか、怪我で動けなくなっているか。
 それとも。
 
 死んでいるか。
 
 いずれにせよ、待っても無駄だ。
 危険が増すとわかっていて、ここに長居はできない。
 そう判断して、それでもフィッツなりに妥協しての「3分」だった。
 カサンドラの願いであっても、彼女自身の命を守るためにこそ、譲れない。
 
 アイシャとて自らの役目はわかっているはずだ。
 アイシャのためにカサンドラの命が脅かされるのを、望まないとわかっていた。
 なので、放って行くことに躊躇ためらいはない。
 
「フィッツは言うこと聞いてくれるようでいて、聞いてくれないからなぁ」
「お聞きできることは聞いています」
「わかってるよ。フィッツが可愛くないのはさ」
「それは……しかたありませんね」
 
 自分の外見は「整っている」と教えられている。
 自覚はないが、一般的な男より見栄えはするのだろう。
 が、しかし、それは男という範疇の中でのことだ。
 女のような「可愛らしさ」がなくても、しかたがない。
 
 フィッツは、カサンドラの言う「可愛くない」が容姿のことだとしか捉えられずにいる。
 性格や言動に対する意味だとの認識はなかった。
 自然、アイシャのほうがカサンドラにとっては「可愛い」のだと思ってしまう。
 ほんのわずか「嫌」な気分になる。
 
 ルディカーンのおかげというべきか、フィッツは「嫌」だという感覚を知った。
 似た感覚を、アイシャにもいだいている。
 なぜかはわからないが、アイシャを待たずに出発したくなっていた。
 
「ここから、岩場まで砂漠が続くんでしょ?」
「2,30キロほどになります」
「何時間くらいかかる?」
「予測では2時間少々」
「走る?」
「走ります」
 
 カサンドラは、うーんと唸りつつ、思案顔。
 砂漠は、風が足跡を消してくれる。
 とはいえ、遠目が利く場所でもあった。
 離れていても、動く影を見つけ易い。
 追っ手が迫れば、すぐに気づかれるはずだ。
 
「時間的な余裕はなさそう?」
「はい、姫様」
「早く砂漠を抜けないといけないのはわかるんだけどさ」
「はい、姫様」
 
 カサンドラが、じっとフィッツを見つめてくる。
 瞳には、フィッツには形容しがたい色が漂っていた。
 なにを考えているのか、わからない。
 もっとも彼女の考えは、理解しがたいものが多いのだが、それはともかく。
 
「フィッツは、私を抱っこしたまま、走るつもり?」
「なにも問題ありません」
 
 カサンドラの身長は163センチ、体重48キロ。
 誰に対してもだが、フィッツは正しく計測している。
 見た目だけだと、体重の正確な数値までは計測できないが、抱き上げることで、確実な数値となっていた。
 
 平たく言えば、軽い。
 
 カサンドラをかかえて走っても、本当に「なにも問題はない」のだ。
 ぶっ通しでもかまわないのだが、カサンドラのためには、途中で休息をとろうと考えている。
 
 冬であろうと、砂漠は砂漠。
 飲み水はない。
 どこかで立ち止まり、カサンドラの喉を潤す必要はある。
 
 遠くまで見渡せるものの、砂漠は真っ平ではなかった。
 ところどころに丘陵となっている場所もある。
 その裏に隠れて休むことは可能なのだ。
 もちろん長居はできないけれども。
 
「やっぱり、そのほうが速いよね」
「乗り物が用意できれば良かったのですが」
 
 カサンドラの思案している様子に、フィッツは自分の判断を見直していた。
 ルートや手段など、最短最善を取っているつもりではある。
 だとしても、カサンドラを満足させるものではないかもしれないのだ。

(姫様が、より快適に逃亡できるよう準備ができていれば……)
 
 逃亡に「快適」が必要かどうかはともかく。
 
 大きな物を動かすと、どうしても人目についてしまう。
 帝国にはホバーレのほかに、複数人で乗れるリニメアという乗り物があった。
 だが、ホバーレよりも大きく、分解して運び出すのも容易ではないのだ。
 あげく動きも遅いときては、持ち出す意味がない。
 なにしろ、リニメアに乗るより、フィッツが走ったほうが速いのだから。
 
 さりとて。
 
「申し訳ありません、姫様。私が至らないばかりに、ご不自由をおかけします」
 
 よくよく考えれば、もっと良い方法があったかもしれないと、反省する。
 直接、カサンドラの命を危険にさらすことでない限り、彼女の意思を優先するのがフィッツの務めなのだ。
 なので、カサンドラの要望を叶えられない、すなわち「役立たず」と同義。
 
「あのさぁ、フィッツ」
「はい、姫様」
「私は、楽ができていいと思ってるんだよ? ただ……抱っこされてるのが恥ずかしくてさ。人に見られるわけじゃなくてもね」
「恥ずかしいとは……なぜでしょう?」
 
 最近のカサンドラと話していると、時々、フィッツはこうなる。
 言われていることの意味がわからず、戸惑い、動揺するのだ。
 仕えている主の意図を把握しておかなければ、使命など果たせない。
 とくに「世話をする」部分で失敗をしそうな気がする。
 
「なんでだろね。慣れてないからかもしれない」
「そうでしたか。では、これから慣れていただけるよう、なるべく……」
「いや、それはいい。必要な時だけで」
「ですが、慣れていただかないと、姫様に恥ずかしい思いを……」
「うん、そうだね。そうなんだけど、私の足が退化するからね。自分で歩かないと体力も落ちるからね」
 
 こくり。
 
 納得して、フィッツはうなずいてみせた。
 体力が落ちるのは、良いことではない。
 万が一の場合には、カサンドラは1人で逃げなければならないのだ。
 
 もちろん「万が一の場合」は想定しているだけで、現実にする気はない。
 カサンドラの命ある限り守り続けるのが、フィッツの使命なのだから。
 
「3分が経ちましたので、そろそろ……」
 
 言いかけて、眉をひそめる。
 と、同時に、ズサササっという音がした。
 
「お待たせいたしまして申し訳ございません! 崇高なる御身の下僕、アイシャ・エガルベ、遅ればせながら馳せ参じました!」
「あ、うん……無事で良かったよ、アイシャ」
「寛大なるお言葉に、心からの……」
「出発する」
「フィッツ、容赦ないなぁ……」
 
 少しばかり不機嫌になっている自分を、フィッツは自覚していない。
 冷たい視線を、平伏しているアイシャに向けた。
 カサンドラが言うところの「可愛い」という形容に見合った容姿だ。
 つんっとそっぽを向き、フィッツは走り出す。
 
「しっかり掴まっていてください」
「言われなくても、そうする」
 
 カサンドラが、フィッツの首に、ぎゅっとしがみついてきた。
 顔を肩口に押し付けている。
 ほわりと、胸のどこかが暖かくなった。
 身をゆだねられていることで、信頼されていると感じられる。
 
 が、しかし。
 
「アイシャ、大丈夫? ついて来られる?」
「は! 御身にお仕えできる至福に、いつもより体も軽く……」
「わかった。口に砂が入るから黙って走ろう」
 
 カサンドラは「可愛い」者に好意的なのだろうか。
 アイシャを気遣う様子に、また、ちらりと「嫌」だとの感覚が呼び覚まされる。
 
(いっそ振り切ってしまいたいが……姫様は望んでおられない……)
 
 この日。
 フィッツは、初めて「葛藤」を覚えた。
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