いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
93 / 300
第1章 彼女の言葉はわからない

回顧の暗闇 1

しおりを挟む
 彼女は、毎日を目的もなく生きている。
 やりたいことだとか、なりたい姿などというものはない。
 物心ついた頃から「なにもなかった」のだ。
 
 24歳になって半年。
 このまま、適当に生きて、適当に死んでいくのだろうと思っている。
 仕事をして生活を支え、無為に時間を過ごしていくに違いない。
 
 そう思っていたからだろう。
 急に走った頭痛にも、対処しなかった。
 眩暈がして吐き気が襲ってきても、自分自身を放置したのだ。
 なんとなく、どこかの血管が切れたような気はしたのだけれども。
 
(まぁ、いいか……生きるの面倒くさいし……そんなに苦しくないし……)
 
 気持ち悪さはあったものの、手足の感覚がなくなっていくほうが速い。
 おそらく死ぬのだろうと悟っていたが、彼女は足掻かなかった。
 手を伸ばせばとどく距離にあった携帯電話を、掴もうとはしなかったのだ。
 
 女手ひとつで育ててくれた母も、一昨年、亡くなっている。
 本気で悲しむような人もいないだろう。
 生きることに執着もなかったが、母親が生きている間は、死に対しての抵抗感のようなものはあった。
 
 それは、こんな娘でも、死ねば母が悲しむとわかっていたからだ。
 母の前でだけは「普通」をやり通してもいた。
 仕事の不満をもらしてみたり、同僚の恋愛話をしてみたり。
 少しでも「まっとう」に生きていると、母に思わせたくて頑張っていた。
 
(でも……もういいか……頑張らなくても……いいや……)
 
 異様な寒さを感じ始める。
 いよいよだな、とは思うが、予想以上に怖いとは感じられない。
 むしろ、ホッとしていた。
 たいした苦痛もなく死ねる状況なんて、そうそうないのだから。
 
 ぷつ。
 
 意識が唐突に途切れる。
 死んだのかな、と思う間もなかった。
 のだけれども。
 
「は? なにこれ……」
 
 体が、ものすごく軽い。
 なにしろ、空を漂っている。
 やれやれと溜め息をついた。
 
「幽霊って、本当になるもんなんだな……もしかして、ずっとこのままなんてことないよね……いやいや、それはないな」
 
 そんなことがあるのなら、世界中、幽霊だらけになる。
 その割には、幽霊の目撃談は少ない。
 いずれ消えるからだろうと、自分に言い聞かせた。
 
 ずっと幽霊のままさまようなんてごめんだったのだ。
 変な話だが「せっかく死んだのに」という気分。
 
「どのくらいで消えるんだろ。死んだら、無になるって思ってたのにさぁ」
 
 死んだ先のことまでは、考えていない。
 ともあれ、生きている人と関わらずにすむのは確かだと言える。
 そもそも、声が伝わるとも思えないし。
 
「あの……」
 
 声に、ぎょっとした。
 体は透けているが、一応、生前の姿を保っているようだ。
 そして、空に漂っていても、周囲にあるものは見えている。
 いつの間にか隣にいた少女のことも、見えていた。
 
 無視しようか、と思う。
 
 彼女は人と関わるのを好まないのだ。
 相手が幽霊でも、感覚的には似たようなものだった。
 
「あなたは、この世界のかた?」
 
 言われて、少女の姿を、まじまじと見つめる。
 茶色の髪と瞳は、めずらしいものではない。
 が、コスプレイヤーとしか思えないような西洋風ドレスを着ている。
 色白なのは、幽霊だからなのか、そういう人種だったからなのか。
 
「どういう意味? 別の世界から来たとでも言うつもり?」
「実は、そうなのです」
 
 人の趣味嗜好にケチをつける気はないが、芝居につきあう気もなかった。
 コスプレは、ひとつの確立した文化だと思う。
 とはいえ、同じ文化を愛でる者同士で分かち合うものだ。
 生憎、彼女は、テレビやインターネットで見て「へえ」と感心する程度だった。
 
「ずいぶん凝った衣装だね。たいてい手作りするって話だけど、お金かかるんじゃない? 私、家庭科の才能ないから、わからないけどさ」
 
 芝居かがった空気にはつきあえないが、現実的な話ならできなくもない。
 これが現実かどうかは別だが、それはともかく。
 
「いえ、本当に別の世界……別の次元から来ました」
 
 はあ…と、溜め息をつく。
 もう会話は諦めようと、口を閉じた。
 なのに、その少女は諦めず、話しかけてくる。
 
「ここは変わった世界ですね。見たことのない機械がたくさんありました」
 
 返事をしてはいけない。
 言葉を返せば、言葉が返ってくる。
 そして、どこまでもつきあわされるはめになる。
 
「実は、元の世界に戻りたくないと思い、誰かいないかと探しておりました」
 
 死人がなにを言っているのか、と思った。
 仮に元の世界があるとして、戻ったところで、死人は死人だろうに。
 
「ですが、なかなか見つけられず、困っていたところなのです。あなたに会えて、ようやく安堵いたしました。これで、私は戻らずにすみます」
 
 がっくりと肩を落とす。
 つきあいたくはない。
 ないが、会話を拒否しても、きっと少女は話し続けるのだ。
 ならば、ひとまず、話を合わせることにする。
 
「その別の次元の世界に戻っても、死人は死人じゃん。どうせ死んでるんだから、戻ってもいいんじゃないの?」
「私は、特異な能力を持たされていたので、戻ると生き返ってしまうのです」
「生き返るのは、しんどいかもしれないね。私だって今さら生き返りたくないし」
 
 少女が、ほんの少し困ったような顔をした。
 が、すぐに表情を変え、曖昧に笑う。
 
「その上、18歳からやり直しですから、なおさら、生き返りたくありません」
「ていうか、その姿は18歳? 死んだ時の姿?」
「これは18歳の姿ですね。死んだ時は、21歳でした」
「3年も巻き戻しか。うわ。それはキツいなぁ」
 
 同調しつつも、会話の内容については、一切、信じていない。
 その少女の中の「設定」なのだろうと思っていた。
 不毛だとは思うが、時間潰しくらいの気持ちで相手をしている。
 
「ちょうど、お母様が亡くなられた年に戻るようです。私の父は生きてはいるようですが、どこにいるのか知りません。お母様の死を、再び、受け入れなければならないことも、戻りたくない理由のひとつです」
「お母さん、亡くなったんだ。そっか」
 
 ちょっとだけ心が動いた。
 自分と似た境遇だったからだ。
 
 彼女も、父親がどこの誰なのかを知らずにいる。
 母は語らなかったし、あえて聞こうとはせずにいた。
 話したくないから話さないのだろうし、父親に興味もなかったのだ。
 
「母と2人で暮らしていた頃は、生活が苦しくても、つらくはなかったのですが」
「なに? お母さん、再婚でもした?」
「再婚に、なるのでしょうね……」
 
 ちょっとだけ、うんざりする。
 とはいえ、つきあい始めたのだからしかたがない。
 それっぽく振る舞うことにした。
 
「新しいお父さんができたんじゃないの?」
「その通りです。私には新しい父ができました。義父は……母の前では、表に出すことは1度もありませんでしたが、どうやら私を憎んでいたようです」
 
 う…と、思う。
 作り話にしても、内容が重くなってきた。
 
(でも、まぁ、もう死んでるわけだし、聞いたって、どうしようもないんだから、聞き流せばいいか)
 
 彼女は、適当に「ふぅん」とうなずいておく。
 そもそも、人に対しても、自分に対しても関心がない。
 親身に人の相談にのったこともなかった。
 相手が幽霊であれば、なおさらだ。
 
「しかし、若くして死んだんだね。もしかして、その新しい父親に虐められて?」
「いいえ、違います」
「じゃ、病気? 事故?」
「……いいえ……私は、それなりに健康でしたし、外出することは、めったにありませんでしたから、事故に合うようなこともなく……」
 
 少女の瞳が暗く陰りを帯びる。
 別の次元云々はともかく、少女が死んでいるのは間違いない。
 こうやって漂いながら話しているのが、その証拠だ。
 となると、少女の死は、なにかいわくつきなのだろうと思えた。
 
(殺された、とか……? 嫌だなぁ。そういう話なら聞きたくないんだけど)
 
 作り話だとは思うが、事実が含まれている可能性もあるのだ。
 幽霊になったとはいえ、重過ぎる話は聞きたくなかった。
 
「私は、斬首刑になり、死にました」
 
 彼女は、ホッと息をついた。
 真実味のない言葉が出てきたからだ。
 今時「斬首刑」なんてあるはずがない。
 死刑ならまだしも、斬首刑だなんて、あまりに「物語的」に感じられる。
 
「斬首刑になるような罪ってなに? 私、そっち方面、詳しくないんだよね」
 
 小説は、ほとんど読んだことがなかった。
 想像力が足らなかったせいかもしれない。
 活字と言えば教科書か、仕事関係のビジネス書。
 幼い頃、母が読み聞かせてくれた絵本の類も、実は興味がなかったのだ。
 
「それは……冤罪でしたが……」
 
 少女が顔を歪ませる。
 演技にしては、堂に入っていた。
 本気で苦しんでいるように見える。
 
「姦淫の罪です」
 
 突拍子がなさ過ぎて、彼女は返事を忘れた。
 いくら「そっち方面に詳しくない」とはいえ、その罪がどういうものかくらいは知っている。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

【完結】以上をもちまして、終了とさせていただきます

楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。 伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。 そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。 「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」 神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。 「お話はもうよろしいかしら?」 王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。 ※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi(がっち)
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

死に戻り王妃はふたりの婚約者に愛される。

豆狸
恋愛
形だけの王妃だった私が死に戻ったのは魔術学院の一学年だったころ。 なんのために戻ったの? あの未来はどうやったら変わっていくの? どうして王太子殿下の婚約者だった私が、大公殿下の婚約者に変わったの? なろう様でも公開中です。 ・1/21タイトル変更しました。旧『死に戻り王妃とふたりの婚約者』

つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里
恋愛
社交界デビューの日。 訳も分からずいきなり第一王子、エルベルト・フォンテーヌ殿下に挨拶を拒絶された子爵令嬢のロザンヌ・ダングルベール。 後日、謝罪をしたいとのことで王宮へと出向いたが、そこで知らされた殿下の秘密。 それによって、し・か・た・な・く彼の掃除婦として就いたことから始まるラブファンタジー。

処理中です...