いつかの空を見る日まで

たつみ

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第1章 彼女の言葉はわからない

回顧の暗闇 4

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 ティトーヴァは夢の中に落ちていく。
 カサンドラを見失って以来、見始めた夢だ。
 この夢は見たくない、と思う。
 起きると覚えていないのだが、夢に落ちた瞬間に思い出すのだ。
 
 毎回「これは、あの夢だ」と。
 
 幸せな夢でないのは、わかっている。
 最悪で、残酷な夢だった。
 
 起きた時に忘れているのは、覚えていたくないからかもしれない。
 けれど、夢は、決まって最後まで流れ続ける。
 夢だとわかっているのに、ひどく現実感もあった。
 
 演劇を見ていたはずなのに、いつしか舞台に立っている。
 
 そして、筋書も結末も、同じ。
 毎回毎回、繰り返し、繰り返し。
 
 やめてくれと叫びたくても、言葉は出ない。
 与えられた「台詞」以外は、口にできないのだ。
 どんなに言いたくないと思っていても、勝手に口が動き、言葉を発する。
 
 今度もまた、同じ台詞を言うのだろう。
 そう感じながら、ティトーヴァは目の前にある光景を見つめていた。
 
「陛下! 私は、陛下を裏切ったことなどございません!」
「白々しいにもほどがありますね。証拠が、これだけ揃っていますのに」
「私の心をご存知でしょう、陛下!」
 
 カサンドラが必死で叫んでいる。
 その瞳に、嘘はない気がした。
 心が揺れているのも感じている。
 
 そうだ、と自分の心に訴えかけた。
 心が揺れているのなら、別の決断もあるはずだ。
 同じことを繰り返すのではなく、結末を変えろと。
 
「陛下、信じてください! 私が陛下を裏切るなど有り得ません!」
「お兄様、騙されてはいけませんわ。相手の男が白状していますし、ちょうど……彼女が、そういう不適切な関係を結んでいた頃、お兄様は、皇宮にはいらっしゃらなかったでしょう?」
「そのような男性は、知りません! 陛下がいらっしゃらなかったのは、たったの3日ではありませんか!」
「3日もあれば十分ではなくて? いえ、ひと晩でも関係は持てますもの」
 
 カサンドラは大人しく、臆病な女だった。
 そんな女が、わざわざ怒りを買うような真似をするはずがない。
 思う心の反対側で、そんな女がディオンヌに言い返したりするだろうか、と思い始めている。
 
 ティトーヴァは、心が流れかけるのを食い止めようとした。
 そっちに向かって行ってはいけないのだ。
 カサンドラを信じるべきなのだと、自らの心を引き戻そうとしたのだけれど。
 
「それに、彼女は……あのフェリシア・ヴェスキルの娘ですから。そうでしょう、お兄様? あのかたの娘を信じられますか?」
 
 夢の外にいるティトーヴァを、夢の中にいる自分自身が拒む。
 ディオンヌの言葉に、心が絡めとられていくのがわかった。
 また、あの絶望を繰り返すのか、とティトーヴァは絶望的な気持ちになる。
 早く目覚めるのだと、自らを叱咤したが、効果はない。
 
「カサンドラ」
 
 自分を引きめたかった。
 言ってはいけないと、叫んでいた。
 けれど、やはり夢の筋書は変えられない。
 同じ台詞を繰り返す。
 
「お前はもう俺の妻ではない。皇后の身分は剥奪した上で、斬首刑とする」
「そんな……陛下! 陛下もご存知のはずです! 私には……っ……」
「どうだかな。それも、もう信じられん」
 
 カサンドラの瞳から、涙が落ちた。
 同時に、光が失われていく。
 
 なぜ、そんなことが言えるのか。
 どうして、そんなことができるのか。
 
 夢の中の自分を「今の」ティトーヴァは、信じられない気持ちで見つめていた。
 カサンドラは、かけがえのない女だ。
 幸せにしたいと思える、初めて愛した女なのだ。
 その女の言葉を信じず、自らの手で殺そうなどと、するはずがない。
 
 思っているが、夢は続いていく。
 
 カサンドラの従僕は撃ち殺され、カサンドラが斬首台に引きずり上げられた。
 やめろと言って飛び出して行きたいのに、体は動かない。
 血の気を失っているカサンドラに、冷たい視線を向けている。
 夢の中では、憐憫の情さえないことを、ティトーヴァは感じていた。
 
 また同じ光景だ。
 
 目を背けたかったが、それもできずにいる。
 夢の外にいるティトーヴァは、無力だった。
 カサンドラに、なにもしてやれない。
 そして、刑が執行される。
 
 カサンドラを助けられなかった。
 また死なせてしまったのだ。
 いや、自分が殺したのだ。
 自分の手で、誤った判断で。
 
「その者の死体は片付けておけ。こんなことは公にはできん」
 
 セウテルが、黙ってうなずく。
 ティトーヴァは、ディオンヌを連れ、刑場をあとにした。
 
 ディオンヌの慰めの言葉に、ティトーヴァは、うなずいている。
 カサンドラを見ていたのとは違い、優しい目を向けていた。
 その姿にも「今の」ティトーヴァは、腹が立つ。
 
 ディオンヌがカサンドラを陥れ、殺させたとわかっていたからだ。
 
 カサンドラは、2年間、ずっとディオンヌに虐げられていた。
 それを「今の」ティトーヴァは知っている。
 が、夢の中にいるティトーヴァも、この後、それを知ることになるのだ。
 後悔と絶望に発狂しそうになりながら、いや、半ば発狂していたと言ってもいいだろう。
 
 私室に戻ったティトーヴァは、カサンドラの身分剥奪の書類にサインをする。
 帝国では、そうした手続きの処理は機械的に迅速に行われていた。
 サインした直後、すでにカサンドラは「皇后」ではなくなっている。
 隣に控えているベンジャミンに声をかけようとした時だ。
 
 いよいよ「あれ」が始まる。
 
 ティトーヴァに、通信が入った。
 皇族のみが使用する回線だが、今となってはティトーヴァしか対象者はいない。
 新たな皇后を迎えるまで、存命中の皇族はティトーヴァしかいなかったからだ。
 不審に思いつつ、通信を受ける。
 
 相手は「亡き父」だった。
 
 『あの娘との婚姻関係が抹消された時、この通信はとどいている。お前が選んだ結果だと知れ』
 
 そこから始まり、カサンドラの母との関係やティトーヴァの母がしたことなどを父は話し始めるのだ。
 カサンドラが、長くディオンヌに虐げられ続けていたことも。
 夢の中のティトーヴァは知らないが「今の」ティトーヴァは、知っている。
 カサンドラが死ぬ前に知ることができた。
 
 だが、夢の中では、違う。
 カサンドラは、死んでいた。
 取り返しはつかない。
 それを、夢の中のティトーヴァも、わかっている。
 
 真っ青になり、倒れそうになっていた。
 カサンドラが「なにもしていなかった」ということも、もうわかっていたのだ。
 頭の中が、恐怖でいっぱいになっている。
 
「陛下、どうなさいましたか?」
 
 ベンジャミンの声に、顔をそっちに向けた。
 のろのろと立ち上がり、ベンジャミンに近づく。
 
「お前は……知っていたのか?」
「知っていた、とは、なにをでしょうか?」
「ディオンヌが……カサンドラを虐げていたことだ……」
 
 ハッと、ベンジャミンが顔色を変えた。
 その行動は、あの頃のティトーヴァの心に寄り添ったものだ。
 それを「今の」ティトーヴァは理解しているが、夢の中では、やはり違う。
 取り返しのつかない状況と絶望に恐怖が、ティトーヴァを支配していた。
 
「知っていたのだな……この……この裏切り者が……っ……!」
 
 怒鳴った瞬間、ベンジャミンの体が細切れになる。
 ティトーヴァだけが使える武器「ファツデ」を使ったのだ。
 私室が、飛び散った血肉で真っ赤に染まっていた。
 ティトーヴァの体も血塗れになっている。
 
「俺は……俺は、なんということをしたのだ……俺は……我が子を……」
 
 殺してしまった。
 
 カサンドラの不義によりできた子を、皇族とはできない。
 したくもないが、産まれてくれば、認知せざるを得なくなる。
 カサンドラが不義を犯したことを公にはできないからだ。
 カサンドラ自身は病死扱いになるため、子が産まれれば、それが誰の子であれ、ティトーヴァの子として認めなくてはならない。
 
 だから、出産を待たず、カサンドラを処刑した。
 
「俺の子……俺の子だったのだ……カサンドラは……無実だった……」
 
 血に塗れたまま、ティトーヴァは私室を出る。
 外に立っていたセウテルが駆け寄ってきたが、振りはらった。
 そして、ベンジャミンと同じく、セウテルのことも攻撃する。
 父が知っていたことを、セウテルが知らなかったはずがない。
 
 ベンジャミンもセウテルも、誰も、ティトーヴァに「事実」を教えなかった。
 
 ティトーヴァは、自分の思う「真実」しか見えていなかったのだ。
 思いたいように思い、見たいものしか見ずにいた。
 だから、詳しい調査もせず、ディオンヌの用意した「証拠」や「証人」だけで、結論を出している。
 
 心の隅で、カサンドラへの猜疑心をかかえ続けてもいたので「ああ、やはりな」と、納得してしまったのだ。
 事実と突き合わせ、それが公正であるのかどうか、判断もせず。
 
 罪のない妻と子を、自分の手で殺してしまった。
 
 金色の髪から血の滴が垂れている。
 その姿で、ティトーヴァはディオンヌの元に向かった。
 
 夢は、もうすぐ終わる。
 知っていても、安堵の気持ちはない。
 夢の外にいたはずの「今の」ティトーヴァも、後悔と絶望の中にいた。
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