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第2章 彼女の話は通じない
心理の亀裂 2
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人と魔物では、影響の出方が違うのは、わかった。
ザイードは「大きいとは言えない」と言うが、影響はあるのだ。
まったくないわけではないので、安心はできない。
長くなれば「痒い」ではすまなくなる可能性もある。
(痒いのって、意外と厄介だよね。蚊に刺されて痒くなるとイライラするしさ)
くすぐったい程度ならまだしも、ものすごく痒くなることも考えられた。
人のように壊れないのならいい、と楽観的にはなれずにいる。
痒みだって、度を越せば拷問にも成り得るのだ。
ここには、痒み止めだってないのだし。
「なんだ、こんなとこにいたのかよぉ~っ! キャス~!」
「キャス、力を使うてみよ」
『いろはにほへと』
ぴたっと、ダイスが止まり、お座りの格好。
そして。
「なんだ、虫かぁ? この時期に……これだから、湿地帯は嫌なんだ」
かしかしかしっと、後ろ脚で、耳の後ろを搔いている。
尻尾で背中を叩いているところを見ると、体に虫がいると思ったようだ。
「やっぱり痒いんだ……」
「痒いってほどじゃねぇよ。ルーポは、生き物が毛にさわるのを嫌うんだ。とくに虫はな。水浴びしたくなっちまう。やっぱり体は清潔が1番だぜ」
気がすんだのか、尻尾を揺らせながら、ダイスが近づいて来る。
攻撃を受けたという印象はないらしい。
本気で「虫にたかられた」くらいの気持ちでいるのだろう。
「おそらく、ほかの種族も、さしたる影響は出ぬであろう」
「そうだといいんですけど」
「ん? なんの話だ?」
「先ほど、キャス様が、お力をお使いになられたのでござりまする」
「は? いつ? え? あの虫か?」
キャス、ザイード、ノノマがうなずいた。
一瞬、目をぱちんとさせたあと、ダイスが笑いだす。
清潔好きな割には、地面を転げ回っていた。
「あれが、キャスの力かよ! あんなんじゃ、虫も殺せないぜ、虫だけにな!」
などと言い、転げ回って笑っている。
面白いと思っているのはダイスだけで、まったく面白くない。
(ダイスって、人の歳にしたら32とかだよね。おやじって歳でもないのに)
ともあれ、ルーポも、ある程度の耐久性はあるとの判断はできた。
植物から生じたイホラも似たようなものかもしれない。
だが、コルコとファニについては、どうだろう、と思う。
コルコは、死人とはいえ、元は人であったものから生じているし、ファニは大気から生じているのだ。
(どっちも、ガリダやルーポとは違う影響が出そうな気がする)
もしコルコに「人」としての機能のようなものが残っていたら、壊れる可能性も考えなければならない。
ファニは大気から生じているわけだが、そこが気にかかる。
言葉というのは、結局は音だ。
空気の振動が音となり、それを受け取る側が「言葉」だと認識している。
もしかすると、最も大きな影響が出るのは、ファニかもしれないと思えた。
ダイスにとっては「虫も殺せない」ほどでも。
とはいえ、今は人の国に行くのが先だ。
無事に帰ることを想定しているが、どうなるかはわからない。
最悪、自分の力を使い、薙ぎはらってでも帰るつもりではいるのだけれど。
「ちょっとよろしいかしら?」
「おう、ミネリネ! めずらしいな。お前が、ここまで来るなんてな」
ダイスが体を起こしている。
声のほうを見ると、布を巻きつけたような姿の女性が立っていた。
素足で、肩には羽衣のようなものが揺れている。
ミネリネ。
確か、ファニの長の名だ。
なるほど大気から生じたというのも、うなずける。
気配がどうとかといったことではなく、いきなり現れた感じがしたのだ。
いつも実体化しているとは限らないのかもしれない。
(そういえば、人が襲来した時、ファニ族には、ほとんど犠牲が出なかったって話だったっけ。隠れようとすれば、隠れられたんだな、たぶん)
キャスは、人の側の情報を取りまとめていたが、3ヶ月の間に、魔物の情報も、ザイードを始め、ノノマやシュザ、ダイスから、様々に聞いている。
ザイードが言うには、ファニは、感情により、体が透けることもあるそうだ。
とすると、実体化は、変化に近いものなのだろう。
「周回していたら金色の粒子が流れてきたの。それを追って来たら、ここに着いたのだけれど」
白い髪を、ふわふわと漂わせながら、ミネリネがキャスを見る。
水色の目に、濃い青の瞳孔をしていた。
「私が、力を使ったからだと思います。お体に不調はありませんか?」
初めて会う長なので、緊張する。
それに、ミネリネは、ザイードやダイスと違い「生き物離れ」しているのだ。
天女の雰囲気とでも言うのか、見た目には人と変わらないのだが、近寄りがたい感じが否めない。
もっとも、元の世界でも天女なんて見たことはないけれど、それはともかく。
「いいえ、不調はないわ。ただ……少し困ったことに……」
ミネリネが言いかけた時だ。
周囲が、ざわついていることに気づく。
ハッとして見回せば、周囲は「天女」だらけ。
「あの金色の粒子を見ると、私たちは惹かれずにはいられないのでしょう」
「おいおい、すげえ数のファニだ。こんなの、オレも見たことねぇぞ」
「私もにござりまする。ファニ族が、これほど多いとは……」
「壮観だの」
身体的に悪い影響とは言えないが、状況としてはあまり良くない。
人と対峙している際に力を使うと、否応なくファニを集めてしまうことになる。
ファニに、人の武器が通用するのかはわからないが、危険であるのは確かだ。
仮に、吹き飛ばせるような武器があれば、被害は甚大になるだろう。
(それに、ファニには後方支援を頼む予定だったよね。怪我を癒す……衛生兵的な役割をしてもらうはずで……)
その役目を放り出させることになり、助かる命も助からなくなる。
かなり予想外の影響だ。
「皆、およしなさいな」
周りにいるファニたちが、キャスを、ちらちらと見ていた。
しかも、期待に満ちた眼差しを向けている。
言いかたは悪いが「猫にまたたび」のようなものに近いらしい。
ファニたちは、もう1度、金色の粒子を見たくてたまらないのだ。
「キャスの力は、不思議だな。オレらには、くすぐったいだけだけど、ファニには心地いいって感じなのか」
それは、どうなのだろう、と思う。
汚い言葉や悪意のある言葉だと違うものが見えるかもしれない。
「あの……もしよければ、少しだけ試させてもらってもいいでしょうか?」
「かまわなくてよ」
「気持ち悪くなるかもしれませんけど?」
「いいわ。試しておかなければわからないもの」
ミネリネが許してくれたので、別の言葉で試してみることにする。
人に使う時には「無難な言葉」を使うとは限らないので。
『大嫌い!』
「うひゃ! くすぐってぇな!」
「あら、まあ」
「少々、痒いか?」
「先ほどと、あまり変わりありませぬ」
最も耐性があるのは、ノノマのようだ。
ザイードの言っていた「身を守るすべに長けている」からだろう。
ダイスは、また耳の後ろを、かしかしと掻き、尾で体を叩いている。
ザイードは表情を変えていないが、痒いのを我慢しているだけかもしれない。
そして、ファニたちは、相変わらずだ。
嫌がるそぶりはなく、漂う「なにか」に手を伸ばして掴もうとしている。
「今度は黒い粒子だったけれど……惹かれる感覚に変わりはないようねぇ」
「そのようですね……」
「むしろ、色が変わるのが不思議で、楽しい心持ちになるわ」
えーっと、声をあげたくなった。
それでは、どうあっても、力を使うとファニたちを呼んでしまうではないか。
使いどころを間違うと、大変なことになる。
キャスが思っていると、ザイードも似たようなことを考えていたらしい。
少し目を細め、溜め息をついていた。
「余が変化を習得するまでには、間がある。その間に、イホラとコルコにも試しておくのが肝要だ」
「……そうですね……みんなが同じ反応じゃないみたいですし……」
イホラとコルコが、ザイードたちと似た反応ならば問題はない。
ファニにだけ注意すればいいのだ。
だが、ファニに似た反応、もしくは、まったく別の反応を示すようなら、さらに注意が必要となる。
あらかじめ知っておかなければ、いざという時に混乱するに違いない。
「ナニャとアヴィオに、明日にでも来るようにと伝えておいてくれぬか?」
「わかったわ。あのものたちが顔を突き合わせれば、喧嘩になるでしょうけれど」
「それは、余がおさめるとしよう」
来た時と同様、パッとミネリネが姿を消す。
ほかのファニたちは名残惜しそうにキャスを見つつも、少しずつ消えていった。
「あれは、いったい何条おったのであろうな」
「じょう? ファニの数?」
「ファニは、1条、2条と数える種族ぞ」
種族によって数えかたが違うのかと、肩を落とす。
種が違うので当然なのだろうが、なにしろ覚えることが多い。
人として培った文化や常識の知識は、魔物の国では、ほとんど使えないのだ。
未だに、動物扱いしている気がして「頭」さえ言えていないのに。
(フィッツなら、すごく普通に3頭とか言いそうだけどね)
ちくちくする胸の痛みに慣れることはない。
それでも、彼女は、日々、フィッツを思い出している。
ザイードは「大きいとは言えない」と言うが、影響はあるのだ。
まったくないわけではないので、安心はできない。
長くなれば「痒い」ではすまなくなる可能性もある。
(痒いのって、意外と厄介だよね。蚊に刺されて痒くなるとイライラするしさ)
くすぐったい程度ならまだしも、ものすごく痒くなることも考えられた。
人のように壊れないのならいい、と楽観的にはなれずにいる。
痒みだって、度を越せば拷問にも成り得るのだ。
ここには、痒み止めだってないのだし。
「なんだ、こんなとこにいたのかよぉ~っ! キャス~!」
「キャス、力を使うてみよ」
『いろはにほへと』
ぴたっと、ダイスが止まり、お座りの格好。
そして。
「なんだ、虫かぁ? この時期に……これだから、湿地帯は嫌なんだ」
かしかしかしっと、後ろ脚で、耳の後ろを搔いている。
尻尾で背中を叩いているところを見ると、体に虫がいると思ったようだ。
「やっぱり痒いんだ……」
「痒いってほどじゃねぇよ。ルーポは、生き物が毛にさわるのを嫌うんだ。とくに虫はな。水浴びしたくなっちまう。やっぱり体は清潔が1番だぜ」
気がすんだのか、尻尾を揺らせながら、ダイスが近づいて来る。
攻撃を受けたという印象はないらしい。
本気で「虫にたかられた」くらいの気持ちでいるのだろう。
「おそらく、ほかの種族も、さしたる影響は出ぬであろう」
「そうだといいんですけど」
「ん? なんの話だ?」
「先ほど、キャス様が、お力をお使いになられたのでござりまする」
「は? いつ? え? あの虫か?」
キャス、ザイード、ノノマがうなずいた。
一瞬、目をぱちんとさせたあと、ダイスが笑いだす。
清潔好きな割には、地面を転げ回っていた。
「あれが、キャスの力かよ! あんなんじゃ、虫も殺せないぜ、虫だけにな!」
などと言い、転げ回って笑っている。
面白いと思っているのはダイスだけで、まったく面白くない。
(ダイスって、人の歳にしたら32とかだよね。おやじって歳でもないのに)
ともあれ、ルーポも、ある程度の耐久性はあるとの判断はできた。
植物から生じたイホラも似たようなものかもしれない。
だが、コルコとファニについては、どうだろう、と思う。
コルコは、死人とはいえ、元は人であったものから生じているし、ファニは大気から生じているのだ。
(どっちも、ガリダやルーポとは違う影響が出そうな気がする)
もしコルコに「人」としての機能のようなものが残っていたら、壊れる可能性も考えなければならない。
ファニは大気から生じているわけだが、そこが気にかかる。
言葉というのは、結局は音だ。
空気の振動が音となり、それを受け取る側が「言葉」だと認識している。
もしかすると、最も大きな影響が出るのは、ファニかもしれないと思えた。
ダイスにとっては「虫も殺せない」ほどでも。
とはいえ、今は人の国に行くのが先だ。
無事に帰ることを想定しているが、どうなるかはわからない。
最悪、自分の力を使い、薙ぎはらってでも帰るつもりではいるのだけれど。
「ちょっとよろしいかしら?」
「おう、ミネリネ! めずらしいな。お前が、ここまで来るなんてな」
ダイスが体を起こしている。
声のほうを見ると、布を巻きつけたような姿の女性が立っていた。
素足で、肩には羽衣のようなものが揺れている。
ミネリネ。
確か、ファニの長の名だ。
なるほど大気から生じたというのも、うなずける。
気配がどうとかといったことではなく、いきなり現れた感じがしたのだ。
いつも実体化しているとは限らないのかもしれない。
(そういえば、人が襲来した時、ファニ族には、ほとんど犠牲が出なかったって話だったっけ。隠れようとすれば、隠れられたんだな、たぶん)
キャスは、人の側の情報を取りまとめていたが、3ヶ月の間に、魔物の情報も、ザイードを始め、ノノマやシュザ、ダイスから、様々に聞いている。
ザイードが言うには、ファニは、感情により、体が透けることもあるそうだ。
とすると、実体化は、変化に近いものなのだろう。
「周回していたら金色の粒子が流れてきたの。それを追って来たら、ここに着いたのだけれど」
白い髪を、ふわふわと漂わせながら、ミネリネがキャスを見る。
水色の目に、濃い青の瞳孔をしていた。
「私が、力を使ったからだと思います。お体に不調はありませんか?」
初めて会う長なので、緊張する。
それに、ミネリネは、ザイードやダイスと違い「生き物離れ」しているのだ。
天女の雰囲気とでも言うのか、見た目には人と変わらないのだが、近寄りがたい感じが否めない。
もっとも、元の世界でも天女なんて見たことはないけれど、それはともかく。
「いいえ、不調はないわ。ただ……少し困ったことに……」
ミネリネが言いかけた時だ。
周囲が、ざわついていることに気づく。
ハッとして見回せば、周囲は「天女」だらけ。
「あの金色の粒子を見ると、私たちは惹かれずにはいられないのでしょう」
「おいおい、すげえ数のファニだ。こんなの、オレも見たことねぇぞ」
「私もにござりまする。ファニ族が、これほど多いとは……」
「壮観だの」
身体的に悪い影響とは言えないが、状況としてはあまり良くない。
人と対峙している際に力を使うと、否応なくファニを集めてしまうことになる。
ファニに、人の武器が通用するのかはわからないが、危険であるのは確かだ。
仮に、吹き飛ばせるような武器があれば、被害は甚大になるだろう。
(それに、ファニには後方支援を頼む予定だったよね。怪我を癒す……衛生兵的な役割をしてもらうはずで……)
その役目を放り出させることになり、助かる命も助からなくなる。
かなり予想外の影響だ。
「皆、およしなさいな」
周りにいるファニたちが、キャスを、ちらちらと見ていた。
しかも、期待に満ちた眼差しを向けている。
言いかたは悪いが「猫にまたたび」のようなものに近いらしい。
ファニたちは、もう1度、金色の粒子を見たくてたまらないのだ。
「キャスの力は、不思議だな。オレらには、くすぐったいだけだけど、ファニには心地いいって感じなのか」
それは、どうなのだろう、と思う。
汚い言葉や悪意のある言葉だと違うものが見えるかもしれない。
「あの……もしよければ、少しだけ試させてもらってもいいでしょうか?」
「かまわなくてよ」
「気持ち悪くなるかもしれませんけど?」
「いいわ。試しておかなければわからないもの」
ミネリネが許してくれたので、別の言葉で試してみることにする。
人に使う時には「無難な言葉」を使うとは限らないので。
『大嫌い!』
「うひゃ! くすぐってぇな!」
「あら、まあ」
「少々、痒いか?」
「先ほどと、あまり変わりありませぬ」
最も耐性があるのは、ノノマのようだ。
ザイードの言っていた「身を守るすべに長けている」からだろう。
ダイスは、また耳の後ろを、かしかしと掻き、尾で体を叩いている。
ザイードは表情を変えていないが、痒いのを我慢しているだけかもしれない。
そして、ファニたちは、相変わらずだ。
嫌がるそぶりはなく、漂う「なにか」に手を伸ばして掴もうとしている。
「今度は黒い粒子だったけれど……惹かれる感覚に変わりはないようねぇ」
「そのようですね……」
「むしろ、色が変わるのが不思議で、楽しい心持ちになるわ」
えーっと、声をあげたくなった。
それでは、どうあっても、力を使うとファニたちを呼んでしまうではないか。
使いどころを間違うと、大変なことになる。
キャスが思っていると、ザイードも似たようなことを考えていたらしい。
少し目を細め、溜め息をついていた。
「余が変化を習得するまでには、間がある。その間に、イホラとコルコにも試しておくのが肝要だ」
「……そうですね……みんなが同じ反応じゃないみたいですし……」
イホラとコルコが、ザイードたちと似た反応ならば問題はない。
ファニにだけ注意すればいいのだ。
だが、ファニに似た反応、もしくは、まったく別の反応を示すようなら、さらに注意が必要となる。
あらかじめ知っておかなければ、いざという時に混乱するに違いない。
「ナニャとアヴィオに、明日にでも来るようにと伝えておいてくれぬか?」
「わかったわ。あのものたちが顔を突き合わせれば、喧嘩になるでしょうけれど」
「それは、余がおさめるとしよう」
来た時と同様、パッとミネリネが姿を消す。
ほかのファニたちは名残惜しそうにキャスを見つつも、少しずつ消えていった。
「あれは、いったい何条おったのであろうな」
「じょう? ファニの数?」
「ファニは、1条、2条と数える種族ぞ」
種族によって数えかたが違うのかと、肩を落とす。
種が違うので当然なのだろうが、なにしろ覚えることが多い。
人として培った文化や常識の知識は、魔物の国では、ほとんど使えないのだ。
未だに、動物扱いしている気がして「頭」さえ言えていないのに。
(フィッツなら、すごく普通に3頭とか言いそうだけどね)
ちくちくする胸の痛みに慣れることはない。
それでも、彼女は、日々、フィッツを思い出している。
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