いつかの空を見る日まで

たつみ

文字の大きさ
156 / 300
第2章 彼女の話は通じない

極限の選択 4

しおりを挟む
 ザイードは憂鬱な気分で歩いている。
 ヨアナの家からの帰り道だ。
 
 周囲には明かしていないが、ヨアナは、現在、謹慎中。
 知っているのは、ヨアナの両親だけだった。
 謹慎と、その理由を本人に説明する際、同席させたのだ。
 
 キャスの返事次第では、ヨアナは罪人として裁かれる。
 どの程度の罰になるかはともかく、周りの目が変わるのは覚悟しておかなければならない。
 両親には、その心構えが必要だろうと判断した。
 
 魔物は同胞に対して寛容ではある。
 だからこそ「罪」には厳しいのだ。
 
 同胞だから許してもらえるとなれば、それぞれに好き勝手をするようになる。
 秩序が保てない国は、やがて滅ぶだろう。
 それを本能的に悟っているので、魔物は罪を厳しく捉えるのだ。
 
 同胞を危険にさらすものは、同胞とは呼べない。
 
 互いに助け合わなければ生きていけないと知っているから、寛容でいられる。
 恨みや妬みがあっても、我慢できる。
 自分の身勝手な行動が、周りに害を与えるとわかっているからだ。
 
(ヨアナの行動を、どう捉えれば良いのか……)
 
 身勝手とばかりも言えない気はする。
 だが、ザイードやダイスに意見も相談もせず、シャノンに会ったのは身勝手な行動だったと言わざるを得ない。
 
(余が耳をかさぬとわかっておったのだ。それゆえ、直談判の考えに走った)
 
 文献蔵でのことが思い出される。
 あの時、ザイードはヨアナの話を受け入れ難いものとして拒絶した。
 そのこと自体は間違っていない。
 とはいえ、ヨアナがなにをどう危惧しているのかまで突き詰めて訊かなかったことは、間違いだったと考えている。
 
 ヨアナが納得していないと気づいていながら、引きめなかった。
 ザイードはキャスを同胞として受け入れていたが、そうでないものがいるのも認めていたからだ。
 人との戦いを覚悟するのも、関わらないのも、それぞれが判断すればいいとだけ思っていた。
 
「兄上~!」
 
 憂鬱なところに、さらに憂鬱を煽るような弟ラシッドが駆け寄って来る。
 ここ1ヶ月あまり、ヨアナのところに通っているのを変に勘違いしているのだ。
 キャスが帰っていないことも、原因のひとつになっている。
 
 聖者に連れ去られてから、1ヶ月。
 まだキャスは帰らない。
 
「いよいよ兄上も覚悟を決めたのだろ?」
「人と戦う覚悟ならしておる」
「危機的状況になると、子作りに励みたくなるという」
「お前が、そうしたくばすればよい」
 
 はあ…と溜め息をつきながら、肩を落とす。
 ヨアナのところに通っているのには理由があった。
 ザイードは、ヨアナに人語を習っているのだ。
 
 周りにはヨアナの「謹慎」は秘密にしている。
 そのため、今まで商売であちこち出歩いていたヨアナが家にこもっていると、不審をまねくに違いない。
 なにか家にいる理由が必要だったのだ。
 
 ちょうどザイードも人語を習っておきたいと思っていたため、それを利用した。
 なのに、ラシッドのせいで、おかしな噂が出回っている。
 ザイードが「手習い」を理由に、ヨアナを口説いているのではないか、と。
 
「兄上が心配で心配で、己のことに構うてはおられぬ」
「いらぬ心配をいたすな」
「しかし、ヨアナも焦らさずともよかろうに。ずっと前から兄上を慕うておったくせに、今さらの話……」
「さような話は知らぬ。お前の得意とするのは、作り話ばかりよの」
「兄上は、それだから女が寄りつかぬのだ。まるで、わかっておらぬわ」
 
 ラシッドが呆れたような顔で、ザイードを見ている。
 瞳孔は正直だ。
 正直に「呆れ」を伝えるため、狭まっていた。
 尾も上を向き、ちょんちょんと、つつくような動きをしている。
 
「ヨアナはガリダのみならず、ほか種族からの求愛もあったが、そのことごとくバッサリ。一途に兄上を慕うておったゆえのこと」
「お前の勝手な決めつけぞ。余はヨアナに求愛されたことなんぞない」
「兄上は、ほんに百歳を越えておるのか? 信じられぬほど鈍い。我らが母と同じ積極的な女ばかりではないぞ。男の求愛を待つ健気な女もおる」
 
 ヨアナへの求愛話が多いのは知っていた。
 未だつがいを持っていないので、断っているのだろうことも、推測はしていた。
 だが、自分に対する「一途な想い」からだとは、1度も考えたことがない。
 ザイードは求愛された経験はなかったが、女が寄りつかないことを悲観してもいなかったのだ。
 
 なるべくして、なる。
 
 時期が来れば自然とつがいが現れる、くらいの感覚でいた。
 仮に、人との戦いで死ぬことになれば、子を成さないままとなる。
 だからと言って、焦って番を持とうとは思わない。
 それは、本来、魔物にある「自然の摂理」とは違うのだが、ザイードは気づいていなかった。
 
「もう1ヶ月が経つ。兄上は死ぬまで番を持たぬ気か?」
「さようなことは言うておらぬ。余は……」
「兄上がキャスを番にと思うておるのはわかる。だが、おらぬものはおらぬのだ。諦めることも……」
「ラシッド。いくら、お前でも、それ以上は許さぬぞ。誰が番の話なぞした? おかしな噂を広めるのも大概にしておけ。余のことは、余が決める」
 
 ぴしゃりと言い、ラシッドをにらんだ。
 ラシッドは怯えたようでも、反省したようでもなく、肩をすくめる。
 
「人になろうとしても、魔物は魔物にござりますれば」
 
 やけに辛辣な口調で言い、ラシッドが体を返した。
 不機嫌そうに尾を横に振りながら、反対方向に歩いて行く。
 その背をしばし見つめたあと、ザイードは家に向かった。
 
(わかっておるさ。余は、人になろうとは思うておらぬ)
 
 ガリダを誇りとし、百年以上も変化へんげを学ばずにいたほどだ。
 人になりたいとの思いはない。
 ただ、ほんの少し、知りたい、とは考える。
 
 キャスの想い人は、どのような者であったのか。
 
 自分と、なにが違うのか。
 もちろん、人と魔物という種が違うのは、わかっている。
 だが、種を越えたところにある「差」がなにか、知りたいのだ。
 それは、キャスが心惹かれた理由にもなっているのだろう。
 
 家の戸にかけた自分の手を見つめる。
 大きくて肉厚で、尖った爪がついている手だった。
 緑色をしていて、甲は鱗でびっしり覆われている。
 キャスに出会うまで、この手を、この姿を誇りにしていた。
 
(キャスの手は……小さくて心もとなかった……余の手がキャスの手を握り潰してしまわぬかと……)
 
 ザイードは何度かキャスと手を繋いでいる。
 いつも、小さくて、か細い手だと感じた。
 日常的にキャスの見ているはずなのに、手を繋ぐたび思うのだ。
 
 ひょいっと、何気なく、変化する。
 覚えてしまえば、簡単に人型になれた。
 
 心地いいものではないだろうとの予想に反して、存外、不満はない。
 この姿であれば、まだしもキャスの隣にいても不自然ではないはずだ。
 手を握り潰す心配も軽減される。
 
 『魔物は魔物にござりますれば』
 
 ラシッドの声が耳に蘇っていた。
 そんなことは望んでいないと、自分で自分に言う。
 種というのは、見た目の問題ではない。
 生きる「ことわり」が違うのだ。
 
(ラシッドの奴め。余は、さような意味でキャスを助けたのではない。いつ余がキャスを番にしたいと言うた? 言うてはおらぬであろうが)
 
 キャスは中間種だが、人の「理」の中で生きている。
 魔物の自分では、相手にはならない。
 手の大きさでさえ、あんなにも違うのに。
 
 ザイードは、しょんぼりとうつむく。
 鱗も尾も、瞳孔さえ隠す、完璧な人型をとっていても、自分は魔物なのだ。
 人の「理」の中では、存在すら許されない生き物。
 たとえキャスが魔物を助けようとしているとしても、摂理は曲げられない。
 
(余が求愛したとて……)
 
 思った時、ザイードに衝撃が走る。
 完全に無意識だった。
 だが、自分が「思ったこと」が、なにを意味するかは悟っている。
 否定する気にもならなかった。
 
 なにしろ「無意識」に考えてしまったのだから。
 
 つまり、ザイードの心にある「望み」が、こぼれ出た、ということ。
 表面的にはラシッドの言葉を否定できても、これは否定できない。
 
(余は……キャスを好いておるのか……ゆえに、キャスがおらぬと寂しいのか)
 
 自覚したがゆえの衝撃から、ザイードは混乱している。
 いつからなのか、どうしてなのか、まるきりわからなかった。
 ともかく、落ち着いて頭を整理することにする。
 戸を開き、家の中に入った。
 
「おかえりなさい、ザイード」
 
 え…?と、整理しようとしていた頭の中が真っ白になる。
 以前と同じように、キャスが板敷の床に座っていた。
 その光景に、なにもかもを忘れる。
 
「あれ? 今日は、変化してるんですね」
 
 口調も、言いかたもキャスだった。
 魔力での会話であれ、口は動く。
 けれど、ザイードの、はくはくっという口の動きに、言葉は乗らなかった。
 思わず、駆け寄る。
 
 そして、キャスの体を抱きしめた。
 その体は、やはり小さくて、か細い。
 混乱していても、ザイードはキャスを潰してしまわないよう、力加減をする。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

【完結】以上をもちまして、終了とさせていただきます

楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。 伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。 そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。 「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」 神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。 「お話はもうよろしいかしら?」 王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。 ※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi(がっち)
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

赤貧令嬢の借金返済契約

夏菜しの
恋愛
 大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。  いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。  クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。  王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。  彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。  それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。  赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。

処理中です...