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第2章 彼女の話は通じない
絶望の路頭 3
しおりを挟むパチッ。
小さな擦過音。
瞬間、カサンドラが悲鳴を上げる。
激痛に見舞われているはずだ。
痛みに、カサンドラの体が悲鳴を上げているのもわかる。
脳から脊髄に痛みが走っているだろう。
カサンドラは膝をついたまま、両手で頭を掴んでいた。
「シャノン、来い!」
「ご、ご主人様……っ……」
シャノンが鎖を引きずっている姿が映る。
目も見えるようになっていた。
近づいたシャノンを抱き上げる。
両耳は、ゼノクルが持っていた。
顔中、血だらけだ。
後ろを見れば、尾も残りわずか。
その先からは、やはり血が流れている。
「ちくしょう……俺が、こいつにどんだけ……ちくしょうが……っ……!」
シャノンの有り様に、ゼノクルは怒りを抑えきれずにいた。
子供のように地団太を踏んでいる。
本気で腹が立っていた。
ロキティスに虐げられていたシャノンを「まとも」にするために、ゼノクルは3ヶ月もかけている。
傷を治療し、食事を与え、ほとんど、つききりだった。
中間種の存在を知られるわけにいかなかったので、使用人に世話をさせることもできなかったのだ。
ガリダに送り込んだ時も、魔物に虐められていないかと気にかけている。
傷だらけにされてはかなわないと思っていたのだが、魔物はシャノンを傷つけるような真似はしなかった。
なのに、だ。
「こんなに傷だらけにしやがって! ふざけるなよ、この小娘……っ……」
これでは「まとも」にしたくても、できないではないか。
自分ではどうにもできないのが、腹立たしくてしかたがない。
カサンドラは、さっき本気でシャノンを殺そうとしていた。
それを察し、ゼノクル、もといクヴァットは、無理して魔人の力を使ったのだ。
そのことにも腹が立つ。
わずかな精神への攻撃。
干渉するのではなく、攻撃した。
そのほうが、一瞬ですむ。
精神を操る「干渉」は、ある程度の時間を要するのだ。
ここは魔物の国なので「壁」に弾かれることは考えなくていい。
とはいえ、ただでさえ無理をする必要があるのに、時間をかければ体に負担がかかる。
ゼノクルの体を失うことは、人の国に戻れなくなることを意味していた。
まだ遊び足りていないのに。
腹立ちまぎれに、気を失っているロキティスの体を蹴飛ばす。
クヴァットは、子供のように癇癪を起していた。
3百年で、これほど「つまらない」思いをしたのも、初めてだ。
気に入りの玩具を壊されかけたことが、どうしても我慢ならない。
それから、カサンドラのほうに顔を向けた。
体がしびれているのだろう、まだ動けないようだ。
ナイフも取り落してしまっている。
殺す気はないが、しかし。
ゼノクルは、シャノンの体を抱え直す。
その顔を見て、にっこりしてみせた。
「お前は本当によく出来た玩具だ。可愛いシャノン、俺の役に立てて嬉しいか?」
「は、はい……ご主人様……」
「痛ぇのに、すげえ頑張ったな。そうそう、お前には褒美をやろうと思ってたとこだったんだぞ。特等席だ。よく見て、楽しめ」
抱き上げたシャノンの額に、ゼノクルは軽く口づける。
血だらけの額に。
「俺は、セウテルほど器用じゃねぇが、そこそこ銃の腕はいい。まぁ、あいつは、遊びで銃を撃ったりしねぇからな。面白味のねえ奴だと思うだろ? その点、俺は戦闘じゃ無意味な撃ちかたが好みでよ」
殺すつもりなら、さっさとすればいい、とでも思っているに違いない。
だが、ゼノクルは、カサンドラを殺さないのだ。
単に殺すのでは「面白味」がなかった。
だいたい、まだ気分におさまりがついていない。
癇癪を起しそうになるのを我慢している。
「後悔するって言ったよなあ?」
自分の気分を害したのは、カサンドラだった。
なので、楽しい気持ちにさせるのも、カサンドラの役目なのだ。
楽しむ方法も、すでに決めてあった。
あとは、ぜんまいを巻けばいい。
「そんじゃあ、俺を楽しませてもらおうか」
ちらっと、そこに視線を投げる。
カサンドラが、なにかを察したように目を見開いた。
無意識にか、手が動いている。
そして、顔色を変えた。
「な、俺のシャノンは、どんな時でも俺を楽しませようと頑張る。可愛いだろ」
ぽーんぽーんと、ゼノクルは、薄金色をしたひし形を、空に向かって投げる。
シャノンが逃げ出す時に奪ったらしい。
カサンドラは両手で頭をかかえていたので気づかなかったのだろう。
「……やめ……」
声が震えている。
ゼノクルには、それがなにかはわからない。
けれど、カサンドラにとって「命」よりも大事なものだというのは、わかる。
さっきまでの威勢の良さと冷酷さが消えていたからだ。
「俺だって、さっきやめろっつったじゃねぇか。なのに、お前はどうした? やめなかったよな? それに、こうも言った」
ひし形を投げ上げながら、にいっと嗤う。
カサンドラの悲壮な表情に、楽しくなってきた。
「傷つけたら、やりかえされてもしかたない」
まだ体はしびれているはずなのに、カサンドラが這いずって来る。
その姿も、ゼノクルは気にしない。
魔人としての精神攻撃は一瞬でも、人に対して大きな打撃を加えるのだ。
カサンドラは、今、まともに話すことができなくなっている。
声を出せているだけでも、相当な精神力だと言えた。
「やっぱりラーザの王女は違うねえ。いや、聖者の血か?」
言いながら、ひと際、高く、ひし形を放り投げる。
カサンドラが追うように顔を上げていた。
その顔を見ながら、ひょいっと銃を手にする。
それを、空に向けた。
標的は見ない。
「戦闘向きじゃねぇよな、こういう撃ちかたって……バーン!」
ヒュッと空気を割く音がした。
銃弾の行方も追わずにいる。
命中を確信していたからだ。
パリーンッ!!
標的の「壊れる」音が響く。
銃の威力を考えれば、あの「ひし形」は粉々だ。
ゼノクルは、シャノンに笑顔を向けて言った。
「こうしてお姫様の大事な宝物は砕け散ったのでした、おしまい」
カサンドラは、空を見上げたまま動かずにいる。
瞬きすらしていない。
「どうだ、シャノン。楽しかったか?」
「……き、きれいに……壊れ、ましたね……」
「いや、俺、見てねぇっての」
「きらきら散って……き、きれい、でした、よ?」
「そっか。ま、お前が楽しかったんなら、そんでいいや。それより急がねぇとな」
シャノンは傷だらけだった。
その体を抱えたまま、ロキティスの襟首をつかんで引きずる。
リニメアは放置して、歩き出した。
そろそろ無人の中型リニメアが到着する頃合いだ。
魔物たちに気づかれないよう、かなり北西を迂回させている。
セウテルと決めておいた合流地点に向かって、のんびりと歩いた。
途中、副官に連絡を入れておく。
自分で戦意を煽っておきながら、部下思いの「指揮官」を演じた。
「全員、撤退してるかっ? 1時間って言っただろうが! してねぇ奴らは、すぐ呼び戻せ! そこから北西に迎えを来させてる! 位置情報を送るから是が非でも生還しろッ! 急げ!!」
それらしいことを言って、通信を切る。
おそらく生存者は、多くて4,5千人というところだ。
出征した人数からすると、生き残りは3割程度になる。
だが、ゼノクルに死者を悼む気持ちなどない。
「ラーフロぉ!!」
魔物の国を出た少し先、空を見上げて、ゼノクルはラフロを呼んだ。
壁はないし、魔物たちも追える状態ではないと、わかっている。
すぐに懐かしい声が聞こえた。
気配もなく、ラフロが目の前に現れる。
「きみは、ずいぶんと癇癪を起こしていたねえ」
「だって、お前の娘、ひでえんだぜ? 俺の気に入りの玩具を、こんな傷だらけにしやがってよ! あんまりじゃねぇか?!」
「おやおや、これはずいぶんと傷んでいるな」
「だから、言っただろ! お前の娘は、ひでえってよ!」
「ああ、わかった。すぐ元通りにしてあげるから、そう怒らないでおくれ」
目をしばたたかせているシャノンが、光につつまれた。
ひょこんと耳が立ち、くるんっと巻いた尾が現れる。
すっかり元通りになり、俄然、気分が良くなった。
人の国には壁があるので、呼びたくてもラフロを呼べなかったのだ。
そして、魔人であるクヴァットには「治す」という力はない。
ラフロとは、得意とするところが違う。
実を言うと、ラフロのお気に入りの王の間は、クヴァットが作った。
世界を映す鏡のような湖面も、ラフロが退屈しないようにと考えてのことだ。
「これでいいかな? きみのご機嫌は直ったかい?」
「まぁな。元通りになったから、よしとするさ」
「それにしても、きみは、いつも楽しみを見つけてくるねえ」
「お前も一緒に楽しめりゃいいんだけどな」
「楽しんでいるさ。わかっているくせに、わざとらしく悩み深げに言うのだから呆れてしまうよ」
ラフロが、ちらっとシャノンに視線を向ける。
たいして関心もないのだろうということやなんかは、わかっていた。
「連れて帰るのかい?」
「それこそ、わかってることを聞く必要があるか、ラフロ」
「好きにするがいいさ。でもねえ、あまり癇癪を起こさないようにしてくれると助かるよ。きみが癇癪を起こすと、イスの座り心地が悪くなっていけない」
クヴァットが肩をすくめると同時、ラフロが消える。
ちょうどいい具合に、無人のリニメアが近づいて来るのが見えた。
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