いつかの空を見る日まで

たつみ

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最終章 彼女の会話はとめどない

取引の俗解 1

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 魔物の国の真ん中だというのに、ラフロが姿を現わす。
 キャスは、驚きはしなかった。
 魔人がラフロを呼ぶと思っていたからだ。
 黙って、聖者と魔人を見つめる。
 
「ラフロ……シャノンが……シャノンを直してくれよ、ラフロ」
「クヴァット、だから、私が言ったじゃないか。壊されないように、気を付けなければならないとね」
「壊れてねえ! まだ、まだ……体があったけぇんだ、だから、まだ……」
「きみにもわかっているはずだよ? 私には治す力はあっても、戻す力はない」
「頼むから……ラフロ……シャノンを元通りにしてくれ……っ……」
 
 魔人の名は、クヴァット、というらしい。
 ラフロに取りすがるようにして頼んでいる。
 が、ラフロは、いつもの穏やかな笑みを口元に溜めたままだった。
 クヴァットに対しても、これといった「情」はないようだ。
 
「その子は、もう壊れているよ、クヴァット」
 
 ぱたぱたっと、クヴァットの瞳から涙が落ちる。
 その姿はベンジャミンだが、中にいるのは魔人だ。
 娯楽のために、人の生死などなんとも思わない魔人。
 
 その魔人が、泣いている。
 
 たった1人の中間種のために、涙を流していた。
 悲しみや嘆きすら伝わってくる。
 
(あんたは玩具だって言ってたけど……可愛がってたって知ってたよ)
 
 キャスが、シャノンを盾にした時も耳や尾を切った時も、魔人は、ひどく怒っていたのだ。
 自分のものだと言い、返せと、キャスに迫って来た。
 
 そして、自由になったシャノンは迷わず魔人に向かって走り、その体を、魔人があたり前のように抱きとめていたのを、目にしている。
 
 シャノンは、この魔人にとっての「特別」だと、そう察した。
 
 おそらく魔人ゆえに、自らの気持ちに気づいていなかったのだろう。
 どれほど大事にしていたか。
 どんなにか大切に思っていたか。
 分からなかったに違いない。
 
 玩具、という以外の言葉も知らなかった。
 
 隣にいるザイードは、黙っている。
 自分のことを「残酷」だと思っているだろうか。
 キャスは、魔人の「心」を知っていた。
 知っていて、利用している。
 
(ザイードなら……こういう手は使わなかったよね……)
 
 ティトーヴァの気持ちを知りながら、ザイードはキャスを「囮」にしなかった。
 感情を利用されてきた魔物だからこそかもしれない。
 ザイードは、そういう手段を好まないのだ。
 
 キャスは、意図的に、シャノンを裏口に立たせている。
 魔人が殺されかければ、庇うためにシャノンが駆けて来るとわかっていた。
 キャスたちにとっては、忌まわしいものでしかなくても、シャノンにとっては、大事な「ご主人様」だったのだ。
 
 シャノンにとってもまた、クヴァットは「特別」だった。
 
 クヴァットと同じように、それを言葉でどう表現するのかを知らなかったのだろう。
 命を懸けてでも守りたい相手が、ただの「あるじ」であるはずがない。
 実際、ロキティスからは離れている。
 
 そして、キャスは撃った。
 
 狙いは、最初から、シャノンだったのだ。
 クヴァットを撃つ振りをして、シャノンを誘い出したに過ぎない。
 報復や復讐のためではないが、残酷なことをしている自覚はある。
 けれど、どうしても、こうする必要があった。
 
「クヴァット、私と一緒に帰るかい?」
 
 ラフロが、静かに声をかける。
 今度は、クヴァットが首を横に振った。
 そのことに、キャスは、眉をひそめる。
 思っていたのとは違う反応だったからだ。
 
(ラフロと一緒に帰ると思ってたのに……)
 
 もう決着はついている。
 クヴァットにも、それはわかっているだろう。
 これ以上、引き延ばしても、クヴァットは楽しめない。
 クヴァットの「娯楽」は終わったのだ。
 
 シャノンの死をもって。
 
 クヴァットが、そっとシャノンの体を床に寝かせる。
 涙は止まっており、キャスを見た瞳に憎しみが宿っていた。
 面白がったり、楽しんだりしている様子は、どこにもない。
 
「小娘……お前に、後悔させてやる」
 
 びりっと、体に痺れが走る。
 例の精神への攻撃だ。
 たちまち膝をつく。
 
「キャスっ! おのれ……っ……」
「駄、目……ザイード……っ!」
 
 クヴァットを攻撃しようとしたザイードを止めた。
 あれは「ベンジャミン」の体なのだ。
 キャスが壊すまでは、ちゃんとベンジャミンとしての意思を持っていた。
 攻撃すれば、ベンジャミンを殺してしまうことになる。
 
 ゼノクルがどうだったかはわからないが、乗っ取られていたのは短期間ではなかったはずだ。
 もしそうなら、ロキティスがいぶかしんだに違いない。
 
 ティトーヴァがベンジャミンに違和感をいだいたように、ゼノクルが今までとは違うと感じて警戒しただろう。
 神経質な男だとフィッツが分析するほどのロキティスが、怪しさを感じながら、ゼノクルの口車に乗るとは思えない。
 
 だから、ゼノクルは殺しても良かった、ということにはならないが、あの時は、フィッツの生死がかかっていた。
 加えて、ゼノクルを殺すことで、魔人を倒せると思っていたのだ。
 けれど、違った。
 
 人の体を殺しても、魔人は生き残る。
 それでは意味がないどころか、その死が無駄になってしまう。
 ベンジャミンを殺しても、魔人は死なない。
 無意味なのだ。
 
「この体が、そんなに大事か? なら、壊れるまで魔力を使ってやる」
 
 うっと、キャスは呻く。
 体中がビリビリと痺れ、身動きもままならない。
 痛みをこらえる中、バチッという音がする。
 
 ベンジャミンの体が、チリチリと焦げていた。
 ザイードが、手に小さな動力石の粉入り袋を持っている。
 それに火をつけ、ベンジャミンが死なない程度に攻撃を仕掛けたらしい。
 
「ラフロ」
「やれやれ、しかたがないねえ」
 
 一瞬にして、ベンジャミンの体が元通りになる。
 
 ザイードが瞳孔を狭め、ラフロを見ていた。
 キャスは、ザイードの腕を掴み、やはり首を横に振る。
 ラフロも殺してはならない。
 それでは「取引」が無効になってしまうのだ。
 
(あいつが……クヴァットが引き下がって、聖魔の国に帰ったら……)
 
 ベンジャミンの体は解放される。
 命がどうなるかは不明だが、生き残れる可能性はあった。
 そのためにも、ラフロは生かしておかなければならない。
 
「……もう、シャノンは死んだんだよ? こんなことしても意味ない……」
「うるせえ、小娘……そんなことは、俺が決める」
「とっとと聖魔の国に帰りなよ」
 
 瞬間、ハッと、クヴァットが嗤った。
 真っ黒な魔力が、キャスにさえ見える。
 その黒い霧のようなものが、ベンジャミンの体を覆っていた。
 
「シャノンがいねぇのにか? シャノンがいねぇのに、国に帰れってか?」
 
 キャスは、自分が読み違えていたことを知る。
 クヴァットの「想い」は、キャスが想像したよりも、ずっと深かったのだ。
 人や魔物がいだくものと同じくらいに。
 
「俺は、国に帰るつもりなんざねえ」
 
 そうなると、クヴァットの目的はひとつになる。
 人も魔物も、クヴァットにとっては憎しみの対象でしかない。
 殺戮することしか考えないだろう。
 
 ベンジャミンごとクヴァットを殺すか。
 
 物理的な攻撃ではベンジャミンを殺すだけになるが、ザイードの魔力攻撃なら、魔人も消し飛ばせる。
 しかし、ベンジャミンは魔力攻撃を弾く装備を身に着けているのだ。
 どうするべきか、一瞬だけ迷った。
 
「死んじまえ、小娘っ!」
 
 クヴァットが隠し持っていたらしき銃を抜き、引き金を引く。
 近距離からの銃撃だ。
 頭を撃ち抜かれる、と思った刹那。
 
 パキーンッ!
 
 銃弾が、粉々に弾け飛ぶ。
 目の前には、見慣れた背中。
 
 冬だろうが夏だろうが半袖で、薄っぺらいズボンしか履かない人。
 どんな時でも、その背にキャスを庇ってくれる人が、そこにいた。
 
「あなたの腕は、彼ほどではありませんね」
 
 洞で眠っていたはずのフィッツが、いつの間にかキャスの前に立っている。
 振り向いたフィッツの、薄金色の瞳を見つめた。
 
「少し寝過ぎてしまったようです。お待たせして、すみません」
「……待たせ、過ぎ……待たせ過ぎだよ! ずっとずっと待ってたんだからね!」
 
 涙目のキャスに、フィッツは、申し訳なさげに小声で慰めるようなことを言う。
 だが、すぐに体を返した。
 そこには、クヴァットとラフロがいる。
 
「ラフロ」
「言いたいことはわかるけれど、どうにもねえ」
「いいから、やれ」
 
 なにをかは、わかっていた。
 ザイードも気づいているようで、心配している。
 その目の前で、フィッツが、ぱたっと倒れた。
 駆け寄って、フィッツを抱きしめる。
 
「フィッツは、大丈夫だよ。大丈夫なんだよ」
 
 胸にいだき続けてきた不安はなくなっていた。
 無条件に、フィッツを信じている。
 あの頃のように。
 
 『もう少しだけ待っていてくださいね、キャス』
 
 フィッツは、そう、確かに、そう言ったのだ。
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