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思いの丈 3

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 残念にもほどがある。
 
 こんな残念な男は、見たことがない。
 キーラは、すっかり呆れていた。
 すっかり上機嫌になっている王太子に目を細める。
 当然、微笑ましいほうの、ではなく、呆れ過ぎて、という意味で。
 
(まぁ……利用するだけして捨てればいいか……)
 
 考えてみれば、いっそ都合がいいかもしれない。
 体を差し出して情報を得る手もやむなし、と思っていた。
 だが、この王太子は、女性とベッドをともにすることができない体なのだ。
 何も差し出さず、情報だけを得られる。
 
(あの調子じゃあ、したくてもできないじゃんね……っと、待った!)
 
 王太子に、少し「良い返事」をしようと思った自分に「待った」をかける。
 キーラには6歳まで過ごした日本という国の記憶があった。
 魔術は実在するものではなかったが、童話や小説、アニメーションなどで知識を得ている。
 日本独特の要素も、その中には多分に含まれていた。
 
「殿下は呪いをかけられておられるのですか?」
 
 仮にそうだとすると、自分もヤバいのではなかろうか。
 呪いは伝染する、といった印象がある。

 恐い話やホラー的なものは苦手ではなかった。
 だからこそ、いろんな物語を知っている。
 呪われた人と一緒にいて、結果、自分まで呪われるはめになる、といった類の話も少なくなかった。
 
「呪い? そのようなもの、かけられてはおらぬな」
「なぜ、言い切れるのです?」
「呪いなど存在せぬからだ」
「存在しない?」
「結局のところ、魔術の一種に過ぎぬのでな。相手に気づかれぬよう悪意のある魔術をかけることを、呪いと呼んでおるだけだ」
 
 それ、完全に呪いじゃん。
 
 言いたくなるのを我慢する。
 日本とこの世界は、秩序も価値観も、なにもかもが違っていた。
 魔術はロズウェルドにか存在しないものでもあるし、王太子の中では、なんらか厳密に区別されているのかもしれない。
 
「だが、絵本などには出てくるぞ。好いた女に好かれぬ呪いをかけられた王子の話とかな」
 
 どんな絵本だよ。
 
 いちいち突っ込みたくはなるけれども、疲れるのでやめておく。
 いいかげん残念王子のせいで疲れているのだし。
 体力的にではなく、精神的に。
 
「では、殿下に魔術をかけた者が悪意を持っていたということでは?」
「それはない」
 
 やけにきっぱりした口調で言いながら、王太子がどういうわけかキーラの右手首を掴んできた。
 それからゆったりした歩調ではあるものの、どこかいそいそとした雰囲気を醸しつつ、扉から離れて行く。
 
(私が逃げないように捕まえてるつもり?)
 
 こんなに隙だらけの相手から逃げるなんて、キーラにとっては簡単だ。
 仕事が終わっていないので、とりあえず逃げる気はないけれども。
 
 王太子に手を引かれ、広い室内を奥に向かって歩いて行く。
 ちょっとイラつくほど、もったりした動きだった。
 仕事柄、キーラは素早く動くのに慣れている。
 部屋を横切るのに、これほど時間をかけることが信じられない。
 
 がっちりした体格は、鍛えているように見えたが勘違いだったのだろう。
 キーラの頭に浮かぶ、あまりよろしくない言葉。
 
 独活うどの大木。
 
 この王太子にはお似合いだ、と思う。
 キーラが心の中で悪態をついているとも知らず、王太子はひたすら上機嫌。
 キーラに見捨てられなかったのを喜んでいるようだ。
 
「魔術をかけた者に悪意がなかったと、わかっておられるようですね」
「むろん、わかっておる」
「差し支えなければ、理由を教えていただいても?」
 
 読み違いで、自分まで魔術をかけられてはかなわない。
 ぼんくら王太子の言うことに信憑性などなかった。
 ここは、はっきりさせておくべきなのだ。
 
 室内奥の扉を開き、中に入る。
 うわっと思った。
 
(寝室だ、ここ。ものすっごい豪華だけど、寝室だわ、これ)
 
 まだ諦めてなかったのか。
 
 喉まで出かかった言葉を、飲み込む。
 王太子は、よほどキーラといたしたいらしい。
 銅像を倒し、シャンデリアを落とし、花瓶を割り、カウチをぶっ壊しておいて、まだ諦めていないのだ。
 
 王太子が、ふかふかのベッドの縁に座る。
 隣をぽんぽんと叩かれた。
 男前の、ものすごく、いい笑顔で。
 
 キーラは肩を落としつつ、隣に座る。
 少し離れて座ったのに、王太子は、じりっと間合いを詰めてきた。
 あげく右隣にいるキーラの左手を握ってくる。
 
(いや、もう、がっつき過ぎでしょ? 肉食になれない牙ナシ狼のくせに)
 
 6歳の頃には、テレビや漫画で見ていてもわからなかったシーンやセリフの数々も、今となってはわかるようになっていた。
 成長してから、かつての記憶に納得したり、理解したりしている。
 あれはこういう意味だったのか、と。
 
「魔術をかけた者に悪意がなかったと仰られる理由を教えていただけますか?」
「かけたのは、私だからだ」
「え…………?」
「私も幼かったのだな。誰にでもある過ちだ」
 
 誰にでもあるわけあるか。
 
 言いたいのに、言葉が出てこない。
 面食らう、というのは、こういう時に使うのだろう。
 鳩が豆鉄砲を食ったよう、とか。
 
「そのようなことより、お前のことを愛称で呼びたい。呼んでも、かまわぬな? キーラ。良き響きだ」
 
 キーラからすれば愛称呼びなんかどうでもいい。
 それこそ、そんなことより「そのようなこと」のほうが、ものすごく気になる。
 
(は? 自分で自分に、かけた? なのに、女を抱きたいって、がっついてる? それ、なんの苦行? 馬鹿なの? 絶対、馬鹿だよね、こいつ!)
 
「では、仕切り直しとしようではないか」
 
 キーラが王太子のあまりの馬鹿さ加減に茫然となっている間にも、王太子は、いたす気満々といった様子で顔を近づけてきた。
 とたん、ハッと正気に戻る。
 
 この残念王子には「呪い」がかかっているのだ。
 自分でかけたらしいけれど、それはともかく。
 
 視界の隅で、ものすごく高級そうな背の高い照明器具が、ぶるぶる震えていた。
 頭の端に「確かに、これ魔術だな」との考えが、ちらっとよぎる。
 グラグラ揺れる、とかならまだしも、照明器具は、ぶるぶる震えたりはしない。
 
「キーラ。私と理無わりない仲にな……」
「殿下ぁッ!!」
 
 王太子の体を横抱きにし、ベッドに再びダイブ。
 不本意だったが、王太子にける気がないため、そうするしかなかったのだ。
 
 どガッシャーンッ!!
 
 ものすごい音が、響いた。
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