手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

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時也編

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 一也の部屋に泊まったあの日、自分の部屋に向かって歩きながらやってしまったと後悔したものの、少しだけ遊びに行くのを楽しみに思っている自分に気付きため息を吐いた。一也は僕の事が好きだと言ったけれど〈好き〉の気持ちは人それぞれだから。

 例えば〈一緒にいるだけで満足できる好き〉もあれば〈相手の全てを欲しがる好き〉もあるし、究極〈好きな相手を見る事がでるだけで幸せ〉なんて好きもある。
 僕の〈好き〉は知り合い以上友達未満の好きで、一也の〈好き〉は恋人関係を見据えての好きなのだからそもそものベクトルが違う。この先、僕の〈好き〉と一也の〈好き〉が混じり合う事があるのだろうか…。

 そんな事を考えながら部屋に辿り着く。一也の部屋でそれなりに緊張していたせいでドッと疲れが出るけれどやるべきことは沢山ある。
 帰宅途中にコンビニで買った弁当を食べる前にスーツを着替え、まずは洗濯を回す。
 一人暮らしだと洗濯の量が少ないせいで週に2回ほど回せば困ることはない。
 下着を数日分貯めることに抵抗があったのは一人暮らしを始めてすぐの数週間だけで習慣となってしまえば何の抵抗もない。就職してから気になるのはワイシャツの襟周りの汚れだけどそこだけ予洗いすることも覚えた。
 毎回クリーニングに出す事を考えればアイロンがけだってやるしかない。金銭的な問題もあるけれど、大きいのはクリーニングに出して取りに行くという作業の時間的ロスだ。スーツやネクタイはローテーションで誤魔化せるけどワイシャツは毎日替えないわけにはいかず、そうなるとある程度枚数を揃えて洗濯とアイロン掛けをするしかない。
 食事だってカレーや炒飯ばかりだった頃に比べれば少しは上達しているし、僕の手は案外有用だ。

 洗濯の合間に弁当を食べ、掃除をし、米の量を確かめる。料理の腕は多少上達したけれど疲れている時はレトルトカレーやコンビニの惣菜はマストだ。米さえあれば何とかなる。
 そろそろ少なくなってきたので買っておいた方がいいかもしれない、そんな事を考えながらその他諸々の日用品をチェックする。今日はもう買い物に行く気力はないけれど明日は頑張ろう。
 洗濯を干して米を炊いて。

 あっという間に土曜日が終わってしまった。

 何だかぐったりしてしまい今夜はレトルトカレーのお世話になることにする。本当は野菜も食べたいし、カレーだけでは物足りない気もするけれど今夜はお腹が満たされれば良しとしよう。
 学生の時と違い多少は食事を気にするようになったけれど、週末に作り置きをするほどのスキルはない。日持ちのする食材で何とか誤魔化し誤魔化し食事の用意をする毎日。
 結局は野菜といえば野菜炒めが定番で、シチューやカレーは一度作れば週の半分はそれを食べることになる。
 先の人生、まだまだ長い。
〈結婚〉という未来を考える事ができない僕は自分でできる事を増やしていくしかないのだけれど、一人暮らしを始めて5年目になるのに家事スキルはそれなりにしか上がっていない。

 平日は帰宅して食事を作って食べて片付けをして、お風呂に入ればもうベッドに入りたくなる。
 土日は家のことをしているうちに終わってしまう。
 金曜日になると駅で待っている一也と食事をして土日のどちらかに約束をさせられるのはいつから始まったのか。
 どこかに遊びに行こうと言われたものの新入社員の立場としては週末に出掛けるほど体力が残っておらず、どちらかの家で過ごす事が多くなってしまったのが間違いだった。
 一也の家に遊びに行った時にまだ週末の片付けが終わっていなかったある日、好きにしていてと言われた僕は仕方なくスマホを弄りながら一也の様子を伺っていた。そして気付いたこと。

 一也は案外家事のスキルが高い。

 キッチンで何かやっていると思ったら作り置きをしているようで、大量の肉は小分けにして何かしているのに気付く。野菜もあるようだけどどうするのかと興味を持って見ているとそれに気付いた一也に声をかけられた。
「何か気になる?」
 そう言われて正直に何をしているのか興味があると話すと事細かに〈何をやっているか〉を説明された。

 肉は大量に買った方が安いから小分けにして調味液に絡めてから冷凍しておく事。その日の朝に冷蔵庫に出しておけば帰宅して焼くだけで一食になること。
 野菜もほとんどの野菜は使いやすい大きさに切って冷凍しておくこと。味噌汁やスープには冷凍したまま入れる事ができる事。そう言って見せてくれた冷凍庫には様々な野菜が冷凍されており驚かさせる。
「一也って料理できる人?」
「バイト先が居酒屋だったから」
 そう言って笑う。曰く、ホールで入ったものの〈色々と〉やらかしたせいで厨房担当に回されたと。その〈色々〉はきっと色事だったのだろうけどそこは触れないでおく。
 そのまま一也の食事事情を聞いてみると思いの外ちゃんとしていて驚かされる。
「時也、もしかして家事苦手?」
 ニヤリと笑う一也が憎たらしい。
「一也は得意なの?」
「嫌いじゃないよ」
 そう言って話した内容にまた驚かされる。
〈服〉が好きで着こなしにもこだわりがあるため服の手入れには気を使う事。クリーニングに出して手元にない時に着たくなることを防ぐためにほとんどの服は自分で手入れすること。
 掃除は好きじゃないから常に掃除ができるようシートを挟むタイプの掃除道具を数カ所に置いて気付いた時に軽く掃除をすること。そうすれば気になる程汚れることはないから気になった時にしっかり掃除をすること。
 自分では思いつかないことばかりで感心する僕を見て一也が提案したことを受け入れなければ違う未来があったのだろうか?

「次の週末、時也の家で色々教えてやるよ」
 そう言われてはじめは抵抗したんだ。だけど自分の部屋で、自分の道具で実践して方が覚えやすいからと言われ頷いてしまった。家にある道具を聞かれて、あまりの調理器具の少なさに呆れられる。鍋とフライパン、それに包丁とまな板があれば十分だと思っていたけれど、計量カップと軽量スプーンは必要だと力説された。今時はほとんどの調理器具が100均で揃うのだからある程度揃えるべきだとその日のうちに100均に連れて行かれたのは楽しい思い出になるのだろうか?
 調理器具を買うついでに掃除道具や洗濯用品まで買わされる。
「一人暮らし、5年目になるのに信じられん」
 そう言って呆れる一也が頼もしく見えてしまったんだ。

 その日は一也の手料理をご馳走になり100均で大量に購入した数々の品を持ち帰った。あまり物の無かったキッチンがそれなりに賑やかになり、使い方のわからない洗濯グッズが増え、シートを挟むタイプの掃除道具を部屋の数箇所に置くことになった。
 キッチングッズと洗濯グッズは使い方がよくわからないままで、簡単に掃除をすることを覚えた頃に一也が家にくる日となった。一也自身は金曜日に帰宅してから諸々の片付けなどを終わらせるからと、土曜日の午後から来てくれるというので午前中の間に洗濯や掃除を終わらせておく。昼過ぎに近くのスーパーで待ち合わせをし、そのまま食材の買い出しをしたのだけど普段自分では買わない食材ばかりがカゴに入っていくのを見ていることしかできなかった。

 アレルギーは無いか、食べれない食材はないかと聞かれたため嫌いな食材を告げると「食べれない食材と嫌いな食材は違うから」と却下されてしまう。カゴの中は僕だけではどう扱っていいのかわからない食材も多い。
 カゴの中の食材を見て会計が心配になるものの、思ったほどの金額ではなく驚いたのも覚えてる。
「これで食事事情、だいぶ良くなるよ」
 そう笑った一也の言葉は本当で、帰宅後にまず野菜の冷凍を教わった。
 芋類は駄目だけどそれ以外の野菜はほとんど冷凍できるから、と大根、ニンジン、玉ねぎ、きのこ類、それとキャベツを切り方を教わりながら切っていく。そしてジップ付きの袋に入れて平にして冷凍していく。それが終わると今度は買ってきた肉を小分けにして焼肉のたれに漬け込んだり、味噌漬けにしたりしていく。軽量スプーンの使い方を教わりながら、その調味料の分量をメモしながら漬け込んでいく。今回は豚コマにしたからと言われてもそれがどんな肉かもわからない僕はただただ一也の指導について行くだけで必死だ。
 
 食材の処理が終わると今度は洗濯のやり方で、よく分からないまま買った洗濯グッズの使い方を教えてもらいながら洗濯を干し直す。パーカーのフード部分を乾かしやすくするグッズや洗濯ネットの使い方。襟や袖の予洗いに適した洗剤とその使い方も教えもらい、アイロンの掛け方も教えてもらう。

 僕は一体、今までの5年間何をやっていたのだろうか。
 正直なところ落ち込むことしかできなかった。同じように学生生活を送り、バイトをし、他者との関わり合いも僕より遥かに多かっただろう。おまけに職場は僕よりも数段上のランクの会社。
 きっと僕だって家事のスキルを上げる機会はあっただろう、だけど彼に溺れ、彼を求め、彼と別れ、彼を忘れる事ができないまま過ごした日々がこの差なのだろうか?
 彼を失っていじけた僕はその想いを向ける対象を見つける事ができず流されるままに毎日を送り、それなりの会社に入社し、それなりの毎日を送っていたのだ。

 そこに入り込んだイレギュラーな一也の存在。

 その日はおさらいだと冷凍せずに残しておいた食材で野菜炒めと味噌汁を作った。味付けの仕方を教わり、味噌汁の作り方を教わる。
「顆粒の出汁入れて、冷凍した野菜適当に入れれば野菜食べれるし」
 と言われ目から鱗が落ちる思いだった。味噌汁の具は、と定番の組み合わせにこだわる必要はないし、野菜炒めは塩コショウだけよりも他の調味料を使った方が格段に美味しいことを教えられた。
 その日食べた食事が美味しくて…。
「来週はおさらいするからちゃんとこの食材使っておけよ」
 そう言って一也が帰っていくのを見送るのが少し淋しいだなんて、そんな気持ちに気付きたくなかった。

 少しでも褒めて欲しくて食材の使い方を検索し、試行錯誤して食事を作る。量の調整ができずに残ってしまったおかずは朝食にしたり、タッパに詰めておにぎりと共に弁当として持って行くこともあった。
 どうしても面倒でコンビニで弁当を買った夜には罪悪感と少し濃いめの味付けに後悔したりもした。

 そして週末。
 食材の量を見てから買い物に行こうと僕の部屋に来た一也は食材の減り方を見て「頑張ってるみたいじゃん」と笑顔を見せる。
「野菜の減り方で好き嫌いがわかるな」
 と大量に残った人参を見て呆れ、ちゃんと減っている肉を見て笑う。
「面倒な時は卵かけご飯でもいいし、ウインナーと目玉焼きだけでもおかずになるよ」
 言いながら今日買うべき食材を決めているようだ。「メモして」と言われた食材をスマホのメモ機能に登録して使い道のわからない食材に首を捻る。野菜の他に油揚げ、ハム、ベーコン、コンソメ顆粒、その他諸々買って使えるか不安になるけれど一也を信じるしかないだろう。

 そうやって週末は一緒に過ごし、食材の使い方も覚えていく。
 土曜日の夜は〈復習〉と称して夕食を作って2人で過ごす。夕食の時にアルコールを準備したのは一也で、気が付けば飲み過ぎて泊まっていくことも珍しくなくなっていった。

 少しずつ心を開き、少しずつ距離が近づき、少しずつ少しずつ好きになっていった。

 一也ははじめからそうなることを望んでいたから僕がその気にならないようにと気を付けていたけれど、一緒に居るうちに徐々に徐々に好きになることは止められなかった。

「時也、俺の事好きになってるでしょ?」
 してやったりと一也が笑ったのは知り合って2年程過ぎたその年の秋。
 少しずつ寒くなってくる季節に人恋しさを感じた頃だった。





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