手〈取捨選択のその先に〉

佳乃

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時也編 3

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 その日の仕事を終え、一度家に帰り、着替えてから弁当箱を洗うのはいつものルーティーン。
 夕食で使った食器と共に洗えば一度で済むけれど、ついつい忘れてしまい全て洗い物を終えてから弁当箱の存在を思い出す事が多かったため帰宅してまず洗うようになったのは生活の知恵。
 洗い物をしてから夕飯を作るのがいつもの流れだけど、今日は外食なので弁当箱を片付けて本棚の前に移動する。最近は敦志に貸す本を選ぶのも楽しみのひとつだ。

 もともと雑多だった僕の本棚は〈読みたい〉と思う傾向が決まってきたせいか、同じ作家や同じジャンルの本が増えていき、少しずつ整理整頓されてきているのが我ながら面白い。
 その中からシリーズものの1冊目を選び、バックに入れる。そろそろ家を出ればちょうど良いくらいだろう。

 いつもは明るくなってから歩く街並みを、暗くなってから歩くのはなかなか新鮮だ。帰る時間には暗くなっているけれど逆向きに歩くだけで、目を向けている方向が違うだけで、それだけで見える景色も変わってくる。
 明るい時には分からない、帰り道では気付かない少しの変化が楽しくて、リボンのついたクリスマスツリーは夜になってライトアップされていてキラキラと光っている。帰りの方向だと家の壁に隠れるのだろう、たった今気づいたその光に何だか得した気分になってしまう。
 コートは仕事用のものではなく防寒重視のダウンを着込み、手袋をしているけれど外の空気は澄んでいて冷たい。首元が寒くて吹いてきた風に思わず震えてしまうけれど、それでもマフラーを使おうとは思えない。
 僕は案外頑固なのだ。

「時也」
 そろそろ駅が近づくと思ったその時、聞きなれた声に呼ばれて顔を上げるとすぐ近くに敦志がいて驚かされる。
「あれ?
 早くない?」
 驚いた僕に予定よりも早く着いたからと笑顔を見せる敦志はコートや手袋はもちろん、暖かそうなマフラーが首元を守っている。
「予定より早く着いたからゆっくり歩いてれば合流できるかと思って」
 そう言って僕の隣に並ぶ。
「出張お疲れ様。
 何か食べたいものの希望はある?」
 2人で並んで歩き出し、そう確認する。寒かったのか、温かいものが食べたいと言うため悩んでしまう。手っ取り早いのは家で鍋だけど、鍋を作るスキルはあるのに作るための道具が僕の部屋には不足している。季節ものは必要を感じなければ用意する機会がないのだ。

「今度、土鍋見に行かない?」
 ああでも無い、こうでも無いと言いながらそれでもと決めた店への道中、何となく敦志を誘う。
「土鍋?」
「本当はうちで鍋でもって思ったけど土鍋ないんだよね」
 そう言うとなんだか嬉しそうな顔になり「明日行く?それとも明後日?」なんて気が早い。
 学生の頃は気が付かなかったけれど、鍋料理が好きなのかもしれない。そう思うと今、温かいものが食べたいと言ったことも納得できる。
「別にそんなに急がなくても良いけど…冬の間に鍋やりたいね」
 後になって敦志から〈無意識の誘惑〉なんて言われたけれど、全くそんな気持ちはなくって。だけど、最近よく読むようになった小説には友人と鍋を囲む、というシチュエーションが案外よく見られるため憧れてはいたんだ。
 職場の人たちと鍋を、というのはかなりハードルが高いけれど、敦志なら安心して誘うことができる。

「なんなら今、注文したら明日届くんじゃ無い?」
 店に入り、ひと通り注文を終えるとおもむろに敦志がスマホを取り出す。
「そこまで急いで無いって」
 敦志の性急さに笑ってしまう。
 店内は十分温められていて、コートを脱いだのに暑いくらいだ。体が慣れれば落ち着くのだろうけど、温かいメニューを多く選んだため汗をかくかもしれないと少し心配になる。
「でも重いし嵩張るからネットのほうが楽かもよ?」
 言いながらいくつかの土鍋が並んだページを見せてくれる。

 定番の物からこだわった物まで並ぶその中で何を選べば良いか途方に暮れ、とりあえず敦志にスマホを返すと僕も自分のスマホを開く。
 思いつきで言ったことなのに、2人で真剣になって土鍋を探す様は他から見たら滑稽かもしれないけれど、楽しくもあった。
「1人用が6号ってことは7号?
 でも8号のとこに2人から3人とも書いてあるし」
 昔から真面目な敦志は土鍋を選ぶだけでも真剣である。
「鍋の素使うと7号だと一袋入らないみたいだよ?」
 何を見ているのか、そんなことを言われ悩んでしまう。今は小分けの鍋の素もあるからそれを使えば問題ないと思うのだけど、小分けのものよりもパウチタイプの鍋の素の方が種類は豊富だ。
 以前使っていたものは自分で買ったわけじゃ無いから号数なんて気にしたことがなかった。あれは、ある日突然「今日は鍋にするから」と、一也が材料と土鍋を持ってきたんだった。いつもパウチの鍋の素を使っていたから8号だったのかもしれない。

「敦志、鍋に食いつきすぎじゃない?」
 あまりの真剣さに呆れると、一人暮らしだと鍋ができないとぼやくためその通りかと納得してしまう。鍋料理は難しくは無いけれど、1人分の材料を揃えようとするとなかなかにコスパは悪い。
「じゃあ、今年の冬はたくさん鍋やる?」
 鍋は嫌いじゃ無い。
 隣り合って座り、お酒を用意してのんびり食べ進めるのは冬ならではの楽しみだ。
 何品か副菜があればつまみにもなる。
 火の通りにくいものを先に準備しておけば、温め直しながら火の通りやすい食材を入れれば完成する。だから一也を待つ間に準備しておけば、迎え入れてすぐに食事を提供だってできた。
 そういえば去年の冬も、その前の冬も、鍋はよくやったなと思い出し、一也の買ってきた土鍋を思い出そうとしたけれど、無地で黒かったことは思い出せても鍋や蓋の形状は思い出すことができなかった。一也のことだからきっと拘って買ったんだろうけど、検索して出てきた無地の黒い土鍋はどれも思った以上に高額で、僕には分不相応だったのだと思うだけだった。一也も、一也の選ぶものも僕には分不相応だったんだ、きっと。
 流され、それを維持しようとして背伸びしたところで疲れるだけだし、破綻したって不思議じゃなかったんだ。
 まぁ、土鍋は引っ越しの時に捨ててしまったのだけど。

「時也、眉間に皺よってる。
 真剣に選びすぎ」
 本当に土鍋を選んでいると思っているのか、それとも他のことを考えているのをわかっていてわざと言っているのか、飄々とした敦志の言葉は本心を隠していることが多いのは知っているけれど、それは僕を気遣ってくれているのだということは学生時代からなんとなくは気付いていた。だから、あの時だって頼りたい気持ちをグッと押し殺したんだ。
「大きさで迷って、柄で迷って。
 ハードル高い」
 そして、そんな敦志の思惑に甘えてしまう。そんな僕を笑って見ながら「温かいものは温かいうちに食おうぜ」といての間にか並んだ食事や温かい鍋を取り分けてくれる。
 久しぶりに選んだ鍋はなかなか家では作れないもつ鍋で、「もつって飲み込むタイミング難しく無い?」と言いながら箸を進めていく。

「鍋、やるとしたら希望は?」
「キムチ鍋」
 即答だった。
 その後に聞いた話は、例の妹さんが辛いのが苦手で家ではキムチ鍋が出てこなかったと恨み節を聞かされ、美容がどうとかで豆乳鍋ばかり食べさせられたとぼやき、それなら坦々豆乳鍋が食べたいと言って辛いからダメと却下されたとか。本当なのか嘘なのかわからない話を熱弁する。キムチ鍋にニラを入れるのも妹さんは嫌いだったらしい。
 かと言って家で一緒に鍋をやるような友人もいないし、職場の同僚と鍋をつつくのは違う。
 そうしてキムチ鍋への憧れだけが強くなっていったと力説されると笑うしかなかった。
「時也は?」
 そう聞かれて思い出したのは自分が好きなものではなくて、自分の好きなものを思い浮かべて少し笑えてきてしまう。
「僕もキムチ鍋かも」
 よく食べていた鍋は違うものだったけれど、好きなのはキムチ鍋で、だけど自分の好きなものよりも相手の好きなものを優先してしまう僕は選択肢としてキムチ鍋はあまり候補に上がらなかったのだ。
「とりあえず、土鍋選ばないと」
 そして話は始まりに戻ってしまったけれど、そんな時間も楽しかった。

「明日、どうする?」
 食事も食べ終わり、ゆっくりと飲みながら敦志が聞いてきたのは〈土鍋を買いに行く〉という予定の事だろう。
「持って歩くの、大変だよね」
 自分で言っておいてなんだけど、敦志に言われて土鍋を持ち歩く自分の姿を想像するとなかなかに面白い光景だ。それはそれで良いのだけど、買い物となると移動は電車になるので土鍋を持って電車移動もなかなかに不便なことに気付いてしまう。
「ネットで買うのが1番楽かな?」
「それならそれで良いし、実物見て注文しても良いし」
 買いに行くならどこが良いのか考えて、だんだん面倒になってくる。鍋ができればいいだけでこだわりは全く無い。なんならその辺のホームセンターのものでも何の文句もない。

「だんだん面倒になってきた…。
 拘りとか無いし」
「じゃあやっぱりネット?
 って言うか、別に土鍋じゃなくても鍋ってできるんじゃない?」
 そう言われて何故かショックを受ける。言われてみれば鍋料理は土鍋でやらないといけないなんて決まりはない。だけど、そうなると今夜だって家で鍋ができたということになってしまう。
「敦志、気付くの遅い。
 だったらうちで鍋やれば良かった…」
 少し酔っているのか、ついつい絡んでしまった。
「そうしたらキムチ鍋できたし、時間気にしなくて良かったし」
 そうなのだ。
 いつも楽しく話していても電車の時間を気にするせいで、話を続けたいのに言葉を飲み込むことは何度もあった。敦志の電車の時間を考えれば仕方のないことだけど、話したいことをゆっくりじっくり話し、じっくり聞く楽しさを知っている僕には少し物足りない。
 もしも僕の部屋なら遅くなったら泊まればいいと言えるのに、と何度も思っていたせいで出た言葉だった。

「じゃあ次は時也の部屋にお邪魔しようかな」
 その言葉が嬉しくて頷いてしまう。敦志相手だと構えることなく素直になることができるのは学生時代に過ごした時間が長かったせいなのか、それとも違う意味があるのか。
 この時の僕はただただ敦志とゆっくり過ごせることが嬉しくて、それ以上考えるのをやめてしまった。そして、それは無意識のうちに意図してのことだったのだけど、鈍感な僕はそれに気付くまでにまだまだ時間がかかってしまうのだった。





 
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