短編集

いといしゅん

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キンセンカ

そこに彼女はいた

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目を開けると、虚無の世界が広がっていた。
何処を見ても何もない、ただただ虚無の空間が広がっていた。
こんな世界を見ても僕の心は落ち着いていた。
不意に背後から声が聞こえた。
「奏多…」
その瞬間、僕の心臓は跳ね上がった。
もう二度と呼ばれることはないと思っていた声音で、
自分の名前を呼ばれたからだ。
僕は、首が折れそうな勢いで振り向く。

ーそこに彼女はいたー

虚無の世界には、僕と彼女だけがいた。
手を伸ばせば届きそうな距離に彼女がいた。

手を伸ばせば彼女に触れられる。
そう思っただけで涙腺が崩壊しそうになった。
なんとか涙を堪え彼女を見つめる。
「君に会いにきたよ、桜」
僕は、彼女の名前を2週間ぶりに呼んだ。
また、涙腺が崩壊しそうになる。
僕が涙を堪えていると、
「自分を死の淵に立たせて私に会いにこようなんて…ほんっとバカなんだから…」
そう言って、桜は抱きついてきた。
もう限界だった。
僕の涙腺は崩壊した。
それと同時に彼女の目からも涙が溢れる。
それからしばらく僕と桜の嗚咽だけが虚無の世界に響き渡っていた。

しばらく経ってようやく涙が止まり、桜に抱きつかれたまま、僕は桜に気持ちを吐露する。
「僕は桜が喜ぶようなことをしてやれなかった。
 だから、せめてこの世界で桜を幸せにさせたいと思ったから会いにきた」
そう言うと、桜は呆れたような顔をして言った。
「一つ勘違いしてるけど私にとって、奏多と過ごせた時間はずっと幸せだったよ」
だからね。と桜は一拍置いて、
「奏多は私よりもたくさん生きて、たくさん幸せを感じて欲しいの」
「けど、僕は桜が幸せだと感じるような想い出を作れなかった」
「だったら、これは奏多にとって幸せじゃないの?」
と頬を赤らめながら桜は言って、僕に顔を近づけ、
僕の唇に桜の唇が触れた。
数十秒間それが続いた後、桜はそっと唇を離した。
この時僕は、決意が固まった。
「もう大丈夫」
僕がそう言うと、桜は
「ほんとに大丈夫?」
と心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫僕はもう大丈夫だから」
そう言うと、桜は満開の笑顔を咲かせ言った。
「そっか…良かった!……愛してる、そしてさよなら私の大好きな人!」
そして僕の視界は暗転した。

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次に目を覚ますと真っ白な天井が見に入った。
身体を持ち上げようとするが、身体に力が全く入らない。
首だけを動かし、周囲を見回すとここが病院であることがわかった。
左側を向くと妹が座りながらベットにもたれかかるように寝ていた。
その様子を微笑し、妹の頭を撫でてやる。
すると、妹は跳ね起き、
「お兄ちゃん⁉︎起きたの⁉︎良かった~。っていうかもうあんな馬鹿なことしないでね!」
喜怒哀楽の激しい奴だ。
「もうあんなことはしないさ、あと身体が動くようになったら学校行くよ」
えっ。と妹は驚いてから克服できたんだ。と呟く。
別に克服したわけじゃない。
彼女の死を受け入れ生きて行く覚悟ができただけだ。
と心の中で言っておく。

ふと、病室の窓から外を見ると咲きそうな植物が見えた。
あれはキンセンカと言ったっけな。
僕は少しだけ花に詳しい。
花言葉は…
と考えているとキンセンカが咲き誇った。
そんなキンセンカの様子を見ながら僕は思った。
桜よりも生きた僕は、桜よりも幸せを感じて生きていかなければならないのだ。と…

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キンセンカの花言葉は、『別れの悲しみ』『失望』『悲嘆』『悲しみ』。
暗い言葉ばかりだが、咲き誇ると黄色く明るい花が見られる。
僕の人生はまるでキンセンカのようだ。と、そう思うのだった…

【キンセンカ 終】
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