言い訳展示室

海乃うに

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言い訳展示室

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 言い訳展示室に並べられている物にはさまざまなメッセージが込められている。ただしそれらはすべて言い訳に関するものだ。そして私の仕事はそのメッセージと向かい合い、持ち込まれた品々をふさわしい場所へ展示することである。
 初めて言い訳展示室を訪れた頃、私は来る日も来る日も本ばかり読んで過ごしていた。すこし前に勤めていた小麦粉工場を解雇されどうしようかと途方に暮れていたのもあったし、急にぽっかり空いた時間を利用して久しぶりにゆっくり本を読みたくなったのもあったからだ。要するにあの頃の私は毎日のんびり暮らしていたのである。ただしお金に余裕がなかったので、本は買わずに図書館を利用していた。
 その日もいつものように図書館で本を借り、それから同じ建物内に入っているギャラリーにも立ち寄った。私が利用している図書館は二階が一般に開放されたギャラリーになっていて、ときおり何らかの作品展が開催されている。例えば色鉛筆の会とか、油絵を学ぶ会とか、そういった市民の集まりによるものだ。今回は水彩色鉛筆の作品展の案内を見かけたので、帰る前に見てゆくつもりだった。
 言い訳展示室はそのギャラリーの更に奥にあった。これまで何度も図書館へ来てはギャラリーにも立ち寄っていたというのに、私はこの展示室の存在を全く知らなかった。言い訳展示室は、でもずっと前から間違いなくそこにあった。ただひっそりと、気が付いた人だけが立ち寄ってくれれば構いませんから、とでもいうように息をひそめて存在していた。そしてその日の私は気が付いたのだ。まるで吸い寄せられるように言い訳展示室に足を踏み入れた。
 言い訳展示室にはあらゆるものが並べられていた。アンティークの指輪、蝉の抜け殻、ネクタイピン、万年筆……。展示物のすぐそばには小さなプレートが置かれ、〈遅刻の言い訳に〉〈迷子の言い訳に〉〈喧嘩の言い訳に〉〈失格の言い訳に〉といった具合で一言だけ書かれている。私はそれらの展示品をひとつひとつ眺めていった。どれも潔いほどに後ろめたさが漂っていた。
 展示室の入り口に「必要に応じてそれぞれのメッセージをおはなしいたします」と張り紙がしてあったけれど、そんなものは不要だった。そっと窺えば入り口付近でパイプ椅子に座る係員さえ、まるでこの部屋の展示品の一部であるかのようにひっそりとしている。わざわざその静寂を破ってまで説明してもらわずとも、展示品をじっと見つめ、それらを身につけたり使ったりするところを想像しさえすれば、私はたちまちどんな言い訳のメッセージが込められているのかを感じ取ることができた。
 展示室内をぐるりと見てまわり、どこか心地良い疲労のようなものを覚えながらその場をあとにしようとしたときだ。先ほどここへ来たときは気が付かなかったけれど、係員のすぐとなりに小さな看板が置かれているのを見つけた。

 言い訳展示室 案内係募集中

 そう書かれた味気のない紙が貼られていた。私は看板の前で足を止め、はっとする。もしかしてこれは、ここに展示された品々からメッセージを読み取ることができた私宛の新たなメッセージではないだろうか。私はゆっくりと係員の方へ視線を向けた。そこに座っていたはずの人物はいつの間にか立ち上がり、契約書を手に私のことを見ていた。
 私が迷いなく契約書を受け取ったのは言うまでもない。その日以来、私は言い訳展示室の案内係をしている。


 ある日、言い訳展示室で職場体験の中学生を受け入れることが決まった。もともとは一階の図書館が職場体験の場所となっていたらしいのだが、予想外に希望者がいたとのことで、学生がひとり展示室へまわされることに決まったそうだ。その話を聞いたとき、初めはあまり気乗りしなかった。ここはまさに展示室の品々から呼ばれたような人物でなければたどり着いてはならない、そういう場所なのだから。
 そもそも普段は建物全体から忘れ去られているようなひっそりとした空間だというのに、どうして職場体験のような出来事にあわせてここの存在が思い出されたのかも理解し難い。でも、私のそんな心配はすぐに消え去ってしまった。当日やってきた中学生の女の子を一目見た途端、彼女はここへ来るべくして来た人物なのだということが分かったからだ。
 職場体験は全部で三日、そのうち一日目は顔見せの挨拶と仕事の説明のみで、本格的に働くのは残りの二日である。私は初日に言い訳展示室のことやここでの主な仕事をざっと説明し、それから展示物を見てもらった。私の予想通り、彼女は素晴らしい人材だった。飾られた品々がどういったものであるかを説明するまでもなく、ひとつひとつの物に込められているメッセージを理解しているのが彼女の横顔から判断できたのだ。
 それは例えば彼女が〈眠れない言い訳に〉とプレートを付けられたネジの前で悲し気な表情を浮かべていたことや、〈別れの言い訳に〉と書かれたプレートとともに展示されているサンダルの前で満足そうにうなずいていたことから考えても間違いないはずだった。きっと、それらの品を持ち込んだ人たちが何のネジかわからないネジが家の中に落ちていて不安になったことや、歩調を合わせてくれない恋人に愛想を尽かした場面が、彼女の頭の中で繰り広げられていたのだと思う。
 まるでずっと以前、私がここへ立ち寄った際にいた係員のように、私は彼女に契約書を差し出したくなってしまった。そういえば、あの係員は今どこで何をしているのだろう。それを考えると私が前任者を追い出したような気持ちになってしまいそうで、今までずっと考えないようにしていたことに私はようやく気が付き、すこし戸惑ってしまった。
 職場体験の彼女が展示室を一周しところでパイプ椅子に座るようすすめた。普段は一脚しか置いていないため、今朝のうちに倉庫から引っ張り出しておいた。
「失礼します」
 そう言って控えめに腰かける様子は、まさに言い訳展示室の係員にふさわしいものだった。私はますます彼女のことが気に入ってしまう。
「何か質問はある?」
 私もとなりのパイプ椅子に座り、できるだけ優しい口調になるよう気を付けながらそうたずねた。心持ち、体を彼女の方へ向ける。
「いえ、特にないです」
「そう?」
「はい。だってすべて展示品に込められていますから」
 彼女のその言葉に、私は満足した。まさに彼女の言う通り、言い訳展示室では必要なメッセージはすべて展示品に込められている。


 それからの二日間、彼女の仕事ぶりは見事だった。ちょうど数日前に持ち込まれたバターナイフがあり、持ち込み時の話をまとめたメモを彼女に見せることにした。
「純銀仕上げのバターナイフですって。これを持ってきたのは初老の女性で、とても上品な方だったわ。亡くなった旦那さまの、お母さまからいただいたものらしいのだけれど」
 バターナイフは持ち手の部分に蔓草模様が彫られており、手にとればずっしりとした重みが伝わってくる。イギリス土産にいただいたの、と言いながら、でもこのナイフを持ち込んだ女性は疲れた顔でナイフを渡してきた。
「素敵なナイフですね……」
 私のとなりに座る中学生の彼女はバターナイフをじっと見つめている。その横顔がとても熱心で胸を打たれる。
「展示するときに、ふさわしい言い訳のプレートをつくらなくてはいけないの。ここへ言い訳の品を持ち込んだ方は決してご自分で見に来られたりはしないのだけれど……」
「だからこそ、ですね」
「そうなの。ここで立派な言い訳の理由を携えてくれていれば、みなさんは持ち込んだ品を忘れられるでしょう?」
 私は彼女に、バターナイフの女性の話をかいつまんで説明した。
 女性の話によると、彼女はお見合いで結婚をし、幸せに暮らしていたのだそうだ。旦那さまも優しかったし、お姑さんにはとくに可愛がってもらったとのことだった。でもあまりにも可愛がってもらいすぎて、だんだん疎ましく思うようになったと話してくれた。それでも上手に距離を保ちながら暮らしてきたらしい。子供はおらず、大きな犬を一匹飼っていた。
 そんなふうにして穏やかに過ぎていった夫婦生活は、でも昨年末に旦那さまが亡くなったことで終わりを迎えてしまった。四十九日も過ぎ、バターナイフの女性が遺品を整理しなければと思い立ったところで、家中がお姑さんからの贈り物であふれかえっていることに気が付いたのだそうだ。このバターナイフは、最初の贈り物だった。
 食器類はもちろん、タオル、紅茶缶、壁掛け時計に鉢植えの植物に至るまで、すべてがお姑さんからの贈り物だった。そしてなにより旦那さまから贈られたのは、婚約指輪と結婚指輪をのぞけば花やお菓子のように一切残らないものだったということに、そのときになって初めて気が付いたのだという。
 それでなにか大きな不満があったわけではないのですけれど、とバターナイフの女性は前置きしてからこう言った。なんだか不気味に思えてきたんです。
 こうしたいきさつを聞くと、職場体験に来ていた彼女はひとつゆっくりと息を吐き出した。
「どうかしら」
 私はそうたずねてみる。この話にはまだつづきがあったのだけれど、それを彼女に伝えるかどうかはすこし迷ってしまい、ひとまず伏せておくことにした。ナイフの女性はそれ以来、お姑さんからの贈り物を見るといらいらし、壊したくなってしまうと言っていたのだ。
「傷つけない言い訳に」
「え?」
「傷つけない言い訳に、はどうでしょうか。きっとこのナイフを持ってこられた方は、家中にあるものを壊したくなっちゃったんだと思います。たとえばこのナイフを使って」
 そう言いながら彼女は指先でナイフの刃をそっとなぞった。その美しい横顔に、私は思わずため息をこぼした。
 バターナイフは展示室の端にひっそりと飾られることになった。決して存在を主張せず、攻撃的な態度を見せず、この展示室を見守ることができる位置だ。そこを選んだのも彼女だった。私は彼女の仕事ぶりに満足せずにはいられなかった。

 
 三日目の朝、私は白い封筒に一通の手紙とガラスのイヤリングを入れて持ってきた。それをパイプ椅子に置き、展示室を見てまわっているふりをしながら職場体験の彼女のことを待った。
 イヤリングは小学生の頃に友人から盗んだものだ。その友人はクラスでも人気者の女の子で、よく私を遊びに誘ってくれた。なぜ私を遊び相手に選んでくれたのか、その理由は大人になった今でもよくわからない。ただ単に何か気に入られるところがあったのだろうと思う。友人は私を含め数人を家に呼び、学校ごっこをして遊ぶのが好きだった。呼ばれた私たちが生徒となり、友人の演じる先生から様々なことを言いつけられるという遊びだ。特に九九の授業が多かった。
「今日は七の段を勉強しましょう。いちばん難しいと思いますからね」
 そう言って先生役の友人から配られる白い紙に、私たちは九九を書いた。完璧に書けば花丸をもらえたし、わざと間違えると「あらあら」と嬉しそうな声で正解を書き込んでくれた。
 そんな友人の部屋から、私はある日イヤリングを盗んだ。薄いグリーンのガラス細工で、揺らすときらきらと光るきれいなイヤリングだ。友人には十も離れた優しいお姉さんがいたから、イヤリングはきっとプレゼントかお下がりのどちらかなのだと思う。お姉さんは私たちが学校ごっこをしているとときおりおやつやジュースを差し入れしてくれて、私たちにも優しかった。当時はたしか大学生になったばかりだったらしく、口紅を塗った真っ赤なくちびるを覚えている。
 イヤリングを盗んだ日、遊びにきていたのは私のほかにもニ、三人いた。あの日もいつも通りの学校ごっこだった。私ひとりが遊びに行ったわけではないから、私が盗んだとはばれていないのだろうと思う。その後も友人が私を遊びに誘ってくれたのが何よりの証拠だった。でも、学校ごっこはもう行われなくなった。
 私は盗んだイヤリングを一度だけ家でつけてみたけれど、なんだか居心地が悪くなりすぐに外してしまった。それでもなぜか捨てられず、実家を出るときにもわざわざ持ってきてしまった。そのイヤリングを、私は手放すことに決めた。手紙にはなぜこのイヤリングを盗んでしまったのか、その言い訳を書いてある。筆跡で私からだと気が付かれないようパソコンで打ち込みプリントした。私はとにかく私の言い訳を、どうしても彼女に聞いてもらいたくてたまらなかった。
 言い訳展示室で働くうえで唯一やっかいなことは、自分自身が言い訳をできなくなるということだ。自分で自分の品を並べることもできるけれど、それでは胸のつっかえがいつまでも残ってしまう。そもそも毎日ここへ来て働くのだから、そんな中途半端な向かい合い方をするくらいであれば、むしろ言い訳の品を目につかないところに隠してしまい、自分の気持ちにむりやりでも蓋をしつづける方がましなくらいだ。でも職場体験の初日、やってきた彼女を見た私は言い訳をしたくてたまらなくなった。彼女の賢そうな顔つきや黒くてさらさらとした髪、そしてなにより短く切りそろえられた形の良い爪を見て、彼女にならこれまでずっと抱えてきた言い訳を託しても良いと思った。
「おはようございます」
 展示室内の静寂を邪魔しないように気を付けた、控えめな挨拶が聞こえる。私は振り返り、彼女に「おはよう」と言った。それから歩み寄り、パイプ椅子の上に置いた白い封筒を指さして説明する。
「これ、匿名で届いていたの。先に確認したら手紙とイヤリングが入っていたわ。あなたの最後のお仕事としてどうかと思うのだけれど」
 それを聞くと彼女は封筒をそっと手にとった。丁寧な手つきで手紙を取り出し、広げる。

『突然のお手紙、失礼します。こちらのイヤリングを言い訳展示室であずかってはいただけないでしょうか。
 これは小学生の頃、友人から盗んだイヤリングです。
 友人はクラスの人気者でした。なぜか私を気に入りよく家に招待してくれました。でも、私は彼女の命令口調やなんでも決めたがるところが苦手だったんです。
 ある日、友人の部屋でこのイヤリングを見かけました。机の上に無造作に置かれていました。遊びにきていたのは私のほかにもあと何人かいて、私が盗んでもばれないと思いました。
 今なら認めることができます。可愛くて、大きな家に住んでいて、カラフルなペンやおしゃれなアクセサリーをたくさん持っている友人が羨ましかったんです。それに、いつも友人のわがままな遊びに付き合っていたのだから、イヤリングひとつくらいもらっても罰は当たらないと考えていました。
 要するに、私は彼女に嫉妬していました。
 でも結局、このイヤリングを身につけたことはありません。盗んだ日、家でこっそりつけてみましたがなんだか落ち着かずすぐに外してしまいました。
 そもそもこれをつけているところを友人に見られたら、私が犯人だとばれてしまいます。あの頃、私の遊び友達と言えばその友人を中心とした数人でしたから、イヤリングをつける機会はありませんでした。
 そのうちに、おもちゃのイヤリングなど似合わない年齢になりました。
 それでも私はこのイヤリングを処分することができません。これまで誰にも盗んだことの言い訳をすることができず、目を背けていました。
 どうか私の言い訳を受け取っていただけないでしょうか。』
 
 彼女が手紙を読んでいる間、私はまるで罪を告白しているかのような気持ちになった。そのたび、これは懺悔ではなく言い訳なのだと自分に言い聞かせなければならなかった。手紙を読み終えると、彼女はイヤリングを手のひらでそっと包み込み、胸元へ引き寄せた。目を閉じ、それはまるで祈る姿のようでもある。そんな彼女があまりにも静かで美しく、私はじっと見つめてしまった。それも、隠す気のない無遠慮な視線で。
 きっと、彼女がこのイヤリングをつけたら美しいのだろうと思う。
 ふいに目を開けた彼女は「あの」と切り出した。迷いのない、はっきりとした声だった。
「あの、このイヤリング、私が持っていても良いでしょうか」
 そうして彼女は自分の手元に視線を落とす。白い指先で、イヤリングをそっとなぞる。
「これは私が持っておくべきだと思いました」
 ああ、と思った。
 ああ、素晴らしい。
「そうね。そうしてちょうだい」
 私は彼女の指先を見つめながらそう答える。彼女はイヤリングを、そっと制服のポケットに入れた。
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