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第■章 ■■■■■

詩に導かれ

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 ミサン国から離れることを決めてから、はや十数日。
 「俺」たちは無事に、そして想定よりやや早くイファ国に到着した。

 話し合いの通りヨツ国の北端を通過して来たわけだが、意外にもそれがすんなりいったのだ。

 というのも、イファ国が兵を退いたとかで戦場が無くなっていたのである。
 デレー曰く、おそらくツジ国の勢いに危機感を抱いたヨツ国が和平交渉を切り出して云々。

 まあ国同士の駆け引きはさておき、とにかく「俺」たちはそれなりの安全を確保しつつ旅をすることができた。

「ふう、このへんでちょっと休憩しようか」

「そうですね。歩き詰めで疲れました」

「お前5回くらいフウツたちに背負ってもらってただろ」

「えへへ。まあ僕は子どもですので!」

 イファ国に入って何個目かの街にやってきた「俺」たちは、いったん足を休めるべく適当な建物の傍へ行く。
 それから裏手にあたる面の壁に背を預け、荷物を肩から下ろした。

「あれ? これなんだろ」

 そこでふと、「俺」は足元に紙が落ちているのを見つけた。

 紙と言っても普通の、その辺で目にするようなものではない。
 見るからに上等そうな厚紙だ。

「誰かが落としたんでしょうか」

「かもね」

 二つ折りにされたそれを手に取って、まじまじと観察する。

 地面にそのまま置かれていたのに、多少土がついているだけで大して汚れても破れてもいない。
 ごく最近、下手したら今日、落とされたばかりだと思われる。

 こんな紙を使うくらいだから、ある程度は大事なことが書かれているのだろう。
 よほど厄介な相手でなければ、届けてあげたいところだ。

「デレー、これ人の名前とか書いてある?」

 書き手か、手紙の類であれば送る相手の名を確認したいが、「俺」は字が読めないのでデレーに頼む。

 彼女は「俺」から紙を受け取ると、するすると視線を動かして「ありませんわね」と首を振った。

「そっか……。内容はどんな感じ?」

「詩ですわね」

「詩?」

 デレーは頷き、紙にある文言を読み上げ始めた。


 庇護の牢獄は あまりに狭い
 怯臆の鎖は あまりに重い

 心ある人よ

 悪夢を断ち斬るナイフを1本
 持ってきてはくれないか

 塔が涙を流す頃
 月は静かに眠るから


「以上ですわ。察するに、どこかの詩人の草稿でしょう。このまま捨て置いても、特に問題はありませんわ」

 あっけらかんと言う彼女とは裏腹に、「俺」はその詩にひっかかりを覚えていた。

「? フウツ、どうした」

「いや……」

 「俺」はヒトギラの問いかけに生返事をし、辺りをきょろきょろと見回す。

 少し離れたところに塔が建っているのが見えた。
 その奥には大きな屋敷もある。

「ねえ、あれって何かな」

「領主の屋敷ですよ」

「じゃなくて、その手前の」

「塔ですか? あれも屋敷の一部だと思いますよ」

 「俺」はデレーに読んでもらった詩の内容を思い返す。
 塔に関する意味深な言及、書き手が囚われていて、助けを求めているかのような表現。

 もし、この紙が偶然ではなく、わざと落とされたものだとしたら……?

「あのさ、今日はこの街に泊まらない?」

「良いと思いますよ。ね、ヒトギラさん」

「なぜ俺に振る……。まあ別に構わないが」

「異論ありませんわ」

 この「俺」の考えが正しいかはまだわからない。
 ひとまず日暮れまで待って、それから判断しよう。

 そんなわけで、夜。
 「俺」は宿からこっそり抜け出し、塔の見える場所までやって来た。

 塔の造りはいたって単純で、最上階があると思しき位置に窓が2つ、それぞれ西側と東側に付いている。
 あとはひたすらのっぺりとした壁があるだけで、単体ではとても領主の所有物とは思えない簡素さだ。

 屋敷と共に高い壁に囲まれ、塔は静かに佇んでいた。
 見たところ、どこにも異常は無い。
 はてさて、「俺」の考えすぎだったか。

「フウツさん、こんな夜中に出歩いては風邪をひいてしまわれますわよ?」

 突然、耳元から聞こえて来た声に悲鳴を上げそうになる。
 が、それをぐっと堪え、「俺」は代わりに苦笑いをして振り返った。

「デ、デレー。ごめん、起こしちゃった?」

「いえ、起きておりましたわ。いつもフウツさんがお眠りになるまで、寝ないようにしておりますの」

 にこにこして言う彼女に何と返せば良いか迷っていると、向こうから誰かが歩いて来た。

 少しずつ明瞭になってくるその人影がヒトギラとトキだと、ややあって気付く。

「もー、僕育ち盛りなんですから寝かせてくださいよ」

「仮にもガキを1人で放っておけるか」

「じゃあヒトギラさんが行かなかったら良いじゃないですか」

「フウツとこの女を2人きりにするのも危ないだろ」

 目をこすりながら不満を漏らすトキと、ぶっきらぼうに返すヒトギラ。
 どうやら「俺」たちが出て行ったことに気付いたヒトギラが、トキを連れて追いかけて来たらしい。

「はあ……。それで、フウツさんはなんでここに?」

「ええと、昼間の紙に書いてあったのが、詩じゃなくて暗号かもって思ってさ。それが合ってるかどうか、確認しに来たんだ」

「ふうん。どんな内容の暗号だと?」

「それは――」

 言いかけて、止める。

 塔の上部で何かが動いた。

「あら? あれは……水でしょうか?」

 デレーの言う通り、たぶんそれは水であった。
 窓から、そして壁を伝い、きらきらと月明りを反射しながら流れ落ちていく。

 まるで、涙のように。

「まったく、はしたないですわね。いったい誰が……って、フウツさん?」

 「俺」は塔の方へと駆け出した。
 すかさずデレーも走り出し、横に並ぶ。

「いかがなさいましたの?」

「予想が当たってた。俺、塔にいる人を助けに行くよ。説明は後でするから、手を貸してくれない?」

「! うふふ、もちろんですわ」

 人気の無い街中を抜け、「俺」たちは塔と屋敷を囲む壁の傍まで来た。
 少しして、ヒトギラたちも追いつく。

「ちょっと、そんな面白そうなことをするなら早く言ってくださいよ!」

 会話は聞こえていたようで、トキが無邪気に言う。
 意外と乗り気だ。

「お前のお人好しには呆れるな。ほら、俺が上まで運んでやるから、さっさと済ませろ」

「うん。ありがとう、みんな」

「では見張りはお任せくださいまし。ヒトギラさん、フウツさんに何かあったら首斬りでは済ませませんわよ」

 デレーはヒトギラに釘を刺し、屋敷の正面に近い方へと小走りで去る。

「あ、じゃあ僕も見張りしてきますね! デレーさん1人じゃ対処できないかもしれないので」

 彼女の後を追い、トキも走って行った。
 「あわよくば口止めを口実に毒を試してやろう」という魂胆が丸見えである。

 だが、これで心置きなく塔まで行けそうだ。
 「俺」は心の中で再度、礼を述べた。

「よし、じゃあ行くぞ」

 ヒトギラの声と共に、足元から風が巻き起こる。
 風は強さを増し、やがて「俺」の体をゆっくりと持ち上げた。

「大丈夫そうか」

「うん」

 彼と目を合わせて頷く。
 すると彼も頷き返し、同時に風がさらに強まって「俺」を押し上げ始めた。
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