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第■章 ■■■■■

人の心

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 自分本位とか、責任とか、逃げに走るとか、べき論とか、いろいろ考えはしたけれど。

 結局、どちらを選んでも多少の後悔はあるだろう。
 どちらを選んでも、選ばなかった方の道が良く見えるだろう。

 ならば、一番正直な気持ちに従えば良い。
 そして「俺」の正直な気持ちは……人を助けたい、だ。

 転んだ人がいれば手を差し伸べるのと、要は同じこと。
 理屈なんかじゃなく、たぶんそれが、人間という生き物の自然な在り方だ。

 であれば「俺」も、「良心」というそれに従うだけ。

 それに、これは口には出さないが。
 アクィラもきっと、多くの人間を助けられる道を望むに違いないから。

「わかりましたわ」

 少しの間を置いて、デレーが頷く。

「フウツさんの望みとあらば、是が非でも叶えましょう」

 ちょっとだけ吹っ切れたような表情で、彼女は笑った。
 彼女のことだ、おそらく「俺」の考えていることがわかるのだろう。

「お前が言うなら、それでいい。俺はどっちだって良いからな」

「ま、やられっぱなしも癪ですもんね」

「うん。あと、自然がめちゃくちゃになるのも困るし」

 続いて、ヒトギラとトキ、フワリも賛同する。
 みんなそれぞれ理由は違えど、こちらの道を共に来てくれるようだった。

「よしよし、満場一致じゃな! そうと決まればさっそく向かおうぞ!」

 エラがまたワープ装置を用意する。

「旧王都に最も近い位置にワープ、あとはひたすら走るのみ! あとはフウツ、これを持っておくのじゃ」

「え、俺? っと」

 突然、彼女から何かを投げて寄越された。
 危うく落としそうになったもののなんとか受け取り、手に収まったそれを見てみる。

「石……?」

 それは丸く滑らかな鉱石だった。
 半透明で不思議な色をしており、中でゆらゆらと揺らめくものがある。

「魔法消去装置を作動させるための鍵じゃ。勝手に使われてはかなわんからの。魔力ではなく、鍵に反応して動くようにしたのじゃよ」

「どうして俺に?」

「なに、天才の頭脳が弾き出した最適解よ。さ、皆の者、行くぞい」

 回答になってないじゃないか、と思うが、まあエラが言うなら……と「俺」は留飲を下げる。
 そして石を落とさないよう、鞄の中へしっかりしまった。

 エラがワープ装置を起動させる。

 いつものごとく瞬時に景色が切り替わり、「俺」たちの目の前には森が現れた。

「ここはどこですの?」

「ヨツ国のアグラヴァ山じゃ。ちと水の発生源に近くなってしもうたが、旧王都までの距離はここが一番短いのでな」

「ああ、アグラヴァ山でしたの。であれば、真っ直ぐ北へ下山すれば良いですわね」

 デレーは少しホッとした様子で言った。
 ヨツ国の地理をよく知る彼女からしても、納得の位置らしい。

 かくして「俺」たちは速足で下山を開始した。

 ワープで降り立ったのは道も何も無い場所。
 普通なら迷ってしまう危険はあるけれど、エラの魔法道具で方角を確認しつつデレーに案内をしてもらうことで、「俺」たちは滞りなく進むことができた。

 が、こういう時に限って、障害は現れるもので。

「うわ、何ですかあれ」

 せっせと歩き続け、あとは谷を越えれば……というところまで来た「俺」たちを待っていたのは、無惨に破壊された吊り橋だった。

 それだけではない。
 向こう岸の方には煙が幾本も立ち昇っており、明らかに何かが燃えているようなのだ。

「ん……誰か戦ってるみたい」

 フワリが呟いた。
 耳を澄ませると、確かに雄叫びのようなものが聞こえてくる。

 何と何が、何の目的で戦っているのかは知らないが、迷惑極まりない。
 橋もきっと、退路を断つために壊されたのだろう。

「仕方ありませんわ、迂回いたしましょう。西にもうひとつ橋がございますから」

「うむ、そうしよう」

 不測の事態だけれど、もたもたしてはいられない。
 「俺」たちは踵を返し、谷に背を向けた。

 と、その直後。

 影が動いた。

 否。
 煌々と光を放つ何かが、「俺」たち目がけて飛来した。

 それが攻撃魔法だと気付いた時には、既に「俺」は投げ出されたように地面に転がっていた。

 ただでさえ痛んでいた体がまた痛めつけられ、もうたまったもんじゃない。
 「俺」は息も絶え絶えになんとか起き上がる。

「悪い、不意打ちで中途半端にしか障壁を張れなかった」

 少し足を引きずりながら、ヒトギラが「俺」に手を差し伸べた。

「ううん、守ってくれてありがとう」

 「俺」はその手を取り……と言ってもあまり彼に体重をかけないように気を付けて立ち上がり、周りを見る。

 デレー、トキ、フワリ、エラ……。
 多少怪我はしているものの、不幸中の幸いか、みんな無事のようだ。

「もしも直撃していたら全員お陀仏でしたわ。ヒトギラさん、フウツさんを一応は守ったこと、褒めて差し上げましてよ」

「要らん。俺がフウツを守るのは当然だ。お前と違って、防御に長けているからな」

「はいはい、怪我を治しますから診せてください」

 トキが言い合いを始めようとする2人の間に割り込み、患部を見せるよう促す。

「トキは怪我無かったの?」

「もう治しました。すっとろいことやって時間を無駄にしてはいられませんから」

 そう言って彼はテキパキと杖を振るい、全員の怪我を治療していった。
 しかし、最後の1人を治し終えたところで。

「げ、もう魔力尽きた……」

 顔をしかめ、忌々しそうにそう言った。

「すみません、これ以降はしばらく治療ができないので、各自怪我しないよう気を付けてください」

「む? いやに早いのう。いつもならこれくらいやっても、まだ余裕ではなかったか?」

「ええ、そのはずなんですが。なんか燃費が悪くなってるみたいです」

 溜め息混じりに、トキは肩をすくめた。
 確かに、元々魔力量が多い方ではないにせよ、明らかに以前とは減り具合が違う。

 推測するに、原因は魔力が変質したことだろうか。
 どこの誰かは知らないけれど、本当にとんでもないことをしでかしてくれたものだ。

「まあ、気を取り直して。また流れ弾が来ないうちに先へ進みましょう」

 デレーは手を数回叩いてみんなを鼓舞すると、きびきびと歩き出す。

「それにしてもコントロール下手くそすぎだろ、さっきの魔法撃ったゴミ」

「ほんとですよ……。なんで谷を挟んで反対側まで飛んでくるんですかね」

 みんなも彼女に続く。

 自然と最後尾になった「俺」もまた、歩き出そうとした。
 が、ふと足元を見ると靴の紐が解けているではないか。

 みんなを待たせてはいけない、急いで直そうと「俺」はしゃがむ。

 すると同時に、ボゴ、という腹に響く音が聞こえた。
 何かと思い顔を上げる。

 目の前の地面に亀裂が入った。

「あ」

 今、自分がいるのは、攻撃魔法が当たった場所。
 そして谷のすぐそば、つまりは崖。

 瞬間、「俺」は全てを察した。

 逃げなければと慌てて立ち上がる。
 と、それに連動するように亀裂が増え、やかましい音が鳴り響き、視界が傾いた。

 これは、マズい。

 異変に気付いたみんながこちらを振り向き、駆け寄ろうとしてくれているのが見える。

 一番近くにいたフワリが、かろうじて「俺」の手を掴む。

 けれどその時には既に、「俺」の体は崖の一部もろとも落ち行くところで。
 森の木々に代わり、赤黒い空が視界のほとんどを占めていた。

 ぐ、と掴まれた手が強く引かれる。

 けれどもう間に合わない。
 いくら【格闘家】のフワリと言えど、こんな不安定な足場で人ひとりを引き上げることは不可能だ。

 「俺」は諦めと共に、フワリへ視線を送る。
 いいよ、もう仕方ない。
 無理に引き上げようとしたら君まで落ちちゃうよ、と。

 瞼を閉じ、彼の手を振り払おうとする。

「フウツくん」

 突然、耳元でフワリの声がした。

 驚いて目を開く。

 間髪入れずに、腕が抜けるんじゃないかというくらい引かれる。

 ごう、という風の音。
 浮遊感と、狂う平衡感覚。
 ゆっくりと進む時間。

 反転する視界の中、上に向かって傾いていくフワリと目が合った。

 彼の唇が動く。

 いつの間にやら彼とは距離ができていて、しかしその声は、はっきりと聞こえた。

「ね、良いことあったでしょ」
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