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第■章 ■■■■■

取り戻すために

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 それからのことは曖昧だ。
 いや、曖昧というより……上の空で、記憶がよく飛ぶようになった。

 みんなを迎えに行って、城まで連れて来たのは覚えている。
 アクィラだけは体が無いからどうにもならなかったのも、みんなの傷を魔法で治したのも覚えている。

 なぜかいつまでも綺麗な状態のままなみんなを、荒らされないようにと偶然見つけた地下室に隠したりもした。

 ただいつの間にか、知らない人たちが「俺」の周りに集まって来ていたのである。

 彼らは頑丈な建物の中にいたり、魔法でなんとか回避したりで難を逃れた者たちらしかった。
 けれど黒い水の影響で体質が変わったとか、何とか。

 その辺りの話も記憶している。

 けれどやはり、彼らと「俺」の間で何があったかは全くわからず、気が付けば生き残りの人間たちは「俺」を中心にして復興を始めていた。

 「俺」たちは同じく黒い水のせいで凶暴な怪物と化した動物たちを追い払い、人体への悪影響を及ぼさなくなった旧王都を再び王都とし、生活の基盤を築き上げていったのだ。

 ひと月か、ふた月か、あるいはさらに後か。
 それくらいの頃には、この世界の呼称が「魔法の世界」すなわち「魔界」とされ、「俺」はそれを統べる魔王となった。らしい。

 自分のことだが、これについてもあまり覚えていない。
 たぶん力があるから担ぎ上げられたのだろう。

 ……そう、「俺」の手にした魔力はかなりのものだったようで、対峙した【魔法使い】たちには随分と驚かれた。
 全く嬉しくなかったが。

 自分が何をしているかも曖昧なまま、どんどん人が集まってくる。
 人に尊敬の、羨望の、畏怖の、視線を向けられる。

 気持ちが悪かった。

 転機が訪れたのは、そんなある日のことだ。

 その日、各地で図書館や研究所が襲われ本が燃やされていると聞いた「俺」は、エラの著書や研究資料だけは死守しなければと奔走していた。

 「俺」はもう使うのにも慣れてきた魔法を駆使し、山ほどのそれらを城の地下に持ってきて、中が無事かを逐一確認する。
 と、その中に『魂についての基礎』という本を見つけた。

 引き寄せられるように表紙を開く。
 読む。
 時間も忘れて、夢中でページをめくった。

 ひと通り読み終えると、すぐさまみんなの傍に駆け寄った。
 本にあった魔法――魂を視る魔法を見様見真似で使う。

 あった。

 あの日から少しも変わらないままのみんなの体には、まだ魂が残っていた。

 もう一度、本を開く。
 文章を辿る。

 「魂と肉体は、生命エネルギーによって結び付けられている。」「【聖徒】がしばしば持つスキル《蘇生》は、完全に魂が分離する前に疑似的な生命エネルギーを注入しているものと思われる。」「生命エネルギーを扱う手段と魂の保存方法を開発すれば、死後時間の経った人間を蘇らせることも夢ではなくなる。」

 これだ、と思った。

 今、おそらく黒い水の影響で、みんなは魂を保持したままの状態にある。
 つまり、生命エネルギーを補うことさえできれば、生き返らせることができるのだ。

 それから「俺」は魔法に関係する書物を読み漁り、必死に勉強した。
 幸い、得た知識は記憶から消えず、また曖昧になることもなく頭の中に留まり続けてくれる。

 王としての仕事をしているらしい時間の合間を縫って、「俺」はひたすら学び、模索した。

 十年、二十年。
 「国」が正常に機能するようになってきた。

 五十年、六十年。
 城が建て直された。

 百年、二百年。
 生きている人間が完全に入れ替わった。

 飛ぶように過ぎていく月日とは裏腹に、「俺」の体は何も変わらなかった。

 歳も取らない、背も髪も伸びない。
 それどころか腹も減らないし、喉も渇かない。
 唯一変わったものと言えば、あの日を境に変色した右目くらいのもの。

 あの日以来、生まれてくる子が全て異形の姿をしていたこともあり、「俺」は異質な存在となっていったが、別に構わなかった。

 他人など知ったことではない。

 だいたい三百年くらい――エラたちと違って頭が悪いから随分と時間がかかってしまった――経った頃、「俺」は知識の吸収を終えて研究の段階に入った。

 誰にも邪魔をされないよう、城の6階を研究室に、7階をみんなの部屋にし、書物は隠し部屋に入れて保護。
 知らない間にできていた部下にも全てを秘匿した。

 四百年、五百年、六百年。
 途切れ途切れの記憶の中でも、みんなの所に通ったことだけはいつも鮮明だった。

 みんなの体は、いつでもあの日のままだった。

 時は流れ、八百年近く経った後。
 「俺」はやっと生命エネルギーを回収し、みんなに分け与える術を確立した。

 すると、次なる課題はエネルギーの確保だ。
 現在、魔界にいる人間を犠牲にしてもいいが、魔に侵された生命を使うのは少々危ぶまれる。

 万が一にも、みんなに悪影響があってはいけない。

 ではどうするかと考えた時、「俺」はアクィラのことを思い出した。
 彼女は精霊であり、その特性から「世界の記憶」の断片を持っている。

 この「世界の記憶」を利用すれば――「魔界になる前の世界」を再現できるのではなかろうか。

 思い立つや否や、「俺」は「世界の記憶」についての研究に着手した。
 傍から見れば突拍子もないことだが、可能性があるなら手を伸ばさずにはいられなかったのだ。

 そして千年にも及ぶ研究の結果、「世界の記憶」を直接観ることはできずとも、魔法に応用させることはできると判明した。

 となればあとは単純だ。
 「世界の記憶」から特定の時点を間接的に指定し、現実に引き出せば良い。

 言わば模倣品を作るのである。

 前代未聞の大掛かりな魔法だったがそれは無事に成功し、「俺」は戦争が起きて人口が減る前の……つまり、あの日から千年ほど遡った時代の世界を創り出すことができた。

 これなら正常な生命エネルギーを、大量に確保することが可能だ。

 「俺」は新たな世界を発見したとかそこを侵略するのだとか適当な理由を付けて、模倣品の世界でエネルギーを回収する手はずを整えた。

 軍隊を連れて行かずとも、「俺」1人で事足りはするものの、なにせ時間が惜しい。
 ここ数十年でみんなの魂が急激に劣化しつつあったので、とにかく急がなければならなかったのだ。

 予断を許さない状況ではあったが、そんな「俺」に予期せぬ幸運が舞い込んだ。

 「人間界への侵攻」を翌週に控えたある日、部下の1人が「俺」の元にやって来た。

 彼が言うには、南の大地……元々ヨツ国とイファ国があった地域のとある林に妙なものがいるらしい。
 なんでもそれは時おり泉に現れ、おかしな言語を喋るのだという。

 ――アクィラだ!

 「俺」は直感的にそう思った。
 こうしてはいられない、と部下を口止めのために殺してから即座にあの林に向かう。

 いた。

 体を維持できず、今にも消えてしまいそうな姿だったが、そこには確かにアクィラがいた。

 歓喜なんて言葉じゃ表せないほどの感情が、「俺」の心を打つ。

 彼女は自我も無く、ほとんど魂だけの状態で古代語を呟いていた。

 ――フウツちゃん、次は古代語を習ってみない? もちろん、お姉さんから!

 ――例えばそうね、「あの」は「あ」、「子」は「おう」に近い発音なのよ。

 在りし日の言葉が鮮明に蘇る。
 そうだ、あの厄災さえ無ければ、アクィラが古代語を教えてくれるはずだったんだ。

 「俺」は堪らず、涙を流した。

 みんな元気になったら、その時は全員で彼女から古代語を教わるのも良いかもしれない。

 トキやエラはすぐ覚えてしまいそうだし、デレーは躍起になりそうだ。
 フワリは気分さえ乗ればって感じだろうし、ヒトギラは黙々と覚えてそうだな。

 いずれにせよ、きっと楽しいだろう。
 そんな明るい未来を想像しながら、「俺」は彼女の魂を城へ連れ帰った。

 もう少しで幸せな毎日が戻ってくる。
 そう思うと自然と頬が緩んだ、気がした。
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