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第6章 その先で待つもの

終焉

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 避ける、という選択肢が思い浮かぶ前に、それらは豪雨のごとく俺に降りそそいだ。

 皮膚を、肉を、臓物を裂いて、数多の槍は俺の肢体を貫いていく。
 喉から漏れる擦れ声は、体の蹂躙される音にかき消された。

 これはもはや、痛みというより混濁だ。
 全身を文字通りめちゃくちゃにされ、平衡感覚さえも失われる。

 時間すら見失いそうになったところで、ようやく嵐が止んだ。

 我に返り、俺は意識を手放すまいと必死に宙を睨む。

 ――腕、首、胸部、肩、太腿……。

 かろうじて残っている感覚を頼りに、自分の状態を把握する。

 向けられた槍全てが命中したわけではないが、それでもかなりの数が俺に刺さったようだ。
 俺の体はやや前に傾いたたまま槍によって床に縫い留められ、雑な標本みたいになっている。

「はは、出来損ないの標本みたいだね」

 やや息を切らしながら、魔王が言った。
 同じようなことを思っていたのが少々癪に障る。

「……ぁ…………」

 俺は文句のひとつでも言ってやろうとしたが、声は出ず、代わりにドス黒い血が吐きだされた。
 まあよくよく考えれば、首のど真ん中を槍が貫通しているのだから、ろくに発声できないのは当然だ。

 息をするたびに、どこかから空気の漏れる音がする。

 ズタズタになった腕を懸命に動かし、俺は魔王に剣を向けた。

 強化魔法をかけた上での投擲、はもうできない。
 槍に貫かれた腕では「投げる」という動作をするなど到底不可能だ。

 俺は最低限の回復魔法で命を繋ぎ止めつつ、底をつきかけている魔力でなんとか風を起こす。
 そして風の力を利用し、剣を魔王めがけて一直線に飛ばした。

 剣は魔王に当たることなく、彼の左側、少し手前の床に刺さる。
 俺が力尽きかけているのだと察したのだろう、魔王は小さく息をついた。

「さて……あとは時間の問題だね。動けず、武器は無く、魔力も回復に充てるので精一杯」

 言いながら、黒剣を片手に歩み寄る。
 平静を装ってはいるが、安堵の色が隠しきれていない。

 それもそのはず、俺と同じく彼もまた、魔力が空になりかけていた。
 さらにその魔力は、微量ながら減り続けている。

 肉体を維持するために魔力が不可欠なのだ。
 記憶の中で見たから知っている。

 あの様子だと、おそらくあと四半日も持たない。
 無論、体の維持と魔力回復に専念できなければの話だが。

「き、み……い、いの……?」

「何が? ていうか喋って大丈夫なの」

「から、だ……」

「ああ、惜しくはあるけど諦めるよ。君が渡してくれるっていうなら別だけどね」

 魔王は立ち止まる。

「俺は君を侮りすぎた。自分の模倣品がこんなおぞましい化け物になるだなんて、全然思ってなかった」

 俺は黙って、彼を見据える。

「だから君を殺す。ただ単純に、この世から消す。体と魔力を回収するのも、惨たらしく痛めつけるのも……本当はやりたかったけど、やめにする。二兎を追う者はなんとやら、だよ」

 言葉に違わず、魔王は真っ直ぐに黒剣を振り上げた。

「これで終わりだ。じゃあね」

 魔力も何も帯びていない、純然たる黒い刃が迫る。
 このままでは直撃は免れないし、直撃すればまず助からないことは明白だ。

 黒剣の作る風が髪を僅かに揺らした。
 俺は剣を見、意識を集中させる。

 そして――彼の後ろに、ワープした。

 ボロ雑巾のような体を無理矢理動かし、指標にしていた剣を取る。

 俺が移動したことに気付いた魔王が振り向く。

 彼の瞳に迷いが走る。

 俺は剣を逆手に持ち替える。

 魔王の手のひらに魔法陣が浮かんだ。

 そこから槍が1本だけ生み出され、放たれる。

 俺には当たらなかった。

 入れ替わるように、俺は剣を振り下ろす。

 剣は魔王の左胸を貫いた。

 やはり、手ごたえは軽かった。

「あ、あ……!」

 信じられない、という顔で魔王はよろめく。
 俺は剣を刺したまま、全体重をかけて彼を押し倒した。

 魔王は鈍い音と共に仰向けに倒れ、俺はその上に馬乗りになる形となる。
 息も絶え絶えに彼を見ると、魔力は少しも残っていなかった。

「……終わり、だね」

 残ったなけなしの魔力で傷口を塞ぐだけして、俺は言う。

「君の、負けだ」

「…………」

 わなわなと震えながら、魔王は俺を見上げた。

「な、んだよ……」

 目は見開かれているが、そこから涙が零れたりはしない。

「なんだよ、なんで君は……いつもそうやって……!」

 けれどたぶん、彼は泣いていた。
 悔しさと怒りで、泣きじゃくっていた。

「……君の」

「ああもう、言わないでよ! どこまで俺を惨めにさせたら気が済むんだ」

 俺は口をつぐみ、後に続く言葉も呑み込む。
 魔王の言う通り、これを口にしたところで彼の心を傷付ける以外、何にもならない。

「いいよ早く殺して。わかるでしょ、もう君を道連れにするだけの力も残ってない。それとも俺の体が崩れていくところを見たいかな?」

 視線をずらし、彼の頬や指先に目をやる。
 干上がった地面のようにひび割れ、端の方からぽろぽろと消えて行きつつあった。

 俺は首を横に振る。
 ただ彼を殺したいだけで、必要以上に苦しめたいわけじゃない。

 ……が、いざ無抵抗の相手を手にかけるとなると、少し迷う。

 戦っている時はどう殺すのが一番か、なんて考える余裕は無いけれど、今はある。
 普通に考えれば首を斬るのが良いのだろうが、押し当てて斬るのか、はたまた勢いをつけて振り下ろすのか……。

 黙したまま悩む俺に、彼は深く深く溜め息をついた。

「何? 殺し方がわかんないの?」

 ほんと鬱陶しいなあ、と眉間にしわを寄せ、彼は俺の手首に弱々しく触れる。
 それから自分の首元に、俺の手のひらを当てさせた。

「ほら、こうやるんだよ」

 魔王の手が力なく離れる。
 示された通り、俺は両手でしっかりと彼の細い首を包み込んだ。

「はは……良い気味だ」

 彼は笑う。
 喉の震えが直に伝わって来た。

 俺は手に力を込め、その震えを押さえつける。

 徐々に、徐々に力を強める。
 その度に苦しそうな声が漏れ聞こえてきた。

 憎しみでも怒りでもない、純粋な殺意を以て、俺は魔王の首を絞める。

 段々、頭の中で響いていた罵声が小さくなっていく。

 魔王は目を閉じた。

「この感触、忘れないでね」

 いやにはっきりとした声。

 直後、腐った木の潰れるような音がして、彼の首は完全に折れた。

 ……死んだ。

 俺はふらりと立ち上がり、剣を引き抜く。
 すると僅かだったひびが一気に大きくなって、あっと言う間に彼の体が砕け散った。

 その破片もさらに砕け、風に吹かれた塵のように跡形もなく消える。
 一部始終を見届けた俺は、息を吸って、吐いた。

 彼がいた場所に目を落とし、少し彼に思いを馳せてみる。

 平和な生活、仲間、幸せ、正常な心、人間としての体と命。

 ――すべてをなくした、その先で。
 少年はエゴ自己と対峙した。

 そして、負けた。
 最後に残った希望さえ、奪われたのだ。

 他でもない自分によって。

「『フウツ』……」

 俺は彼の名を呼ぶ。
 受け取る相手はおらず、それは薄暗い闇の中に吸い込まれて行った。

「……帰ろう」

 呟き、俺は踵を返す。

 後悔も罪悪感も無かった。
 ただ俺は、自分のために彼を殺したのだと……そのことだけを、噛みしめていた。
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