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第04話 シックなカードが場を掻き乱す
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ハッと息を飲む音は、誰のものだったか。
周囲の様子など気にしていないという体で、続けざまにカードの両面を見る素振りを見せる花菱。そして掲げて見せていた面に書かれている文字に気が付いた、だから読み上げようというていで口を開く。
「『奪われた宝を取り戻しに、秘された宝たちを手に入れに、』——」
「寄越せ」
「あっ」
静かに、それでいて怒気を孕んだ声と共に荒っぽく手繰られるカード。いつの間にか手袋を付けたクロヴィスは、自身の手に収まったそれをまるで威嚇するような目付きで見ていた。そしてその後ろ、ぴったりと覗き込むように見るノクスの目はといえば、花菱が判別できるほどに瞳孔が開いている。
(これは、どういうことだ?)
穏やかさの欠片もない沈黙に、部屋を満たす空気が急速に変わっていく。温度が変化することも、湿度が変化することもないというのに。
「落とし物、な訳ないですよね」
「どうか、したのかしら?」
耐えきれず花菱の零した言葉に、反応したのはブロンシュの声。二人の異様さに気が付いたらしい、テオドールを引き連れながらコツコツと近くまで歩み寄る。それでもなお、食い入るようにカードを見つめる二人の様子はどこか執着のようなものすら感じられるものだった。
「なにかあったの?」
凛とした雇い主の問いかけでようやく、カードから視線を離す二人。その表情は硬く、そしてその高ぶった感情を滲ませた目で口を開く。
「ミス・エルダール。緊急事態です」
「——何者かが、この展示物たちを狙っています」
「何、ですって」
問いに対する答えに、ブロンシュの瞳が見開かれる。
「そんな、まさか。〝秘宝展〟を狙う輩なんて……」
呆然としたように零された言葉は、静かに空気へと溶け出していく。ショックを受けているらしい、深呼吸を繰り返すブロンシュの肩に手を添えながら。
「少し、見せていただいても?」
そう話の輪に加わるテオドール。ごく自然なその仕草に、重苦しい頷きと共にカードが見やすいように掲げられた。
「『奪われた宝を取り戻しに、秘された宝たちを手に入れに、参上いたします』、ですか」
「これは〝秘宝展〟の展示物を狙うものからの予告状と見るべきだろう」
「……クロヴィスさんがそう思われる根拠は?」
「俺自身、この手の物には覚えがあります。軽視してよいものではないでしょう」
「成程。ではノクスさんはいかがですか?」
そう問いを投げかけるテオドールの視線の先。つい先程まであったはずのふわふわとした愛嬌の笑みはどこへやら。
「クロヴィスに同じ、ですね。十全に対策をすべきだと思います」
一転、警備員らしい表情で返答するノクスに、テオドールはふむ、と顎に手を遣った。どうやら彼らの意見は同じく、この事態を重く受け止めているらしい。
「だからこそ」
そしてクロヴィスの視線の矛先は、空気のように息を殺していた唯一の来訪者へと向けられた。
「貴女とはしっかり話をしたいと思うが」
「部屋があるから、ついてきてもらってもいーい?」
選択肢を与えまいとする圧を含んだ言葉に、疑念の渦中へ引き摺り込まれた花菱はにっこりと笑みを浮かべて口を開く。
「ええ、勿論」
辛うじて貼り付けたその表情は笑顔はどこか硬さを感じさせながら。テオドールとブロンシュを残し、ノクスの先導で花菱は展示室を後にしたのだった。
「こちらへどうぞ」
案内されたのは、こじんまりとした休憩用のスペース。質素な部屋の中にはローテーブルとソファが一つずつ。そして奥に配置されたデスクにはコーヒーメーカーと電気ケトルがあり、数種のティーバッグの袋と茶菓子が用意されている。来展者がいなければ、ここで団欒しているのだろうと思わせられる設備だった。
「それじゃあ、座ってもらえる?」
声に花菱が振り返れば、ノクスがその手でソファを指し示めす。その背後では鋭い疑念の視線を向けたままのクロヴィスが、がちゃりと部屋の扉を背面で閉めた。たった一つの出入り口が抑えられれば、従う他ない。
重苦しい空気に頷き一つ返して、二人がけのソファにちょこんと座る。ローテーブルを挟んでノクスが正面に佇み、出入り口の前から変わらずひしひしと門番が睨みを効かせ続けていた。
「……そんなに目の敵にしなくても」
肌を刺すようなその瞳に、目を向けることなく花菱は独り言ちる。言葉が返ってくるとは思っていないが、変わらぬ圧に溜息を吐きたくなった。
「ごめんね、流石に気が立ってるんだよ。クロヴィスも、……僕も」
申し訳程度に述べられた謝罪とは裏腹に、開ききっているノクスの瞳孔。努めて冷静にしているようではあるが、この状況に彼も彼なりに激情を抱いているらしい。
膠着するかのように、訪れる沈黙。それを破ったのは。
「あのカードの、何を知っているというんですか?」
凛としたメゾソプラノの切り込んだ一言だった。
「――何?」
「クロヴィス。……ミス・ハナビシ、どういう意味かな?」
「そのままの意味ですよ、ノクスさん。まさか、私が掲げていたカードの文言だけを見て予告状と判断したとでも?」
花菱の指摘に、ノクスがぐっと口を噤む。
「あのカードを手にし、ひとめ見ただけで悪戯目的の犯行ではないと可能性を消去しましたよね」
クロヴィスもノクスも、テオドールへと確かに予告状だと断定した上での危険性を提示し、そしてそれ故に発見者である花菱に警戒を見せている。ノクスに至っては、展示物を狙っているとすら断言したのだ。ただの物騒な文言の書かれたカード一枚に、である。
「あの文言だけでは、そこまで確信をもって可能性を排除することはできないはずです。であれば、その結論に至る根拠があるはず」
一般公募で選ばれたはずの彼らは魔術師による展示会であり、魔術で来展者が篩にかけられているのを知らない筈だった。少なくとも花菱からすればそう見えており、だからこそ悪戯の可能性を加味した行動をすると、予測立てていたことだろう。
しかし、彼らは断固たる確信を持って、危険性を説いたのだ。彼らを雇い展示会の権限を持つ、ブロンシュに向かって。
「もう一度お尋ねします。貴方がたは、何を、知っているんです?」
「――それを知ってどうする?」
瞬きほどの間を置いて、棘のある声音でクロヴィスが問い返す。
「まさか、展示会の品々を守る助けになるとでも言い出すのか?」
「当たり前でしょう。私が事の発端となったようなものです。出来る範囲で力を貸したいと思うのは、当然の心理では?」
ぶっきらぼうに続けるクロヴィスにただそう毅然と花菱が返せば、面食らったように寄せられるその眉根。
「ノクス」
「少なくとも、今の言葉は嘘じゃないよ」
目を瞑り、呼びかけに応じる。そのやり取りは予定調和のように、今まで何度も繰り返されてきたのだと、今日会ったばかりの花菱にも一目で理解できる代物だった。
「益々、わからん。お前は一体、何なんだ?」
「それこそ、どういう意味ですか? 私はただの人ですよ」
「違うな」
コツコツと感情のない足音で歩み寄るクロヴィスは、ソファに片足を掛けると。
「はっ、分からないとでも思ったか? お前の中の、混沌にも似た気配に」
「クロヴィス!!」
ぐいとその手で顎を掴み、無理やり花菱と目線を合わせる。それを気に掛けることすらしないくらいに、花菱の注意を惹きつけるクロヴィスの眼。展示室でカードを見つめていたときと同様、——燃え上がるような朱色に染まり上がっていた。
(やっぱり、見間違いじゃない。となれば)
「貴方がたの家業は、墓守ですか?」
「っ、何だと?」
「あるいは、こう尋ねた方がいいでしょうか。月夜の十字路に心当たりはございますか、と」
黒色の髪。悪意に反応し赤く染まった瞳。そして妖精でありながらも、魔女たる女神に仕えし猟犬とも伝承が混淆する存在。
墓守犬、あるいは黒妖犬。クロヴィスとノクスはそう呼ばれる存在の一部であろうというのが、花菱の見立てであった。
「私の中の魔力の気配を感じ取れるというならば、少なくとも常人ではありません。その上で、怒りで変化した瞳の色と濡羽色のような黒髪から推察した事実です」
「何が、言いたいのかな?」
「……私は魔術師であり、今この時、貴方がたの敵ではないということです」
二人へと交互に視線を向けながらそう告げれば、ぐっと顎を掴むクロヴィスの指の力が強まる。否応なしに真っ向からかち合う赤く染まったその瞳に、それでも、視線を背けることなく真っ向から見据え続けていれば。
「真実だよ。僕の言葉なら信じられるでしょ?」
間を取りなすように響いたのは、ノクスの声。
それでも値踏みするかのように、じぃと見つめ続けるクロヴィスであったがそれもおよそ三十秒。ゆるゆると吐き出される息と共に手の力を抜き、花菱の顎を解放すると。
「魔術師だとすれば、なお都合が悪いんだがな」
独り言かのように零されたテノールは、今までどんな発言よりも本心だと滲み出た声に乗せられていた。
そこでコンコン、とノックされる部屋の扉。次いでガチャリと音を立てて開けられた隙間、テオドールがひょこりと顔を覗かせて入ってくる。
「ブロンシュさんは事務室で休んでもらっています。こちらの様子はどうかなと思い来た次第ですが……」
「そうなんですね。丁度話を粗方聞き終えたところですよ」
ノクスの返答に、さりげなく向けられる空の碧色の視線。花菱はそれに軽く会釈とも頷きともとれる反応を返しておいた。
「一度お引き取りいただき、貴方やミス・エルダールも交え、今後の対応を検討しようかとしていたところです」
「そうでしたか。ではミス、私が出入り口までお送りしましょう」
「——いえ、テオドールさんにお伝えしたいことがいくつか。なので、ノクス」
「うん、僕が代わりにお送りしますよ。いいですか?」
「では、ノクスくん。よろしくお願いしますね」
とんとん拍子に進む会話は、重苦しさの残る空気の中でもスムーズなキャッチボールのようなちぐはぐな軽妙さを持ち進んでいく。さりげなく退室を告げられた花菱がソファから立ち上がると、すっとテオドールが歩み寄った。
「展示を見に来てくださったのに、妙なことに巻き込んでしまい申し訳ございません」
「いいえ、お気遣いなく。素敵な解説で展示物を楽しませていただきましたと、ブロンシュさんにもお伝えください」
心からの言葉を用いて交わす会話。様子を見るだけのはずだった作戦は、予想以上の情報を引き出したものの、彼女に心理的な負担をかけてしまったことは花菱の手落ちと言わざる負えない。
だからこそ、あのカードが引き起こす事象の何たるかを解き明かす必要がある。
「よろしいですか、ミス・ハナビシ?」
「ええ、有難うございます。では失礼します」
ノクスの先導で部屋を後にする。どちらも特に何か言うこともなく、階段を下りて、建物の外へと出る。外気は少し肌寒く。吹き抜ける風を吸い込めば、肺から体内を冷やすようだった。
「お見送り有難うございました、ノクスさん」
入り口近くて立ち止まったノクスを振り返って、ぺこりと花菱は一礼をする。その下がった頭が上がるまで、焦げ茶の瞳は様子を黙って見つめる。
黙りこくったまま、それでも物言いたげな様子に立ち去ることができず、花菱が見つめること数舜。
「……疑念は残りますけれど。一貫した貴女の誠実さへ情報で報いましょう」
口を開いた彼のその表情は真摯に、まっすぐと見つめる瞳は赤く染まっている。返事をすることなくそのまま様子を窺い続けていれば、ノクスはただふっと笑みを浮かべて。
「あれは、〝怪盗の仮面〟と呼ばれるモノです。クロヴィスとは違って、僕は貴女の力を借りるのに賛成なので。縁を手繰り、再び会えることを期待していますね?」
「っ、それはどういう」
一陣の突風が駆け抜けて、思わず花菱は目を瞑る。そして瞳を開けて、唖然とする。
問いかけをかき消したその風は、同様。ノクスの姿も——展示会を開催していたはずの建物の姿かたちすら、ふっと蝋燭の火のように吹き消したらしい。
「はぁ~~……」
思わず零れた溜息と一緒に、しゃがみこむ。花菱の感覚が如実に告げていた。魔術や縁を頼りに〝魔術師の秘宝展〟を見つけられないよう、阻害されていることを。
(だけれど、手掛かりはある)
失った繋がりは確かにあるが、手元に残った情報も確かにあるのだ。すっくと立ち上がり徐に懐から取り出したスマートフォンの、キーパッドをポチポチと押して。
「もしもし、私です。あー、詐欺じゃないですよ花菱ですってミスタ・ベルリッジだから切るなってちょっと!」
ははは、と電話口から響く朗らかな笑い声に、こほん、と咳払いで話を切ると。その音に本題を急かすかように沈黙が訪れて。
「今回の依頼主たる〝妖精に近き人〟——ノイシュ卿にお目通りをお願いしたいです。すぐにでも確認したいことができましたので」
そう花菱が告げればすぐさま了承の返事が返ってくるとともに、魔導書管理局へ帰投するようにと伝えられたのだった。
周囲の様子など気にしていないという体で、続けざまにカードの両面を見る素振りを見せる花菱。そして掲げて見せていた面に書かれている文字に気が付いた、だから読み上げようというていで口を開く。
「『奪われた宝を取り戻しに、秘された宝たちを手に入れに、』——」
「寄越せ」
「あっ」
静かに、それでいて怒気を孕んだ声と共に荒っぽく手繰られるカード。いつの間にか手袋を付けたクロヴィスは、自身の手に収まったそれをまるで威嚇するような目付きで見ていた。そしてその後ろ、ぴったりと覗き込むように見るノクスの目はといえば、花菱が判別できるほどに瞳孔が開いている。
(これは、どういうことだ?)
穏やかさの欠片もない沈黙に、部屋を満たす空気が急速に変わっていく。温度が変化することも、湿度が変化することもないというのに。
「落とし物、な訳ないですよね」
「どうか、したのかしら?」
耐えきれず花菱の零した言葉に、反応したのはブロンシュの声。二人の異様さに気が付いたらしい、テオドールを引き連れながらコツコツと近くまで歩み寄る。それでもなお、食い入るようにカードを見つめる二人の様子はどこか執着のようなものすら感じられるものだった。
「なにかあったの?」
凛とした雇い主の問いかけでようやく、カードから視線を離す二人。その表情は硬く、そしてその高ぶった感情を滲ませた目で口を開く。
「ミス・エルダール。緊急事態です」
「——何者かが、この展示物たちを狙っています」
「何、ですって」
問いに対する答えに、ブロンシュの瞳が見開かれる。
「そんな、まさか。〝秘宝展〟を狙う輩なんて……」
呆然としたように零された言葉は、静かに空気へと溶け出していく。ショックを受けているらしい、深呼吸を繰り返すブロンシュの肩に手を添えながら。
「少し、見せていただいても?」
そう話の輪に加わるテオドール。ごく自然なその仕草に、重苦しい頷きと共にカードが見やすいように掲げられた。
「『奪われた宝を取り戻しに、秘された宝たちを手に入れに、参上いたします』、ですか」
「これは〝秘宝展〟の展示物を狙うものからの予告状と見るべきだろう」
「……クロヴィスさんがそう思われる根拠は?」
「俺自身、この手の物には覚えがあります。軽視してよいものではないでしょう」
「成程。ではノクスさんはいかがですか?」
そう問いを投げかけるテオドールの視線の先。つい先程まであったはずのふわふわとした愛嬌の笑みはどこへやら。
「クロヴィスに同じ、ですね。十全に対策をすべきだと思います」
一転、警備員らしい表情で返答するノクスに、テオドールはふむ、と顎に手を遣った。どうやら彼らの意見は同じく、この事態を重く受け止めているらしい。
「だからこそ」
そしてクロヴィスの視線の矛先は、空気のように息を殺していた唯一の来訪者へと向けられた。
「貴女とはしっかり話をしたいと思うが」
「部屋があるから、ついてきてもらってもいーい?」
選択肢を与えまいとする圧を含んだ言葉に、疑念の渦中へ引き摺り込まれた花菱はにっこりと笑みを浮かべて口を開く。
「ええ、勿論」
辛うじて貼り付けたその表情は笑顔はどこか硬さを感じさせながら。テオドールとブロンシュを残し、ノクスの先導で花菱は展示室を後にしたのだった。
「こちらへどうぞ」
案内されたのは、こじんまりとした休憩用のスペース。質素な部屋の中にはローテーブルとソファが一つずつ。そして奥に配置されたデスクにはコーヒーメーカーと電気ケトルがあり、数種のティーバッグの袋と茶菓子が用意されている。来展者がいなければ、ここで団欒しているのだろうと思わせられる設備だった。
「それじゃあ、座ってもらえる?」
声に花菱が振り返れば、ノクスがその手でソファを指し示めす。その背後では鋭い疑念の視線を向けたままのクロヴィスが、がちゃりと部屋の扉を背面で閉めた。たった一つの出入り口が抑えられれば、従う他ない。
重苦しい空気に頷き一つ返して、二人がけのソファにちょこんと座る。ローテーブルを挟んでノクスが正面に佇み、出入り口の前から変わらずひしひしと門番が睨みを効かせ続けていた。
「……そんなに目の敵にしなくても」
肌を刺すようなその瞳に、目を向けることなく花菱は独り言ちる。言葉が返ってくるとは思っていないが、変わらぬ圧に溜息を吐きたくなった。
「ごめんね、流石に気が立ってるんだよ。クロヴィスも、……僕も」
申し訳程度に述べられた謝罪とは裏腹に、開ききっているノクスの瞳孔。努めて冷静にしているようではあるが、この状況に彼も彼なりに激情を抱いているらしい。
膠着するかのように、訪れる沈黙。それを破ったのは。
「あのカードの、何を知っているというんですか?」
凛としたメゾソプラノの切り込んだ一言だった。
「――何?」
「クロヴィス。……ミス・ハナビシ、どういう意味かな?」
「そのままの意味ですよ、ノクスさん。まさか、私が掲げていたカードの文言だけを見て予告状と判断したとでも?」
花菱の指摘に、ノクスがぐっと口を噤む。
「あのカードを手にし、ひとめ見ただけで悪戯目的の犯行ではないと可能性を消去しましたよね」
クロヴィスもノクスも、テオドールへと確かに予告状だと断定した上での危険性を提示し、そしてそれ故に発見者である花菱に警戒を見せている。ノクスに至っては、展示物を狙っているとすら断言したのだ。ただの物騒な文言の書かれたカード一枚に、である。
「あの文言だけでは、そこまで確信をもって可能性を排除することはできないはずです。であれば、その結論に至る根拠があるはず」
一般公募で選ばれたはずの彼らは魔術師による展示会であり、魔術で来展者が篩にかけられているのを知らない筈だった。少なくとも花菱からすればそう見えており、だからこそ悪戯の可能性を加味した行動をすると、予測立てていたことだろう。
しかし、彼らは断固たる確信を持って、危険性を説いたのだ。彼らを雇い展示会の権限を持つ、ブロンシュに向かって。
「もう一度お尋ねします。貴方がたは、何を、知っているんです?」
「――それを知ってどうする?」
瞬きほどの間を置いて、棘のある声音でクロヴィスが問い返す。
「まさか、展示会の品々を守る助けになるとでも言い出すのか?」
「当たり前でしょう。私が事の発端となったようなものです。出来る範囲で力を貸したいと思うのは、当然の心理では?」
ぶっきらぼうに続けるクロヴィスにただそう毅然と花菱が返せば、面食らったように寄せられるその眉根。
「ノクス」
「少なくとも、今の言葉は嘘じゃないよ」
目を瞑り、呼びかけに応じる。そのやり取りは予定調和のように、今まで何度も繰り返されてきたのだと、今日会ったばかりの花菱にも一目で理解できる代物だった。
「益々、わからん。お前は一体、何なんだ?」
「それこそ、どういう意味ですか? 私はただの人ですよ」
「違うな」
コツコツと感情のない足音で歩み寄るクロヴィスは、ソファに片足を掛けると。
「はっ、分からないとでも思ったか? お前の中の、混沌にも似た気配に」
「クロヴィス!!」
ぐいとその手で顎を掴み、無理やり花菱と目線を合わせる。それを気に掛けることすらしないくらいに、花菱の注意を惹きつけるクロヴィスの眼。展示室でカードを見つめていたときと同様、——燃え上がるような朱色に染まり上がっていた。
(やっぱり、見間違いじゃない。となれば)
「貴方がたの家業は、墓守ですか?」
「っ、何だと?」
「あるいは、こう尋ねた方がいいでしょうか。月夜の十字路に心当たりはございますか、と」
黒色の髪。悪意に反応し赤く染まった瞳。そして妖精でありながらも、魔女たる女神に仕えし猟犬とも伝承が混淆する存在。
墓守犬、あるいは黒妖犬。クロヴィスとノクスはそう呼ばれる存在の一部であろうというのが、花菱の見立てであった。
「私の中の魔力の気配を感じ取れるというならば、少なくとも常人ではありません。その上で、怒りで変化した瞳の色と濡羽色のような黒髪から推察した事実です」
「何が、言いたいのかな?」
「……私は魔術師であり、今この時、貴方がたの敵ではないということです」
二人へと交互に視線を向けながらそう告げれば、ぐっと顎を掴むクロヴィスの指の力が強まる。否応なしに真っ向からかち合う赤く染まったその瞳に、それでも、視線を背けることなく真っ向から見据え続けていれば。
「真実だよ。僕の言葉なら信じられるでしょ?」
間を取りなすように響いたのは、ノクスの声。
それでも値踏みするかのように、じぃと見つめ続けるクロヴィスであったがそれもおよそ三十秒。ゆるゆると吐き出される息と共に手の力を抜き、花菱の顎を解放すると。
「魔術師だとすれば、なお都合が悪いんだがな」
独り言かのように零されたテノールは、今までどんな発言よりも本心だと滲み出た声に乗せられていた。
そこでコンコン、とノックされる部屋の扉。次いでガチャリと音を立てて開けられた隙間、テオドールがひょこりと顔を覗かせて入ってくる。
「ブロンシュさんは事務室で休んでもらっています。こちらの様子はどうかなと思い来た次第ですが……」
「そうなんですね。丁度話を粗方聞き終えたところですよ」
ノクスの返答に、さりげなく向けられる空の碧色の視線。花菱はそれに軽く会釈とも頷きともとれる反応を返しておいた。
「一度お引き取りいただき、貴方やミス・エルダールも交え、今後の対応を検討しようかとしていたところです」
「そうでしたか。ではミス、私が出入り口までお送りしましょう」
「——いえ、テオドールさんにお伝えしたいことがいくつか。なので、ノクス」
「うん、僕が代わりにお送りしますよ。いいですか?」
「では、ノクスくん。よろしくお願いしますね」
とんとん拍子に進む会話は、重苦しさの残る空気の中でもスムーズなキャッチボールのようなちぐはぐな軽妙さを持ち進んでいく。さりげなく退室を告げられた花菱がソファから立ち上がると、すっとテオドールが歩み寄った。
「展示を見に来てくださったのに、妙なことに巻き込んでしまい申し訳ございません」
「いいえ、お気遣いなく。素敵な解説で展示物を楽しませていただきましたと、ブロンシュさんにもお伝えください」
心からの言葉を用いて交わす会話。様子を見るだけのはずだった作戦は、予想以上の情報を引き出したものの、彼女に心理的な負担をかけてしまったことは花菱の手落ちと言わざる負えない。
だからこそ、あのカードが引き起こす事象の何たるかを解き明かす必要がある。
「よろしいですか、ミス・ハナビシ?」
「ええ、有難うございます。では失礼します」
ノクスの先導で部屋を後にする。どちらも特に何か言うこともなく、階段を下りて、建物の外へと出る。外気は少し肌寒く。吹き抜ける風を吸い込めば、肺から体内を冷やすようだった。
「お見送り有難うございました、ノクスさん」
入り口近くて立ち止まったノクスを振り返って、ぺこりと花菱は一礼をする。その下がった頭が上がるまで、焦げ茶の瞳は様子を黙って見つめる。
黙りこくったまま、それでも物言いたげな様子に立ち去ることができず、花菱が見つめること数舜。
「……疑念は残りますけれど。一貫した貴女の誠実さへ情報で報いましょう」
口を開いた彼のその表情は真摯に、まっすぐと見つめる瞳は赤く染まっている。返事をすることなくそのまま様子を窺い続けていれば、ノクスはただふっと笑みを浮かべて。
「あれは、〝怪盗の仮面〟と呼ばれるモノです。クロヴィスとは違って、僕は貴女の力を借りるのに賛成なので。縁を手繰り、再び会えることを期待していますね?」
「っ、それはどういう」
一陣の突風が駆け抜けて、思わず花菱は目を瞑る。そして瞳を開けて、唖然とする。
問いかけをかき消したその風は、同様。ノクスの姿も——展示会を開催していたはずの建物の姿かたちすら、ふっと蝋燭の火のように吹き消したらしい。
「はぁ~~……」
思わず零れた溜息と一緒に、しゃがみこむ。花菱の感覚が如実に告げていた。魔術や縁を頼りに〝魔術師の秘宝展〟を見つけられないよう、阻害されていることを。
(だけれど、手掛かりはある)
失った繋がりは確かにあるが、手元に残った情報も確かにあるのだ。すっくと立ち上がり徐に懐から取り出したスマートフォンの、キーパッドをポチポチと押して。
「もしもし、私です。あー、詐欺じゃないですよ花菱ですってミスタ・ベルリッジだから切るなってちょっと!」
ははは、と電話口から響く朗らかな笑い声に、こほん、と咳払いで話を切ると。その音に本題を急かすかように沈黙が訪れて。
「今回の依頼主たる〝妖精に近き人〟——ノイシュ卿にお目通りをお願いしたいです。すぐにでも確認したいことができましたので」
そう花菱が告げればすぐさま了承の返事が返ってくるとともに、魔導書管理局へ帰投するようにと伝えられたのだった。
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王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
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クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
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