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第08話 思考の海に散らばる手がかり
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忘れないうちに、と渡された紙に書かれたアドレスを追加し。それから簡単な挨拶を目下移動中であろう彼に送信してから、花菱は店を出る。
「ひぇ、寒」
ホットカプチーノで暖めたはずの体が、さっと通りがかった風の冷たさで縮こまる。雑踏に紛れる昼前のマンチェスターは、まだまだ春の遠さを感じさせる気温であった。
(さて、どうしたものか)
繰り出す足は一定のリズムを刻みながら、その靴音はどこか不安定に響く。
無事にテオドールとのコンタクトは取れたものの、これはただ解決のためにスタートラインに立ったにすぎない。聞いたこと、見たこと、新たに加えられた情報を加味しながら、脳内で整理していく。
(〝怪盗の仮面〟は、憑いた人間の所有欲を引き出すモノだと言っていた)
現在の〝秘宝展〟における花菱の知り合いはテオドール、ノクス、クロヴィス、そしてブロンシュの四人。しかし、ノクスとクロヴィスは黒い犬である以上、いくら形が人間に近くても、その在り方から外れることはない。そもそも、できないのである。
(となれば、必然的に二人に絞られてしまう訳だけれど)
主催者とも言える二人は、そもそも〝秘宝展〟との関わりが他よりも一際深いと言える。先程のテオドールに課せられた対応を見るに、〝秘宝たち〟に魅了されないための対策が厳重に行われていると見てよいだろう。
加え手主催者側として〝秘宝〟を取り扱うその権限は、疑似的に所有欲を満たしているような状態でもある。その上で二人に〝怪盗の仮面〟が憑いているとなれば、もはや潜在的な欲求ではないことは確かだ。
(ただ、展示を見にきた人の中にいるとすれば、手の出しようがない)
「ほんと、どうしたものか」
吐いた溜息が、ほんの一瞬だけ大気に白く跡を残す。
赤信号に足を止めて、辺りを見渡す。街を歩く大勢の人々。花菱を含め、全くを以って欲を持たない人間はいないだろう。であれば、判断できない可能性を考えるのは時間の消費に他ならないのではないか。
(ブロンシュさんを探しにいくしかな、)
「ぁ、れはっ!!」
思考が止まり、見覚えのある癖毛を捕らえた瞳が見開かれる。向かいの通りの店先。毛の先だけが茶色に染まった、くるりと巻いた黒い短髪。
青色に変わる信号。雑踏の足音を皮切りに、弾かれたように喧騒と人の波をかき分けて走る。脇目も振らず駆け出した先、カフェのテイクアウト列に並ぶ青年の腕を掴もうとして。
「――バレバレだよ?」
逆に捕まれた左手首。驚いて息を飲めばふふふと笑むような吐息が聞こえて、腕ごとぐいと引き寄せられる。かち合った視線。焦茶の瞳の中、真っ黒な瞳孔に花菱の顔が映りこむ。
「こんにちは、お姉さん」
「……どうも、ノクスさん」
どうにか絞り出した花菱の挨拶に、ノクスは人懐っこい笑みを浮かべて見せた。
「まさか、こんなに早く会えるなんてねー」
無事、目当ての品をテイクアウトしたところ。しみじみとそう告げる彼に、呼吸を整えた花菱は人間じみたその仕草を観察しはじめる。
「どうして、こんなところに?」
「これのこと? クロヴィスが食べたい~って言うからさ。僕も休憩したかったし」
だから買いに来たんだ。そう告げる彼がどこまでも人間然としている事実に、花菱の感覚が狂いそうになる。
「まあもしかしたら君に会えるかもとは思っていたよ。ほんの少しだけだけど」
にかっと笑みを浮かべたノクスが、ちらと視線を寄越す。その片方の手は軽食が包まれた手提げを、そしてもう片方の手は花菱の手を握っていた。
相手は人ならざる者、縁も薄まっている間柄だ。逸れたくなければ、と差し出された手を取ったのは不可抗力である。
(偶然であったとしても、利用しない手はないよね)
「それで、要件はなぁに?」
朗々とした声に翳りが差すのを感じて、花菱は背筋を伸ばす。
隣に歩くは、人を象りながらも人智を超えたる妖精の一員。どこまで似ていても非なるものであることを心に刻みながら、最初の一言を考える花菱。
〝秘宝〟に関連する情報は、テオドールが現在収集していて今晩には出揃うだろう。個々人の来歴については、依頼を受ける中で頭に叩き込んでいる。だが、それでも足りない。
(ええい、ままよと!)
吸った息と共に覚悟を決める。
「お互いに、利用し合いませんか?」
「ええ、なんだか急に物騒なお誘いだなあ」
絶妙にオブラートに包んだ提案に、苦笑しつつ返事をするノクス。それでも無碍にされる様子はないことに、花菱はほっと胸を撫で下ろす。提案の意図は、伝わっていると。
「聞かせて。君は、僕に何をくれる?」
「今回の〝秘宝展〟を狙う〝怪盗の仮面〟に対抗するための、魔術師の協力者を」
「ふーん。じゃあその対価として何が欲しいの?」
「解決にあたり貴方がたが持っている情報と、〝怪盗の仮面〟から〝秘宝たち〟を守り抜いたという結果を」
ちらり。藍色の瞳が隣を見遣れば、どこ吹く風のようにただ歩く青年の横顔が見える。こつこつ、と石畳を規則正しく靴底が叩いていく。
「ねえ。それは、契約?」
「望むのであれば、いかようにも」
お互いに声が強張るのを隠すように、平坦な抑揚で交わされる応酬。その後、考え込むように黙ったノクスによって、二人の間に訪れる沈黙。
周囲に溢れる生活音だけが淡々と時間の経過を伝えてくる。段々と冷えていく繋がれた手を、花菱は無意識に握りこんだ。
「君さ、」
「はい?」
「よく躊躇いもなく触れられるよねー……?」
重苦しく吐き出される息に、目を瞬かせる花菱。どういう意味だろうか、と尋ねる気持ちを込めて首を傾げれば、一層おかしいというようにきゃらきゃらと笑い声を上げる。
「僕が、僕らが、何者であるのかを知っているんだろう?」
そう愚痴るように零した、ノクスの目は笑っていなかった。この黒い犬は、紛れもない警告をしているのだ。
「それでも、関わり続けるというつもりかな」
「――それは、勿論」
間髪を入れずに花菱が答えれば、今度はノクスが目を瞬かせる。
勿論、それが彼女の仕事であるというのもある。しかし、今となってはそれは理由の一つにしかすぎない。
少なくとも花菱があのカードを持ち込んだことが引き金となって、事態は収束へと進んでいる。漠然とした〝秘宝展〟へと忍び寄る影は、〝怪盗の仮面〟による襲撃という形で明確化し。犯行を止めるべく原因究明へとフェーズが移行しているのだ。
自身がわざわざ火蓋を切って落としたのであれば、幕引きまで付き合い通すのが筋というもの。
「相手が魔を帯びるのであれば、相対できるのは魔を知る者のみ。であれば、他ならぬ魔術師が見過ごすわけにはいきませんから」
少なくとも花菱の中では、それ以外の選択肢を取るつもりはなかった。
「なーに、その生き急ぐ度胸」
「生来の気質かなと。お嫌いですかね?」
どこか呆れたような響きの呟きに、問い返すメゾソプラノ。しかしその答えはとうにわかり切っていた。
「んーん?」
離されなかったその手が、ある種の意思表示であったから。
「褒められたものじゃないけれど、悪くないね!」
先ほどまでの瞳の鋭さなど嘘みたいに、毒気を抜かれるような笑顔が浮かべられる。
一歩先へと進んだノクスにするりと手が解かれて、体温が離れた。すぐさま持ち替えられる荷物に、身体をくるりと花菱に相対させて。
「その話、一枚噛ーんだ、っと」
流れるように、握手をする手と手。触れ合う温もりが寒々しい春の空気の中で、ギュッと握り込まれた途端に一際熱を帯びる。
「う、ぁ?」
火傷しそうな熱さの正体は、伝播してきたノクスの魔力であった。かつて彼が切り断った縁の糸が、するするといとも簡単に撚り合わされていく感覚が伝う。
今まで通り〝秘宝展〟の気配を探すことは難しいものの。今なら人懐っこい番犬の纏う黒い犬独特の気配を召喚魔術で見つけ出せる、そんな確信が花菱にはあった。
「……ほんとにさ」
するりと手を離したノクスは、ゆるりと口元に弧を描いている。独り言のような言葉と共に零されたそれはきっと――人間に近すぎる妖精ならではの、どうしようもない感情の揺らぎ。花菱が眼を見張る間に空気に声は溶けて、ノクスは足の向きを変えた。
「じゃあ、僕はもう行くよ。来展者の洗い出しの続きに、クロヴィスも待ってるし」
「引き止めてしまってすみません。えっと、何か、私じゃなければできないことはありますか?」
「そうだなー」
問いかけにうむむ、と唸り声が返ってくる。ノクスからすれば未だ、花菱はたまたま〝秘宝展〟に訪れただけの魔術師だ。テオドールが居ない今、彼らにとって魔術師不足なのであれば、それを補うことが解決にも近づくことだろう。
そんな思考の元で返事を待っていれば、あ、と気づきがもたらされた音が響く。
「ミス・エルダールの様子を見てもらうことってできそう?」
テオドールと同じように、取り仕切る彼女を心配してだろうか。聞こえてきたのは、どこかで聞いたようなお願いであった。
「不可能ではないと思いますけど。ブロンシュさんの居場所に心当たりは?」
「たぶんだけど、美術館に居ると思うんだ」
「美術館、ですか?」
「うん。どこかはわからないけれど、今朝は美術館を見に行ってくるって言ってたからさ」
そこで、周囲の足を止めていた人々が足踏みをするように騒めいた。十字の交差点はすべからく車が止まり、一瞬の静けさの中で排気ガスの音だけが積み重なっていく。
「わかりました。あ、あと連絡はどうすれば」
「問題ないよ。必要になれば、また道が交わるから」
今回みたいにね。
そう最後にひらりと手を振ると、青信号で動き出した人混みと一緒に歩き出す。立ち止まったままの花菱を残して、ノクスは街の雑踏へとその姿を消したのだった。
「ひぇ、寒」
ホットカプチーノで暖めたはずの体が、さっと通りがかった風の冷たさで縮こまる。雑踏に紛れる昼前のマンチェスターは、まだまだ春の遠さを感じさせる気温であった。
(さて、どうしたものか)
繰り出す足は一定のリズムを刻みながら、その靴音はどこか不安定に響く。
無事にテオドールとのコンタクトは取れたものの、これはただ解決のためにスタートラインに立ったにすぎない。聞いたこと、見たこと、新たに加えられた情報を加味しながら、脳内で整理していく。
(〝怪盗の仮面〟は、憑いた人間の所有欲を引き出すモノだと言っていた)
現在の〝秘宝展〟における花菱の知り合いはテオドール、ノクス、クロヴィス、そしてブロンシュの四人。しかし、ノクスとクロヴィスは黒い犬である以上、いくら形が人間に近くても、その在り方から外れることはない。そもそも、できないのである。
(となれば、必然的に二人に絞られてしまう訳だけれど)
主催者とも言える二人は、そもそも〝秘宝展〟との関わりが他よりも一際深いと言える。先程のテオドールに課せられた対応を見るに、〝秘宝たち〟に魅了されないための対策が厳重に行われていると見てよいだろう。
加え手主催者側として〝秘宝〟を取り扱うその権限は、疑似的に所有欲を満たしているような状態でもある。その上で二人に〝怪盗の仮面〟が憑いているとなれば、もはや潜在的な欲求ではないことは確かだ。
(ただ、展示を見にきた人の中にいるとすれば、手の出しようがない)
「ほんと、どうしたものか」
吐いた溜息が、ほんの一瞬だけ大気に白く跡を残す。
赤信号に足を止めて、辺りを見渡す。街を歩く大勢の人々。花菱を含め、全くを以って欲を持たない人間はいないだろう。であれば、判断できない可能性を考えるのは時間の消費に他ならないのではないか。
(ブロンシュさんを探しにいくしかな、)
「ぁ、れはっ!!」
思考が止まり、見覚えのある癖毛を捕らえた瞳が見開かれる。向かいの通りの店先。毛の先だけが茶色に染まった、くるりと巻いた黒い短髪。
青色に変わる信号。雑踏の足音を皮切りに、弾かれたように喧騒と人の波をかき分けて走る。脇目も振らず駆け出した先、カフェのテイクアウト列に並ぶ青年の腕を掴もうとして。
「――バレバレだよ?」
逆に捕まれた左手首。驚いて息を飲めばふふふと笑むような吐息が聞こえて、腕ごとぐいと引き寄せられる。かち合った視線。焦茶の瞳の中、真っ黒な瞳孔に花菱の顔が映りこむ。
「こんにちは、お姉さん」
「……どうも、ノクスさん」
どうにか絞り出した花菱の挨拶に、ノクスは人懐っこい笑みを浮かべて見せた。
「まさか、こんなに早く会えるなんてねー」
無事、目当ての品をテイクアウトしたところ。しみじみとそう告げる彼に、呼吸を整えた花菱は人間じみたその仕草を観察しはじめる。
「どうして、こんなところに?」
「これのこと? クロヴィスが食べたい~って言うからさ。僕も休憩したかったし」
だから買いに来たんだ。そう告げる彼がどこまでも人間然としている事実に、花菱の感覚が狂いそうになる。
「まあもしかしたら君に会えるかもとは思っていたよ。ほんの少しだけだけど」
にかっと笑みを浮かべたノクスが、ちらと視線を寄越す。その片方の手は軽食が包まれた手提げを、そしてもう片方の手は花菱の手を握っていた。
相手は人ならざる者、縁も薄まっている間柄だ。逸れたくなければ、と差し出された手を取ったのは不可抗力である。
(偶然であったとしても、利用しない手はないよね)
「それで、要件はなぁに?」
朗々とした声に翳りが差すのを感じて、花菱は背筋を伸ばす。
隣に歩くは、人を象りながらも人智を超えたる妖精の一員。どこまで似ていても非なるものであることを心に刻みながら、最初の一言を考える花菱。
〝秘宝〟に関連する情報は、テオドールが現在収集していて今晩には出揃うだろう。個々人の来歴については、依頼を受ける中で頭に叩き込んでいる。だが、それでも足りない。
(ええい、ままよと!)
吸った息と共に覚悟を決める。
「お互いに、利用し合いませんか?」
「ええ、なんだか急に物騒なお誘いだなあ」
絶妙にオブラートに包んだ提案に、苦笑しつつ返事をするノクス。それでも無碍にされる様子はないことに、花菱はほっと胸を撫で下ろす。提案の意図は、伝わっていると。
「聞かせて。君は、僕に何をくれる?」
「今回の〝秘宝展〟を狙う〝怪盗の仮面〟に対抗するための、魔術師の協力者を」
「ふーん。じゃあその対価として何が欲しいの?」
「解決にあたり貴方がたが持っている情報と、〝怪盗の仮面〟から〝秘宝たち〟を守り抜いたという結果を」
ちらり。藍色の瞳が隣を見遣れば、どこ吹く風のようにただ歩く青年の横顔が見える。こつこつ、と石畳を規則正しく靴底が叩いていく。
「ねえ。それは、契約?」
「望むのであれば、いかようにも」
お互いに声が強張るのを隠すように、平坦な抑揚で交わされる応酬。その後、考え込むように黙ったノクスによって、二人の間に訪れる沈黙。
周囲に溢れる生活音だけが淡々と時間の経過を伝えてくる。段々と冷えていく繋がれた手を、花菱は無意識に握りこんだ。
「君さ、」
「はい?」
「よく躊躇いもなく触れられるよねー……?」
重苦しく吐き出される息に、目を瞬かせる花菱。どういう意味だろうか、と尋ねる気持ちを込めて首を傾げれば、一層おかしいというようにきゃらきゃらと笑い声を上げる。
「僕が、僕らが、何者であるのかを知っているんだろう?」
そう愚痴るように零した、ノクスの目は笑っていなかった。この黒い犬は、紛れもない警告をしているのだ。
「それでも、関わり続けるというつもりかな」
「――それは、勿論」
間髪を入れずに花菱が答えれば、今度はノクスが目を瞬かせる。
勿論、それが彼女の仕事であるというのもある。しかし、今となってはそれは理由の一つにしかすぎない。
少なくとも花菱があのカードを持ち込んだことが引き金となって、事態は収束へと進んでいる。漠然とした〝秘宝展〟へと忍び寄る影は、〝怪盗の仮面〟による襲撃という形で明確化し。犯行を止めるべく原因究明へとフェーズが移行しているのだ。
自身がわざわざ火蓋を切って落としたのであれば、幕引きまで付き合い通すのが筋というもの。
「相手が魔を帯びるのであれば、相対できるのは魔を知る者のみ。であれば、他ならぬ魔術師が見過ごすわけにはいきませんから」
少なくとも花菱の中では、それ以外の選択肢を取るつもりはなかった。
「なーに、その生き急ぐ度胸」
「生来の気質かなと。お嫌いですかね?」
どこか呆れたような響きの呟きに、問い返すメゾソプラノ。しかしその答えはとうにわかり切っていた。
「んーん?」
離されなかったその手が、ある種の意思表示であったから。
「褒められたものじゃないけれど、悪くないね!」
先ほどまでの瞳の鋭さなど嘘みたいに、毒気を抜かれるような笑顔が浮かべられる。
一歩先へと進んだノクスにするりと手が解かれて、体温が離れた。すぐさま持ち替えられる荷物に、身体をくるりと花菱に相対させて。
「その話、一枚噛ーんだ、っと」
流れるように、握手をする手と手。触れ合う温もりが寒々しい春の空気の中で、ギュッと握り込まれた途端に一際熱を帯びる。
「う、ぁ?」
火傷しそうな熱さの正体は、伝播してきたノクスの魔力であった。かつて彼が切り断った縁の糸が、するするといとも簡単に撚り合わされていく感覚が伝う。
今まで通り〝秘宝展〟の気配を探すことは難しいものの。今なら人懐っこい番犬の纏う黒い犬独特の気配を召喚魔術で見つけ出せる、そんな確信が花菱にはあった。
「……ほんとにさ」
するりと手を離したノクスは、ゆるりと口元に弧を描いている。独り言のような言葉と共に零されたそれはきっと――人間に近すぎる妖精ならではの、どうしようもない感情の揺らぎ。花菱が眼を見張る間に空気に声は溶けて、ノクスは足の向きを変えた。
「じゃあ、僕はもう行くよ。来展者の洗い出しの続きに、クロヴィスも待ってるし」
「引き止めてしまってすみません。えっと、何か、私じゃなければできないことはありますか?」
「そうだなー」
問いかけにうむむ、と唸り声が返ってくる。ノクスからすれば未だ、花菱はたまたま〝秘宝展〟に訪れただけの魔術師だ。テオドールが居ない今、彼らにとって魔術師不足なのであれば、それを補うことが解決にも近づくことだろう。
そんな思考の元で返事を待っていれば、あ、と気づきがもたらされた音が響く。
「ミス・エルダールの様子を見てもらうことってできそう?」
テオドールと同じように、取り仕切る彼女を心配してだろうか。聞こえてきたのは、どこかで聞いたようなお願いであった。
「不可能ではないと思いますけど。ブロンシュさんの居場所に心当たりは?」
「たぶんだけど、美術館に居ると思うんだ」
「美術館、ですか?」
「うん。どこかはわからないけれど、今朝は美術館を見に行ってくるって言ってたからさ」
そこで、周囲の足を止めていた人々が足踏みをするように騒めいた。十字の交差点はすべからく車が止まり、一瞬の静けさの中で排気ガスの音だけが積み重なっていく。
「わかりました。あ、あと連絡はどうすれば」
「問題ないよ。必要になれば、また道が交わるから」
今回みたいにね。
そう最後にひらりと手を振ると、青信号で動き出した人混みと一緒に歩き出す。立ち止まったままの花菱を残して、ノクスは街の雑踏へとその姿を消したのだった。
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