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6話
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月島くんを送った後、僕は家に戻った。
借りていた鍵で月島くんの部屋に入る。沢山入っていた書棚は既に空になっていて、本を入れた鞄が床には置かれていた。鞄の上には紙が置かれていて、そこにはやはり、彼の綺麗な字が綴られていた。
“少し重たいですが、よろしくお願いします。雪宮さんにはくれぐれも見つからないように。あと、鍵を持っていることは誰にも言わないでください”
健助くんはまだ起きていない。やるならば、今のうちだろう。
いくつかある鞄のうちのひとつを持ち上げようとする。が。
「ふッ……ん」
困った。予想以上に重たい。ひとつだけでこれだと、先が思いやられる。
「月島くんに頼まれんだ……ッ、ここでくたばるわけには、いかない!」
僕だって男だ。三十に手が届きそうだけど、まだ力はあると信じたい。
「どうして紙なのに、こんなに重たいんだッ!」
「せんせー?」
突然背後から聞こえてきた声に、持ち上がりかけた鞄が地面に落ちた。
「ここ、月島くんの部屋ですよね。何してるんですか?」
東雲くんが、ドアの隙間からひょっこりと顔を覗かせていた。ばくばくと跳ねる心臓を落ち着かせるように、「何でもないことだ」と自分に言い聞かせるように、僕は笑った。
「あ、ああ。この部屋のエアコンを修理に出すんだ。その間は部屋を移動してもらおうと思ってな」
「へー……」
東雲くんは、月島の部屋をぐるりと見回した。
「それで、この荷物を向こうに持っていくつもりなんですね」
「そうなんだ」
「手伝いますよ?」
「いや、大丈夫だ。一人ででき_____」
これしきの荷物など余裕で持てるのだと、証明しようとするも、結局自分の非力さが露呈するだけの結果となった。
少しも持ち上げられずに、床に崩れ落ちる。そんな僕の隣で、東雲くんは涼しい顔をして鞄を持ち上げた。
「せんせい。ほら、早く運びましょう」
東雲くんが、パチンとウインクをする。
「健ちゃんにバレちゃわないうちに、ね?」
そう言って、颯爽と部屋を出ていく。
どうやら東雲くんは、このことを健助くんに言うつもりはないみたいだ。
お言葉に甘えて、運ぶのを手伝ってもらうことにした。
「せんせい、こっちですか?」
「空いている部屋だったら、どこでも構わない」
「はぁい」
鞄のジッパーを開き、東雲が感嘆の声を上げる。
「これ、全部本なんですか」
「うん」
「凄いですねぇ……」
一冊の本に手を伸ばし、躊躇いもなくページを捲る。
「わー!」
「え、え? どうしたんですか、せんせー。びっくりしたぁ」
「す、すまない。君が急に本を開くから驚いたんだ」
一瞬心臓が嫌な音を立てたが、運が良いことに、普通の小説だったらしい。
「他人のものを勝手に見ちゃダメだろ」
「ごめんなさい」
東雲くんは鞄の中にすぐさま本を戻した。
「それにしても、月島くんって難しい本を読んでるんですね。あまりに文字が細かいから、文字酔いしちゃうかと思いました」
「東雲くんはあまり読書はしないのか」
「勉強するよりも、体を動かしている方が好きなんです」
「意外だな」
見た目は大人しそうなのに。
「良く言われます。特に昔のぼくはこんな見た目じゃなかったから、運動が苦手そうだってみんなに思われてました」
東雲くんはそう言って、スマホを僕に見せてくれる。
「高校一年の時の僕です」
黒髪の小柄な少年が照れ臭そうに笑みを浮かべてこちらを見つめている。
「これは……男の子にこんなことを言って良いのか分からないが、随分と可愛らしいな」
「この時のぼくは今より身長も低かったから、女の子に間違われることも多くって。学校でも、“お姫様”なんてあだ名で呼ばれてたんです」
「……男、なんだよな?」
「はい。男子校出身です」
「そ、そうか」
男に向かって“姫”とは、どういうことなのか。
僕も男子校出身だが、そんなあだ名で呼ばれていた生徒はいなかった。
東雲くんが本棚を持ってきている間に、部屋に鍵を取り付ける。
「ぼく、あんな見た目だったし、それに家でも末っ子だから、可愛がってもらえることが結構多くって。だから、健ちゃんに初めて話しかけられた時はびっくりしました」
「健助くんは君に何をしたんだ」
まさか僕の時みたいに、その辺の草むらで捕まえてきたデカいバッタをプレゼントしてくる、なんてことはないと思うが。
「普通の男の子として僕に接してくれたんです。健ちゃんはそんなの普通だろって言ってたけど、ぼくにとってはとても新鮮で、本当に嬉しかったんです」
当時のことを思い出しているんだろう。東雲くんは本当に嬉しそうに笑う。
「ぼくの相談にも真剣に答えてくれて、女の子に間違えられるのが嫌だって言ったら、ぼくに似合う服を一緒に探してくれたり、とにかく凄くぼくに良くしてくれて……。だから、ぼくは健ちゃんが大好きなんです」
「君達は本当に仲が良いんだな」
「はい。ぼくもたぶん、健ちゃん以上の友達なんてできないと思います。健ちゃんがぼくのことをどう思ってるかは分からないですけど」
「どういう意味だ?」
「健ちゃんはぼく以外にも沢山友達がいるから。今は僕の隣にいてくれるけど、いつかはぼくよりもずっと一緒にいたいって思える人ができると思うんです。たとえば、恋人とか」
「健助くんは、女の子に人気なのか?」
「とっても人気ですよ。でも、健ちゃんが女の子と一緒にお出かけしてるところは見たことがないですね」
「へぇ……」
「電話は頻繁にしてるみたいだし、女の子の友達がいないわけじゃないみたいなんですけど、健ちゃんってあまり人に縛られるのが好きじゃないから、彼女さんとか作りたくないみたいなんですよね」
僕は、先日健助くんが言っていたことを思い出す。
『上っ面だけ見て親しくされるくらいなら、友達なんて少ない方が良い。マサと、スグルがおれを理解してくれてるなら、それで良い』
……慕われるが故の悩みというのもあるんだろうな。
だから健助くんはわざと露悪的な態度を取ったりするんだろうか。
それで健助くん自身が傷つくようなことが起きないか、僕は少し心配だ。
「ところで大学は大丈夫なのか」
「午後からですから。健ちゃんは全休なんですよ。だからまだぐっすり眠ってます」
「そうか」
「あ、そうだ。パスタ頂きました。美味しかったです」
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
そういえば健助くんはパスタが好きだったな、と思って今朝はフェットチーネパスタを作ってみた。月島くんには好評だったのだけど、本当に食べてほしい人には、まだ食べてもらえていないみたいだ。
気に入ってもらえると良いな。
借りていた鍵で月島くんの部屋に入る。沢山入っていた書棚は既に空になっていて、本を入れた鞄が床には置かれていた。鞄の上には紙が置かれていて、そこにはやはり、彼の綺麗な字が綴られていた。
“少し重たいですが、よろしくお願いします。雪宮さんにはくれぐれも見つからないように。あと、鍵を持っていることは誰にも言わないでください”
健助くんはまだ起きていない。やるならば、今のうちだろう。
いくつかある鞄のうちのひとつを持ち上げようとする。が。
「ふッ……ん」
困った。予想以上に重たい。ひとつだけでこれだと、先が思いやられる。
「月島くんに頼まれんだ……ッ、ここでくたばるわけには、いかない!」
僕だって男だ。三十に手が届きそうだけど、まだ力はあると信じたい。
「どうして紙なのに、こんなに重たいんだッ!」
「せんせー?」
突然背後から聞こえてきた声に、持ち上がりかけた鞄が地面に落ちた。
「ここ、月島くんの部屋ですよね。何してるんですか?」
東雲くんが、ドアの隙間からひょっこりと顔を覗かせていた。ばくばくと跳ねる心臓を落ち着かせるように、「何でもないことだ」と自分に言い聞かせるように、僕は笑った。
「あ、ああ。この部屋のエアコンを修理に出すんだ。その間は部屋を移動してもらおうと思ってな」
「へー……」
東雲くんは、月島の部屋をぐるりと見回した。
「それで、この荷物を向こうに持っていくつもりなんですね」
「そうなんだ」
「手伝いますよ?」
「いや、大丈夫だ。一人ででき_____」
これしきの荷物など余裕で持てるのだと、証明しようとするも、結局自分の非力さが露呈するだけの結果となった。
少しも持ち上げられずに、床に崩れ落ちる。そんな僕の隣で、東雲くんは涼しい顔をして鞄を持ち上げた。
「せんせい。ほら、早く運びましょう」
東雲くんが、パチンとウインクをする。
「健ちゃんにバレちゃわないうちに、ね?」
そう言って、颯爽と部屋を出ていく。
どうやら東雲くんは、このことを健助くんに言うつもりはないみたいだ。
お言葉に甘えて、運ぶのを手伝ってもらうことにした。
「せんせい、こっちですか?」
「空いている部屋だったら、どこでも構わない」
「はぁい」
鞄のジッパーを開き、東雲が感嘆の声を上げる。
「これ、全部本なんですか」
「うん」
「凄いですねぇ……」
一冊の本に手を伸ばし、躊躇いもなくページを捲る。
「わー!」
「え、え? どうしたんですか、せんせー。びっくりしたぁ」
「す、すまない。君が急に本を開くから驚いたんだ」
一瞬心臓が嫌な音を立てたが、運が良いことに、普通の小説だったらしい。
「他人のものを勝手に見ちゃダメだろ」
「ごめんなさい」
東雲くんは鞄の中にすぐさま本を戻した。
「それにしても、月島くんって難しい本を読んでるんですね。あまりに文字が細かいから、文字酔いしちゃうかと思いました」
「東雲くんはあまり読書はしないのか」
「勉強するよりも、体を動かしている方が好きなんです」
「意外だな」
見た目は大人しそうなのに。
「良く言われます。特に昔のぼくはこんな見た目じゃなかったから、運動が苦手そうだってみんなに思われてました」
東雲くんはそう言って、スマホを僕に見せてくれる。
「高校一年の時の僕です」
黒髪の小柄な少年が照れ臭そうに笑みを浮かべてこちらを見つめている。
「これは……男の子にこんなことを言って良いのか分からないが、随分と可愛らしいな」
「この時のぼくは今より身長も低かったから、女の子に間違われることも多くって。学校でも、“お姫様”なんてあだ名で呼ばれてたんです」
「……男、なんだよな?」
「はい。男子校出身です」
「そ、そうか」
男に向かって“姫”とは、どういうことなのか。
僕も男子校出身だが、そんなあだ名で呼ばれていた生徒はいなかった。
東雲くんが本棚を持ってきている間に、部屋に鍵を取り付ける。
「ぼく、あんな見た目だったし、それに家でも末っ子だから、可愛がってもらえることが結構多くって。だから、健ちゃんに初めて話しかけられた時はびっくりしました」
「健助くんは君に何をしたんだ」
まさか僕の時みたいに、その辺の草むらで捕まえてきたデカいバッタをプレゼントしてくる、なんてことはないと思うが。
「普通の男の子として僕に接してくれたんです。健ちゃんはそんなの普通だろって言ってたけど、ぼくにとってはとても新鮮で、本当に嬉しかったんです」
当時のことを思い出しているんだろう。東雲くんは本当に嬉しそうに笑う。
「ぼくの相談にも真剣に答えてくれて、女の子に間違えられるのが嫌だって言ったら、ぼくに似合う服を一緒に探してくれたり、とにかく凄くぼくに良くしてくれて……。だから、ぼくは健ちゃんが大好きなんです」
「君達は本当に仲が良いんだな」
「はい。ぼくもたぶん、健ちゃん以上の友達なんてできないと思います。健ちゃんがぼくのことをどう思ってるかは分からないですけど」
「どういう意味だ?」
「健ちゃんはぼく以外にも沢山友達がいるから。今は僕の隣にいてくれるけど、いつかはぼくよりもずっと一緒にいたいって思える人ができると思うんです。たとえば、恋人とか」
「健助くんは、女の子に人気なのか?」
「とっても人気ですよ。でも、健ちゃんが女の子と一緒にお出かけしてるところは見たことがないですね」
「へぇ……」
「電話は頻繁にしてるみたいだし、女の子の友達がいないわけじゃないみたいなんですけど、健ちゃんってあまり人に縛られるのが好きじゃないから、彼女さんとか作りたくないみたいなんですよね」
僕は、先日健助くんが言っていたことを思い出す。
『上っ面だけ見て親しくされるくらいなら、友達なんて少ない方が良い。マサと、スグルがおれを理解してくれてるなら、それで良い』
……慕われるが故の悩みというのもあるんだろうな。
だから健助くんはわざと露悪的な態度を取ったりするんだろうか。
それで健助くん自身が傷つくようなことが起きないか、僕は少し心配だ。
「ところで大学は大丈夫なのか」
「午後からですから。健ちゃんは全休なんですよ。だからまだぐっすり眠ってます」
「そうか」
「あ、そうだ。パスタ頂きました。美味しかったです」
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
そういえば健助くんはパスタが好きだったな、と思って今朝はフェットチーネパスタを作ってみた。月島くんには好評だったのだけど、本当に食べてほしい人には、まだ食べてもらえていないみたいだ。
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