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アサカズ博士とはワタシの部屋の前で別れました。そして一週間後、予告通りアサカズ博士はワタシに依頼を持ってきました。
依頼の詳細を聞く前に、ワタシはアサカズ博士の手によって一度電源を落とされ、とある細工を施されました。位置情報機能をオフにされたのです。
ワタシの体には、現在位置を持ち主に知らせるGPS機能や、ワタシの行動記録が残っています。それら全てを消去しなければならない事情があるのだと思うと、ワタシの胸は久方ぶりに踊りました。
「それで、ワタシは何をすれば良いんですか?」
「君にはアンドロイドの教育をしてほしいんだ」
「……教育?」
「スリルは保証するよ。君にしか頼めないことなんだ」
アンドロイドが住むことを許可された特別区域には、アンドロイド開発の研究に関わった研究員の住居や政府直属部門の建物が立ち並んでいます。
ワタシがアサカズ博士に連れられて向かった先は、アサカズ博士の住むお屋敷でした。
「一緒に住んでいるんですか?」
「彼は正式なアンドロイドではないんだ。開発の途中で計画が頓挫して、処分も可哀想だからとここに連れてきた」
「お人好しなアナタらしい」
「褒めてくれて……はないよね」
「当たり前じゃないですか」
アサカズ博士はどうやら典型的な「割を食う」人間らしいですね。心配などという理由で寒空の下ワタシの帰りを待ち、可哀想だからとガラクタのアンドロイドを押しつけられるなんて。
「殺人術とかは教えないでね」
「あら、ダメなんですか」
「ダメ! あの子には一般的なことを教えてほしいんだ。家事の仕方とか、挨拶とか」
「そんなこともできないんですか? アンドロイドなのに?」
「とある事情があってね_____」
とアサカズ博士が言った時、建物の中から、誰かの悲鳴が聞こえてきました。
アサカズ博士は頭を抱えます。
「ああ、また_____」
慌てて鍵を開け、中に入ります。
「エア! 大丈夫かい?」
博士の問いかけに対し、どこからか「ご主人様~!」と、くぐもった声が聞こえました。
「あっちの方からです」
「脱衣所か、ということは……!」
二人で脱衣所に入ると、そこには驚きの光景が広がっていました。
天井までうず高く積み上がる服の山。今にも崩れそうなその山の頂から、水面に物体が浮かび上がるように、一人の少年が突如として姿を見せます。
「ぷはっ、し、死ぬかと思った……」
エアと呼ばれた栗毛の少年は、水を弾く犬のように頭を激しく振って、大きな焦茶の瞳でワタシ達を見下ろします。
「ご主人様、その人、誰ですか?」
「紹介するよ。カノンだ」
……アサカズ博士、まさかこのまま会話を続けるべきですか? もっと言うべきことがあるでしょうに。
エアは服の山から滑り降り、ワタシの前に立ちました。
目線はワタシより少し低いくらいでしょうか。頭のてっぺんから飛び出た短い髪の毛の束が、どこか抜けた印象を少年に与えています。
「カノン?……ご主人様のご友人ですか? それにしては若い気もするけど……」
「この子は君と同じアンドロイドなんだ」
「アンドロイド……?」
エアはワタシを不躾に眺め回して、頭をこてりと右方へ傾けました。
「どうしてアンドロイドがこの家に?」
「言ってないんですか、博士」
「いや、前に伝えたはずだよ。新しい家族が増えるって」
「「え?」」
ワタシとエアの声が重なります。
「待ってください。今、家族と言いましたか」
「え、うん。これから一緒に暮らすんだから、家族で間違いないだろ?」
「一緒に暮らす? どういうことですか。そのような契約だとは一言も_____」
ワタシと博士の間に、エアが割って入ります。
「待ってよご主人様! 家族って、猫ちゃんじゃないんですか?」
「猫?」
「だっていつも、窓の外の猫ちゃんを楽しそうに見つめて……だから、てっきり動物をお飼いになるつもりなのかと」
「あはは。猫を飼うのも悪くないね。だけど今回は違うかな。見ての通り、この子が僕達の家族だ」
「「……」」
ワタシ達は見つめ合います。エアの瞳には疑問と不満がありありと浮かんでいます。
“この人が新しい家族?”
そんな風に思っているのでしょう。ワタシの人工頭脳も同じ言葉を思い浮かべましたが、エアほど表情には出ていなかったはずです。
博士を一瞥すると、博士は縋るような目でワタシを見つめました。
“君にしか頼めない”ことがエアと家族になることだと思うと奇妙で仕方ありませんが、依頼を受けると決めた以上、やめるという選択肢はワタシにはありません。
それに、この程度の任務をキャンセルして、ワタシの実績_____或いは戦績_____に傷がつくのも気に食わないです。
「……この服の山はなんですか?」
とりあえず、ワタシはエアがどこまで家事をできるのかを探ってみることにしました。
「洗濯しようと思って」
「これら全て、これから洗濯するつもりだったんですか?」
「……ちょっと溜め込んでたんだ。ご主人様が戻ってくるまでに終わらせようと思って」
「だからって普通、アナタと博士の服を足しても、こんなに多くはならないでしょう」
博士が口を挟んできます。
「そうだよ、エア。それに君は防水機能がついていないんだからあまり水に触れちゃいけないって、いつも言ってるだろ」
「でも、ご主人様のお役に立ちたくて……この服も、フリーマーケットで購入したんです。ご主人様に似合うと思ったから」
「エア……」
ワタシは博士の手の甲を抓ります。
「いっ……」
「何絆されそうになってるんですか。アナタが甘やかすから、アンドロイドのくせして何もできないんですよ」
エアが頬を膨らませます。
「カノンだかなんだか知らないけど、さっきからオレに失礼すぎない? オレだって、一応できることはあるんだからな」
「たとえば?」
「……テレビの電源をつけるとか、ドアの鍵を開けるとか」
はぁ、そうなんですか。
「捨てますよ」
「え?」
「こんなに服を買ったって、全て使えるわけないでしょう? いらないものは全て捨てます。博士、手伝ってください」
「あ、ああ」
「ちょっと、勝手に捨てないでよ! オレの小遣いで買ったのに!」
エアの声は無視して、ワタシはアサカズ博士に聞きながら服の仕分けをします。
普段着、寝巻き、下着、似合いそうなもの、似合わないもの、明らかにサイズが合わないもの。捨てるものは袋に詰めて別の場所に置くと、脱衣所は幾分かすっきりとしました。
ワタシは残った服を更に手洗いするものと洗濯機に入れるものに分けました。洗濯機に服を突っ込んで、洗濯ボタンを押します。
「エア。服を洗うのはワタシがしますから、アナタは畳んでください。これからは役割分担をしましょう」
ワタシの作業をじっと見つめていたエアが、博士の服の袖を掴みます。
「ねぇ、本当にコイツここに住むの?」
「うん。カノンには、エアの教育を任せたいんだ。エアも自分で沢山のことができるようになりたいって言ってたよね」
「言ったけど、でも自分で勉強するつもりだったのに……」
どうやら、彼にもアンドロイドとしての矜持はあるようです。新しくやってきたワタシに立場を奪われるのが嫌なのでしょう。
「それに、いつも一人で過ごすよりは仲間がいたほうが、エアも嬉しいよね?」
アサカズ博士は屈託ない笑みを見せます。エアは唇を引き結んで、黙り込みました。不機嫌そうな顔には「アナタがいればそれで良いのに」と書かれていますが、このお人好しには通じないでしょう。
こういう人には、直接的なアプローチが必要なんです。
「アナタが一人前のアンドロイドとして家事をこなせるようになったら、すぐにここを出ていきますよ」
ワタシは二人の方は振り向かず、洗濯物を洗いながら声を上げます。
「それにしても、大好きなご主人様を取られそうになって不機嫌になってるだなんて、アナタのお子さんは随分と可愛らしい性格をしてるじゃないですか。ねぇ、博士?」
「え? あ、ああ……そうなの、エア?」
エアの顔が、ぽんと音を立てるように赤くなるのが面白くて、ワタシはクスッと笑いました。
確かに、退屈はしなさそう。からかい甲斐のありそうな子です。
依頼の詳細を聞く前に、ワタシはアサカズ博士の手によって一度電源を落とされ、とある細工を施されました。位置情報機能をオフにされたのです。
ワタシの体には、現在位置を持ち主に知らせるGPS機能や、ワタシの行動記録が残っています。それら全てを消去しなければならない事情があるのだと思うと、ワタシの胸は久方ぶりに踊りました。
「それで、ワタシは何をすれば良いんですか?」
「君にはアンドロイドの教育をしてほしいんだ」
「……教育?」
「スリルは保証するよ。君にしか頼めないことなんだ」
アンドロイドが住むことを許可された特別区域には、アンドロイド開発の研究に関わった研究員の住居や政府直属部門の建物が立ち並んでいます。
ワタシがアサカズ博士に連れられて向かった先は、アサカズ博士の住むお屋敷でした。
「一緒に住んでいるんですか?」
「彼は正式なアンドロイドではないんだ。開発の途中で計画が頓挫して、処分も可哀想だからとここに連れてきた」
「お人好しなアナタらしい」
「褒めてくれて……はないよね」
「当たり前じゃないですか」
アサカズ博士はどうやら典型的な「割を食う」人間らしいですね。心配などという理由で寒空の下ワタシの帰りを待ち、可哀想だからとガラクタのアンドロイドを押しつけられるなんて。
「殺人術とかは教えないでね」
「あら、ダメなんですか」
「ダメ! あの子には一般的なことを教えてほしいんだ。家事の仕方とか、挨拶とか」
「そんなこともできないんですか? アンドロイドなのに?」
「とある事情があってね_____」
とアサカズ博士が言った時、建物の中から、誰かの悲鳴が聞こえてきました。
アサカズ博士は頭を抱えます。
「ああ、また_____」
慌てて鍵を開け、中に入ります。
「エア! 大丈夫かい?」
博士の問いかけに対し、どこからか「ご主人様~!」と、くぐもった声が聞こえました。
「あっちの方からです」
「脱衣所か、ということは……!」
二人で脱衣所に入ると、そこには驚きの光景が広がっていました。
天井までうず高く積み上がる服の山。今にも崩れそうなその山の頂から、水面に物体が浮かび上がるように、一人の少年が突如として姿を見せます。
「ぷはっ、し、死ぬかと思った……」
エアと呼ばれた栗毛の少年は、水を弾く犬のように頭を激しく振って、大きな焦茶の瞳でワタシ達を見下ろします。
「ご主人様、その人、誰ですか?」
「紹介するよ。カノンだ」
……アサカズ博士、まさかこのまま会話を続けるべきですか? もっと言うべきことがあるでしょうに。
エアは服の山から滑り降り、ワタシの前に立ちました。
目線はワタシより少し低いくらいでしょうか。頭のてっぺんから飛び出た短い髪の毛の束が、どこか抜けた印象を少年に与えています。
「カノン?……ご主人様のご友人ですか? それにしては若い気もするけど……」
「この子は君と同じアンドロイドなんだ」
「アンドロイド……?」
エアはワタシを不躾に眺め回して、頭をこてりと右方へ傾けました。
「どうしてアンドロイドがこの家に?」
「言ってないんですか、博士」
「いや、前に伝えたはずだよ。新しい家族が増えるって」
「「え?」」
ワタシとエアの声が重なります。
「待ってください。今、家族と言いましたか」
「え、うん。これから一緒に暮らすんだから、家族で間違いないだろ?」
「一緒に暮らす? どういうことですか。そのような契約だとは一言も_____」
ワタシと博士の間に、エアが割って入ります。
「待ってよご主人様! 家族って、猫ちゃんじゃないんですか?」
「猫?」
「だっていつも、窓の外の猫ちゃんを楽しそうに見つめて……だから、てっきり動物をお飼いになるつもりなのかと」
「あはは。猫を飼うのも悪くないね。だけど今回は違うかな。見ての通り、この子が僕達の家族だ」
「「……」」
ワタシ達は見つめ合います。エアの瞳には疑問と不満がありありと浮かんでいます。
“この人が新しい家族?”
そんな風に思っているのでしょう。ワタシの人工頭脳も同じ言葉を思い浮かべましたが、エアほど表情には出ていなかったはずです。
博士を一瞥すると、博士は縋るような目でワタシを見つめました。
“君にしか頼めない”ことがエアと家族になることだと思うと奇妙で仕方ありませんが、依頼を受けると決めた以上、やめるという選択肢はワタシにはありません。
それに、この程度の任務をキャンセルして、ワタシの実績_____或いは戦績_____に傷がつくのも気に食わないです。
「……この服の山はなんですか?」
とりあえず、ワタシはエアがどこまで家事をできるのかを探ってみることにしました。
「洗濯しようと思って」
「これら全て、これから洗濯するつもりだったんですか?」
「……ちょっと溜め込んでたんだ。ご主人様が戻ってくるまでに終わらせようと思って」
「だからって普通、アナタと博士の服を足しても、こんなに多くはならないでしょう」
博士が口を挟んできます。
「そうだよ、エア。それに君は防水機能がついていないんだからあまり水に触れちゃいけないって、いつも言ってるだろ」
「でも、ご主人様のお役に立ちたくて……この服も、フリーマーケットで購入したんです。ご主人様に似合うと思ったから」
「エア……」
ワタシは博士の手の甲を抓ります。
「いっ……」
「何絆されそうになってるんですか。アナタが甘やかすから、アンドロイドのくせして何もできないんですよ」
エアが頬を膨らませます。
「カノンだかなんだか知らないけど、さっきからオレに失礼すぎない? オレだって、一応できることはあるんだからな」
「たとえば?」
「……テレビの電源をつけるとか、ドアの鍵を開けるとか」
はぁ、そうなんですか。
「捨てますよ」
「え?」
「こんなに服を買ったって、全て使えるわけないでしょう? いらないものは全て捨てます。博士、手伝ってください」
「あ、ああ」
「ちょっと、勝手に捨てないでよ! オレの小遣いで買ったのに!」
エアの声は無視して、ワタシはアサカズ博士に聞きながら服の仕分けをします。
普段着、寝巻き、下着、似合いそうなもの、似合わないもの、明らかにサイズが合わないもの。捨てるものは袋に詰めて別の場所に置くと、脱衣所は幾分かすっきりとしました。
ワタシは残った服を更に手洗いするものと洗濯機に入れるものに分けました。洗濯機に服を突っ込んで、洗濯ボタンを押します。
「エア。服を洗うのはワタシがしますから、アナタは畳んでください。これからは役割分担をしましょう」
ワタシの作業をじっと見つめていたエアが、博士の服の袖を掴みます。
「ねぇ、本当にコイツここに住むの?」
「うん。カノンには、エアの教育を任せたいんだ。エアも自分で沢山のことができるようになりたいって言ってたよね」
「言ったけど、でも自分で勉強するつもりだったのに……」
どうやら、彼にもアンドロイドとしての矜持はあるようです。新しくやってきたワタシに立場を奪われるのが嫌なのでしょう。
「それに、いつも一人で過ごすよりは仲間がいたほうが、エアも嬉しいよね?」
アサカズ博士は屈託ない笑みを見せます。エアは唇を引き結んで、黙り込みました。不機嫌そうな顔には「アナタがいればそれで良いのに」と書かれていますが、このお人好しには通じないでしょう。
こういう人には、直接的なアプローチが必要なんです。
「アナタが一人前のアンドロイドとして家事をこなせるようになったら、すぐにここを出ていきますよ」
ワタシは二人の方は振り向かず、洗濯物を洗いながら声を上げます。
「それにしても、大好きなご主人様を取られそうになって不機嫌になってるだなんて、アナタのお子さんは随分と可愛らしい性格をしてるじゃないですか。ねぇ、博士?」
「え? あ、ああ……そうなの、エア?」
エアの顔が、ぽんと音を立てるように赤くなるのが面白くて、ワタシはクスッと笑いました。
確かに、退屈はしなさそう。からかい甲斐のありそうな子です。
応援ありがとうございます!
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