恋と模型と妖怪少女 ~お前らいい加減にしろ!ブチ切れ少女が釘バット片手に大暴れ~

ニセ梶原康弘

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恋と模型と妖怪少女

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「遅いなぁ」 

 生ぬるい風がちょっと心地悪い梅雨間近の夕暮れ。 
 街路樹の並んだ街通りからちょっとはずれた薄暗い路地裏に、いかにも怪しげな人影がひとつ佇んでいる。 
 怪しい人影、といっても緑ヶ丘高校のブレザーを着た女子高生である。 
 しかし、顔にはホッケーマスク、手にはたくさんの釘を打ち込んだ木製バット、という物騒な出で立ちをしていた。 
 街灯がひとつきりの路地裏に通りかかる人はほとんどない。だが、たまに帰宅中のサラリーマンや買い物帰りの主婦が来ると、そのたびに慌ててマスクを外し、バットを後ろ手に隠して素知らぬ顔でやり過ごす。 
 そうしながら彼女は通りの向こう側を懸命に見張っていた。 
 彼女……内村千秋は、まもなくこの路地裏を通りかかる同じ緑ヶ丘高校の同級生カップルを闇討ちしなくてはいけないのだ。 
 彼女は、手にした釘バットを見て思わずため息をついた。 

「それにしても何でこんなことになっちゃったんだろ」 


**  **  **  **  **  **


 事の発端は、昨日の朝に遡る。 
 朝の授業が始まる前に、千秋がいつものように隣の教室にいる幼馴染、二階堂郷次(にかいどうごうじ)の様子を見に行くと、彼は頭を抱えて泣き喚いていた。 

「終わったああ。俺の青春がああ!神よ、何故この世に園部和也などという悪魔を生み出したのですかああ!」 
「おはよー、郷次」 
「ううう」 
「園部和也ってウチのクラスの園部君のこと? あ、それじゃとうとう桐川さんと付き合うことになったんだ。残念だったね」 

 彼女の言葉が追い討ちとなり、郷次は机に突っ伏して、うわあああー! と、雄叫びをあげた。 
 千秋は内心ホッとしていたが、泣きじゃくる郷次へ子供でも諭すように言った。 

「仕方ないよ。園部君は転校初日からコクられるくらいのイケメンじゃない。ファンクラブの女の子は今、十二人だっけ?」 
「うぐぐ」 
「桐川榛名さんかー。美人だしあの二人お似合いだよ。模型作りだけが趣味のアンタが割り込むなんて無理無理、諦めなって。私、前から言ってたじゃん」 

 止めのような言葉を聞いた郷次は頭をかきむしった。 

「そんなアンタにだってきっと、お……お似合いの人がいるから元気出しなって」 

 千秋は小声でそっと付け足したが、彼女の最後の言葉は聞こえなかったのか郷次は呻いてのたうちまわるばかりだった。 


 ところが翌日。 
 失恋した幼馴染を心配して彼の教室にやってきた千秋は、郷次が教室に持ち込んだものを見て思わず息を呑んだ。 

「何よ、それ……」 

 それは軍艦の模型だった。 
 今までも造形作家志望の彼が作った作品を何度か見せてもらったことはあったが、彼女はこれほど手の込んだものを見たのは初めてで驚いた。 
 前後を睥睨する巨大な主砲、城の天守閣のように聳え立つ艦橋、細部まで実に精巧に作ってある。艦尾には日本の海の鎮めを示す旭日旗が翻っていた。 

「凄い……これ、本当に郷次が作ったの?」 

 昨日の失恋でさんざん苦悶したらしい郷次は憔悴しきった声で「ああ」と、答えた。 

「桐川さんの下の名前と同じ戦艦榛名だよ。誕生日にプレゼントするつもりだった」 

 その言葉はまるで錐のように千秋の胸にぐさりと突き刺さった。 

「は、榛名さんにあげるつもりだった模型をどうして持って来たの?」 
「明日流す」 

 恋の灯籠流しだ、と力なく笑う郷次を見ているうちに、千秋はこれほど情熱を傾けて模型を作ったのに報われない彼も、そんなことも知らずにいる彼の想い人も次第に憎らしく思えてきた。 

「ねえ、それで諦めがつくの?」 
「つかないだろうなぁ。でも仕方ないさ。もう終わったんだ」 
「なんで諦めるのよ」 
「何だよ、諦めろって昨日言ってたのは千秋だろ?」 

 そっけなく言い返され、千秋は思わずカッとなった。 

「昨日は……あ、あんたが朝から女々しく泣いてたから諦めろって言ったのよ!」 
「なんだと?」 
「あんたがまだ諦めないって言うなら私があんな顔だけのバカップルなんかぶっ壊してチャンスぐらい作ってあげるわよ!」 
「えっ? おい、何言ってるんだよ」 

 驚いて顔を上げた郷次は「それはいくらなんでも……」と狼狽したが、千秋はもう止まらなかった。 

「本当よ! 私はね、好きな娘に勘違いした模型なんか作ってメソメソ泣いてるアンタとは違うのよ! ふん、闇討ちでもしたらビビッて逃げる園部君に桐川さんだって愛想尽かすでしょうよ。見てらっしゃい!」 

 勢いとは恐ろしいもので、千秋はあっけにとられている郷次を尻目に教室を飛び出すと、その足で体育倉庫から木製バットとホッケーマスクをかっぱらってきた。 
 更に昼休みを利用して工作実習室にバットを持ち込むと、慣れぬ手つきで木製バットに釘を1本1本打ち込んで殺人用釘バットを完成させてしまったのだった。 
 そして放課後、彼女はこの路地裏に潜んで学校帰りの二人を襲うべく、待ち伏せていたのである。 
 しかし、なかなか来ない二人を待っているうちに、逆上せていた千秋の頭も次第に醒めて来た。 
 そもそも千秋にとって別に恨みなどない二人を何故、釘バットで闇討ちなんかしなくてはいけないのだろうか。 
 千秋は俯くとため息をついた。 

「園部君も榛名さんも遅いなあ。あ、付き合い始めたばかりだからどこかでイチャイチャしながら寄り道なんかしているのかもなぁ」 

 闇討ちしようとこうやって薄暗い路地裏でコソコソしている自分のことなど知らぬ気に、喫茶店かどこかでお茶を飲みながら楽しそうに笑いあっているのかも知れない。 
 そう考えると、さっき萎んだはずの怒りが再びメラメラと燃え上がってきた。 

「ぐぬぬ、やっぱり許せないわ。きっと“榛名ちゃん、君は戦艦榛名のように凛として美しいよ”“ああ、そんなことを言われたらあなたの砲弾に貫かれても後悔なんかしないわ”なーんて……」 
「そんなバカ丸出しのエロい会話なんかしていません」 

 怒りに任せて口にした千秋の独り言に、冷ややかな言葉が返ってきた。 

「ひょえっ!」 

 素っ頓狂な声を上げて千秋が振り返ると、ポニーテールが似合う三白眼の美少女と背の高いハンサムな顔立ちの少年が凍りつきそうな眼差しで彼女を見つめている。 
 その二人こそ、千秋が襲うつもりだった同級生カップル、桐川榛名と園部和也だった。 

「な、なかなか面白いものを見せていただき……ププッ」 

 と、和也は吹き出したが、榛名はゴゴゴゴゴ……という擬音が似合いそうな静かな怒りを漲らせてゆっくりと近づいて来た。 

「こんなところで釘バット片手に私達の痴態を妄想した一人芝居とは面白いことやってますね、内村千秋さん」 
「ちっ、違うわ! 私は千秋なんかじゃな……」 
「仮面で正体を隠したつもりなんでしょうが、その微妙なアニメ声とアクセサリ付きのミディアムヘア、それのどこが緑ヶ丘高校2年C組、内村千秋その人でないと?」 
「あわわわ……」 

 気圧されるままじりじりと後ずさりしているうちに、とうとう壁際に追い詰められてしまった。 

「あの、その、これには深い訳が……」 

 涙目の千秋は、もはや卒倒寸前である。 
 そんな千秋をしばらくじっと見つめていた榛名は、ふっと息をつくと優しい声でささやきかけた。 

「そうね、深い訳があるわよね。そんなことをせずにいられなかった訳が」 

 すると……まるでその言葉で魔法にかけられたように千秋の全身から緊張が解けた。手から力なくバットが落ちて地面に転がる。 
 うなだれた彼女の顔から静かにホッケーマスクを外すと、榛名は肩を奮わせ始めた千秋をそっと抱きしめた。 

「千秋ちゃん、私の家はすぐそこなの。とっておきのダージリンを淹れてあげるからその訳とやらを聞かせてね」 
「……」 
「園部くん、私の反対側で衆人環視遮断フィールドを展開」 
「了解」 

 転がった釘バットを拾い上げた和也は、千秋の肩を抱いている榛名の反対側に周ると、泣いている千秋を隠すように歩き出した。 

「ごめんなさい、ごめんなさい」 
「いいのよ。実はね、あなたが闇討ちを企んでいるって郷次くんが私達に教えてくれたの」 
「郷次ぃ……郷次のやづぅぅ……」 
「いいのよ、郷次くんは悪くない。あなたもね」 

 榛名は、嗚咽を漏らしている千秋を和也と二人がかりで宥めながら自宅へ連れて行った。 


**  **  **  **  **  **


「なるほどね、だいたいのことは分かったわ」 

 一時間後。 
 小奇麗に整えられた自分の部屋でお気に入りのチェアに腰掛けていた榛名は、たどたどしく語られた千秋の話を聞いて頷いた。 

「ごめんなさい……」 

 千秋は悄然として頭を下げたが、榛名は聞こえない振りをしてティーカップにお代わりを注ぐと「美味しいでしょ? もう一杯飲んでね」と勧めた。 

「あなたは悪くないわ。私があなただったら釘バットじゃなくてチェンソーで襲ったでしょうね」 

 和也はぎょっとして榛名を見たが、彼女は意にも介しなかった。 

「そ、それにしてもその二階堂って奴、凄いな。そんな模型まで作って」 

 感心して独り言を呟いた和也に、榛名は意外そうな顔を向けた。 

「あら、園部くん知らなかった? 彼、変人だけどいい意味で結構有名よ」 
「いい意味で?」 

 思わず聞き返した千秋に、榛名は三白眼の瞳をキラリと光らせて頷いた。 

「彼、去年の文化祭に凄い模型を展示しててちょっと話題になったのよ。私覚えているわ。錆付いた戦車に縋って泣き崩れているおじいさんのジオラマだったのよ」 
「へ、へえ」 
「あれはおじいさんの友達が昔この戦車に乗って死んだのを悲しんでいる姿だったんでしょうね。私の他にも感動して涙ぐんでいる娘が何人もいたのよ」 

 あの郷次が皆を感動させるようなものを……と、思わず口元を綻ばせた千秋に微笑みかけると榛名は「それでね」と続けた。 

「単刀直入に聞くわ。あなた、二階堂郷次くんのこと好きなんでしょう?」 
「なっ……」 

 思わず、かあっとなった頬を手で押さえながら千秋は「突然何を言い出すの!?」と非難の眼を向けたが、榛名は上目遣いに睨むような眼差しで彼女の視線を正面から受け止めた。 

「これは絶対にハッキリさせなきゃいけないことよ」 
「わ、私は別に郷次のことなんて……」 
「あら、じゃあ何で失恋した郷次くんの仇討ちなんかしようって思ったの?」 
「そ、それは……」 
「悔しかったんじゃないの?」 
「そんなんじゃ……」 

 榛名はポニーテールの長い髪をさっと一振りすると、場を濁そうとしている千秋へ語気鋭く詰め寄った。 

「そうでないとおかしいわ。考えて御覧なさい。子供の時から一緒だった幼馴染が自分じゃない人を好きになった。手の込んだ模型まで贈ろうとしたのに失恋した」 
「ううっ」 
「ホッとした一方で、悔しくて私達を痛い目に遭わせようって思った。違う?」 

 まるで検察官のように畳み掛ける榛名に、和也は「桐川さん、ちょっと言いすぎじゃ……」と口を挟んだが「園部くんは黙ってて! 私は千秋ちゃんを責めてるんじゃないの」と遮られてしまった。 

「さあ、千秋ちゃん」 

 下を向いたまま必死に堪えていた千秋は、とうとう搾り出すような声で言った。 

「私は……」 
「……」 
「郷次のことが、好きです……」 
「……」 
「プラモデルしか興味がないなんて皆に誤解されてるけど、幼稚園からずっと一緒だったの。アイツのいいとこ、やさしいとこ、私だけが、知ってて……」 
「……」 
「でも、私のことなんて見てくれなくて、く、悔しくて……」 

 膝に乗せた手にポタポタと涙を落としはじめた千秋を見て、榛名はティッシュを取り出すと頬を伝う涙をやさしく拭いてくれた。 

「よく言ってくれたわね、ありがとう。じゃあ千秋ちゃんがこれから何をすべきか、私も考えてあげるわね」 
「で、でも今さら郷次に好きだなんて言えないよ」 

 うろたえた千秋を見て、榛名はふんと鼻を鳴らした。 

「泣き虫千秋ちゃん、恋は戦いなのよ。戦わなきゃ好きな人を自分のものには出来ないわ。そこの園部くんも付き合って下さいと土下座までした捨て身の戦いぶりに私は惚れたのよ」 
「じ、じゃあ私も郷次に土下座すれば……」 

 泣き腫らした顔で言った千秋の額を、榛名は「コラ」とデコピンした。 

「女の子が土下座なんかするんじゃないの。勝つのよ。自分に有利な戦場でね」 
「そ、そうなの?」 
「ええ。千秋ちゃん、あなた得意なスポーツとかない?」 
「中学の頃にバレー部やってたけど」 
「バレーか。待てよ、彼は多分、明日あたり燈籠流しに海へ行くはず……」 

 まるでトリックを解く探偵のような顔つきで榛名はしばらく考え込んでいたが、突然頭の中にピコーン! と電球が閃いたように顔を輝かせた。 

「これよ! 名案を思いついたわ」 

 榛名は愛用のスマホを取り出した。 
 後ろから千秋と和也が画面を覗き込むと、何やらネットオークションのページにアクセスしている。 

「あの、桐川さん一体何を……」 

 千秋が恐る恐る尋ねると、榛名は振り返りもせずに応えました。 

「決まってるでしょ? エサよ」 
「エサ?」 

 鼻息も荒くオークションの画面をタップする榛名の後ろで、千秋と和也は思わず顔を見合わせた。 


**  **  **  **  **  **


 コンクリートの防波堤を越えて郷次はゆっくりと砂浜に降り立ち、海辺へと歩き出した。 
 静かな入り江は人影もまばらだった。さざ波の打ち寄せる音だけが微かに聞こえている。 
 美しい夕陽が海辺を照らしている情景はまるで映画のラストシーンのようで哀しく胸を掻き立てたが、彼は黙って靴を脱ぐと海へと入り、手にした模型を波に浮かべた。 
 戦艦榛名は、小さな波に何度も揺られながら、次第に沖へ沖へと流されてゆく。 
 郷次は、厳粛な気持ちで戦艦榛名へ向かって敬礼すると涙まじりの声で『海ゆかば』を歌い始めた。 

 海ゆかば水漬く屍
 山ゆかば草むす屍
 大君の邊にこそ死なめ
 かえりみはせじ

 どこかで浸水したのか、傾きだした戦艦榛名はしばらくすると崩れるように沈んでいった。 
 それでもしばらくの間、彼は黙ってその場に立ち尽くしていた。そして 

「さらば、我が恋よ」 

 海風に吹かれながら郷次が呟いた、そのときである。 

「その恋、ちょっと待ったぁー!」 

 静かな海辺に、突然黄色い雄叫びがこだまして郷次を驚かせた。 

「だっ、誰だ?」 
「ここよっ!」 

 振り向くと防波堤の上に体育用のジャージを着た一人の少女が仁王立ちしていた。 

「ち、千秋?」 
「とうッ!」 

 掛け声も勇ましくジャンプした千秋だったが、着地に失敗して「きゃあっ!」という悲鳴と共に転んでしまった。 

「……何やってんの?」 
「うるさいっ!」 

 砂まみれになって立ち上がった千秋は、キョトンとしている郷次に向かって指を突きつけた。 

「郷次、昨日はよくも私の闇討ちを桐川さんに密告《チク》ってくれたわね!」 
「……闇討ちなんて考えてる奴がいたら、止めようって普通思うぞ」 
「私、そもそもアンタの為に闇討ちしようとしてたのに!」 
「待て待て、そんな物騒なこと頼んでないだろ。とりあえず落ち着けよ」 
「ええい、黙れ黙れぇ!」 

 地団駄を踏んで怒鳴りつけた千秋は、やにわにビーチボールを郷次に向かって抛り投げた。 

「ウジウジしてるアンタのこと、もう黙って見てらんない。決闘よ!」 
「決闘ぉ? 」 

 ポカンとする郷次に向かって、千秋は得意気に胸をそらした。 

「勝負はビーチバレー。五点先取三セットの変則マッチ! 私が勝ったら……」 

 一瞬口ごもった千秋は、意を決して叫んだ。 

「私の恋人になってもらうわ! 模型バカのアンタを私が彼女としてビシビシ矯正してやる! その代わりアンタが勝ったら……」 

 呆れたように見ていた郷次だったが、千秋が頭上に掲げたプラモデルの箱を見て顔色を変えた。 

「そ、それはノルウェーの模型メーカー、オーラフ社が一九八八年に出したドイツ戦艦ティルピッツ!」 
「ご名答。今は無きオーラフ社が倒産直前に出した最後のプラモデル。わずかな生産数ながら精巧な造形で今なおマニアの間で垂涎の的となっている幻の逸品」 
「そんなものを一体どうやって……」 
「世の中にはネットオークションという便利なものが存在するのよ」 

 上から目線で嘲笑った千秋は一転、キッとなって郷次へ向かってタンカを叩きつけた。 

「桐川さんが戦艦榛名なら郷次、あんたはまさしく戦艦ティルピッツよ! 歴史を変える強大な力を持っていたのに、ノルウェーのフィヨルドへニートみたいに引き篭もって結局沈められた駄目戦艦。アンタをこのままそんなふうにしてなるもんですか!」 

 その言葉を聞いて、郷次の眼に突然怒りの炎が燃え上がった。 

「よくも言ったな! モデラーの誇りにかけてその決闘、受けてやる!」 
「北山中バレー部の殺人アタッカーと呼ばれた私の妙技、冥途の土産に見せてやるわ!」 

 売り言葉に買い言葉が飛び交い、静かな砂浜は突如として恋と模型を賭けた決闘の場へと一変した。 

「来い、千秋!」 
「いくわよ、ひーのーたーまースパァァァァイク!」 


**  **  **  **  **  **


「ま、負けたぁ? それも一セットも取れずにぃ?」 

 自宅の玄関先で聞かされた凶報に、榛名は思わず大声を上げてしまっていた。 
 榛名の前には砂だらけのジャージ姿で千秋がベソをかいている。 

「だって千秋ちゃん、あなた中学時代バレー部にいたって……模型オタク相手に絶対勝てる自信があるって言ってたじゃない! 」 
「言ったよ。言ったけど、アイツの執念がそれ以上だったんだよぉ」 

 口をあんぐりとして言葉を失った榛名の横から和也が尋ねた。 

「じゃあ内村さん、ネットオークションで桐川さんが落札した戦艦ティルピッツは……」 
「とられちゃった……」 

 その言葉を聞くなり、榛名はまるで『ムンクの叫び』のような顔で悲鳴をあげた。 

「とられちゃったじゃないでしょおおお! あれは私の一年分のお小遣いをママから前借りして落札したのよ! どおすんのよおおお!」 

 ポニーテールを振り乱して狂乱する榛名は、冷徹に千秋を問い詰めていた昨日とはまるで別人のような体たらくだった。 
 泣きじゃくる千秋と喚き散らす榛名を前にして、和也も青い顔で「えらいことになっちまった……」と呟くばかり。 
 これが榛名の考えた計画通りなら決闘に勝った千秋は郷次と結ばれ、決闘の褒賞としてネットオークションで落札した模型は再びオークションに出してお金に換え、メデタシメデタシ……となるはずだったのだ。 

 どおすんのよ、どおすんのよ、と喚いていた榛名の視界の端に、そのとき「あるもの」が映った。 
 ハッとなった榛名はピタリと泣き止んだ。 
 そして、そのまま玄関脇の壁にふらふらと歩み寄った。 

「これは……」 

 立てかけてあったそれをゆっくりと手にした次の瞬間、彼女の瞳に異様な輝きが宿った。 


**  **  **  **  **  **


 夕暮れの中、戦利品として手に入れた模型を抱えた郷次は意気揚々と自宅へ向かっていた。 
 失恋の痛手などどこへやら、彼の心は突然決闘を挑んできた幼馴染を倒し幻の名品を手に入れた喜びでいっぱいである。 
 泣きながら逃げ去った千秋のことを思い返すとさすがに可哀想になったが、郷次は今度彼女にも何か模型を作ってあげようと思っていた。 
 ビーチバレーで懸命に戦っていたさっきの彼女の雄姿をフィギュアにして贈れば、泣いていた彼女もきっと喜ぶだろう、そう思って一人うなずいたとき。 

「ごぉぉじぃぃぃ!」 

 突然、路地裏から息せき切ってその千秋が飛び出してきた。 

「うわっ! 何だ千秋かよ。びっくりしたじゃないか。決闘の続きでもするつもりなら勘弁してくれ。また今度……」 

 言い終わらないうちに、千秋は真っ青な顔で彼に飛びついてきた。 

「に、逃げ……早く逃げてぇぇ! 闇討ち……は、榛名さんが!」 

 服を引っ張りながら支離滅裂に口走る千秋に「はぁ、何言ってるの?」と苦笑した郷次だったが、彼女の肩越しに見えてきた少女の姿を見て肝を宙に飛ばした。 

「あばばば榛名さん!」 
「かえせぇぇぇ、私のでぃるびっづぅぅ……かえせぇぇぇ!」 

 それは紛れもなく郷次が海に流した失恋の想い人、桐川榛名その人だった。 
 が。 
 髪を振り乱し釘バットを手に迫ってくるその姿は、郷次が片思いしていた美少女ではなく、もはやナマハゲのような妖怪変化と化していた!

「たたた助けてえええ!」 

 腰を抜かしそうになりながら、彼は千秋を連れて逃げようと慌てて路地裏に駆け込んだ。 
 しかし、路地裏の先を見ると行き止まりになっていた。 

「あわわ……」 

 振り返ると、そこには釘バットを手に腕をだらりと下げた榛名が立っている。正気を失ったような笑みを浮かべた彼女はゆらゆら揺れながら迫って来た。 
 壁際に追い詰められた郷次と千秋は抱き合って震えながら、近づいてくる榛名を恐怖の眼差しで見守るしかなかった。 

「私のお小遣い、かえせぇぇぇぇ……。私のティルピッツ、かえせぇぇぇぇ……」 

 郷次は震えながら模型の箱を取り出した。 
 そして、今まさに奇声をあげて飛びかかろうとした榛名に向かって差し出しながら叫んだ。 

「か、返します! 返しますから! どどどどうかお鎮まり下さい! この通りですー!」 

 両手を上げて跳躍しかけた榛名の動きが、ピタリと止まった。 

「返す……本当に返すのね」 
「はいいい、返します! どどどどうぞお受け取り下さいいいい」 
「……」 

 受け取った模型の箱を榛名はしげしげと眺めていたが、やがて蛇のように首をもたげて彼を見た。 

「郷次くん、決闘はどっちが勝ったの?」 
「ち、千秋です! 千秋が勝ちました」 

 郷次は直立不動で答えた。 

「ふうん。じゃあ郷次くんは千秋ちゃんと付き合うのよね」 
「はっ、はいいいいい! 嬉しいですうう」 

 鎌首は矛先を変えるように千秋へ向く。 

「千秋ちゃん、良かったわね」 
「はっ、はいいいいい! 幸せですうう」 

 千秋も裏返った声で必死に答えた。 
 千秋も郷次もすっかり怯えていて嬉しそうにも幸せそうにも到底見えなかったが、榛名は満足そうにゆっくりと頷いた。 

「そう。じゃ、これ返してもらうわね」 
「はいいいい!」 
「二人ともお幸せにね」 
「はいいいい!」 

 また明日ね、と言って踵を返した榛名が角を曲がって姿を消すと、二人はもたれあったまま、その場へずるずるとへたり込んだ。 

「郷次ぃ、怖かった。怖かったよ。うわああああん!」 
「お、おお。怖かったな、よしよし。おおおオレも死ぬかと思った」 
「ごめんね、郷次ぃ。私のせいで」 

 声をあげて泣き出した千秋をなだめながら、郷次は震える声でささやいた。 

「と、とにかく俺たち、恋人同士としてこれから付き合おう。な? な?」 
「うん、うん」 

 好きで、というより脅迫されて付き合うような成り行きになってしまったが、そうでもしないとまたあの妖怪少女が襲ってきそうで、郷次はそう言うしかなかったのである。 
 ようやく立ち上がった郷次は、千秋を助け起こしながらつぶやいた。 

「それにしてもあんな恐ろしい人だったなんて……。オレ、どうして榛名さんが好きだったんだろ?」 

 すると……

「恋は盲目って言うじゃない」 

 ぎょっとして見ると、曲がり角から妖怪のように首だけ出した榛名がニヤリと笑いかけている。 
 郷次と千秋は、もう一度抱き合って「ひいいいっ!」と、悲鳴を上げた。 

「あらあら。私、これでも女の子なんだからあんまり怖がらないでちょうだいね」 
「はっ、はいいいいい!」 
「今度こそじゃあね」 

 ウィンクすると榛名の首は再び引っ込んだが、二人はしばらくの間凍りついたように彼女の消えた曲がり角を見つめていた。 
 鬼気迫る榛名の狂態があまりに恐ろしかったので、郷次も千秋もせっかく恋人同士になったのに全然嬉しくなかった。 

「私、もう二度と闇討ちなんかしないわ」 

 震える声で言うと、千秋は首を振った。 

「人を呪わば穴ふたつって、きっとこういうことなのね」 
「……だな」 

 今日から幸せな日々が始まることになる……はずだが、そんな実感など少しも湧いてこない。 
 げっそりした顔を互いに見合わせると、二人はもう一度ため息をついたのだった……
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