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【四十二話】ぼくと結婚して欲しい

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 そこで私だけ、と言わないところがまたトマスたるゆえんではあるが、その『たち』の中には律は含まれないらしい。
 律はちょっとだけそのことに淋しくなったけれど、そういえば今、そんなことをしている場合ではない、と思い出した。

「あ! アナが待ってるから!」
「そうね。気をつけて、行ってらっしゃい。今度は遅くならないように早く帰ってきてね」

 蘭にそうやって送り出された。

 律は中央棟まで走った。
 アナスタシアと会うのは、あの討伐の日以来だ。すごくドキドキする。

 律が中央棟に着いたときは、まだ、アナスタシアは来ていなかった。
 しばらく待っていたけれど、来る気配がない。
 とそこで、ここで待っていても、出会えないことに気がついた。
 前は会うといったら建物の中だったが、今は建物が崩れ落ちていて、真ん中に穴が空いている。
 律たちの住む建物と、アナスタシアたちが住む建物はほぼ真反対に位置すると言っていい。
 通常時ならいざ知らず、今はアナスタシアは律の子を妊娠しているというのだ。迎えに行った方がいい。
 なので律はさらに走って、中央棟の穴の縁をぐるりと周り、アナスタシアたちが住む建物に通じている通路まで来た。
 すると、予想通り、アナスタシアたちはその通路にいた。

「……え?」
「リツ!」

 アナスタシアは母の持ち色である緑色の普段着を着ていた。やはりいつ見てもかわいい、と思ったが、それよりも驚いたのは、父親の一人に抱きかかえられていたからだ。

「アナ?」
「あ、これね。ルーベンがこうしないとリツに会わせてくれないって言うから……」

 降ろして、降ろさないという応酬がなされていて、律は思わず額に手を当てた。
 いつもの光景と言えばそうなのだけど、相変わらずというか、なんというか。

「アナ」

 仕方がないので、律はルーベンに抱えられているアナスタシアに近寄った。
 それからアナスタシアが『好き』だという声を意識して、口を開いた。

「アナ、お願いがあるんだ」
「う、うん」
「ぼくとの子を、産んで欲しい」
「っ!」
「それから……。アナのお父さんたちとお母さん」
「おまえにお父さんたちなんて呼ばれたくないわ!」

 案の定なルーベンの言葉に、律は内心では苦笑しつつ、表情を引き締めて、アナスタシアたちを見た。
 この表情をすれば、相手がすごく緊張して身構えるのを律は知っていた。だから今、この時、使うものだと分かって、顔を向けると。

「ほんとおまえは、あのいけ好かない三人の子どもだよ! 特にその表情。トマスそっくりだよ!」

 聖女同士は仲がいいのに、お相手となる男同士の仲が悪い、というのは知っていたし、今までも見てきた。
 いやそれより、いけ好かない三人って……。
 思うところはあったが、こんなのでもアナスタシアの父の一人だ。付き合っていかないと仕方がないのは分かったので、受け流した。

「アナ、それから、ぼくと結婚をして欲しい」
「……結婚って、なに?」

 あれ、そこから? と思ったが、アナスタシアの母親である聖女が口を開いた。

「まぁ、素敵! うん、アナちゃん、あたし、それ、とっても良いと思うの! さすがリツくんね! 良い提案をしてくるわ!」

 異世界から召喚されたとは聞いていたが、この結婚というのは異世界の制度らしい。……いや、外の国にもある制度なのか。

「『ケッコン』とはなんだ?」
「おまえのいう『素敵』はたいてい、オレたちにとって最悪だから、これは最低最悪なことに違いない」
「結婚ってのはね!」

 聖女が説明を始めた隙をついて、アナスタシアはルーベンの腕から抜け出てきた。

「リツっ!」
「アナ、久しぶりだね」
「う、うん」

 律の素っ気ない態度にアナスタシアは少し頬を膨らました。それを見て、律は笑った。

「なに? ぼくに抱きしめて欲しかったの?」
「ぅ……」
「だってアナはぼくのこと、『嫌いじゃない』程度なんだろう?」
「ちっ……違うわよ!」
「じゃあ、なんなの?」

 律の意地悪な表情にアナスタシアはプイッとそっぽを向いた。

「ぼくはアナのこと、大好きだよ?」
「ぇ……っ?」
「いや、だからさ。なんでそこで驚くのかなぁ? そんなにぼく、分かりにくい?」
「ゃ、だって、意地悪しかしないし!」
「それはその、構って欲しくて」
「そういうところは素直じゃないんだ?」
「ぼくなりの愛情表現なんだけど、やっぱり分からないか」
「わっ、分かるわけ、ないじゃない!」

 律はアナスタシアに一歩、近寄った。アナスタシアは反射的に身を引く。

「どうして逃げるの?」
「ぁ。なんというか、習慣的に?」
「はい、そのまま止まって。逃げないでね?」

 アナスタシアは逃げたくなる気持ちをグッと堪えて、踏みとどまった。
 律はアナスタシアの真正面に立つと、ふわっと抱きしめた。

「リッ、リツっ!」
「ん? 苦しい? 力入れないようにしてるんだけど」
「ゃ、そ、そうじゃなくて!」

 こんなに甘ったるい空気をまとう律を見たことがないアナスタシアは、戸惑っていた。

「はー、ようやくこうして抱きしめられた」
「…………」
「苦しい?」

 さらに腕を緩めようとしていた律の身体にアナスタシアはギュッと抱きついた。
 驚いたのは律だ。

「え、あ、アナ? どうしたの?」
「ん。……ちょっとしばらく、こうしていて。あと、もう少しギュッとして?」
「はー。アナは分かってないな。そんなかわいいこと、言って」

 律は少しずつ腕に力を込めて、アナスタシアを抱きしめた。

「はぁ、アナがかわいすぎて辛い」

 今ここで、キスをしてしまうと歯止めが効かなくなりそうなのでグッと堪えているのだが、アナスタシアが無意識のうちに煽るのだから、たちが悪い。

「ねぇ、アナ」
「ちょっと黙ってて!」
「あ、はい」

 アナスタシアは律の胸元に天辺をくっつけて何事か考えているようだ。律は腕の中にいるそんなアナスタシアを堪能していた。
 いつだってこうやって抱きしめたかったのだが、律の使命を思えば、そんな甘ったるいことをしていられないのが分かっていたので、今までずっと我慢していた。
 でももう、終わったのだ。
 そう、律は立派に使命を果たした。
 だからこれは、律へのご褒美だ。

「あのね、リツ」
「うん」
「あたしも、リツのこと、その……よ」
「……アナ?」
「……き」
「うん、アナ。もっとハッキリと」
「あっ、相変わらず意地悪なんだから!」
「いや、意地悪というか。だって聞こえないから」

 律はアナスタシアがなにを言いたいのか、もちろん分かっていた。分かっていたけれど、やっぱりハッキリとアナスタシアの口から聞きたかったのだ。それに、大好きなアナスタシアの声も聞きたかったのもある。

「──好き、って!」
「うん、ありがとう。ぼくもアナスタシアのこと、大好きだよ?」
「っ!」

 抱きしめているだけでは物足りないけれど、これ以上は本気で歯止めが効かなくなりそうなので律はとどまった。
 律は必死でとどまったのに、アナスタシアは──。

「リツ」
「ん? っ!」

 あろうことか、アナスタシアからキスをしてきたのだ。
 アナスタシアはしてやったりと得意顔で律を見上げてきたが、その顔もかわいくて、正直、ヤバイ。

「アナ?」
「な、なにっ?」
「ねぇ、ぼくがどれだけ我慢してるか知ってて、それやってる?」
「しっ、知らないわよっ」
「どちらにしても──アナスタシアはぼくのこと、煽りすぎたよ!」

 律がアナスタシアを強く抱きしめた後、唇を重ねようとしたところに邪魔が入った。

「アナスタシア、帰るぞ」
「…………」
「…………ルーベン? 狙ってたでしょう!」
「狙った!」

 ルーベンのどや顔に、アナスタシアが切れて、いつもどおりの賑やかさになった。

「アナ、またね」
「え、えぇ」

 あっさりと離れていく律に不満を覚えつつ、アナスタシアはまたもやルーベンに抱えられて、戻っていった。
 律はそれを見送りながら、大きくため息を吐いた。

 正直、アナスタシアを帰したくない。
 だけど、だからといって、蘭たちの部屋に連れ込むのも変だし、なにか違う気がする。
 蘭を取り戻してからのことは特に深く考えていなかったけれど、最近ではなんとなく疎外感を否めない。
 父たち離れは出来ている、と思うけれど、母離れはまだしたくないというのはあるけれど、近いうちに独立をしなければならないだろうな、とは考えている。
 先立つものの心配だが、律は今回の討伐でアナスタシアとともに功績をあげたので、各国から感謝と謝礼が届けられると聞いている。
 サフラ聖国がいくらか中抜きするだろうが、それでも一生遊んで暮らせるほどというと大袈裟だが、それくらいにはなるのではないかと思っている。
 ……思っている、というと律が考えたようだが、実はこれは父たち三人から言われたことだったりする。

 討伐の旅に出る前に、外の国ではお金というものが必要で、これがなければ話が始まらない、お金の価値や物の価値など、そういうことも学んだが、結局、それは実践されることなく帰ってきたので律はイマイチ分かっていない。
 それはきっと、あの三人にも言えるのだろうが、律よりはよほど世間を知っている、と思う。

 ……それはともかく。
 律は少しばかりぼんやりしてしまったが、そもそもこの中央棟に来たのはアナスタシアと会うためもあったが、討伐の事後処理もあったのだ。
 アナスタシアが妊娠した、ということは、アナスタシアは戦力外になったわけで。

「ぼくの子、かぁ」

 まだアナスタシアのお腹は大きくなってなかった。だから余計に実感がない。
 だけど、じわじわと喜びは溢れてきていて。
 律は自然と笑顔になっていた。
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