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第四章 京都1992
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体育館は嫌になるほど暑かった。校長も終業式の挨拶をしながら汗だくだ。
「はよ終わらんかな……」
私の後ろで健次がボソッと呟いた。
「ケンちゃん静かにしーや。怒られるで……」
健次をたしなめたけれど、私自身「はよ終わってほしい」と思っていた。
校長は定型文的に「夏休みは有意義に過ごしましょう」とか「非行の誘惑に負けないように」とか話していた。
退屈な定型文だ。こんな話聞いたって誰も喜ばない。何の参考にもならない。
みんな非行が悪いことだと知っている。知っているから非行は魅力的なのだ。
そんなに非行を防止したいなら夏休みなんて廃止してしまえば良いのに。と思った。
もちろん口には出さなかったけれど……。
終業式が終わると私たちは教室に戻った。お待ちかねの通知表タイムだ。
クラスメイトたちは各々、通知表を貰って赤くなったり、青くなったりしていた。
私はというと担任から事務的に通知表を受け取っただけだ。
特に感慨はない。安定の評定平均4.7。
「月子ぉ……。成績どうやった?」
健次は渋い顔をして私に聞いてきた。彼の顔はどちらかと言うと青く見える。
「普通やで。いつもどおり」
「そうか……。はぁ……。ええなぁ、お前は。俺おかんにめっちゃ怒られそうや……」
残念でした。二学期頑張りましょう。自業自得です。
健次の成績に対して言えることはそれだけだった。これに関しては小学一年から変わっていない気がする。
通知表が配り終わると簡単なホームルームをしてその日の日程は終了した。
さよなら一学期。こんにちは夏休み。
私たちが帰り支度をしていると教室の引き戸から栞が顔を覗かせた。
「二人とも終わった?」
「ああ、今終わったとこやで!」
栞の手には大きな花束が握られていた。
季節を象徴するような小さな向日葵の入った花束だ。
花束には手書きのメッセージカードが差し込まれている。
「一緒に帰らない? ちょっと話したいんだよね」
彼女はレモンを搾るような声でそう言うと、「お願い」と付け加えた。
「ああ、ええで! つーか、今日ぐらいはウチも一緒に帰りたかったしな。ケンちゃんもええやろ?」
健次は「ああ……」とだけ答えた。
彼はどことなく不本意そうだったけれど断りはしなかった。
断るわけにはいかない。もう逃げるわけにはいかない。
断ったら一生後悔するだろう――。
帰路。太陽が照りつける通学路。
私たちは示し合わせたわけでもないのに松原へ向かって歩いていた。
見上げると入道雲が青空の半分くらいまで広がっていた。
完全に梅雨は明けたのだろう。
健次は眉間に皺を寄せ、下を向いていた。
栞は「暑いね」と当たり障りのないことばかり言った。
私は「せやな」と当たり障りのない返事だけした。
この期に及んで私たちは逃げていたのだと思う。
あと少しだけ。もう少しだけ逃げたかったのだと思う。
松原橋に着いたとき、私たちは逃げ場を失った。
最初に現実と向き合ったのは私でも健次でもない。
普段は頼りなくて、優しく、大人しい少女……。川村栞だ。
「はよ終わらんかな……」
私の後ろで健次がボソッと呟いた。
「ケンちゃん静かにしーや。怒られるで……」
健次をたしなめたけれど、私自身「はよ終わってほしい」と思っていた。
校長は定型文的に「夏休みは有意義に過ごしましょう」とか「非行の誘惑に負けないように」とか話していた。
退屈な定型文だ。こんな話聞いたって誰も喜ばない。何の参考にもならない。
みんな非行が悪いことだと知っている。知っているから非行は魅力的なのだ。
そんなに非行を防止したいなら夏休みなんて廃止してしまえば良いのに。と思った。
もちろん口には出さなかったけれど……。
終業式が終わると私たちは教室に戻った。お待ちかねの通知表タイムだ。
クラスメイトたちは各々、通知表を貰って赤くなったり、青くなったりしていた。
私はというと担任から事務的に通知表を受け取っただけだ。
特に感慨はない。安定の評定平均4.7。
「月子ぉ……。成績どうやった?」
健次は渋い顔をして私に聞いてきた。彼の顔はどちらかと言うと青く見える。
「普通やで。いつもどおり」
「そうか……。はぁ……。ええなぁ、お前は。俺おかんにめっちゃ怒られそうや……」
残念でした。二学期頑張りましょう。自業自得です。
健次の成績に対して言えることはそれだけだった。これに関しては小学一年から変わっていない気がする。
通知表が配り終わると簡単なホームルームをしてその日の日程は終了した。
さよなら一学期。こんにちは夏休み。
私たちが帰り支度をしていると教室の引き戸から栞が顔を覗かせた。
「二人とも終わった?」
「ああ、今終わったとこやで!」
栞の手には大きな花束が握られていた。
季節を象徴するような小さな向日葵の入った花束だ。
花束には手書きのメッセージカードが差し込まれている。
「一緒に帰らない? ちょっと話したいんだよね」
彼女はレモンを搾るような声でそう言うと、「お願い」と付け加えた。
「ああ、ええで! つーか、今日ぐらいはウチも一緒に帰りたかったしな。ケンちゃんもええやろ?」
健次は「ああ……」とだけ答えた。
彼はどことなく不本意そうだったけれど断りはしなかった。
断るわけにはいかない。もう逃げるわけにはいかない。
断ったら一生後悔するだろう――。
帰路。太陽が照りつける通学路。
私たちは示し合わせたわけでもないのに松原へ向かって歩いていた。
見上げると入道雲が青空の半分くらいまで広がっていた。
完全に梅雨は明けたのだろう。
健次は眉間に皺を寄せ、下を向いていた。
栞は「暑いね」と当たり障りのないことばかり言った。
私は「せやな」と当たり障りのない返事だけした。
この期に及んで私たちは逃げていたのだと思う。
あと少しだけ。もう少しだけ逃げたかったのだと思う。
松原橋に着いたとき、私たちは逃げ場を失った。
最初に現実と向き合ったのは私でも健次でもない。
普段は頼りなくて、優しく、大人しい少女……。川村栞だ。
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