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神戸1995⑱
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非日常の日常。ヒロの家の中はまさにそれだった。そこには居心地の悪さがあり、同時に快適な日常があった。リビングのサイドボードの上の写真は人為的に倒され、いつ来るともしれない地震からその身を守っているようだ。
「落ち着いたか?」
「うん。だいぶな」
しばらくヒロの胸に顔を押しつけて泣いたお陰で気持ちが軽くなった。緊張の糸が一気に切れて、変に気持ちが高揚している。その高揚感は私の胸に空いた穴の間を吹き抜けるようだ。
「しばらく休んでくとええわ。あとでコウタくんも連れてきたらええで。いつ停電するか分からんけど……」
「せやね。ほんまにありがとう……」
ヒロの言い方には哀れみや嫌みは一切なかった。逆にぬくもりや思いやりもない。いや、思いやりはあるのだろうけど、彼女は態度でそれを示そうとはしなかった。ヒロはいつもこうなのだ。表面上の気遣いや思いやりに価値を求めない。彼女がいつも求めているのは、客観的で数値的な事実だけだ。
昔からヒロには空想癖があったけど、彼女の空想はとても現実的なものだった。”こうであってほしい”という空想でさえ、ヒロは現実的に探し求めた。それはまるで空を飛ぶための機械を作るような……。月に行くためのロケットを作るような。そんな途方もない現実性。非常事態になって改めて思うけど、ヒロは空想が本当に叶う信じているのだ。むしろ私なんかよりずっと現実主義者なのかもれない。
「私もな……。あんまり避難所に行きたくないねん」
ヒロはため息を吐きながら呟いた。
「そうやろな。ここやったら暖かいし、食い物にも困らんやろ?」
「うん……。それもあるんやけど……。亨一くんがな」
やはりか。と私は思った。当然だけど、ヒロは亨一と避難所で会ったのだ。あまり良い別れ方をしたわけではないので気まずいのだろう。
「ああ、そうやろな……。てか私も亨一にはおうたで……。大した話できんかったけど」
「そうか……」
きっとヒロはまだ亨一を引きずっているのだろう。まだ別れて半年なので仕方がないけど。
今更だけどヒロと亨一はお似合いのカップルだったと思う。互いに口数が多いタイプでもなかったけど、彼らはとても相性が良かった。良すぎたと言ってもいい。だからきっと亨一だってヒロのことを忘れられないはずだ。
ふと彼らが付き合っていた頃のことを思い出した。そう、丁度一年前のあの日のことを……。
「ハッピハッピバースデー」
私はチョコレートケーキに一六本の蝋燭を刺しながら変な歌を歌っていた。
「めっちゃテンション高いな……」
「はぁ? あんたの誕生日やろ? もうちょい盛り上がったらええやん」
「そうやけど……。なんか気恥ずかしいな……」
ヒロは頭をポリポリ掻くと恥ずかしそうな苦笑いを浮かべた。
「ハハ、ヒロは誕生日でも変わらんなー。逢子のがうるさいしな」
「私のほうがうるさいは余計やで。……。にしても亨一遅いな」
その日、私たちは市内のカラオケでヒロの誕生会をしていた。私と繁樹にとっての年中行事だ。
「亨一くんも忙しいからな……。五時には間に合うって言っとったんやけど……」
「はぁ……。なんやろなマジ。テメーの彼女ほったらかして遅刻とかありえへん」
「仕方ないで。悪いけどもうちょい待ってな……。あの人来るまで」
亨一が遅れている理由ははっきりしていた。その理由は私をウンザリさせるには充分なものだ。私たちを差し置いて、その予定を入れた亨一に少しだけ怒りを覚える。
ケーキにローソクが刺し終わると、私は適当に何曲か歌った。適度なヴォイストレーニング。
「ごめんごめん。遅くなった」
亨一がやってきたのは五時を一〇分ほど過ぎた頃だ。ヒロは「お疲れ様」と軽く返す。
「あのなー。亨一。今日はあんたの彼女の誕生日なんやで? なんでよりによって今日予定入れたん?」
「悪かったよ……。鴨川さん学校早退してまでこっち来るって言うからさ」
「はぁ……。月子ちゃんも月子ちゃんやで? いくら時間ないからって非常識やない?」
私は思いきり不機嫌な言い方をした。なぜヒロではなく私がこんなに怒らなければいけないのだろう?
「逢子……。そんくらいにしとけ。ヒロの誕生日なんやから」
「……分かった……。したら誕生会始めるで!」
蝋燭に火を点けて照明を落とす。蝋燭に火は揺らめいて私たちの顔を照らした。
「落ち着いたか?」
「うん。だいぶな」
しばらくヒロの胸に顔を押しつけて泣いたお陰で気持ちが軽くなった。緊張の糸が一気に切れて、変に気持ちが高揚している。その高揚感は私の胸に空いた穴の間を吹き抜けるようだ。
「しばらく休んでくとええわ。あとでコウタくんも連れてきたらええで。いつ停電するか分からんけど……」
「せやね。ほんまにありがとう……」
ヒロの言い方には哀れみや嫌みは一切なかった。逆にぬくもりや思いやりもない。いや、思いやりはあるのだろうけど、彼女は態度でそれを示そうとはしなかった。ヒロはいつもこうなのだ。表面上の気遣いや思いやりに価値を求めない。彼女がいつも求めているのは、客観的で数値的な事実だけだ。
昔からヒロには空想癖があったけど、彼女の空想はとても現実的なものだった。”こうであってほしい”という空想でさえ、ヒロは現実的に探し求めた。それはまるで空を飛ぶための機械を作るような……。月に行くためのロケットを作るような。そんな途方もない現実性。非常事態になって改めて思うけど、ヒロは空想が本当に叶う信じているのだ。むしろ私なんかよりずっと現実主義者なのかもれない。
「私もな……。あんまり避難所に行きたくないねん」
ヒロはため息を吐きながら呟いた。
「そうやろな。ここやったら暖かいし、食い物にも困らんやろ?」
「うん……。それもあるんやけど……。亨一くんがな」
やはりか。と私は思った。当然だけど、ヒロは亨一と避難所で会ったのだ。あまり良い別れ方をしたわけではないので気まずいのだろう。
「ああ、そうやろな……。てか私も亨一にはおうたで……。大した話できんかったけど」
「そうか……」
きっとヒロはまだ亨一を引きずっているのだろう。まだ別れて半年なので仕方がないけど。
今更だけどヒロと亨一はお似合いのカップルだったと思う。互いに口数が多いタイプでもなかったけど、彼らはとても相性が良かった。良すぎたと言ってもいい。だからきっと亨一だってヒロのことを忘れられないはずだ。
ふと彼らが付き合っていた頃のことを思い出した。そう、丁度一年前のあの日のことを……。
「ハッピハッピバースデー」
私はチョコレートケーキに一六本の蝋燭を刺しながら変な歌を歌っていた。
「めっちゃテンション高いな……」
「はぁ? あんたの誕生日やろ? もうちょい盛り上がったらええやん」
「そうやけど……。なんか気恥ずかしいな……」
ヒロは頭をポリポリ掻くと恥ずかしそうな苦笑いを浮かべた。
「ハハ、ヒロは誕生日でも変わらんなー。逢子のがうるさいしな」
「私のほうがうるさいは余計やで。……。にしても亨一遅いな」
その日、私たちは市内のカラオケでヒロの誕生会をしていた。私と繁樹にとっての年中行事だ。
「亨一くんも忙しいからな……。五時には間に合うって言っとったんやけど……」
「はぁ……。なんやろなマジ。テメーの彼女ほったらかして遅刻とかありえへん」
「仕方ないで。悪いけどもうちょい待ってな……。あの人来るまで」
亨一が遅れている理由ははっきりしていた。その理由は私をウンザリさせるには充分なものだ。私たちを差し置いて、その予定を入れた亨一に少しだけ怒りを覚える。
ケーキにローソクが刺し終わると、私は適当に何曲か歌った。適度なヴォイストレーニング。
「ごめんごめん。遅くなった」
亨一がやってきたのは五時を一〇分ほど過ぎた頃だ。ヒロは「お疲れ様」と軽く返す。
「あのなー。亨一。今日はあんたの彼女の誕生日なんやで? なんでよりによって今日予定入れたん?」
「悪かったよ……。鴨川さん学校早退してまでこっち来るって言うからさ」
「はぁ……。月子ちゃんも月子ちゃんやで? いくら時間ないからって非常識やない?」
私は思いきり不機嫌な言い方をした。なぜヒロではなく私がこんなに怒らなければいけないのだろう?
「逢子……。そんくらいにしとけ。ヒロの誕生日なんやから」
「……分かった……。したら誕生会始めるで!」
蝋燭に火を点けて照明を落とす。蝋燭に火は揺らめいて私たちの顔を照らした。
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