リバースアイデンティティー

海獺屋ぼの

文字の大きさ
27 / 39

神戸1995⑱

しおりを挟む
 非日常の日常。ヒロの家の中はまさにそれだった。そこには居心地の悪さがあり、同時に快適な日常があった。リビングのサイドボードの上の写真は人為的に倒され、いつ来るともしれない地震からその身を守っているようだ。
「落ち着いたか?」
「うん。だいぶな」
 しばらくヒロの胸に顔を押しつけて泣いたお陰で気持ちが軽くなった。緊張の糸が一気に切れて、変に気持ちが高揚している。その高揚感は私の胸に空いた穴の間を吹き抜けるようだ。
「しばらく休んでくとええわ。あとでコウタくんも連れてきたらええで。いつ停電するか分からんけど……」
「せやね。ほんまにありがとう……」
 ヒロの言い方には哀れみや嫌みは一切なかった。逆にぬくもりや思いやりもない。いや、思いやりはあるのだろうけど、彼女は態度でそれを示そうとはしなかった。ヒロはいつもこうなのだ。表面上の気遣いや思いやりに価値を求めない。彼女がいつも求めているのは、客観的で数値的な事実だけだ。
 昔からヒロには空想癖があったけど、彼女の空想はとても現実的なものだった。”こうであってほしい”という空想でさえ、ヒロは現実的に探し求めた。それはまるで空を飛ぶための機械を作るような……。月に行くためのロケットを作るような。そんな途方もない現実性。非常事態になって改めて思うけど、ヒロは空想が本当に叶う信じているのだ。むしろ私なんかよりずっと現実主義者なのかもれない。
「私もな……。あんまり避難所に行きたくないねん」
 ヒロはため息を吐きながら呟いた。
「そうやろな。ここやったら暖かいし、食い物にも困らんやろ?」
「うん……。それもあるんやけど……。亨一くんがな」
 やはりか。と私は思った。当然だけど、ヒロは亨一と避難所で会ったのだ。あまり良い別れ方をしたわけではないので気まずいのだろう。
「ああ、そうやろな……。てか私も亨一にはおうたで……。大した話できんかったけど」
「そうか……」
 きっとヒロはまだ亨一を引きずっているのだろう。まだ別れて半年なので仕方がないけど。
 今更だけどヒロと亨一はお似合いのカップルだったと思う。互いに口数が多いタイプでもなかったけど、彼らはとても相性が良かった。良すぎたと言ってもいい。だからきっと亨一だってヒロのことを忘れられないはずだ。
 ふと彼らが付き合っていた頃のことを思い出した。そう、丁度一年前のあの日のことを……。

「ハッピハッピバースデー」
 私はチョコレートケーキに一六本の蝋燭を刺しながら変な歌を歌っていた。
「めっちゃテンション高いな……」
「はぁ? あんたの誕生日やろ? もうちょい盛り上がったらええやん」
「そうやけど……。なんか気恥ずかしいな……」
 ヒロは頭をポリポリ掻くと恥ずかしそうな苦笑いを浮かべた。
「ハハ、ヒロは誕生日でも変わらんなー。逢子のがうるさいしな」
「私のほうがうるさいは余計やで。……。にしても亨一遅いな」
 その日、私たちは市内のカラオケでヒロの誕生会をしていた。私と繁樹にとっての年中行事だ。
「亨一くんも忙しいからな……。五時には間に合うって言っとったんやけど……」
「はぁ……。なんやろなマジ。テメーの彼女ほったらかして遅刻とかありえへん」
「仕方ないで。悪いけどもうちょい待ってな……。あの人来るまで」
 亨一が遅れている理由ははっきりしていた。その理由は私をウンザリさせるには充分なものだ。私たちを差し置いて、その予定を入れた亨一に少しだけ怒りを覚える。
 ケーキにローソクが刺し終わると、私は適当に何曲か歌った。適度なヴォイストレーニング。
「ごめんごめん。遅くなった」
 亨一がやってきたのは五時を一〇分ほど過ぎた頃だ。ヒロは「お疲れ様」と軽く返す。
「あのなー。亨一。今日はあんたの彼女の誕生日なんやで? なんでよりによって今日予定入れたん?」
「悪かったよ……。鴨川さん学校早退してまでこっち来るって言うからさ」
「はぁ……。月子ちゃんも月子ちゃんやで? いくら時間ないからって非常識やない?」
 私は思いきり不機嫌な言い方をした。なぜヒロではなく私がこんなに怒らなければいけないのだろう?
「逢子……。そんくらいにしとけ。ヒロの誕生日なんやから」
「……分かった……。したら誕生会始めるで!」
 蝋燭に火を点けて照明を落とす。蝋燭に火は揺らめいて私たちの顔を照らした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

竜華族の愛に囚われて

澤谷弥(さわたに わたる)
キャラ文芸
近代化が進む中、竜華族が竜結界を築き魑魅魍魎から守る世界。 五芒星の中心に朝廷を据え、木竜、火竜、土竜、金竜、水竜という五柱が結界を維持し続けている。 これらの竜を世話する役割を担う一族が竜華族である。 赤沼泉美は、異能を持たない竜華族であるため、赤沼伯爵家で虐げられ、女中以下の生活を送っていた。 新月の夜、異能の暴走で苦しむ姉、百合を助けるため、母、雅代の命令で月光草を求めて竜尾山に入ったが、魔魅に襲われ絶体絶命。しかし、火宮公爵子息の臣哉に救われた。 そんな泉美が気になる臣哉は、彼女の出自について調べ始めるのだが――。 ※某サイトの短編コン用に書いたやつ。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

処理中です...