リバースアイデンティティー

海獺屋ぼの

文字の大きさ
29 / 39

神戸1995⑳

しおりを挟む
「少ないけどこれ持ってって。コウタくんもお腹空いとるやろ?」
 ヒロはビニール袋入りのお菓子を持たせてくれた。
「ほんまに悪いな……。落ち着いたらお礼する」
「ええって。逢子にはいつもご馳走なっとるしな」
 ヒロの平然とした優しさが嬉しかった。本当に助かる。繁樹もそうだけど、私は友達に恵まれたようだ。
 それから私たちは再び避難所へ戻った。来た時より幾分、足取りが軽く感じる。
「なぁヒロ……。おそらくやけどな……。お母ちゃんはもう……」
「ああ……。言わんでええよ。辛かったよな」
 私はやっと現実と向き合えた気がした。母はもう死んでしまったのだ。遺体がどこにあるかは分からない。でもそれは揺るがない事実だと思う。
「コウタも薄々気が付いとると思うんやけどな。ま……。お母ちゃんのこと探してみるわ」
 ヒロは「そうやね」とだけ返す。
 今まで神戸の街がこんなにも憔悴したことがあっただろうか? 普段は穏やかで、長閑な場所なのに今はまるで死の街のようだ。それを象徴するように空はどんよりとしている。厚く帯状に広がる雲を見上げると肌が酷く冷たく感じる。
 避難所にたどり着くと改めて校舎を見上げた。”レイズの四人”が共に過ごした校舎……。四人いたらよかったのに。そんなことを思った。そうしたらもっと心強かったと思う。別にヒロと繁樹だけでは心許ないというわけではない。でもやはり私はあの四人が好きだった。私が歌い、繁樹のギターソロが咆え、ヒロがリズムを刻み、亨一がまとめ上げる。そんな”レイズ”がたまらなく愛おしかった。
 亨一との物理的距離は変わらないのに、気が付けば心の距離はとても離れてしまった。その距離は計り知れないほど遠く感じる。例えるならそれは地球から月までの距離。それくらいには遠い。
 きっと私が勝手に離れたのだ。亨一はそんなこと望んでいなかったと思うし、彼は最後まで私を擁護してくれた。だから……。この距離は私が亨一から下がった距離……。
 私はどうしようもなく愚か者なのだ。昔からそうだったけど、この歳になって改めて自覚する。
『これからは少しでもマシな人間になろう』
 そう思った。きっと私は生涯、愚かだとは思う。でも良くなる努力はしよう。そうすれば月までの三八万キロという距離も少しは縮まるかもしれない。小学校の先生は月まで毎日一〇時間歩けば二五年でたどり着けると言っていたし、無理ではないだろう――。

「探したで!」
 体育館に戻ると見覚えのある男の人に声を掛けられた。
「えーと……」
「ああ、分からんよな。ほら! 昨日、キミんちでおうたやろ?」
 そう言われて思い出した。この人は私を助けてくれた人だ。
「あ! 昨日はほんまにありがとうございました!」
「かまへんよ! それより大変やったな……。お父ちゃん入院しとるんやろ?」
「そうです……。命に別状ないってお医者さんは言ってました」
 彼は「そうかそうか」と言って何回も肯きながら笑った。
「俺、キミのお父ちゃんの後輩やねん。せやから心配しとったんや」
「お陰様で無事でした。ありがとうございます……。あの……。お母ちゃん知りませんか?」
 私は勢いにまかせて母のことを尋ねた。彼は一瞬、顔を曇らせると無精髭をいじりながら答える。
「ああ……。したら案内するで……。逢子ちゃん。大丈夫か?」
 ああ、やっぱり。と私は思った。彼の反応から察するにやはり母は……。
「大丈夫です……。覚悟はしましたから」
 私は思いきり強がりを言った。喉に込み上げてくるものがあったけど、必死に押し戻す。
「そうか……。分かったで! こっちや」
 私は意を決して彼に着いていった。ようやく母に会える。ようやくお別れができる――。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

竜華族の愛に囚われて

澤谷弥(さわたに わたる)
キャラ文芸
近代化が進む中、竜華族が竜結界を築き魑魅魍魎から守る世界。 五芒星の中心に朝廷を据え、木竜、火竜、土竜、金竜、水竜という五柱が結界を維持し続けている。 これらの竜を世話する役割を担う一族が竜華族である。 赤沼泉美は、異能を持たない竜華族であるため、赤沼伯爵家で虐げられ、女中以下の生活を送っていた。 新月の夜、異能の暴走で苦しむ姉、百合を助けるため、母、雅代の命令で月光草を求めて竜尾山に入ったが、魔魅に襲われ絶体絶命。しかし、火宮公爵子息の臣哉に救われた。 そんな泉美が気になる臣哉は、彼女の出自について調べ始めるのだが――。 ※某サイトの短編コン用に書いたやつ。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

処理中です...