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神戸1995⑳
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「少ないけどこれ持ってって。コウタくんもお腹空いとるやろ?」
ヒロはビニール袋入りのお菓子を持たせてくれた。
「ほんまに悪いな……。落ち着いたらお礼する」
「ええって。逢子にはいつもご馳走なっとるしな」
ヒロの平然とした優しさが嬉しかった。本当に助かる。繁樹もそうだけど、私は友達に恵まれたようだ。
それから私たちは再び避難所へ戻った。来た時より幾分、足取りが軽く感じる。
「なぁヒロ……。おそらくやけどな……。お母ちゃんはもう……」
「ああ……。言わんでええよ。辛かったよな」
私はやっと現実と向き合えた気がした。母はもう死んでしまったのだ。遺体がどこにあるかは分からない。でもそれは揺るがない事実だと思う。
「コウタも薄々気が付いとると思うんやけどな。ま……。お母ちゃんのこと探してみるわ」
ヒロは「そうやね」とだけ返す。
今まで神戸の街がこんなにも憔悴したことがあっただろうか? 普段は穏やかで、長閑な場所なのに今はまるで死の街のようだ。それを象徴するように空はどんよりとしている。厚く帯状に広がる雲を見上げると肌が酷く冷たく感じる。
避難所にたどり着くと改めて校舎を見上げた。”レイズの四人”が共に過ごした校舎……。四人いたらよかったのに。そんなことを思った。そうしたらもっと心強かったと思う。別にヒロと繁樹だけでは心許ないというわけではない。でもやはり私はあの四人が好きだった。私が歌い、繁樹のギターソロが咆え、ヒロがリズムを刻み、亨一がまとめ上げる。そんな”レイズ”がたまらなく愛おしかった。
亨一との物理的距離は変わらないのに、気が付けば心の距離はとても離れてしまった。その距離は計り知れないほど遠く感じる。例えるならそれは地球から月までの距離。それくらいには遠い。
きっと私が勝手に離れたのだ。亨一はそんなこと望んでいなかったと思うし、彼は最後まで私を擁護してくれた。だから……。この距離は私が亨一から下がった距離……。
私はどうしようもなく愚か者なのだ。昔からそうだったけど、この歳になって改めて自覚する。
『これからは少しでもマシな人間になろう』
そう思った。きっと私は生涯、愚かだとは思う。でも良くなる努力はしよう。そうすれば月までの三八万キロという距離も少しは縮まるかもしれない。小学校の先生は月まで毎日一〇時間歩けば二五年でたどり着けると言っていたし、無理ではないだろう――。
「探したで!」
体育館に戻ると見覚えのある男の人に声を掛けられた。
「えーと……」
「ああ、分からんよな。ほら! 昨日、キミんちでおうたやろ?」
そう言われて思い出した。この人は私を助けてくれた人だ。
「あ! 昨日はほんまにありがとうございました!」
「かまへんよ! それより大変やったな……。お父ちゃん入院しとるんやろ?」
「そうです……。命に別状ないってお医者さんは言ってました」
彼は「そうかそうか」と言って何回も肯きながら笑った。
「俺、キミのお父ちゃんの後輩やねん。せやから心配しとったんや」
「お陰様で無事でした。ありがとうございます……。あの……。お母ちゃん知りませんか?」
私は勢いにまかせて母のことを尋ねた。彼は一瞬、顔を曇らせると無精髭をいじりながら答える。
「ああ……。したら案内するで……。逢子ちゃん。大丈夫か?」
ああ、やっぱり。と私は思った。彼の反応から察するにやはり母は……。
「大丈夫です……。覚悟はしましたから」
私は思いきり強がりを言った。喉に込み上げてくるものがあったけど、必死に押し戻す。
「そうか……。分かったで! こっちや」
私は意を決して彼に着いていった。ようやく母に会える。ようやくお別れができる――。
ヒロはビニール袋入りのお菓子を持たせてくれた。
「ほんまに悪いな……。落ち着いたらお礼する」
「ええって。逢子にはいつもご馳走なっとるしな」
ヒロの平然とした優しさが嬉しかった。本当に助かる。繁樹もそうだけど、私は友達に恵まれたようだ。
それから私たちは再び避難所へ戻った。来た時より幾分、足取りが軽く感じる。
「なぁヒロ……。おそらくやけどな……。お母ちゃんはもう……」
「ああ……。言わんでええよ。辛かったよな」
私はやっと現実と向き合えた気がした。母はもう死んでしまったのだ。遺体がどこにあるかは分からない。でもそれは揺るがない事実だと思う。
「コウタも薄々気が付いとると思うんやけどな。ま……。お母ちゃんのこと探してみるわ」
ヒロは「そうやね」とだけ返す。
今まで神戸の街がこんなにも憔悴したことがあっただろうか? 普段は穏やかで、長閑な場所なのに今はまるで死の街のようだ。それを象徴するように空はどんよりとしている。厚く帯状に広がる雲を見上げると肌が酷く冷たく感じる。
避難所にたどり着くと改めて校舎を見上げた。”レイズの四人”が共に過ごした校舎……。四人いたらよかったのに。そんなことを思った。そうしたらもっと心強かったと思う。別にヒロと繁樹だけでは心許ないというわけではない。でもやはり私はあの四人が好きだった。私が歌い、繁樹のギターソロが咆え、ヒロがリズムを刻み、亨一がまとめ上げる。そんな”レイズ”がたまらなく愛おしかった。
亨一との物理的距離は変わらないのに、気が付けば心の距離はとても離れてしまった。その距離は計り知れないほど遠く感じる。例えるならそれは地球から月までの距離。それくらいには遠い。
きっと私が勝手に離れたのだ。亨一はそんなこと望んでいなかったと思うし、彼は最後まで私を擁護してくれた。だから……。この距離は私が亨一から下がった距離……。
私はどうしようもなく愚か者なのだ。昔からそうだったけど、この歳になって改めて自覚する。
『これからは少しでもマシな人間になろう』
そう思った。きっと私は生涯、愚かだとは思う。でも良くなる努力はしよう。そうすれば月までの三八万キロという距離も少しは縮まるかもしれない。小学校の先生は月まで毎日一〇時間歩けば二五年でたどり着けると言っていたし、無理ではないだろう――。
「探したで!」
体育館に戻ると見覚えのある男の人に声を掛けられた。
「えーと……」
「ああ、分からんよな。ほら! 昨日、キミんちでおうたやろ?」
そう言われて思い出した。この人は私を助けてくれた人だ。
「あ! 昨日はほんまにありがとうございました!」
「かまへんよ! それより大変やったな……。お父ちゃん入院しとるんやろ?」
「そうです……。命に別状ないってお医者さんは言ってました」
彼は「そうかそうか」と言って何回も肯きながら笑った。
「俺、キミのお父ちゃんの後輩やねん。せやから心配しとったんや」
「お陰様で無事でした。ありがとうございます……。あの……。お母ちゃん知りませんか?」
私は勢いにまかせて母のことを尋ねた。彼は一瞬、顔を曇らせると無精髭をいじりながら答える。
「ああ……。したら案内するで……。逢子ちゃん。大丈夫か?」
ああ、やっぱり。と私は思った。彼の反応から察するにやはり母は……。
「大丈夫です……。覚悟はしましたから」
私は思いきり強がりを言った。喉に込み上げてくるものがあったけど、必死に押し戻す。
「そうか……。分かったで! こっちや」
私は意を決して彼に着いていった。ようやく母に会える。ようやくお別れができる――。
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