上 下
17 / 42
第四章 株式会社ニンヒアレコード 新宿本社

しおりを挟む
 それから二〇分後。注文していたピザが届いた。
「はぁ……。やっとまともなご飯だよ。いただきまーす」
 弥生ちゃんはそう言うとマルゲリータを美味しそうに頬張った。そして「うん。最高だね」とほっこり笑顔になった。その表情は……。どう足掻いても可愛い。これで彼氏がいないのだから世の中は間違っていると思う。
「ねー。美味しいよね。私も久しぶりにピザ頼めて良かったよ」
「だよねー。私もさぁ。今は一人暮らしみたいなもんじゃん? だからピザとか久しぶりだよぉ」
 弥生ちゃんはそう言うと「はぁあぁあ。疲れたー」と空気の抜けた風船みたいなため息を吐いた。その脱力具合から見て今の今まで気を張り続けていたのだと思う。
「本当にお疲れ様。……今度行くときは学校に話してちゃんと着いていくからね」
「ああ、うん。ありがと……。でも本当に気にしないでいいんだよ? 香澄ちゃんは学校生活あるんだからさ。それに……。専修高校とか授業忙しいだろうし」
「まぁ……。それはそうなんだけどさ。でもウチの学校はスタイリストの見習いって名目あれば公欠扱いにはしてくれるみたいなんだよね。だから次は何とかなると思う」
「そっか。じゃあ次の仕事でタイミング合ったら来てもらおうかなぁ」
 弥生ちゃんはそう言うと二切れ目のピザに手を伸ばした。そして「香澄ちゃんも食べなぁ」と世間一般の母親みたいなことを言った――。
 
 そうこうしているとドアフォンが鳴った。時刻は二一時過ぎ。来客にしては随分と不穏な時間帯だ。
「誰だろ?」
 私は独り言みたいに呟くとドアフォンに向かった。そして「はい」とドアフォン越しに呼びかけると『こんばんはー。かすみん遅くにごめんね。今からちょっと話せない?』と千歳ちゃんの声が返ってきた。嫌な予感がする。この時間に彼女が来るということはおそらくトラブル発生……。だと思う。
「……ちょっと待ってて。今開けるから」
 私がそう答えるとドアフォン越しに千歳ちゃんの『ごめんね』という声が返ってきた。私はそれに「今更気にしないでいいよ」とやや棘のある口調で答えた。性格が悪いけれどこれはわざとだ。弥生ちゃんとのピザパーティーを中断するのだから多少の文句を言っても罰は当たらないだろう。
「千歳ちゃん?」
 私がテーブルに戻る弥生ちゃんにそう訊かれた。私は「うん。何か話したいことがあるんだってさ」と答えた。弥生ちゃんはそれに「「あの子も悩みとかあんだねぇ」とやや失礼なことを言った。まぁ……。あの子の普段の素行を見るとそう思うのも致し方ない気もするけれど。
 それから程なくして千歳ちゃんが私の部屋にやってきた。
「いらっしゃい。あれ? 家帰ってないの?」
 私は制服姿の彼女を見て思わずそう尋ねた。千歳ちゃんはそれに「うん。今帰り」と答える。
「まぁ……。とりあえず上がって」
「うん。ほんとごめん。お邪魔します!」
 千歳ちゃんはそう言うと申し訳なさそうに頭を下げた。こんなにしおらしい千歳ちゃんを見るのは初めてかも知れない――。

 リビングに戻ると弥生ちゃんが「じゃあ明日はオフ確定ですね」と誰かと通話していた。そして彼女は私たちに気がつくと「すいません逢川さん。香澄ちゃんたち来たんで」と電話を切った。どうやら通話相手はマネージャーの逢川さんだったらしい。
「ごめんごめん。仕事の電話だった」
 弥生ちゃんはそう言うと千歳ちゃんに対して「久しぶり」と左手を上げた。千歳ちゃんはそれに「おひさぁ」と軽く返した。この二人は普通に仲が良い友達同士なのだ。
「今さっきまでピザパーティーしてたんだ。ちょっと冷めちゃってるけど千歳ちゃんもどう?」
「……ありがとう」
 千歳ちゃんはそう答えると弥生ちゃんの斜め向かいの席に座った。そして「ごめんね。せっかくのパーティーに割り込んじゃって」と私たちに謝った。平常運転の千歳ちゃんなら『ウェーイ。さんきゅ! いっただきまぁーす』と言うのに……。と少し複雑な気持ちになる。
「いいんだよ! 気にしないで。……それより私邪魔じゃない? なんか深刻な話あるんでしょ?」
 弥生ちゃんは千歳ちゃんにそう尋ねると私にも「だよね?」と話を振った。私は「まぁ……。深刻ではあるけど」と曖昧に答えた。正直私としては弥生ちゃんをこの件に巻き込みたくはないのだ。学内の問題は学内で解決したい。意地を張っているわけではないけれどそう思う。
「とりあえず……。もし私がいない方がいいなら今日はお暇するよ。ほら、やっぱり人には訊かれたくない話だってあるだろうしさ」
 弥生ちゃんはそう言うと椅子からスッと立ち上がった。すると千歳ちゃんが「待って!」と声を上げる。
「ウチは! できれば弥生ちゃんにも聞いて欲しい! ほんと……。訊いてくれるだけでいいから」
 千歳ちゃんはそう言うと嗚咽を漏らしてその場にへたり込んでしまった。そして「お願い……」と大粒の涙をボロボロこぼし始めた。その様はまるでこの世の悲しみを一人で背負い込んだ捨て猫のようだ。誰にも見向きされず、冷たい雨に打たれながら、溶けかけの段ボール箱の中でただ死を待つ。今の彼女はそんな捨て猫のように見えた――。
 
 その後。弥生ちゃんは千歳ちゃんに寄り添って彼女の頭を優しく撫でていた。その様子はまるで幼い子供をあやす母親のようだ。弥生ちゃんにはこういう才能があるのだ。本人は無自覚だけれどかなり包容力があるタイプなのだと思う。
「……ありがとう弥生ちゃん。もう大丈夫」
 しばらくすると千歳ちゃんはそう言って顔を上げた。弥生ちゃんはそれに「うん」とだけ返した。そして私の方に向き直ると「香澄ちゃん。急で悪いんだけど今日お泊まりさせてもらってもいい? 千歳ちゃんまだ落ち着かないみたいだし……」と言った。突然のお泊まり会の提案。なかなか急な話だ。
「それは……。構わないけど。弥生ちゃんは大丈夫なの?」
「ああ、私は大丈夫だよ。てか明日完全オフになったからさ」
「そっか。じゃあ今日は三人でお泊まり会ね」
 私はそう返すと千歳ちゃんにも「千歳ちゃんもそれでいい?」と尋ねた。千歳ちゃんは私の問いに「うん」とか細い声で頷いた――。

 二三時。私たちは交代でお風呂に入った。そしてお風呂から上がると客間の和室に布団を三つ並べて敷いた。こうしてこの部屋をまともに使うのはこの家に住むようになってから初めてだ。
「知ってはいたけどかすみんの家ってやっぱなんだね」
 布団を敷き終わると千歳ちゃんがそう呟いた。それに対して私は「親がお金持ってるだけだよ」と軽く返した。実際これは本当のことだ。たまたま両親の会社の振り袖レンタル事業が軌道に乗っている。それだけのことだと思う。
「ハハハ……。そこで謙遜しないのがかすみんっぽいね」
 私の返しに千歳ちゃんは先ほどよりは幾分元気な声で答えた。そして弥生ちゃんに「お金持ちっていいね」と話を振った。おそらく嫌味で言っているわけではない。千歳ちゃんの性格的にこれは単なる感想だと思う。
「まぁねぇ。香澄ちゃんのご両親は頑張り屋だからね。それでいっぱいお金稼げたんじゃないかな?」
「やっぱそうかぁ。かすみんの親ならそんな感じだと思ってたよ。ほら、かすみんってめっちゃ努力家じゃん? 親御さんもそんな感じよなぁ」
 千歳ちゃんは勝手に私の親を努力家認定すると真ん中の布団にごろんと寝転んだ。そして「ふかふかやん。ええやん。羽毛布団やん」と笑った。でも……。私の耳にはその声がどことなく淀んでいるように聞こえた。無理に普段の羽田千歳のフリをしている。そんな風に。
「……それで? 何があったの?」
 私は千歳ちゃんの右隣の布団入りながらそう尋ねた。千歳ちゃんはそれに「あ、うん。そうだよね」と返すと五秒ほど間を置いた。そしてゆっくりと口を開く。
「フジやんがね。帰りに飛び降り未遂したんだ」
 千歳ちゃんはそれだけ言うと掛け布団を両手でギュッと握った。そしてその握った手は酷く震えていた。まるで生まれたての子鹿みたいに。彼女の手には不必要な力が加わっているように見える。
「え? 飛び降りって……。学校で?」
「うん、そう。旧校舎の屋上でさ……。まぁ幸い飛び降りる前に止められたけど……」
 千歳ちゃんはそこまで話すと深いため息を吐いた。そして学校で何があったのかを教えてくれた――。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

将軍の宝玉

BL / 完結 24h.ポイント:127pt お気に入り:2,718

貴方達から離れたら思った以上に幸せです!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:208,590pt お気に入り:12,408

君と過ごす16度目の春に

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:4

王子に転生したので悪役令嬢と正統派ヒロインと共に無双する

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:177pt お気に入り:276

【完結】契約妻の小さな復讐

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,498pt お気に入り:5,875

突然の契約結婚は……楽、でした。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:83,133pt お気に入り:2,357

愛されない王妃は王宮生活を謳歌する

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:99pt お気に入り:1,858

チートなタブレットを持って快適異世界生活

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:560pt お気に入り:14,313

優秀な妹と婚約したら全て上手くいくのではなかったのですか?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:129,128pt お気に入り:2,287

処理中です...