誤召喚されたら生徒がアホ王子だった~歴女大学生、古今東西の人物史で教育する~

古木しお

文字の大きさ
23 / 56
アホ王子への教育とこの異世界

第22講 『星と時間とジョン・フラムスティードとグリニッジ天文台 ~“空を測った男”が世界を整えた時~』

しおりを挟む
 夕刻。
 私は、ケイ王子が天文台に行ったと聞き、どうせしょうもないことをしているんだろう……と思いながら珍しく、王立天文台へ足を運んだ。

「って、何やってんだよ、あのアホ王子……」

 私は、ため息混じりに小声で呟いた。

 天文台では、魔導院所属の占星術師や魔導師と、科学院所属の天文学者や科学者たちが、何やらあわあわと困りぎみに遠巻きに立ち尽くしていた。

 その中心──

「おおーっ! 今こっちの路地でパン屋のおっさんが粉ぶちまけたー! ……って、あれ? 後ろで子どもが笑って……。で、あっちでは……わっ! あの女、服脱ぎ始めた!! うおおお!!」

 王立天文台の大型望遠鏡を、覗き込んで実況中継している王子がひとり。

「おいアホ、天文台の望遠鏡で何やってんだ!!!」

 私は階段を登り切るや否や、全身の怒声でぶちかました。

「わっ!? な、なに怒ってんだよコヒロ!?」
「お前、星を見るための国家機関の設備で国民の覗き見してんじゃねぇよ!!  天文台は民間を監視する装置じゃねえ!! スパイ映画でも使わねえぞ!!」
「でもさー、民の暮らしを観察するのって王として大事じゃん?」
「観察の方法がおかしいんだよ!!!」

 私はブチブチ言いながら、ふと望遠鏡に目をやった。

(……しかしこの望遠鏡、結構古いな。だいぶガタがきてそうだし、レンズに魔素シミまで出てるじゃん……これじゃ星どころか虫の羽すら見えねぇぞ……)

 科学と魔術の狭間で混線している設備を前に、私は半ば呆れつつ、腕を組んだ。

「……まあいい。ちょうどいいからここで講義しよう。場所も天文台だしな」
「え、ここで!? てか授業だったの!?」
「うるせぇ。授業に場所は関係ない!
 今から"ジョン・フラムスティード"と彼が初代天文台長を務めた"グリニッジ天文台"の話をする……。耳の穴かっぽじって聞け!」

  ☆

王立天文台の大望遠鏡前に立ち、私はゆっくりと腕を組んだ。
 ケイ王子は先ほどまでは望遠鏡を覗いていて市井の様子を見て楽しんでいたが、今は、椅子に座り、すでに私の言葉に耳を傾けている。

 その後ろには、学院所属の天文学者、魔導院の星詠みの魔導師たち──
 彼らもまた、半ば唖然としながら、この"講義"を見守っていた。


「……さて、王子。星ってのは、ただ綺麗なだけじゃない。
 星は"道しるべ"であり、"時間"であり、"力の基準"でもあるんだ」

 私は望遠鏡の金属の棒に手を置く。

「私のいた世界――"地球"では、かつて帝国が海を越えて支配を広げていった。
 けれど、海で迷えば、軍隊も商船も沈む。
 だから必要だったのが、"星の正確な位置"だったの。
 そうして作られたのが、国立の天文台!
 その一つに、"グリニッジ天文台"というものがあったのだ!!」

「ぐり……?」
 王子が口をひらく。

「グリニッジ。イギリスという国にあった、星を観測するためだけに建てられた建物だ。
 そしてそこに任命された初代台長が──ジョン・フラムスティードという人物だった」

 私はゆっくりと望遠鏡の鏡筒を指差した。

「彼は、自ら望遠鏡を組み立て、星を何万も観測し記録した。
 それも、自分の目と手で、何年にも渡って。
 なぜそんなことをしたのか?
 ──正確な"天体暦"をつくるためだ」

 私はいつの間にかに天文台の学者が用意していた大型の簡易黒板に星の円をなぞる。

「星の動きを記した暦があれば、船は夜でも迷わない。
 天候や季節も読める。
 そして“時間”を国のどこでも同じにできるようになる
 ──"時間を合わせる"っていうのは、簡単なことのようで、実は国家の支配と直結していた」

 魔導師の一人が、思わず唸るように呟いた。
「……天文魔術では"星の名"がずれると、術式すら変化します。
 時間と星の対応を"統一"するという思想、それは……」

「そう。……それは"科学による秩序"の確立だった。
 しかも、ただ便利にしたいからじゃない。
 人々が“同じ時を生きる”ための、共通の物差しが欲しかったのさ」

 私は静かに言葉を置いた。

「王になる者にとって、豪奢さも勇気も必要だろう。
 でもな──"正確であること"ほど、民の信頼を得るものはない。
 フラムスティードはそれを、星を測ることで証明した」


 しばしの沈黙。
 魔導師や占星術師と科学院の科学者たちは、顔を見合わせるように何かを思案していた。
 そして王子が、小さな声でぽつりとつぶやいた。
「……僕も、時間……ちゃんと守ろうかな……」
「まずは早起きからだな」
「いやきつっ!!」


 私は一歩、望遠鏡に近づく。
 ゆっくりと天井の星図を見上げ、静かに目を閉じる。
 心の奥底に、記憶が降りてくる。
 ──風が吹く。イギリスの曇天。パラパラとノートに記される星の記録。
 それは誰にも理解されず、嘲笑されながらも、決して折れなかった男の軌跡。

「……夜が、来るたびに私は天に向かった。星が一つ落ちるたびに、国の未来を一つ、測ったんだ──」

 私の声が低く、震えるように変化していく。

 その瞬間、魔導師の一人が目を見開いた。
「……おお! きたぞ、噂のコヒロ殿の"憑依魔術"だ……!」

 私は、天文台の中心にある黒曜の天球儀へと手を伸ばす。

「──我が名は、ジョン・フラムスティード。
 星を測り、時を刻み、帝国の"正確さ"を刻んだ者である!!」

 床を踏みしめる。
 天井の星座が淡く光り、魔導式照明がチカチカと明滅する。

「誰もが"目立たぬ"と笑った。
 "お前の星図など地味だ"と、書き写されたまま忘れられると──そう言われた!!」

 私は拳を握る。
「だが私は黙って観測した! ひと晩も、百晩も、千夜も!
 ──王子よ、知っているかね!?
 星を正しく測るということは、"すべての人の明日を測る"ということだ!」

 王子が、ごくりと唾を飲む。

「間違った地図を渡されたら、船は沈む。
 ずれた時間で動けば、戦に負ける。
 正確さは、地味だが強い。静かだが偉大だ。
 それを支える者は、決して表舞台には出ぬ。だが──その支えがあるから、王が王でいられる!!」

 私は、天文台の天井を仰いで、力強く叫んだ。

「──ゆえに我が道は、星を測ることなり!
 我が観測が、未来を導き、国家を支え、時を統べる!!」

 その場が静まり返る。
 魔導師も天文学者も、誰一人声を出さない。
 ただ──その魂の熱だけが、空気を震わせていた。

 私は深呼吸し、スッ……と肩から抜けるように、口調を戻す。
「……ふぅ、フラムスティードさん、あとはよろしく」

 ケイ王子がポツリとつぶやいた。
「……なあコヒロ……。そういう、"ちゃんとした人"がいたってだけで……なんかもう……すげぇな」

 私は静かに、にやりと笑った。
「わかってんね、王子」

 講義の熱が去ったあとも、天文台はしばらく静まりかえっていた。
 大望遠鏡の冷たい金属音が、どこか余韻を残して響いている。

 その中で、ケイ王子がぽつりと呟いた。
「……地味だけど……星って、マジですげぇんだな……
 時間も国も、空から決まるなんて、そんなの……ロマンだろ……」

 私は頷きながら、ひとこと。
「そうだよ、王子。"ロマン"と'正確さ"は両立する。
 だからこそ──星を信じて観測し続けた人間がいたんだよ」

 王子は、目をキラッキラに輝かせて言い放った。

「よし!! じゃあオレが、“この王国の星の時間”を作る!!」
「は?」

「時計台も魔導院の鐘も! みんなこの天文台の星の動きに合わせて作り直す!
 "ケイ標準時"って名前にしよう! おーい!! 大工と魔導技師呼んでこーい!!」
「待て! ストップ! 落ち着け! 星の動きは今でも見てるし! やめろ! その子午線を掘るな!! このトラディア王国だけじゃなく、他の国にも迷惑がかかるレベルになる!!」

 私と科学者、魔導師たちが総出で王子の暴走を止めに入る。

 科学院の主任天文学者は青ざめて叫ぶ。
「ケイ王子殿下! この天文装置の再構築には月単位の作業が……!」
「じゃあ"月単位"で改修しよう! この望遠鏡も古いんでしょ!? よし! 僕が直す! 王国の予算から出してやる!! いいよね!?」
「だーかーらー! 勝手に国費使うなー!!」

 騒然とする王立天文台の中を、疲れた私は壁へもたれかかった呆れて見る。

 (……もう……なんなんだこのバカは)


 ──でも、結果的に。
 ケイ王子の“星の時間”構想は、天文台の老朽設備刷新計画として正式に採用されることになった。
 まーた、あの王子の家臣の全肯定イエスマンの仕業だな……。いつか直接会って文句言っておきたい……。


  ☆


 改修計画案の提出式典。
 学院の天文学者たちが、私の前で深々と頭を下げた。
「コヒロ殿! 今回の件、本当にありがとうございました。あのアホ……ではなくケイ王子殿下があれほど科学と天文に関心を持たれるとは……。あなたの教育の賜物です……!」
「えっ……いや、私はただ……"アホがしょうもない覗きをしていたからブチギレて講義しただけ"というか……」

 私は、微妙な顔で王子を見る。
 王子は望遠鏡の上であぐらをかきながら、星空を見上げていた。

「なーなーコヒロ。僕、星に名前つけていい?」
「ダメだ」
「えー……」
「……自分の名前を星につけるんなら、とりあえずとってりばやいのは自分で新星見つけるかしないとだな……」

 そんなふうに私は、少しだけ呆れながら、でも──ほんの少し、胸の奥で、気づき始めていた。

(……このアホ王子の教育って、もしかして……国を動かすってやつ……なのか……?)

 魔導師たちは静かに星図を巻き戻し……。
 科学者たちは未来の暦を調整し……。
 そして王子は、またひとつ星の名前を考えていた。
 王立天文台の夜が、少しだけ賑やかになった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

異世界に行った、そのあとで。

神宮寺 あおい
恋愛
新海なつめ三十五歳。 ある日見ず知らずの女子高校生の異世界転移に巻き込まれ、気づけばトルス国へ。 当然彼らが求めているのは聖女である女子高校生だけ。 おまけのような状態で現れたなつめに対しての扱いは散々な中、宰相の協力によって職と居場所を手に入れる。 いたって普通に過ごしていたら、いつのまにか聖女である女子高校生だけでなく王太子や高位貴族の子息たちがこぞって悩み相談をしにくるように。 『私はカウンセラーでも保健室の先生でもありません!』 そう思いつつも生来のお人好しの性格からみんなの悩みごとの相談にのっているうちに、いつの間にか年下の美丈夫に好かれるようになる。 そして、気づけば異世界で求婚されるという本人大混乱の事態に!

『異世界に転移した限界OL、なぜか周囲が勝手に盛り上がってます』

宵森みなと
ファンタジー
ブラック気味な職場で“お局扱い”に耐えながら働いていた29歳のOL、芹澤まどか。ある日、仕事帰りに道を歩いていると突然霧に包まれ、気がつけば鬱蒼とした森の中——。そこはまさかの異世界!?日本に戻るつもりは一切なし。心機一転、静かに生きていくはずだったのに、なぜか事件とトラブルが次々舞い込む!?

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。 ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。 しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。 ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。 そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。 国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。 樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。

処理中です...