平凡な女には数奇とか無縁なんです。

谷内 朋

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 今日は修正に時間を取られて三十分ほど残業をしてしまったが、何とかノルマ分の業務は達成できたので帰り支度をしてオフィスのドアを施錠する。そう言えば課長が代わってからほぼ残業無しで帰宅できていただけにこの状況自体かなり久し振りだ。
「お疲れ様です」
 エレベーターで一階まで降りてから守衛さんに鍵を返却し、さて帰るかと外を見ると愛しい黄色のマクラーレンが正面玄関前に停車していた。
 何の前触れも無く迎えに来てくれた彼の気遣いが嬉しくて、逸る気持ちを抑えながら彼の元へ向かう。彼は車を降り、白い歯を惜しげも無く見せて笑いかけてくれる。
「お仕事お疲れ様」
「明生君もお疲れ様」
 彼は車体前部から回り込んで私の前に立ち、腰に腕を回して抱き締められて口づけを交わす。私は瞳を閉じ、場所も忘れてウットリしていると不自然な光が顔面に当たるのを感じた。
「おいそこ、この時間帯は駐停車禁止なんだが」
 この声は社長だ。時々は守衛さんに代わって施錠点検をなさるのだが、こんなのまで点検する必要がどこにあるの? 私たちは仕方なく唇を外して声のした方を見る。
「随分と野暮なことなさるんですね」
 明生君、そんなのすみませんであしらって早くここから離れよう。私はちょんちょんと服を引っ張るが彼は意図に気付いてくれない。
「あ"ぁ? 野暮なのはそっちだろうが、道路交通法はちゃんと守れっての。県知事の甥っ子がそれじゃあ誰が法律守ろうって思うんだよ?」
「人違いです、変な言いがかりは止めて頂きたいですね」
 そうよ社長、彼は苗字が同じだけ。
「おぉこれは失礼、実子・・だったなアンタ。まぁだからって法律違反を免除されるなんざ甘い考え持ってんじゃねぇぞコラ」
 実子? 何言ってるの? 県知事は確か独身のはず。
「行こう夏絵」
 彼は社長の言葉を無視して私を車に押し込み、早々に車を発車させた。こんな所でキップなんか切られてしまったらせっかくの甘い雰囲気も台無しになってしまう、あの社長のことだからちょっとした違反でも警察を呼びかねない。
 それにしても県知事の実子って何? これまで彼はずっと『僕はお殿様家系ではない』と否定していた。私もそれを信じているけど、あの社長がわざわざそんな嘘を吐くとも思えない。これまでだって周りから『玉の輿狙いのがめつい女』と言われたこともあったし、近しい小久保とか亘理も『旧家の金持ち』とあやふやな言い回しでそれを匂わせた発言をしていた。
「「……」」
 それを今訊ねてもいいのかな?この前だって『立派なのは祖父だけ』って言ってたし。
「夏絵」
「ん?」
 余計なことを考えて声が少し上ずってしまった。
「今晩は家に泊まって。話さなきゃいけないことがあるんだ」
「うん」
 なら姉にメールだけ入れておこうと思ってケータイを取り出そうと思ったら凄い力で腕を掴まれた。
「えっ?」
「この前も言ったよね? 二人でいる時は電源を切ってって」
「でも変な心配かけちゃうよりは……」
「君の家族は過干渉過ぎる、僕たちはもう子供じゃないんだ」
 彼は運転中にも関わらず、私からケータイを取り上げて電源を落としてしまう。運転中の車内で揉み合いなんてことになると事故に繋がるので、仕方なくケータイの奪還を諦める。
 車はそのまま南部の方向へと走る。私は家族を無視している罪悪感で居心地が悪い。ここで『帰りたい』と言っても、彼の性格を考えると多分聞き入れてもらえない。『話さなきゃいけないことがある』って言ってたからそれも気になるし取り敢えずは黙っておく。
「お腹空いたよね、どこかお店に入ろう」
 彼は私の気持ちなどお構い無しで上機嫌に車を走らせている。外の景色を見ると、一気に高層ビルが増えてきたので県庁所在地に入ったんだと思う。帰宅も連絡を取ることも諦めているけど、気持ち的にモヤモヤが取れなくて聞こえない振りをする。
「夏絵?」
 こういう時の彼は割としつこい。私はさも今初めて聞こえました的な感じで少々大袈裟な反応をする。
「えっ? 何か言った?」
「お腹空いたよね?」
「う~ん、そうでもないけど」
 今は空腹感よりも罪悪感の方が大きい。
「市役所を越えた所に雰囲気の良いバルがあるんだ」
「そうなんだ」
 今そこに興味が持てない。
「他に食べたいものでもあった?」
 そうではなく空腹感が来てないだけ。
「あまりお腹空いてないの」
「そう……」
 彼はちょっと寂しそうにしてるけど、私だって家族との連絡を絶たれてケータイも手元に無い。そんな状況で楽しい雰囲気を作れなんて私には無理、誰にだって感情の起伏くらいあるんだから。
 私は再び外の景色を眺めながら時が過ぎるのを待つ。市役所を越えても車を停める気配が無いので多分諦めたのだろう。海沿いの国道をひた走り、特に言葉を交わさないまま県庁所在地を抜けてK市に入った。
「夏絵」
 再び彼から声がかかる、今度は何だろう? 振り返るまで何度も呼びかけるだろうから顔を窓から彼に向ける。この辺の工業地帯の夜景結構好きなんだけど。
「どうしたの? 何かあったの?」
 そうだった、彼こういう微妙な空気を察知するの苦手分野だったわ。
「夜景観てただけよ」
「えっ? この辺工業地帯だよ」
 えぇそうですよ、でもここ夜景クルージングが人気で写真集まで出てる名所なんですけどね。
「結構な人気スポットよ、夜景クルージングは半年先まで予約で一杯なんですって」
「へぇ、知らなかったよ」
 えっ? そうなの? いくら韓国の滞在があったって言っても、あなたK市出身なんだから知らないって“モグリ”レベルよ。私も観るのは久し振りだけど、こういう所って気の合う人たちと観ないと本当につまらないんだなと今凄く実感している。
「そのクルージングには乗ったことあるの?」
「えぇ、二度だけだけど」
「そう、なら今度一緒に観よう」
「無理に付き合わなくていいわよ、今観れてるし」
 コレに関してはゲンと行くのが一番楽しい、アイツ工業地帯マニアでここ以外にもこの手の情報は私よりも全然持っている。一昨年ゲンとてつこと三人で行った時はめちゃくちゃ楽しかった。当時は写真集が発売される直前で今ほどの人気スポットではなかったけど、その分お客さんもそこまで多くなくて撮影なんかも自由にできていた。
「僕は君の好きなものに興味があるんだ」
「えっ?」
「愛する人の好きな世界感を知りたい、そう思うのって変なことなのかな?」
 その辺りのことはよく分からない。ただ興味の無いものにまで無理に合わせる必要は無いと思う。
「今に分かるよ、僕の言った言葉の意味が」
「……」
 分からないことにまで返事はできないので再び夜景に視線を移す。彼のクククという笑い声が聞こえたが、何となく馬鹿にされているように感じてしまったので聞こえない振りをしてやり過ごした。
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